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アタの涙
9・11アメリカ同時多発テロの実行犯であったアタという人物は、建築学を学ぶ若い陽気な学生であったという。爆撃により、イスラムの美しい建造物が破壊されるのを憤っていたと、当時のNHKのナレーションはさりげなく伝えた。犯行後世界に広まったパスポートの写真は、あごの張った四角い意志的な顔であったが、同時に紹介された学生時代のアタの写真はスリムで、まぶしく世界をみているような魅力的なほほえみを投げかけていた。 一つの建造物が破壊されることに対するイスラムとアメリカの違いはどんなものだろう。(テロリズムを擁護するつもりはかけらもないが、)様々な歴史のもつれ、要因を捨象して、今そのことだけを考えてみる。 その財力でいつでも失われたものを再現できる国と、ひとたび失われれば二度と(あるいは自分の生存中にはまず不可能に)相まみえることのかなわない国と。 そして何より、建造物に寄り添ってきた長い美しい時を、愛と祈りそのものの掛け替えないものとして共に生きた人々にとって、一瞬にしてがれきとなす破壊がもたらす絶望は。 9・11のあの日の真っ青な空は、私にはアタのこころに映る。標的としてアメリカの建築の象徴を選んだ彼らの伝言を、私はわき上がる涙とともに心密かに受け取った。
アタの涙 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1237.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-05-25
コメント日時 2017-06-10
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
fiorinaさん、こんばんは~(^^♪ 妙なところでお会いしましたね^^ この作品、昨夜拝読し、しばし考え込んでいました。 既に昏迷期に入ったとも思えるグローバリズム、資本主義の代表であるアメリカと、その対極にあるイスラム。 おそらくこの作品は同時投稿の『イヴ・サンローランのフランス 』と対をなすものなのでしょう。 卓越した表現力で見事に事象の断面を切り取ってみせるfiorinaさんのことですから、 いろいろ熟慮した末の作品であり、投稿と思われます。 この1~2年、アメリカやイスラムに関する著書をかなり読んできましたし、 大資本のなりふり構わない構造や、医療、戦争さえ金に換えてしまう無軌道ぶりには呆れるばかりです。 しかしながら、作品として見た場合、 9・11を「真っ青な空は、私にはアタのこころに映る」と表現し得るものかどうか 私には一つの疑問として残ってしまいます。 それは、どちらに視線を置くかという以前に 政治的な問題を情緒的問題に果たして置き換えられるのか、と思ってしまうのです。 難しい問題です。 アタの立場に立てば共鳴する自分と、9.11の3千人以上の犠牲者の阿鼻叫喚を思い起こせば 青い空はたちまち消えてしまう自分がいます。 花緒さんがおっしゃったような「日本語で、日本人によって書かれる意義」もお聞きしてみたい気もしております。 これは批評、批判というより、問題を抱えてしまった迷える子羊の繰り言と思っていただいて結構です。 駄文、失礼いたしました。
0花緒さん、いつもありがとうございます。 白島さん、こちらでもよろしくお願いいたします。 こうしてじっくり語り合えるのが、とてもうれしいです。 お二人に一文でお返事させていただきますね。足りないところがあれば、再度お返事したいと思います。 *** *** *** *** *** *** 2011年9月11日、ちょうどアメリカで同時多発テロが起きていた時間だと思いますが、フランスからイギリスへ向かう空の上にいました。翌日になってはじめて知ったのですが、イギリスのヴィクトリア駅の大画面がすべて真っ赤に炎上していました。