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『渡る』
古い橋を渡っている いつからそこにかかっているのかも忘れられた橋を あの橋のたもとに行けば 愛しいあなたの家があるから あなたは笑顔でドアを開けてくれるだろう あなたは温かく逞しい腕でわたしを抱き締めてくれるだろう もう中程まで来たはずなのに 橋はどんどん伸びて伸びて いつまでたっても渡りきれない あれ? あなた 約束を破りましたね? 結界を張りましたね? あんなに愛してると言ってくれてたのに 護りたい人が 他にできましたね? あぁ、 橋が揺れ始めた 朝陽が昇る前に こちら側に戻らなければ 黄泉の国の掟に沿って わたしは霞となって消えてしまうでしょう それを知っているのはあなただけだから あなたはこの橋を壊すつもりなのですね? あぁ、口惜しや! あの日 あの時 あなたの命を飲み干していれば 永遠に共に居れたのに 愛 という感情が 身体を持たぬわたしの中に まだ息づいていたから あなたを連れて行けずに今日まできたのでした わたしは消えるけど あなたの背中に一筋の 傷跡を残していきましょう そして一生消えぬまま あなたの背中で疼きましょう あなたがその人を 抱き締める度に あぁ、 今、 静かに朝陽が昇る こんなに綺麗な光を わたし 見たことがなかったのです 生きていた時にさえ 消えていく身体と橋を残したまま わたしはあなたの背中に 今、 辿り着いた
『渡る』 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1231.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-06-06
コメント日時 2017-07-02
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
韻が独り芝居の台詞のようで読みやすい。詩を声に出して読む。読む言葉の切り方に、呼吸を入れるタイミングを考えたりする。本作では、「身体」というワードが2回出てくる。声を発する動きは身体から外へ。眼で読むという動きは詩を中へ入れてゆく方向にある。先に挙げた「身体」を声に出して読むとき、「身体」に掛かる前後に置かれた装飾によりその表現は変わる。身体を持たぬ私、消えていく身体。この装飾を外へ向けて表現する時、内なる悲しみを表現するだろうか。あるいは、眼で読む印象をそのまま表現するべきか。それは、声に出してみないとわからなかったりする。他人が哀しく読む詩が、もしくは、自分の眼で読み入れた言葉が、声に出して発したら、笑い声になってもおかしくない。哂い・嗤いといくつもの語があるように。 決めつけられない。決めつけはよくない。だから、声に出して読んでみる。
0三浦さん、講評をありがとうございます!! この詩は、対戦型ポエトリーイベントに向けて書いた詩ですが、気がつくと私の詩は、殆ど朗読向けになってきている気が致します。 なので、今回の講評を興味深く、そして、私自身の気づかないところにまで視点を合わせて書いていただけたこと、嬉しく思いました。 私自身は、昨日この詩を禍々しく詠ませていただきました。笑いながら詠む、というのは尚恐ろしさが増して、面白いかもしれませんね! 他の方ならどう受け止めて、どう詠んでくださるのか、聞いてみたくなりました。ありがとうございました。
0端正な愛の感情に、つつましやかなお人柄が思われます。ちょうど聞き始めたいい音楽があったので、そちらに 雄弁さを託して、批評とさせていただきます。 桑名晴子 さん 河を渡ろう @ 西宮神社 https://www.youtube.com/watch?v=E80H3KSGtkY
0黒髪さん、講評をありがとうございます。 私のこの作品に、端正な愛の感情、慎ましやかな人柄を感じてくださったとのこと。ありがたいなあという思いと、少々驚きを感じております。 というのも、この作品を書き上げたとき、少し情念を込めすぎたかな?と思っておりましたので。読む方によっては、嫌いなタイプの詩にならないかと危惧しておりました。 唯、主人公は、あくまで、純粋に相手を愛しております。それゆえに思いを絶ちきれずに傷跡となって残る、という形をとらせました。 それを光の方に受け止めて頂けたのだなぁ、と嬉しい驚きでした。 講評の代わりに、ということで、教えて頂いた桑名晴子さんの、河を渡ろう 、検索させて頂きました。何とも明るく、健康的で、生命力に溢れた 河を渡ろう でした!! この曲と、私の作品を重ね合わせて頂いたのは、とても不思議な気がいたしましたが、読み手によって、受け止め方が変わっていく面白さを感じました。 詩作とは、面白く深いものですね。ありがとうございました。
