うつろう - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

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うつろう    

真っ赤に熟した木の実は ‪目を離した隙になくなる‬ ‪美しく色づいた葉を全て‬ ‪木枯らしにさらわれた日‬ ‪閑散とした庭は少しだけ‬ ‪人恋しさを連れてきて‬ ‪上着を忘れた時のような‬ ‪気持ちにさせるのだ ‪何故すれ違ったのか‬ ‪納得のいく答えはまだない‬ ‪狂おしい記憶は誰かの手で‬ ‪かき消してしまえばいい その 誰か、を思い 白く冴えた三日月をみている



うつろう ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 12
P V 数 : 2638.6
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 27

作成日時 2019-10-23
コメント日時 2019-11-02
#テキスト
項目全期間(2024/11/21現在)投稿後10日間
叙情性1212
前衛性00
可読性00
エンタメ00
技巧55
音韻00
構成1010
総合ポイント2727
 平均値  中央値 
叙情性66
前衛性00
可読性00
 エンタメ00
技巧2.52.5
音韻00
構成55
総合13.513.5
閲覧指数:2638.6
2024/11/21 23時34分09秒現在
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    作品に書かれた推薦文

うつろう コメントセクション

コメント数(12)
ふじりゅう
(2019-10-23)

3連目の特徴を生かすための1~2連目という構造と考えました。最初、風景描写しかないので無味な詩と感じたのですが、3連目から色付けが始まる事で印象深い作品に仕上がっている気がします。 > 美しく色づいた葉を全て‬ ‪>木枯らしにさらわれた日‬ ここは「を」ではなく「が」とする、または、「木枯らしがさらった日」とするべきなのではと感じます。 主人公の情報がもう少しあれば、文章末尾の「誰か」を「思」うという主人公の感情がより生きてくると思いました。

0
ほば
(2019-10-23)

‪>上着を忘れた時のような‬ ‪>気持ちにさせるのだ この詩句がお見事だと思います。二連目は書き換える余地がありますね。未だ来ない、誰か、月の横顔を見るように思い描く。満ち欠けする月は時間の変化、そこはかとなく希望が見え隠れして好ましい小品だと思います。

0
afterglow
(2019-10-26)

ふじりゅうさん ビーレビ初投稿の作品で初めてのコメントを頂けて、こんなに嬉しいことはありません。ありがとうございます。 ご指摘の部分、二連目の >美しく色づいた葉を全て‬ ‪>木枯らしにさらわれた日 さらわれたのはとても魅力的で大切に思っていたものなのです。それが不意に跡形もなく消える悲しさ、口惜しさ。 そういった気持ちを書くには、やはりこのままでいいと思います。

0
原口昇平
(2019-10-26)

語り手は秋の深まりのなかに特別なものとの別離のあとの孤独をにじませています。であれば、私はやはりふじりゅうさんの指摘は正しいと思います。「美しく色づいた葉がすべて/木枯らしにさらわれた日」としたほうが、そのさらわれたものの私にとっての特別さが引き立ってきませんか? 他でもないこれがさらわれたのだと。色づいた葉「が」ではなく色づいた葉「を」とするとその特別さは弱まって、代わりに隠された主語「私が」が暗示されるので、あんまり思い入れが感じられないです。

0
afterglow
(2019-10-26)

帆場さん お読み下さりありがとうございます。 そう言って頂いてホッとしています。 そうですね…、二連目は感覚的にあまり強調したくなかったというのもありますね。

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survof
(2019-10-26)

いろいろご指摘がすでにありますが、ちょっと情報が足りていない印象があります。 ‪たとえば >‪上着を忘れた時のような‬ ‪>気持ちにさせるのだ は私もなかなか巧い比喩だと思うのですが、どんな状況で上着を忘れたのかの情報がないので、比喩としてのインパクトが薄まってしまっている印象があります。 寒いのに上着を忘れた、という状況と、スーツを着るべき状況で上着を忘れた、という状況では意味するところがまったく異なるからです。 もちろん文脈から「うすら寒いのに忘れた」のだな、ということは予測できるのですが、想像力がそっちの比喩の読解に奪われる形になるので、作品が表現しようとしている寂寥感から注意が若干そらされてしまいます。 また、助詞の使い方なども指摘されていて、それにも同意ですが、さらに細かいところをいうと >‪閑散とした庭は少しだけ‬ ‪>人恋しさを連れてきて‬ の二行は、例えば >‪閑散とした庭を少しだけ‬ ‪>人恋しさは連れてきて‬ と主語と述語の関係を逆転させるような細工もありだなと思います。そのほうが寂寥感が表現できるような気がします。 こういう細かい部分の細工を重ねることで読み手にとってさらに明確な手触りのある作品になっていくのではないかと思いました。 作者にとって情景はかなり明確に見えているはずなのでそれと同じものを読者に見せるにはやはり細工(それを人々は技術というのかもしれません)が必要なのではないかと思います。