(「シャルロットの庭」と言う文章にその日のことを書きました。) 同じ空で起きた偶然と旅先で知ったと言うことで、強い印象が今でもあります。数日後、南仏に帰ったとき、語学留学に来ていたたくさんのアメリカの少女たちがテレビを見て泣き崩れていました。私はすでに一年滞在していて、アメリカ人の親しく言葉を交わした少年たちもいて、(留学期間を終え、彼らはすでに帰国していたので、)その人たちは無事だろうかと気に掛かりました。 私がこの文章を書いたのは2004年頃で、事件の数年後にNHKの追跡ドキュメンタリーを見たことがきっかけです。 私は暴力が生理的に嫌いなので、どんな事情があれテロを肯定することはありません。 アメリカの知人たちのことを思いながらテレビを観ていたのですが、「アタは建築を学ぶ若い陽気な学生で、爆撃によってイスラムの美しい建築物が破壊されるのを憤っていた」というナレーションを聞いたときに、とつぜん涙がこみ上げてきました。一瞬にして、一人の「陽気な」学生の心の軌跡を見せられた気がしたのです。私も大好きなイスラムの美しい建築と、やがてその建造にみずから携わろうと夢見ていたアタの、踏みにじられていった心が見えた気がしました。 人の命だけでなく、建造物もまた生命を持ち、ときには祈りと魂の象徴であり、そこに暮らす人々の生きる時間そのものだと言うことをそのときに一層強く想いました。 とはいえ、アメリカの人々、日本の犠牲になった方々に対してこの文章はどんな意味を持つかと考えました。 そういうすべてをあえて捨象して、一瞬、強烈に、アタの心情に心を寄せた自分を、そのときそこにあった自分を書きました。 あの日の真っ青な空をアタの心に仮託させたのは、善悪を超えて、決意して死に突き進んだ人間が最後の瞳に映すものを、見たような気がしたのです。 日本の特攻隊の少年たちが、おそらく同じ青い空を目に焼き付けて逝っただろうと想像しています。
0上記のコメントで、2011年と書いたのを2001年に訂正します。
0アタと言う人の名は何か聞いたことがある様な気がします。エジプト人の建築家で、同時多発テロで飛行機で特攻をかけた人、WTCに。もう9・11を考えるとイメージ喚起力がありますね、他にWTCに突っ込んだイスラム戦士たちを調べて見たくなりました。
0エイクスピアさん、コメントありがとうございます。 アタが、建築を志したのにもかかわらず、建築を破壊したと言うことにも隠れたドラマを感じますね。でも、そこに戦士、と言うことばが入ってくると、私が書いた文とはかけ離れたものになってしまい、やはりこれは出すべきでは無かったという思いに駆られます。この文章に対するコメントはこれまでとしてくださるよう、勝手ながらお願いいたします。申し訳ありません。/
0追記です。 エイクピアさん(お名前間違えていました。ごめんなさい。)のコメントによって、白島さんが書かれていたことが理解できました。 たぶんエイクピアさんは、機動戦士ガンダム、とかそういう世代で、戦士もそういう感覚で使われたかも知れませんね。 戦士ということばにナイーブになった原因は私自身にあり、もともと迷いのある投稿だったのだと思います。 コメントをいただいているので、削除にはしないでいようとおもいますが、削除扱いとさせてくださるよう、スタッフの方にお願いいたします。 しつれいしました~
0fiorinaさんのコメント欄の、〈「アタは建築を学ぶ若い陽気な学生で、爆撃によってイスラムの美しい建築物が破壊されるのを憤っていた」というナレーションを聞いたときに、とつぜん涙がこみ上げてきました。〉この部分に、個人としての詩情があるのではないか、と感じました。 政治的にも倫理的にも、どうしても許容できない犯罪に、なぜ、この青年は駆り立てられたのか。その罪を断罪するだけでは、憎悪と悲劇の連鎖は永遠に終わらない。 ただ、地球規模の貧困、教育や文化などの習慣に対する無理解や差別、異文化(特に宗教)に対する葛藤・・・異質なものを恐れたり、排除したりする、人間に本能的に根差す感情を、理性で抑えて「文明」や「文化」は成立するのではないか。 