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被写体
証拠はないが フラッシュの後には きゅうんとレンズが鳴る。 それから大急ぎで 切り取られてばらばらの被写体が 光学の手順で縫合される それから まるで 文学みたいに見せびらかすのだ。 観客の私は 人混みにつったち カカトで脛を掻いていた 写真家が いかがですと問うので 私は静止し イカガデス と 思うのだった それから また 夕立が止んだ。
被写体 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1094.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-07-01
コメント日時 2017-08-15
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
花緒さん 最初の三行、おきにいりです。面白くよめてしまえば、意味は後からついてくる、のかも、知れないなあとおもいます。読めて、いいなと思って、なんでいいのかなと頭をひねって、いろいろ 糸が つむがれていくような。 ありがとうございますっ。
0ボルカさん カメラを持つとわくわくする。そわそわしてレンズを覗く。何を?どんな構図で?カメラをもつと色々な問いかけに、おどおどしながら答えなきゃいけない。カメラは面白い機械だとおもいます。
0〈きゅうんとレンズが鳴る。〉この一行で、物体であるはずのカメラが、生き物として動き始める。人間の眼というシャッターで、直感、というフラッシュを焚いて、記憶という媒体に被写体を写し取ったならば・・・などと拡大解釈してみても面白い。 〈切り取られてばらばらの被写体が/光学の手順で縫合される/それから〉この表現もユニーク。人や物、といった被写体が、被写体という図像、画像としてカメラに吸い込まれ・・・デジタル処理を経て画像、となる。文節された世界が、縫合・・・医者の手つきのような操作・・・によって全体像を取り戻す。コマに区切られた、無数の瞬間の連続が、ひとつの物語を生み出す。その連続性=文学、そんな(背後にある)思想のようなものを感じました。 みいとかろさん自身が、写真を撮る瞬間の想いを作品にされたのだ、と思いますが・・・この詩の中では、語り手は被写体で、写真家に「いかがです」と問われる側、そして語り手は、観客として〈イカガデス〉と問い返す側・・・という関係性、でいいのでしょうか。 〈それから〉が二回出てきますが・・・一連目と二連目は、非常に強く(意味的、時間経過的に)繋がっているのに、二連目と三連目は全く別の次元にまで飛んでいますね。二度目の「それから」の意味合いが、気になります。
0まりもさん 被写体は、なんであっても構いません、明示されていないので。 写真家は「私」へ問いかけますが、私の「イカガデス」は、写真家への問い返しとも読めるし、そうでなくも読めます。問いかけの「いかがです」を、心中で 単に 反復しただけ、というふうにも読めます。音だけになったイカガデス。 「それから」という語は 前をうけて次に というほどの意味で、それ自体が具体的なモノを指し示すわけではない語です。前を受けて次へ流す、そんな機能のある語なので、改行して「それから」のみの一行を入れると、具体的な事柄に挟まれた「それから」の部分が、浮くような気がします。そんな特徴が好きで、よく利用します。 ありがとうございますっ
0初めまして。 縫合される、とは一枚の写真が影から形となる瞬間でしょうか。 縫合というと、恣意性を感じますが、今の技術では、カメラは、一度撮ったら手直しが効かないなんてシロモノではなくなっていますから、縫合されるという文、大いにありですね。
0こんばんは。 フラッシュが焚かれる直前にきゅうんという音が鳴るのを聞いたことはありますが、それをその後に置いたところが面白いと思いました。 また、「光学的な手順で縫合」とか「イカガデスと思う」といった表現や、最後に突然「夕立が止んだ」という言葉を置いたりされたところは、とても勉強になりました。
0みいかとろさん、こんにちは。 カメラの中では、被写体を材料として、被写体ではないものが、まるでフランケンシュタインのように再創造されるのですね。 生身の「私」がカカトで脛を掻く動作が可愛らしい。 夕立ちがやむのは、人のではなく神の仕種なのだ、と思いました。
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