0
afterglow
(2019-10-26)

原口昇平さん お読み下さりありがとうございます。 二連目については既にいろいろとご指摘がありました。 「さらわれた」のは目の前のとても大切なものですが、それだけではないのです。それは主人公の中にあるものなのかもしれません。 原口さんがご指摘された >隠された主語「私が」が暗示される ということであれば、それはぼくの意図が伝わっているのだと思いました。

0
afterglow
(2019-10-30)

survofさん お読み下さりありがとうございました。

0
エイクピア
(2019-10-31)

推測なのですが、三日月は昼月だったのではと思いました。昼月でも16時ぐらいに見たのではと思いました。狂おしい記憶は昼月ゆえなのかもしれません。

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afterglow
(2019-10-31)

エイクピアさん お読み下さりありがとうございます。 ご推察の通り、見ていたのは昼の月でした。 三日月というのは気がつくともう西の空に居て、日没後は長く見ていられないのです。後ろ髪を引かれる気分になります。

0
藤 一紀
(2019-10-31)

第三連から先に書きます。 閑散とした庭は少しだけ‬ ‪人恋しさを連れてきて‬ ‪上着を忘れた時のような‬ ‪気持ちにさせるのだ  ひっそり静まりかえった庭は、《少しだけ人恋しさを連れてきて》とありますが、ちょっとした人恋しさに触れることで、本当にかつてのようではなくなった事実に気づく、直面するということは十分にあると思います。人恋しいと感じるということ、温もりを求める気持ちというのは、それが「ない」ということを証しているのだから。  で、そういう、自分を温かく満たしていたもの、それが「ない」ということに気付いた途端、差し迫ってくる欠如感、寂(寒)しさがあって、これが《‪上着を忘れた時のような‬/気持ち》なんだと思います。  この寂しさ、寒さは私は、語り手にとってなかなかにきついと思うんですね。ちょうど、自分自身が実も葉も失ってしまった裸の木になったくらいに。  とすると、「閑散とした庭」は、いまそんなふうに──裸の木のように──感じている語り手の心象世界でもあるんじゃないか。そこまで行くと深読みし過ぎかもしれないのだけど、とにかく、この連にしても、上手いとは言えるけど、それより先に、正確に書かれてるなという印象です。 「閑散とした庭」が、現在の心象世界でもあるんじゃないかと書いたのだけど、もう少しそれに沿って見てみると、《真っ赤に熟した木の実》(第一連)も‪《美しく色づいた葉》(第二連)も、なくなったり、さらわれたりで失われてしまったことが語られています。これは、「あった」ということを暗に語っているわけですね。なくなった、さらわれた、と語ることで「あった」という記憶を浮かびあがらせる。で、《真っ赤に熟した木の実》も《美しく色づいた葉》も一朝一夕ではそうならない。そうなるための時間がかかる。季節の移ろいのなかでだんだんと葉が色づいて、ようやく美しくなる。実にしてもようやく真っ赤に熟すわけで、そうは書かれていないのだけど、語り手はそういう季節の推移を見てきた(生きてきた)という自負に似た思いがあるんじゃないかと想像できます。  三連目の部分でも書いたのだけど、語り手にとってはこれは彼の世界(彼自身)を温かく満たしてきたものでもある。いや、それらは比喩であるとかイメージ的表現だ、というのは大した問題ではなくて、景色であろうと関係であろうと、どっちにしろ語り手にはそうとしか言い表せないものだということで、それだけ(自分の世界を温かく満たしてきた)かけがえのないものだったということが汲めると思います。  それで、ようやく「真っ赤に熟した」り、「美しく色づいた」ものが、どういう風の吹き回しかわからないけど、失われてしまって《閑散とした庭》になってしまう。  ついでというわけではないですが、めちゃめちゃ楽しみにしていて最後に食べようと残して取って置いたショートケーキの苺を、ちょっと目を離した隙に取られて食べられたら、腹立つと思うんですね。そんなに食べたかったんなら取られる前に食えよというのは取った側の勝手な理屈で、普通はどう考えても取った方がいけない。