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案山子の足
田園の中に、案山子は立っていた その姿は、全ての時から取り残されているみたいだった だけど私には孤独を感じない、孤高のような物を感じる この田園を、この景色を守る為に居てくれる そんな気がしてならないのは、どうしてだろうか? 雀と蜻蛉を乗っける案山子に、私は話し掛けたくなった 布で出来た肌には、へのへのもへじの顔が書かれている あなたはどこから来たの? 魂が山から下りて来たの迄は覚えてる どうして此処を選んだの? この身体が置かれた時に宿ってしまっただけ 普段は何をしているの? ただこうやって、田園の中で見渡している 動物を追い払ったりはしないの? たまにそうなる事がある 此処から離れたくは無いの? 分からない…別に此処が嫌ではないんだ ただね、足がもう一本欲しいかな? とにかく歩くって事をしてみたい 走るって事もしてみたい 転んでもみたい、そして立っている時よりも遠い空を見上げたい その足、くれよ 駄目、あげられない 私はもっと色んな所へ行きたいし、しなきゃいけないの そうか、じゃあお前のそれを教えてくれない? 私は手に持っていたスマホを見せる 野晒しの案山子は此処には詳しいが、それ以外はさっぱりだ 学校へ向かった後の田園の様子とかは知っているんだろうけどね 案山子に行ってみたい世界の絶景を見せてやった 何だ?この狭い中に広がっているのか? んー、広がっては居るけども実際に存在してるの、とても大きいよ 此処から見える山の向こうや、道路の先にあるのか? そんなに近くには無いよ、ずっとずっと遠くに在るんだよ …大きな川? 違うの、これは海って言うの 田園とは大違いだな、ちょっと行って見たい ある程度見て満足したら帰りたい そっか分かった、じゃあ行こう 私は案山子を引っこ抜き、腰にきつく紐で巻いた 原付きバイクに乗ってあの海へ バイクを走らせている間、案山子は声を発しなかった 海に着いた時も喋らなかった その後、再び元の場所に差し込んだ時に再び喋った どうやら、魂は此処から離れられないらしい じゃあ、身体だけ私は運んでたの? そういう事になる、だけどありがとう、海の香りってのが身体に染み付いている これは此処では一生味わえない物だ、とても不思議な気持ちだよ もし良かった、景色とかまた見せてくれ へのへのもへじな顔が笑ったような気がした
案山子の足 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2634.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 56
作成日時 2019-08-16
コメント日時 2019-08-30
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 22 | 21 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 8 | 8 |
エンタメ | 13 | 13 |
技巧 | 5 | 4 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 8 | 7 |
総合ポイント | 56 | 53 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 3.7 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1.3 | 0.5 |
エンタメ | 2.2 | 0.5 |
技巧 | 0.8 | 0.5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1.3 | 0.5 |
総合 | 9.3 | 5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
案山子に話しかける、牧歌的なイメージではあるが土地に魂を縛られた案山子の存在の哀しみみたいなものが微かに香ってきました。 >そういう事になる、だけどありがと >う、海の香りってのが身体に染み付い>ている それからこの詩句、が凄く染みました。ありありと情景が浮かぶ気持ち良さがある詩、でした。
0魂が土地にやどるという発想は斬新だなと思いました。もとは山の何の魂だったのかと想像力が搔き立てられました。
0詩という媒体が、読み解くことに重要性を与えているないしは読み解くことで味わいが深くなる作品が多い中、本作はまるで自らの細胞の一部であったかのように、読み解かずともすっと頭に入り込んでくる。かつ奥行きがあり、たまに無性に飲みたくなる、行き付けの喫茶店のコーヒーのように中毒性がある。 本作の極めて特異な点は、案山子を取り巻く田園風景や、後半の潮の香りに至るまでを、読者がまるでそこに行ったことがあるかのように身近に感じられることだ。また、案山子の魂はその場所を「離れられない」という一点が、本作を温かみある魅力的な作品にしているし、このストーリーの切なく、温もりある詩がチープになっていない辺りは、筆者の高い実力によるものだろう。
0魂がその土地から離れられない、その悲しさがこの作品のスパイスであって、ストーリーの山場であることが、貴音さんの独創性の高さを伺えます!! 海の香りが体に残るところがまた悲しく、美しいですね。 私は難しい言葉の作品を読むときに、語句を調べながら読むことも多々あるのですが、この作品は読みやすく、個人的に好みです! 次回作期待してます。