しかし、個人の抒情は、また別の場所にあると思うのです。 〈建造物に寄り添ってきた長い美しい時を、愛と祈りそのものの掛け替えないものとして共に生きた人々にとって、一瞬にしてがれきとなす破壊がもたらす絶望は。〉ここで詩を止めてもよかったかもしれません。 極めて理智的な文章であるがゆえに、あえて抒情を排して(背後に潜めて)問いを即物的に投げかける。 青空という、希望や爽快感を象徴するイメージと、テロリストが歪められた正義によって得る達成感とが重なってしまうかもしれない最終行を重ねるのは、作者の意図とは異なる方向に誤読される可能性があるかもしれない、と感じました。 ニュースを聞いた時に、涙があふれた、という「事実」を、感情や感慨を交えずに途中に書き込み、文章はあくまでも理智的に、問いを投げかける形で終始する。政治問題を抒情や感情に還元せず、あくまでも理智の段階で受け渡しをして、その後、受け止め手の心の中で情感が生まれるのにゆだねる。そのような方法もあるかもしれない、と考えました。 難しい問題ですが、削除して「なかったこと」にするのではなく、もっと多くの人が読み、考えてほしい問題だと思いました。
0追伸。「アタの涙」だと、作者がアタに共感し、彼の代わりに流した涙、ということになりそうですが、それでよいのでしょうか・・・むしろ、題名は「アタ」のみの方が、fiorinaさんの意図に沿うような気がしました。
0まりもさん、コメントありがとうございます。 >〈建造物に寄り添ってきた長い美しい時を、愛と祈りそのものの掛け替えないものとして共に生きた人々にとって、一瞬にしてがれきとなす破壊がもたらす絶望は。〉ここで詩を止めてもよかったかもしれません。 >青空という、希望や爽快感を象徴するイメージと、テロリストが歪められた正義によって得る達成感とが重なってしまうかもしれない最終行を重ねるのは、作者の意図とは異なる方向に誤読される可能性があるかもしれない、と感じました。 >ニュースを聞いた時に、涙があふれた、という「事実」を、感情や感慨を交えずに途中に書き込み、文章はあくまでも理智的に、問いを投げかける形で終始する。政治問題を抒情や感情に還元せず、あくまでも理智の段階で受け渡しをして、その後、受け止め手の心の中で情感が生まれるのにゆだねる。 >追伸。「アタの涙」だと、作者がアタに共感し、彼の代わりに流した涙、ということになりそうですが、それでよいのでしょうか・・・むしろ、題名は「アタ」のみの方が、 (まりもさん) 自分でも懸念していた部分と、思いもかけない示唆をいただいた部分とありましたが、全体として見事に指摘していただいたと感じています。 ありがとうございます。 911は陰謀論なども早くから取りざたされており、アタが本当に実行犯だったのかも今となっては私自身疑問に思うところがありますが、2004年当時は上記の報道をそのまま信じていました。そのときのひとつの時間ひとつの場所として、今回細部の修正のみで投稿しました。 じつはパスポートの写真とされるものをはじめてテレビで見たとき、この人は最後の瞬間にも涙しないだろうと言う印象を持ちました。それは今でも変わりません。にもかかわらず、「アタの涙」としたのは、涙を流さない人が体の中で流してきた涙のイメージを込めたと思います。本来創造者である人が破壊者となるには、まず自分自身を破壊しなければならないだろうからです。それでも、読者を信じるという意味でも、センスとしても、タイトルは「アタ」だけがいいですね! 告白すると、長年、私はこの一文に愛着以上の執着を持っていました。 それが最終連で隠しきれずに出てしまって、「政治問題を抒情や感情に還元」となっているのでしょうね。 抒情、感情の他に、「一人の人間の死の瞬間には他の何人も立ち入ることができない」というような宗教的な感慨もどこかにありました。 そういう想いを独りよがりに優先して、繊細な問題についてあえて書くときの配慮が足りなかったと思います。 ありがとうございました。