0花緒さん、講評を頂きありがとうございます。 構造が単純、というところ、大変耳が痛いです。当方、語彙が少なく、複雑なつまり深い詩を書けない、という難点を持っております。お恥ずかしい限りです。 それでも、良作と書いて頂いて、ありがとうございます。救われます。 確かにこの作品は朗読向けに書いた詩でありますから、声に出す方が深みは出るかと思います。(と、言い訳) ラストの持っていき方ですが、迷いました結果あぁいう形となりました。 渡り切れたのか、或いは永遠に渡り切れないのか、読み手に委ねられたとしたら嬉しく思います。 お読み頂き大変嬉しく思いました。もっと精進致します。今後ともよろしくお願い致します。
0背中の傷痕・・・について考えながら・・・ 赤ん坊を抱き上げたとき、わたしの中から感情がわくのではなく、わたしの背後から何かが押し寄せてきて、背中を破って入り込んで、胸を破って溢れ出す、みたいな感覚に戸惑ったことがあります。 いわゆる いとしさ というものは、自分の中から溢れ出すのではなく、宇宙の最先端の感覚器としての、わたしの体、を通じて溢れてくるものかもしれない、と。 なんでそんなことおもいだしたんでしょう。不思議です。
0まりもさん、講評を頂きながら、返信が遅れましたこと、お詫び申し上げます。すみませんでした。 それにしても、不思議な体験をお持ちなのですね。矢張りまりもさんがお持ちの感性は、並外れているのでは? と、思わされてしまいます。確かに、背中は、宇宙と繋がっているのかもしれませんね。身体のどの部分よりも、多くを語り、感じるものかとも思われます。しかし、それにしても、貫かれるほどの愛を感じた、という方はなかなかいらっしゃらないのではないでしょうか。 それでも、その経験を思い起こして頂けるほど、私の作品にインパクトを感じて頂けたとしたら、とても光栄です。本当にありがとうございました。
0本作は、さらっと読めるんですが(内容の筋を追っていくだけならば、不倫みたいな所で考えていけばいいんですけどね)結構突っ込んで考えると、考えるべきポイントみたいなのが幾つもあって、底に手を突っ込むと中々引っ張り出せなくて、侮れない作品だなと思いました。 まず、この作品の語り手というのは既になくなっている。そして、古い橋とある事から、おそらく結構なくなってから時間が経ってるんですね。その状態で、あなたが、新しい人を見つけて、その人を愛している、みたいな状況を発見して恨みを持って禁忌を犯してまでも、あなたがわたしを忘れてしまっていることに対して仕返しをする、という感じ。という風に終わってしまってもいいんですが、しかし、そこからもうちょっと考えてみたいことがいくつかあるんですよね。 この作品を読んでて、凄く最後が怖いなと思いました。なんで怖いと思ったのかというと、あなたが一生懸命語り手をブロックしてるのに対して、それら全てを乗り越えて復讐しようとしていること。そこが怖い。まず最初に精神的な物を遮断する為の結界を張ります。次に、橋を壊すことによって物理的な接触を経とうとします。そして、橋を壊すことによって関係を水に流そうとします。ようはもう無かったことにしてしまおうとします。更に、それを避けたととしても、向こう岸に渡るまでのタイムリミットとしての朝陽があります。 それら全てを乗り越えて、霞になった瞬間に、語り手が、あなたの背中に傷の残します。 >消えていく身体と橋を残したまま >わたしはあなたの背中に > >今、 >辿り着いた ここがこわい。たどり着くっていう表現がこわいです。語り手は、あなたのことが本当に好きでしょうがなかったんだなという気持ち。生者である、あなたの生身の身体に、自分の痕跡を物理的な形で残すことができるという事(キスマークみたいなモンで)からくる安心感。傷って見るたびに思い出しますし、あなたのことを新しく愛した人程、多分この傷を見る事になると思うっていうのと、抱きしめた時にその傷を触れるのは、あなたではなく、あなたを新しく愛している人ですよね。 