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静寂と死の詩というウソツキ
私たちが神を離れても どれだけ自己に執着していても 私たちが平常心でいられて、誰もが幸せに生きている 人間自我は紛れもない 愛の産物だ 私たちは互いを繋ぎあっている それが人間的だということだ なんて素晴らしいんだろう 私たちは世界を共有している 同時に人間的であるということは 不安の現れでもある 言葉を交わさねば私たちがハイでいられないという 精神の弱さの現れだ た ハイとは状態だ 神とは意識の状態なのだ だからいまハイであるならば、そもそも 言葉で繋がろうとする必要がない 発した時点で、それは不安の現れなのだ 完全に居直ってしまった者は 言葉とは文章でも音声でも、独白ですらも 強く言おうとすればするほど、それは弱さの証明でしかないことを知っている ただ強くあれ ハイであれ!それだけが宇宙の真理として君の成すべき事なのだから 犬も猫も鳥も虫たちも老若男女、森羅万象の一切が 言葉なくして、高貴なる存在の堂々たる態度だけで 染み渡っている それは本当の、存在としての強さだ 精なる神だ 君が如何様に言葉を発しようとも 言葉として現れた瞬間から、その行為それ自体が 君の君に対するウソツキとなる この文章すらも...もはや 君は考えなくていい ただ堂々と己を 染み渡らせろ! 「EVELISING IS OK!」 「WORLD IS PERFECT!」 無 「......」 「」 詩人は詩を描く なにも心配することはない 君は描かなくても、最高だ 俺にはわかる、君にそのことがわからなかろうとも それがわかった時、君は 君が、君へと居座れたなら 君の書く、話す詩はまさしく 神の産物だ 大丈夫だよ 私たちは必ず死ぬ まさしく君の君という不安から 錨を下ろす時がやってくる なんて素晴らしいんだ
静寂と死の詩というウソツキ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1014.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-12-17
コメント日時 2018-12-18
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
運営の渡辺八畳です。 投稿前にはガイドライン(https://www.breview.org/forum_blog/guideline_and_rules/)を読んでください。 現在B-REVIEWでは詩作品投稿は月2作までと決められています。 何奴さんは5作も同時投稿されていたので、3作目以降(「ハードボイルド 」「輝きへの恐れという恥 」「君という南無妙法蓮華経 」)を削除させていただきました。 今月はもう投稿ができませんので、他者の作品へのコメント執筆を行ってください。 なお、今回削除された作品を1月以降に再度投稿することは構いません。 魚拓 君という南無妙法蓮華経 https://archive.li/jngj4 輝きへの恐れという恥 https://archive.li/fWydD ハードボイルド https://archive.li/Xi7OM
0失礼致しました。 深夜のテンションの突発的投稿故にガイドラインのほう、確認しそびれました。 他はいずれ投稿させていただくことにします。
0「EVELISING IS OK!」は、「EVERYTHING IS OK」のミスタイピングでしょうか。それとも、何か意図があってのことなのでしょうか。無論、意図は読者が読み取るべきものでしょうが、私にはその意図は酌み取れませんでしたので、敢えてお聞きする次第です。
0くそしょーもない指摘w
0削除告知へ丁寧に返信してくれて、しかもその後コメ書きもしてるもんだから少し驚いた。 いやさ、このサイトたびたび投稿数オーバーする人が現れるんだけど、そういうの大抵コメント書かないんだよね。それだとこの投稿者はどんな人となりなのかわからない。ただ作品という抜け殻だけが散発されていて、とても不気味。ことビーレビのような合評を目的にしているサイトだと、意思疎通できない相手が現れるのはかなり問題。 そこいくと何奴改めmaruさんは文章見る限りまともそうだから安心した。 しかしじゃあ作品はどうなのかというと、これ読み通すのはキツいなって。最初から「神」だし、「愛の産物」だ「人間自我」だ「宇宙の真理」だと、宗教臭する語句でまみれている。宗教系の作品にありがちなこととして、自分の書きたい言葉や概念を書くだけ書いて、じゃあそれが読者にとって内容が伝わりやすい形になっているのかって意識が欠けている。この作品も例に漏れずだ。「ハイ」という言葉やアルファベット部分を持ってくることによって文体の固さを和らげようとしているのかもしれないが、それらがある連まで行き着くことかできない。 詩って「何が書かれているか」より「どう書かれているか」だと思う。良い文章ならば中身や、まして教えなんて無くてもいい。それでもこの宗教系のを書きたいというなら、自身の持つ哲学をそのまま投げつけるのでなく、どう作品としても独立できるかを考えるのがいいだろう。 期待はしますよ。