0おはようございます。『古事記』においては、オオクニヌシの国造りの際に、天地の隅々まで遍く知るとされるタニグク(ヒキガエル)をして、彼に訊くとよいよ。と言わしめた、「歩くことはできないが天下をよく知っている」とされるクエビコ(案山子)が、この作品では目の届く範囲しか知らないように扱われていたので、ナヌ~!?と思いましたが、それはそれ、楽しく読ませていただきました。 《駄目、あげられない》 《私はもっと色んな所へ行きたいし、しなきゃいけないの》 《そっか分かった、じゃあ行こう》 《私は案山子を引っこ抜き、腰にきつく紐で巻いた/原付きバイクに乗ってあの海へ》 など、作品の端々に、率直で、行動的な《私》を見ることができて、案山子とのやりとりを含めて、明るい気持ちになります。原付バイクに乗っている案山子なんて、ユーモラスたっぷりで微笑ましい。 それにしても、率直に意見を表明して、積極的に行動するタイプの《私》と、その場から動けない《案山子》の交流というのは興味深く思います。しかも、 《その姿は、全ての時から取り残されているみたいだった だけど私には孤独を感じない、孤高のような物を感じる この田園を、この景色を守る為に居てくれる そんな気がしてならないのは、どうしてだろうか?》とあるように、《案山子》が《私》を惹きつけています。とすると、《案山子》はもしかすると、《私》が積極的且つ行動的な生き方や気軽に話しかけることのできる「外向性」を身につける過程で、磨かれないままになっていた「内向性」を表しているのかもしれません。《色んなところへ行きたいし、しなきゃいけない》と、外へ外へ目を向ける《私》に対して、たとえひとつの土地から動けず、《全ての時から取り残されている》ようであっても、その土地や景色を嫌いでなく、また守っているかのような《案山子》。ふたり(?)の交流の中で、《私》は動けない《案山子》の足になります。《私》が行きたい色んなところに行くとかするというのでなく、《案山子》が望むことの為に彼の足として行動する。それは後に《案山子》が《此処では一生味わえない物だ》と語るように、《私》にとってもそれまでには味わうことのできない、新しい体験だったのではないでしょうか。ここからもう一歩踏み込んで考えてみると、色んなところへ行こうと、あるいはしていようと、それが日常的になっているとしたら、《私》は動いているようで、一歩も動いていない。しかし、それまでは味わうことのできなかった新しい体験をしたことで、《私》の世界がちょっと動いた。とすると、この「ちょっと」は《私》にとっては重大な意味をもつと思います。そして、へのへのもへじも《また見せてくれ》と外部に対して開かれ、動かないはずの表情(感情)が動いている。どんなふうな顔になったのかわからないけど、なんかかわいらしいです。 勝手に想像を膨らませましたが、拡大したり深読みすれば、様々な方面についても繋がってくる気がします。しかし、なんといっても堅苦しくなく、とぼけたようなユーモラスなやりとりと語り口が魅力的です。
0仲程さん ご無沙汰しております 今回はお話的な 私なりの静の面を出してみました 今回も惹き付ける事が出来て嬉しいです 来月は動いたら詩を書けたらと思います!
0帆場さん 私は押し出す文章が得意で 引く文章ってのが苦手なのですが 今作、上手く引き込む事が出来てホットしております 私も土地の文句を言いながらも立ち位置は案山子です きっとここで骨を埋めると思います だからここの私みたいな人に会えたら変わるのかもしれません
0ジミーさん はじめまして 案山子は実際に山の神で田畑の神様らしいですよ? だからそこの土地の神様が宿っていると思われます。 私の地元は山なので案山子だらけ 神様だらけです
0ふじりゅうさん 台詞に敢えてかっこは入れませんでしたが 言葉は難しいのは使わないようにしました ソフトな感じを目指していたのです 隠れテーマは上京する人とそうでない人の交流です 上手く出来てれば良かったです
0セイロンさん はじめまして、ありがとうございます 小説を削ると昔話や絵本になると思うんですが 小説を詩の方に削ってみました 今度も新しいの出せたらなと思います! ありがとうございます!
0藤さん ここまで深く読みこんで頂いてとても嬉しいです! 書く切っ掛けはほんと単純で 案山子を見て実際にそう思ったってのですが この関係は似たようなのが沢山あります 他の人への返事にも書いた 上京する人とそうでない人 入院している人と退院を待っているその家族 色んな場面でこの関係はあります こうやってみると人って面白いですよね
0案山子と言えば稲穂、中秋の収穫時期を思い浮かべました。案山子との対話が印象的でした。単に、虚構性のある内容だからではないし、案山子が擬人化されているからでもなくて、それこそこの詩の中の単語ではないですが、魂が、会話をしていると思ったからです。
0エイクピアさん 案山子は顔がへのへのもへじなので話せませんが、きっと魂で会話すると通じるんだろうなと思い書いてみました。人と人との関わりもうまく行けば良いのですが、案山子との会話のように上手く行かないのが残念です。
0yamabitoさん 私にしては絵本になるようにを意識したので、シンプルになりました。 もしこの路線をもう一度やるときは、観察を忘れずにしっかり行いたいです!
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