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美しく生まれてから
美しく生まれてから なにも知らなかった人々は 自分の美しさに触れることはできない ささくれあう両の指先 混濁から晴天を救い上げるその指先 白に白を溶かし続ける罰を与えられた聖者は 純白の指先を王にかじらせ朱に染める 浅きに眠れ、白仙花 強さはどうしてどこかへ流れるの 悪魔の角を生やした優しい孤独者たちが 輪になって踊っている その中心で 爪先を立て 踊ることの意味を尋ねても みんな同じことを繰り返すだけだった どうして命が生まれては そうしてやがて終えるのか 自分の心を見つめて私は そっと、そっと踊っていた
美しく生まれてから ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 808.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-05-23
コメント日時 2017-05-25
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
美しく生まれたから、ではなく、生まれてから・・・美しく生まれる、ということが、育っていく過程で認識されていくのではなく、最初から規定されている、ということが、面白いと思いました。それにしても、何度読んでも、一連目の文の接続というのか、文体というのか、文法が間違っているわけではないのに、文章の進行具合というのが、実に不思議です。 二連目は、咲き乱れる白仙花を見つめながらの連想でしょうか。新川和江さんの「あらせいとう」とか・・・夾竹桃で非常に印象的な詩句もあったけれど、どなたの、何であったか、今、とっさに思い出せないのですが・・・花に託して生き方や自身の在り方を問う、いわばオーソドックスな手法であるはず、なのに、王、聖者、悪魔、といった、ある種神話的な名前が連続して出て来るからでしょうか、とても若々しくて、新鮮な印象を受けました。もっとも、ファンタジーゲームなどでも多用される名詞が連続して出て来るので・・・名前負けしてしまう、というか、若干、卑近なイメージに薄められてしまう印象も受けました。特定の意味を強くまとった名詞を用いることの有効性について考えさせられました。聖者とか王といった名詞を用いずに、この豊かな描写を深めていくことはできないかなあ、などと、考えてみたり・・・ 命の来歴を、花の群れの像の中で、そのイメージに溶け込みながら問う。魅力的なテーマです。
0カミユの「シーシュポスの神話」とか中也の「汚れっちまった悲しみ」とか想起しながら読んでいました。 まりもさんがおっしゃったように、1聯は何か不思議な出足です。 確かに何も知らなければ言葉も知らないわけで、言葉を知らなければ、客観認識も生じないのかも知れません。 白仙花は、あまり花の名前には詳しくないので検索してみましたが、そう多くはでませんね。白のキンギョソウでしょうか。 一番難解だったのは、「悪魔の角を生やした優しい孤独者たち」の箇所。 悪魔を何故優しいとするのか? 悪の角を生やしはじめているという時間的推移を読み取るべきかな? 孤独者は優しいが、その裡に悪魔の心を秘め始めているということでしょうか? いずれにしろ、純白や美しさに憧れる「私」が、悪の角を生やした孤独者たちの輪の中で 結局は皆と同じに、そっとそっといつの間にか踊っているという儚さのようなものを感じました。
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