0僕はダイレクトなのが好きで婉曲的なのが苦手で そのままのストレートで書くとどうしても宗教臭いと受け取られてしまう 僕は他人を僕の思想に染めるどころか、僕の文章を読んでなんだこいつは不気味だなと感じた、その自分の正直な気持ちをそのままに疑わないでほしい 貴方にありのままでいてほしい という事が言いたいだけなんですよ。 だからまさしく私の言いたいことを、貴方は僕に諭されるまでもなくもう体現しているわけで EVERISNG IS OK!ということなんですそれでもう どう書かれているか どう表現するか どう感じるかは読む側が勝手に受け取り勝手に感じればいい まさに 僕はダイレクトにハイすぎてつい...このような書き方もしてしまう 貴方が不気味ならそれでもいい むしろ、こんな宗教臭いものを叩きつけておいて 怖がらないか不気味がらないやつがいたらそれこそ 君、カルト臭いよと 僕としては言うばかりですから ダイレクトにいきすぎるのは僕の悪い癖なのですが ご指摘ありがとうございました
0不気味だと感じさせるられるなら大したもんだよ。それだけで需要が生まれる。たとえば私の好きな詩に黒田喜夫の「毒虫飼育」があるが、あれを読んで気持ちいい思いをする人はいないだろう。だけど名作だ。 御作はね、感情は起こさせられてないの。原因はまず第一に読み進められない、可読性が低い、次を読ませようという訴求力が無い。それがやっぱ一番まずいと思うんだ。ただ文は読めぬが単語はぽつぽつと見えはするので、その単語で宗教臭ぇってなる。味無いけどえぐみだけはある草みたいなもんよ。
0私は僕の文章を他人に対して媚びるつもりは一切ないので。 可読性が低いと言われたら俺はかってに詩を詩しているだけで独り言を独り言しているだけだから君の気持ちに忖度してスタイルを変える気はないというし 読み進められないと言われたら日本語読めないのか?というし 単純につまらんと言われたら精進するというし 次を読ませようという他人の視点を書きながら意識する気もないし 宗教臭いと言われたならば、そりゃそうでしょう林檎みてこれ赤いねって言ってるようなものでね 食わず嫌いを言われてもうるせえ食え!っていう性質なので、だから一方通行ですよ。 詩なんて一方通行なんだから、忖度なんて社会生活だけで十分だ まず私は、評価に値する基準という他人の設けた一方的でデタラメ極まりない価値観にいちいち付き合う気はない なのでこんな詩はクソ以下だと言われたらそれでいいし そこそこと言ったらそうですねという どっちでもいい 分別や評価の無用性を底の底まで叩きつける事だけが僕の言いたいことだ そしてこの態度を変える気はないんです。すいません。 なので宗教臭いのを辞める気は更々ないですが、文章表現の工夫に関しては励む余地がまだまだあると反省しているので精進します。 ご指摘ありがとうございます。
0EVELISINGのSINGに意味があるのかと思いましたが、コメント欄のEVERISNGをみるとそうでもないようですね。 誤植を確認するでもない、酩酊のままの投稿を、なにかダイレクトと言いなしているような感もちょっとしました。 けれどおそらく、詩に対する、生存に対する作者の、もっと深く長い信念に裏打ちされた投稿衝動かと。 ネット(詩)の同時間性、瞬発力、殺到する今を受け止め発信すること、に(のみ)価値を置いておられるのですね。 他の生き物、は皆そうしているではないかと。 >犬も猫も鳥も虫たちも老若男女、森羅万象の一切が >言葉なくして、高貴なる存在の堂々たる態度だけで >染み渡っている この「染み渡っている」、と言うことばに、作品中とくに強い印象を持ちました。 そして「作品」とは何だろうと。 作品などというもの、静寂や安心などというものは、死に等しいのでしょうか? >ハイとは状態だ 神とは意識の状態なのだ >だからいまハイであるならば、そもそも >言葉で繋がろうとする必要がない >発した時点で、それは不安の現れなのだ 「ハイ」に拘泥するこの作者は、うつ病を経験されたのかも知れない。 しかし、不安と言うことには、もっと哲学的な意味があるのかも知れないと思い直しました。(哲学不案内です。) ごく当たり前に存在とは、それほどまでに不安なものなのでしょうか。 リルケが、「幸福とはにまぢかに迫りつつある損失の性急な先触れにすぎないのだ」と『ドゥイノの悲歌』で言っていました。 死という損失?から逃れられない人間には、不安こそが本来の姿だと言うことでしょうか? などなど。
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