自分が誤って落としたというなら自分に非があるから納得するしかないけど。  卑近な例ですが、それでいうと《真っ赤に熟した木の実は/目を離した隙になくなる‬》は「なくなる」であって「なくす」ではないのは正しい。‪《美しく色づいた葉を全て‬/木枯らしにさらわれた日‬》というのも、ことのウェイトは「葉」にかかるのではなく、葉を「さらわれた」方にかかっている。合点がいかないにもかかわらず(故知らず)、そうなってしまったことを表しているのだから、ここを「を」で書いたのは語り手の心情として正確だと思います。「どうしてこうなるの!?」というのが底にある。 (「車が盗まれた」という場合は「車」にウェイトがかかりますが、「車を盗まれた」という場合は「盗まれた」にウェイトがかかるのと同じです) というわけで、 ‪《何故すれ違ったのか‬/‪納得のいく答えはまだない‬》につながります。 私はこの連はいいなあ、特に三行目の《狂おしい》というのはいいなあと思います。繰り返しますが、 1) 《真っ赤に熟した木の実》や‪《美しく色づいた葉》(一、二連)で語られるように、鮮やかさで満たされていた心象(と、そこにいたるまでのすこしずつの時間の推移や深まり)がまずあります。 2) 次に、それが《なくなる》だの《さらわれ》るだの、自分のせいだとは思えないような不意のことによって「失われる」という事態がある。 3) で、《閑散とした庭》で、関係の(恐らくははじまりをも含めた)成熟への過程と、終わりまでを振り返る視線があります。  そして、すれ違いから「終わり」がきた理由には納得できていない。どこか「どうしてこうなるの!?」が燻っている。この記憶は心情としても狂おしいです。正確だなあ、とやっぱり思う。  ただ、言葉としてもそれまではどちらかというと淡々とした印象が強いような語りだったのを、この一語がぶちこわして、大きく乱している。高波ですね。外見上の静かな語りの下に波(揺れ)があって、それがドッと顔を出す。詩だと感じます。  言葉の選択や比喩の的確さ、イメージ的な描写、そういうのも大事なことですが、それは言葉を用いて書いたり語ったりする場合は、大抵の分野で大事なことの要素に含まれているので、詩だけの条件とは限らない。その点でいえば、この作品は《狂おしい》がなければ、もしかしたら「正確だけど淡々と静かなままの味わいのある文」で終わってしまったかもしれない。  言うまでもないことですが、「狂おしい」という語が好きなのでも、良いのでもありません。というか個人的には、むしろ苦手な方だと思います。使おうという気持ちにはなかなかならない。なんというか大げさな印象もあるし、近代的な浪漫主義ぽい感じも拭えない。ただこの作品については全体の構成のなかで適切な位置に置かれていて、仰々しさもなく、作品の印象を転覆させる働きをしている点でとてもいいという意味です。 その記憶をかき消してくれる誰かは、最終連の三日月のようにもはや届かない遠さにある、記憶のなかに見ている誰かであれば、「うつろう」という題にマッチして、うまくまとまるように思うのだけど、別の見方もできなくはないという曖昧さは残ります。語り手の気持ちも変化しないとは限らないので。でも、まあ、作品的には前者であって欲しいかなと思います。

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afterglow
(2019-11-02)

藤 一紀さん お読み下さりありがとうございます。 行間に隠した想いを掬い上げて頂けて、思いがけなく、また救われた気持ちでいっぱいです。 二連目の 美しく色づいた葉を全て‬/木枯らしにさらわれた日‬ 「を」でなければならなかった理由をぼくは上手く説明できずにいました。けれど藤さんは語り手の心情から正確に読み解いてくれました。 「狂おしい」に関しては、詩を書き始めてから初めて使いました。他に適当な言葉が見つからなかったのです。結果的に作品の中で機能していたのを知り、安堵しています。 最終連に関しては藤さんのお見立て通りです。コメントと併せて作品をもう一度読むと気づくことがありました。 有難うございました。

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