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Saveと私
自分の体から出たものを老廃物とか汚物とか呼ぶのがちょっと悲しい、夕暮れるホームで、電車から吐き出された人を眺めている、ざっと数えてみた、20人弱、みんな同じ所を狙われていたらしかった、倒れ方を考えて、目の剥き方を考えて、薬で深く眠っていたみたいだとか考えて、途中からフリーズした。加害者にも被害者にも気持ちを寄せることができなかった、わたしは凡ゆるもの。 三日前くらいから、道を歩くだけでイライラし始めた、みんな遅い、それも意図的に、今朝は陸橋の階段の一番上で立ち止まっている女がいた、道を塞いでいるとは思っていないみたい、スマホの向こうにいる愛嬌たっぷりのモンスターを現実との境目の中で狙いを定めて指をフリックしている、血眼で友だち(ネット上)を探し始めた大人のわたしと大して変わらないって言われそうだから黙る、胃からせり上がってくる気持ち悪さにいい加減慣れなくて疎ましい、さみしさは一人では経験できないらしいが何人もいる場所に立っていたら背後からさみしさがわたしを簡単に飲み込んでいくんだけど、目の前には楽しそうに遊ぶ人がいて進路を塞いでいる、彼女は今とても幸せで、友だちのことなど全く考えていないだろう、満ち引きを繰り返しながら足首を濡らす波は普段の暮らしでは気づかない緩やかさ、呼吸する空気、蛇口をひねれば水が出る、スーパーが営業している、電気がつく、お風呂に入れる、ベッドで眠れる、普通の暮らし、穏やかで肌に馴染んで気持ちが良くて気にも留めないこと、それはけして家族と同質ではない、小さな予定、明日休みだから人格変えよう。 待ち合わせ場所まで自転車を走らせているあいだにセミの死骸を3体見た、轢きそうになったのをすんでのところでかわす、すべての生き物の命に祈りと尊厳を捧げていくと自分の命の価値が下がっていく感覚、自己犠牲なんて美しくない、セミが死んでるよ、気をつけてね、帰り際の友だちの言葉は今日のワイドショーの話題と同じ重みでわたしに届いた、仰向けで倒れているセミはまだ成形されたままだった、明日になったらいなくなる、アスファルトには溶けられないから、誰かの靴か自転車に踏み潰されるんだろう、わたしはそんなことしない、ただ見ているだけだ、地球の自転のように、時間に逆らわずに。 みんな、自分の本心を話せない、だから小説や映画や詩や音楽が生まれている、美しい言葉はたおやかな川のように流れていく、音しかない花火は爆撃音と同じだ、知らない国のことを考える、昼夜問わずこんな音を聴いているのか、そこに音楽はあるのか、無いよねぇ、って一人のリビングで鼻歌を歌っても退屈は紛れなかった、独り言も汚物ですか、老廃物ですか、吐き出さないとうまく循環しないから、感情が詰まって、お腹が張って、緊張して、硬直して、固まり乾いたわたしの五感の地面をあなたの声と言葉の雨が打つ、今日死んだらこの詩は読めなかった、だから今日を生きられてよかった、それを繰り返して少しずつ本心に近づいて、あなたの声と言葉と肩を借りて、寄りかかりながら、新しいニュースに顰め面したり議論したりしてリビングの憩いを味わいたい、1時間後に死んでも80歳で死んでも、わたしはきっとコウカイしている、わたしの意識の外にあなたの意識があるかぎり、あなたがわたしと暮らしてくれているかぎり。 ためらわないで圧倒的に死ぬ、dead or alive なんて誰にも問うな、毎日は素晴らしい、本当に毎日は素晴らしい、部屋ではなく地面に落ちる方が多い毎日の言葉は確実に未来に染み落ち蝕んでいく、それは本当に素晴らしい、何も知らないわたしたちはすごい。
Saveと私 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 885.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-05-03
コメント日時 2017-05-10
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
