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ル・カ
結局は季節巡って 何度でも、胸、溢れる ? のに、 流れて 花 痛み、とか 遠い地平線捕まえに走る 電波塔の上から、見下し ガスる幽霊 僕の笑い声 君も眠たい春を通り越してきたんでしょう? 結局は傷んでいたい 悼んでもみたい これは、恋、かな 君のメールひとつで どきどきする 君の言葉ひとつで 悲しくなる 知らない もうやめとけって 喚く理性 なんかごめんね 夢ん中で、触れて あらゆる理性と非理性の境界 川のよう たゆたう そういう淵で 火を衝けて 踊りたい 燃えてく僕の体が、綺麗 流れてく意識 車窓の外で 雨 咥えて 吐いて どうせ死ぬんだって でも絶望なんて資格ねーし ただ、笑うよって食うよって30秒で忘れんのもあれだし 見せてよって そういうんじゃなくって もっと見せてよって 光 飛ぶように 退屈 した から 殺した 花、に喩え、意識、咲くよって 残忍な歌とちょこれーとすとろべりーぱふぇ 春通り越して夏かよ 季節まんま 脳髄、溢れ 零れ、 刺した光に踊りたくなって らりる季節の中で踊ってたい らりってたい 君にもあげるよ、なんて 開いた掌に 淡い光、溢れ、零れ たゆたう 大いなる遥かなる流れ の前で 火を纏う僕 が か? 火花散るの いわゆる すぱーく? 降る 花も、降る 青い空から曇り空から 流れるように 僕の感情の花、降る 君にもあげるよ
ル・カ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1003.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-05-04
コメント日時 2017-05-14
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
百均です。 了解しました。(作品消すと返事も消えてしまいますので、こちらにレスさせて頂きます) 今後共B-REVIEWを宜しくお願いします!
0背景に音楽があったら、酩酊感の中のインパクトとか、メリハリがもっと際立ってくるのかな、と思いつつ・・・揺れ動く感情、アンビバレントな感情の流れの中に読者自体も取り込まれてしまうようなところがあり・・・迷宮の中に閉じられて、いつ、ここから出られるんだ?という感覚を覚えた作品でした。 他の方のレスも見てみたいです。 文字作品としては、もっとメリハリや構成を考えた方が良いのかな、と思うのですが、この酩酊感や取り込まれ感は、推敲や言葉の絞り込みを重ねると消えてしまうものなのかな、等々・・・
0上記のレスはまりもです。
0残念だけど受取れないよ 流れるシートに座っていれば 理性とか非理性とか 絶望とか退屈とかそんなものたちが ねえ ル・カ 朝焼けみたいに散って 花の上を踏みつぶす メールを散りばめたら ル・カ 青い空に蹴り上げて さようなら 返詩を書かせていただきました。毎度、投稿有難う御座います。
0三浦さん お読みくださり、ありがとうございます。 縁に零れる 感情見てた きらきら光って 消える 呼吸の仕方なんて 僕は知らない 君の目の奥に 遠い 空と 海の 感情の記憶を読んだ 抽象化された痛み 架空の町であの子を探した 僕らは寄り添いながら 海へ 空へ 流れてく 花とメールに翼を生やして 冴えない感情にkickする さよなら? kissは一秒で 僕は僕らの永遠が空に燃え溶けることを願う ル・カ ねぇ、もっと呼んでおくれよ! (拙い求愛の果てに、朝焼けがまた散る、僕らは繰り返し息をしてるんだろ?) 順番が前後しますが、詩を思いついてしまったので、先に三浦様にお返しします。 ちょっと長くなりました。。ご返詩、ありがとうございました。
0この詩を読み通した前提で先ず述べますが、語り手の視点を3つに分けて考えてみました。それは、「らりる寸前の私」「らりった私」「らりる寸前の私を見ている客観的な私」の3つです。 冒頭は「らりる寸前の私」が「結局」という言葉を用いて、結論を述べています。季節が巡るということとそれに併せて何度でも胸溢れること。それでも、その結論を「?」により、一度保留にするのです。なぜ、保留にするのかと言えば、胸に溢れた何かが流れて花になったり、痛みを伴ったりするからでしょう。 そして、「らりる寸前の私の見ている客観的な私」が「らりる寸前の私」を眺めるために一度視点を変えるべく、電波塔の上にいる必要があり、世界を眺めているのでしょう。 「らりる寸前の私」は、一度冷静になり、淡々と欲望を語ります。最初に抱いた疑問、季節が巡るにつれて痛みを伴うこと、それに対して新たな結論を付け加えます。「結局は傷んでいたい/悼んでもみたい」と。この悼む行為は、誰に対しての行為なのか。僕から君に対する行為ではなく、冷静な僕が傷んでいる僕に対して起こす行為なのではないかと思いました。 君という存在が僕にとって一体どういう存在であるのか。ただ単に恋心抱いている君に見てしまうのではなく、鍵となっているのが「なんかごめんね/夢ん中で、触れて」という箇所でしょう。僕は君に対して触れてはいけないというまるで禁忌であるかのような、何か神聖的な恋心を感じました。 恋心を抱くのが非理性であり、ただ「もうやめとけ」という理性の中で葛藤する僕はついに燃えていきます。この理性と非理性の境界にあって、葛藤しているということが「らりる」ということなのでしょう。「燃えてく僕の体が、綺麗」というのがらりっているはずなのに、冷静に僕そのものを捉えている描写であり、これが最初に書いた3つの視点の分離を感じさせる大きな要因でした。「流れてく意識/車窓の外で 雨」というのもまだ冷静さを保っているのですが、らりった僕はその見ている世界を語り始めます。 その世界では「意識」が「花」に喩えられ、そして、それは同時に「光」でもあるのでしょうか、らりっている人が見ている世界はどうもよくわかりません。それでも、「火花散る」というフレーズから読者に歓喜されるのは、火花が散るということは、火の中心から光が散らばっていくその姿がまるで花が咲いているようであるということ。それこそ、「火花」という言葉が持つ意味に改めて気づかされます。そして、この作品に置いて散っている「光」=「花」はきっと僕の意識(思い)です。 「君にもあげるよ」という印象的なフレーズがありますが、何をあげるのかと言えば「僕の感情の花」です。その花がどこから生まれたのかと言えば、燃える僕から発生した火花です。僕は燃えることによって、その花を君にあげることができるようになったのですが、「君にもあげるよ」という思いは、「もうやめとけ」という理性を通り越し、その理性と非理性とぶつかって僕が燃えたことによって生まれたものです。 果たして、僕の火花を君は受け取るのでしょうか。そして、僕は燃え続けることができるのでしょうか、僕は火花をうみ続けることができるのでしょうか。さらに、もし君が僕の火花を受け取れば、僕は一体燃え続けているのか、そして、傷み続けているのか、そんなようなことをさらに想像させられました。また、「君にもあげるよ」という言葉は、読者である僕も受け取ったのですが、僕はその火花を受け取る資格がないように思いました。それは、読者である僕は、作中の「僕」に対して理性と非理性のせめぎ合いを起こさせることがきっとできないからです。
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