つまり、あなたっていうのは傷を付けられたことによって、常に語り手に身を寄せているだけでなく、包み込まれているし、他の人がそれを見たら前の愛した人によって愛の牽制を受けているイメージみたいなのが吹き出しちゃうんですね。これはこわいですよ。傷っていうのは消えない限りその人のそばにあり続ける永遠であることは間違いないでしょう。 >あの日 >あの時 >あなたの命を飲み干していれば >永遠に共に居れたのに > >愛 >という感情が >身体を持たぬわたしの中に >まだ息づいていたから 古い橋とあるように、僕としてはあなたは多分もう再婚してもいいタイミングなのかなみたいな感じだとおもうんですよね。死者の語り手側からすればきっとそうじゃないと思うんですけど。人間は生きている以上、まぁ変化せざるを得ないタイミングっていうのはどこかしらにあるとおもうんですよね。その時に、故人に対する感情っていうのをどこまで忘れずに支え切れるかというのは、本当に難しい問題だとおもうんですよね。 身体のない語り手は自分の愛があなたから消えていくのがわかった。だから、今度は自分の魂という形のない愛を「傷」という「欠損」(細胞を傷つける)という「形」で愛を残そうとしたんですね。形ある物に愛を変換させることによって、一度死んだ身体から生き延びた魂をも殺す事によって現世に自分の一部を残そうとしたというのか、なんというのか。この執念をなんと表現すればいいのかという感じですよね。 それで、ここでタイトルに翻って考えた時に、『渡る』っていう行為にフォーカスが当てられていると思います。そうなんですよね。ここでの主題は橋でも愛でもなく、渡るという行為が全てなんですね。そういう風に考えていくとこの作品に横わたっているテーマの重層さみたいなのが一気に噴き出してくる。語りだしたら止まらない作りになっていう事がここで分かると思います。 ここから、話を広げていくのであれば、例えば「禁忌」みたいな事を踏まえてもいいし。 >あんなに愛してると言ってくれてたのに >護りたい人が >他にできましたね? 愛してると護りたい、この違いも大きい。 >こんなに綺麗な光を >わたし >見たことがなかったのです >生きていた時にさえ この時に見た光ってなんなんだろうか、みたいな事も考えると面白いです。綺麗な光のニュアンスを僕はもうレス似できません。すごく複雑な感情、それでも抑えきれない愛というエゴ、によってあなたを傷つける事によって霞という細分化した光となって、あなたに傷をつけることによって、その人は死者の国に行っても成仏しきれなかった心を一方的に救われると同時に(霞になりますから当然無になっちゃうわけですね)、しかし、傷をつけられたあなたからすれば、重層的な呪いをある日突然付けられたみたいなもので、今度はあなたが呪われてしまう。それこそ死んだとしても、もう語り手はどこにもいませんから、一人でこの傷の意味を抱えなくてはいけない訳です。これはえげつない。 と思いました。人の思いって本当にこわいな、と思いました。ある種の例え話でありながらも、そこからじっと目を凝らして思考に励んでいった時に見える物が非常に豊富であるという点において、優れた作品だと僕は思います。
0hyakkinnさん、こんにちは。 とても深い講評を頂き、ありがとうございます!! 私の作品を、ここまで掘り下げ読み込んで頂けるなんて、何て光栄なことでしょう!!とても嬉しく思いました。 仰せの通り、この作品はかなり怖い作品だと思います。自分で書いておいてなんなんですが。汗 それでも、一言に愛、と言っても、色んな側面があると思うのです。愛は、人を生かしもすれば殺しもする、愛している者の想いを超えて。そんな気が致しております。それだけ、重く苦しく、難しいものではないでしょうか? 真剣であればあるほど、綺麗事だけでは済まされない気がするのです。 よく、愛していれば、相手の苦しむようなことはしない、と聞きますが、そう割りきれないのが、人間、なのではないでしょうか? 書き終わってみて、ふと、そんなことを感じました。 そして、今回の講評で、より色々と考える事ができました。感謝致しております。 今後とも、どうぞよろしくお願い致します。 ありがとうございました。
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