0花緒さん お手数をかけ、すみません。 理想的にコメントがいただけたと感じています。 ありがとうございました。 このままの状態で取り下げ扱いにしてくださるよう、お願いいたします。
0スタッフの方へ お手数をかけ申し訳ありません。 以下の加筆訂正した文章を、本投稿として差し替えていただくようお願いいたします。 その上で、削除扱いとしていただくようお願いしたことを取り消します。 なお、履歴として最初の投稿も下欄にコピーしておきました。 アタ 9・11アメリカ同時多発テロの実行犯アタは、建築を学ぶ若い陽気な学生であったという。犯行後世界に広まったパスポートの写真は、あごの張った四角い意志的な顔だったが、同時に紹介された学生時代の写真はスリムで、まぶしく世界をみているような魅力的なほほえみを投げかけていた。 (※私は偶然あの日のおそらく同じ頃、パリからロンドンに向かう空の上にいた。事件を知ったのは翌日、立ち寄ったロンドン・ヴィクトリア駅の並んだ大画面が、すべて真っ赤に炎上していた。日本に帰国して程なく、NHKの追跡ドキュメンタリーがあった。フランスの寮生活で親しく挨拶を交わしたアメリカの知人の消息を占うようにして観ていたのだ。) ナレーションがさりげなく「アタは、爆撃によりイスラムの美しい建造物が破壊されるのを憤っていた」と続けたとき、ふいに涙がこみ上げた。一瞬にして、イスラム建築を愛する、やがてその建造にみずから携わろうと夢見ていた、一人の「陽気な」学生の踏みにじられていった心の軌跡が見えた。 人の命だけでなく、建造物もまた生命を持ち、ときには祈りと魂の象徴であり、そこに暮らす人々の生きる時間そのものなのだ。 それらが破壊されることに対するイスラムとアメリカの違いはどんなものか。(テロリズムを擁護するつもりはかけらもないが、)様々な歴史のもつれ、要因を捨象して、今そのことだけを考えてみる。 その財力を持って平和裡にいつでも失われたものを再現できる国と、ひとたび失われれば二度と(あるいは自分の生存中にはまず不可能に)相まみえることのかなわない国と。 そして何より、建造物に寄り添ってきた長い美しい時を、愛と祈りそのものの掛け替えないものとして共に生きた人々にとって、一瞬にしてがれきとなす破壊がもたらす絶望は。 今なお続く事件に対するあまたの憶測の中で、あの日崩れ去ったアメリカの建築の象徴と、死者と生者がともに見つめたあの真っ青な空が、変貌を遂げた世界の象徴として刻印されている。 「アタの涙 」(修正前) fiorina - 2017-05-25 9・11アメリカ同時多発テロの実行犯であったアタという人物は、建築学を学ぶ若い陽気な学生であったという。爆撃により、イスラムの美しい建造物が破壊されるのを憤っていたと、当時のNHKのナレーションはさりげなく伝えた。犯行後世界に広まったパスポートの写真は、あごの張った四角い意志的な顔であったが、同時に紹介された学生時代のアタの写真はスリムで、まぶしく世界をみているような魅力的なほほえみを投げかけていた。 一つの建造物が破壊されることに対するイスラムとアメリカの違いはどんなものだろう。(テロリズムを擁護するつもりはかけらもないが、)様々な歴史のもつれ、要因を捨象して、今そのことだけを考えてみる。 その財力でいつでも失われたものを再現できる国と、ひとたび失われれば二度と(あるいは自分の生存中にはまず不可能に)相まみえることのかなわない国と。 そして何より、建造物に寄り添ってきた長い美しい時を、愛と祈りそのものの掛け替えないものとして共に生きた人々にとって、一瞬にしてがれきとなす破壊がもたらす絶望は。 9・11のあの日の真っ青な空は、私にはアタのこころに映る。標的としてアメリカの建築の象徴を選んだ彼らの伝言を、私はわき上がる涙とともに心密かに受け取った。
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