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故郷の中華街はいつも灰色
中華街の看板には小籠包を食べる女の姿が描かれていた 皺の入ったスーツを着た男は街に消え入り その男のくわえたアイコスの匂いは妙に鼻へ残った 一息に飲み干したトマトジュースの酸味はほどよかったし ふっくらとした小豆のあんまんは胃を適度に満たしてくれた 中国語や英語、あるいはインドネシア語が混ざり合うざわめきで 君は知ってしまったはずだ 愛の形とでも呼ぶべき何かを 君は知っている 君は目を逸らさない 君は事実だけを見つめている もう誰も君を探さない もう誰も君を見つけられない 誰も君を追いかけはしない 一分一秒たりともムダに出来ない残りわずかな時間 蝉の鳴き声を「何のノイズか?」と尋ねた留学生のことが、なぜか今は懐かしく感じる 夏は遠く、打ちひしがれるほどに手が届かない まるで冬だけが延々と続くようだ 屋台から立ちのぼる湯気は道行く人を異国人に変え 太平燕を食してまたも命と引き換えに大切なものを失った 隣に座った少女が見ていたのは多分、ドブネズミか何かだろう ほらまた一秒、時間が過ぎていく
故郷の中華街はいつも灰色 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1267.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 5
作成日時 2019-03-06
コメント日時 2019-03-13
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 5 | 5 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1.5 | 1.5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0.5 | 0.5 |
技巧 | 0.5 | 0.5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 2.5 | 2.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ごみごみとした中華街の繊細な描写の中で、唐突に言及される"愛の形"。畳み掛けるように提示される"君"へのフレーズに、理由なく焦燥を掻き立てられます。見えない何かに追い立てられながらも大切なものを探すような、切なさと虚しさを感じる作品です。
0打ちひしがれるほどに手が届かない すごい表現。素晴らしいです。
0ティコの灯台さん、コメントありがとうございます! 焦燥感、喪失感というのはこの詩の大きなテーマでして、そこに気づいていただいて嬉しいです。この詩はあんまん、太平燕など日本で作られた中華風料理が多数出てくることからも分かるように、バッタモン中華街とでも言っていいような場所が舞台になっています。ですからタイトルの故郷は恐らく日本のどこかでしょう。その風変りな中華街で繰り広げられるのは、自己の喪失、アイデンティティの喪失、自分が誰かも分からなくなった男の焦燥の物語であり、疲弊の物語でもあります。この詩の話者は限りなく僕に近い誰かで、ラスト少女が見たドブネズミというのは自分を卑下して、自嘲して書いた話者、つまりは僕自身のことをさしています。そういう心境だったんですね。この詩を書いた時は。喪失感と疲弊感が半端ではなかった。詩としての体裁、完成度を重視しながらも半ば自棄的な心持ちが深層にあったのは確かです。愛の形というフレーズは僕自身、直截すぎて使うべきか悩みましたが、お金、女性、世の中と社会との関わり方、それらを総称して愛の形と使わせていただきました。ですからこの詩に出てくる愛の形は、結構卑俗で卑近、それでいて俗世間の事実を指すような物事をも示しています。最後になりますがこの詩で食べ物、飲み物が多く出てくるのはビーレビューで学んだ五感すべてを刺激する詩を実験的に作ってみたかったというのもありました。ではでは長文失礼しました。
0せいろんさん、コメントありがとうございます! 打ちひしがれるほどに手が届かない、を褒めていただいて嬉しいです。このような表現は結構僕の手癖の一貫でもあるのですが。僕としてはアイコス、トマトジュース、あんまんのくだりが以前の僕なら書かなかったかもしれない部位なので結構気に入っています。素晴らしい。ありがとうございます。
0stereotype2085 さん、こんにちは。 >蝉の鳴き声を「何のノイズか?」と尋ねた留学生のことが、なぜか今は懐かしく感じる すごく唐突ですが、伊勢の「白玉か何ぞと人の問ひしとき」を思い出しました。 主人公に何があったかは書かれていませんが、確かに喪失感や疲労感を体験したような読後となりました。 >太平燕を食してまたも命と引き換えに大切なものを失った このフレーズが一番好きですが、「太平燕を食して命と引換えにまたも大切なものを失った」のほうが読みやすいかな、とも思います。
0拝見しました。 まず筆者の文章力が光る内容だと感じました。場面場面が中々唐突で、一歩間違えれば読みにくい文章になってしまいがちな作品ながら、なぜだか頭に内容がするりと入り込み、「書かれていないこと」に思いを巡らせることができました。この詩はそういった所へ繊細な配慮が行き届いた作品だと感じます。 君がどのような人物なのか、そして私がどのような人物なのかが肝です。作中に漂う悲しい感情が、本作にただならぬ状況である気配を感じさせます。 君は病気で余命わずかなのではないだろうか、と想像しました。「真実」と「時間」の切迫具合が素晴らしく、ドキドキしながら最後まで楽しむことができる作品でした。
0右肩ヒサシさん、コメントありがとうございます! 「白玉か何ぞと人の問ひしとき」。伊勢物語を彷彿としていただいて何だかとても嬉しいです。女に「真珠か何かかと問われた時に『露だよ』と答えて自分も死んでしまえばよかったものを」という意訳文を拝見しましたが、その喪失感と後悔、痛恨の想いとでも言うべきものがこの詩と共通しているなと思いました。女を鬼に食われて(連れ戻されて)後悔する男と、刻一刻と過ぎていく時間の中で自らの犯した過ち、失態を悔いている男。何かを飲み食いしている時でもその痛恨の念が消えない。痛々しさが胸にまで染み入ってくる感覚がとても似ている。素晴らしい一節を想い起してくれてありがとうございます。また文章の構成について指摘を受けましたが、より一層の研磨に励みたいと思います。
0ふじりゅうさん、コメントありがとうございます! 「書かれていないこと」に想いを巡らせる配慮がなされている、との感想とても嬉しいです。確かにこの詩で描かれている情景は、一つのまとまりとしては中々つながらないかもしれないものです。しかしこの詩を書いていた時は次から次へと次のフレーズ、書くべき次のフレーズが思いついたんですね。降りてきた、とは正にこのようなことを言うのでしょう。右肩ヒサシさんにも気に入っていただいた太平燕の一節や、アイコスの一節は書き始める前にイメージとして既に浮かんでいて不思議な感じでした。さらに言えば「蝉の鳴き声」の一節。イギリスに留学した映像作家の卵が、夏をモチーフにした映像作品を課題の一つとして提出した時のエピソードがもとになっています。その日本人は夏と言えば「蝉」とシンプルに考えて、蝉の鳴き声を冒頭に入れたそうなんですが、蝉のいないイギリスでは何の音か級友が分からず「何のノイズか?」と訊かれたそうなんです。だからこの一節はそのエピソードを換骨奪胎したものなんですね。こちらもスムーズに詩中に取り込むことが出来ました。そして君が誰なのか私が誰なのかについてですが、私は先の返信で書いたように限りなく僕に近い人物です。そして君でさえも私に内在する何者かであり、ひょっとしたら「私」と同一人物かもしれません。あるいは私に強い影響を与えた人物、初恋の人かそれに匹敵する同性、もしくはこれから自分と同じ道を歩むかもしれない若者かもしれません。何れにせよ君は私に近い何者かであるのは確かです。真実と時間の切迫具合が素晴らしく、最後までドキドキ。この詩に託したスリリングさ、謎めいた何かがとても喜んでいます。ありがとうございました。
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