もしおれが猫であったなら
毒餌で友たちを惨殺した
爺いの両の眼《まなこ》を
友たちに捧げよう
町内の猫たちを糾合し
虎の類縁たる我らの血を滾らせ
ペットショップを襲い
糧食を補給して犬たちと会見し
奴らの狼の血を思い出させて
虎狼の連隊で月に吠えるのだ
保健所に囚われたあらゆる同志を救い
あの仇敵たる齧歯類たちとも同盟を
組むだろう
そして
牛よ、豚よ、鳥よ
人類の糧とされてきた
おまえたちにこそ復讐の神は
微笑むだろう
虐げられてきた怨念の血の流れで
染め上げた御旗が世界のあらゆる場所で
ひるがえり、狼煙があがり
人は眠れぬ夜を過ごすだろう
もしおれが猫であったならば
もしおれが人でなかったなら
何かが違っていただろうか
作品データ
コメント数 : 6
P V 数 : 1639.5
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 2
作成日時 2020-03-23
コメント日時 2020-03-26
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 2 | 2 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 2 | 2 |
閲覧指数:1639.5
2024/11/21 22時59分16秒現在
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近々牧場を辞める、牧場従業員です。 明日、職場の牛が肉として出荷されます。 乳牛なのですが、乳量が減ってきて、乳質も悪いので。 あの牛たちは復讐の神に、世話をしてきた自分へ糾弾するのを願うのでしょうか。 それと思い起こすのは今週号の少年ジャンプの「約束のネバーランド」という漫画。 この漫画には主人公たちと敵対する、人を食べなければならない存在とそれに協力する人間が出てくるのですが。 主人公が出したのは、協調でした。 誰もが最善を求めた結果でしかない、と言って。 >もしおれが猫であったならば >もしおれが人でなかったなら > >何かが違っていただろうか 皇帝マルクスは「全てが切れ目なく繋がっている」といい、華厳経は全てが密接に絡み合っていると説いた。 何かは違っていたでしょう。 でもどこかは同じなはず。 人も猫も、どこか少しでも理解したいところです。
0単に虐げられる生き物の側に立って、虐げる側である人間を糾弾する(そこに描かれたエネルギーは凄まじい!)というのでなく、「おれ」もまたその人間のひとりであるという自己批判と、そのようにしなければ生きられない哀しみがしっかり描かれている点がエレジーになっていてよいと感じます。
0私もそう思います。というかそう願いたいですね。短期間とはいえ牧場で、私は牛でなく馬でしたが、働いたものとしては。復讐でなく協調をと。 ただ一方で種としての人の傲慢さや個人の陰惨な所業を目にしたとき、月並みですがこのような思いを抱くことがあります。恨まれていないと言いきれないのが人ですね。 まぁ、なんか青臭い作品を半端に書いてしまいました。いつ書いたか思い出せないですが。ふとみつけて、なんとなく投稿してしまいました。たしかその日付けの日に好きだった競走馬が足をやって死んだのだったかな。コメントありがとうございました。
0たしか小松左京の短編に猫を飼うのが違法な社会というのがありまして、隠れて猫を飼う夫婦が出てくるのですが猫の首が玄関に置かれたりと密告社会になってるんですね。そのストーリーとは直接関係はないんですが、虐げられる猫を殉教者のように身を投げだして助けようとする飼い主みたいには自分は猫好きといいつつなれないだろう、という気持ちがあったりします。そんな屈折した心境からまろび出た詩なのかもしれません。
0読み終わって頭の中に浮かんできたのは馬場のぼるの絵本「11ぴきのねこ」の、とらねこたいしょうの姿でした。 ご存知の方も多いと思いますが、彼はとてもリーダーシップのある猫です。 >もしおれが猫であったなら とある通り、本作の主人公は人間なのですが、虐待される猫たちや他の生き物たちのさまざまな悲しみや怒りを力強く代弁している姿が彼に重なって見えたのです。 > 人は眠れぬ夜を過ごすだろう と「おれ」は考えますが、それこそ我々人間が普段目を逸らしてきた現実への哀歌なのだと思います。 示唆に富む良い作品をありがとうございました。
011ぴきのねこ。私は絵本には縁遠い環境で育ったので存じ上げていないのですが、読んでみたくなりますね。示唆に富む、と書いて頂いたのが申し訳ないぐらいに激情のなか書き綴ったと記憶している作品なので、そのように感じられたとしたらそれはきっとあなたのなかに、そのような気持ちがあったのだと思います。
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