これ個人的に物凄く好きな類の詩です。現代の都会生活に生きる絶望が延々と綴られているのですが、最後のオチが「何も知らないわたしたちはすごい。」これにはぶっ飛びました。 普通(?)我々何か真実とか生きる術を知ろう知ろうとしていて、何か答えらしきものが出ればひとまず安心する。少なくとも私はそういうところがあるのですけれども、この詩では、今日一日を生ききって、あなたの肩があるから、「ためらわないで圧倒的に死ぬ」ことが可能なのかなぁと。特にラストを一見して、実に深い深い散文詩だと感じました。
0朝顔さん> コメントありがとうございます。 まず、朝顔さんの好きな類の詩であったこと、大変光栄です。 結局は、自分と自分に一番近い距離にいる相手(家族友人さまざまあり)との平和な日常を送ることを何より願うんじゃないかと、思うんです。みんな、自分が一番好きだし、極端に言うと自分の半径数センチが平和なら後はどうでもいいって気持ちもある意味正しい。 本心が隠れているからこそ正常な毎日を構築しているんだと考えるととても絶望的だけれど、言いたいことを言い切ることが必ずしも幸せではないし、踏み込む場所を選ぶ弱さみたいなのも、長生きするためには必要なのかも、って思うんです。 いつ死んだって後悔するから、自分(この詩でいう「わたし」)に近い人(この詩でいう「あなた」)と1日を生ききることで知り尽くせない本心に近付けるかもしれないという期待を抱いたり。 ちゃんとレスになってないかも…すみません。 最後の言葉についての感想、とても嬉しかったです。 ありがとうございました。
0饒舌体、というのでしょうか。徹底的に独白なのに、自分の内部ではなく、外部を見続けている。外部が「私」に何をもたらしているのか、を確認し続けている、とでも言えばいいのか。 特に前半の連は、きりきり引き絞るような一定のテンションで、言葉を断定的に切りながら文の流れは切らない(太い流れがあって、表面だけスタッカートを入れていく感じ)その、感じる主体の首尾一貫性を評価したいと思いました。 幻想的な情景とリアルな情景とが無理なく連結されているのも、主体が一貫しているからだと思います。 その分、周囲に馴染めない、沈むことが出来ないのか、浮上することが出来ないのかわからないけれど、自身が水と油のように弾かれてしまっている体感のようなものが伝わる作品になっていると思いました。 最後、素晴らしい、を止めて、すごい、と言い直しているけれども・・・反語的な「素晴らしい」であるなら、三連チャンであえてぶつける、というのもあるかな、と感じました。
0上記のレスはまりもです。スマホからで、失敗しました。
0まりもさん> コメントありがとうございます。 外部と馴染んでいくことの安心感と絶望感。外部の核を知ることがほぼ不可能な「何も知らない」強さと弱さの危ういバランスの中で生きているのが大多数の「わたしたち」だと思っていて、小さな軋轢が溢れている毎日に対して幸せを感じている感覚へのちょっとした違和感がこのような詩になったのではないかと思います。 自分に近しい人との幸せを継続していくことで外部との距離を保とうとするのではないかとも思います。 自宅の中では罵詈雑言を放牧しているように。 外部との距離感を本人なりの適度で作っていかないと健全に生きることが難しい世の中になっているなぁと感じることが多く、生きづらいなぁとよく考えるので、独白に終始し、かつ外部を見続ける「わたし」を書いたのだろうと思います。 読んでくださりありがとうございました。
0家族と一緒に過ごす時 リビングで一人でぼーっとテレビを観てる 居心地が良い それは私だけでしょうか その居心地の良さというのは 自分は独りではない 自分は不幸ではない という気 悲惨なテレビの向こう側の出来事 なんだったら自分の手で テレビのディスプレイを叩き壊したくなる ほら 僕には 関係無いじゃないかと 本作『Saveと私 』にインスパイアされました、共感詩を書かせていただきました。毎度、投稿有難う御座います。
0三浦果実さん> 「ほら 僕には 関係無いじゃないかと」 この言葉に打たれました。 詩を作って頂けて光栄です。 ありがとうございました。
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