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ブラックコーヒー
幼少の頃の僕は今でも 「お星さまがいない夜みたいだね」って 笑って飲んだ マグカップに入った暗闇が 苦くて 酸っぱくて トラウマになって、 大きくなることを馬鹿にした頃がいました なんで大人達は好んでいるの? なんで飲めば大人になれるの? 大人ってやせ我慢が好きなんだね 維持張ってさ子供みたいなんだね だって何ができるの? だって何を教えてくれるの? 僕にはわからない暗闇だった 知ろうとしなかった過剰の芽 地球は逆週できずに 若さを覚えた時は今 何度も受けていた罵声や説教が重く感じたんだ この世界で唯一反抗できることは 星のない夜を二度と味わなかったことだ 鉄棒とコンクリートで囲まれた箱で もみくちゃにされた帰り道 オシャレな自販機の飲み物達は 一人除いて輝いて 意地悪な気分の僕は 除かれた一人を買ったブラックコーヒー トラウマが思い出す 味わった苦味や酸味は 僕自身のつらさを知っていたんだ 同情の味なんて言葉じゃ言い表せないほど 星のない夜の味は優しかった
ブラックコーヒー ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1329.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 2
作成日時 2017-05-01
コメント日時 2017-06-12
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 2 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 2 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 2 | 2 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 2 | 2 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
5月にしてようやく自分が求めるテーマで詩を作りました。 こういった日常の行動を詩で綴ることが私の詩作となります。
0とてもいいなと思います。 なかなかどうして、自分自身のテーマを発見しまた書いてゆくことは存外難しいです。 私もやっとスタートラインに立ったところですね。
0維持張って、とか、逆週できずに、など・・・これは、あえて、の表現なのか・・・馬鹿にした頃がいました、これは、ありました、の方が自然な流れとなる木もします。 もしミスなら、これらはちょっと残念。 子供時代、〈僕〉は苦くて酸っぱくて、いやでいやで仕方がない飲み物を、笑って飲む。 味覚(だけではなく、恐らく感性すべてにおいて)過敏の、大人びた子供。「ポエジー」で自身の気持を抑え込むことを、既に学んでいる(学ばされている)子供。数行でそれだけのことを描写してしまう的確さ。無駄のない、それでいて流れるような、どこか音楽的な(たとえば最初は四拍子)詩行の流れが美しい。 〈この世界で唯一反抗できることは 星のない夜を二度と味わなかったことだ〉味わわなかった、かな、正しくは(重箱の隅を、あえて突いてます、だって、もったいないもの) この二行、非常に魅力的。こと、と二回重ねる、ちょっとモタモタした感じのリズムの方がよいか、この世界での唯一の反抗は/星の無い夜を二度と味わわなかったこと、とさらりと流すか・・・あえて、こと、こと、と、躓き気味にした方が(つまり今のままの方が)よいかもしれない・・・ 〈鉄棒とコンクリートで囲まれた箱〉一人のシーンなら、マンションでの孤立ともとらえられるけれど、〈もみくちゃにされた〉という接続で、学校であることがわかる。しかも、その言葉を発したくないほどの、悪意にさらされるような場所。 〈帰り道〉で薄闇に閉ざされた夜道が浮かび・・・〈オシャレな自販機〉というカタカナまじりの表現で、こちらの気持など知らぬげに、煌々と明るく輝いている自動販売機を、どこか斜めに、皮肉っぽく眺めている視線が伝わって来る。その、オシャレで煌々と輝いている自販機は、〈僕〉を取り巻いている世界の縮図でもあるのでしょう(メタファーとなっている)飲み物達、という擬人化が、これは今、僕が置かれている社会そのものだ、と気づいた作者の心の動きを示しているように感じます。 〈一人除いて~優しかった〉この流れが実に良いと思いました。〈星のない夜〉とは希望のない時間のことかもしれないけれど、自分には理解できないこと、受け入れがたいことを、闇は闇のまま、静かに受け入れてしまおう、という豊かさがそこにあるような印象を受けました。 自分で自分の世間への馴染みがたさを、受け止める。その苦みや酸味を、優しい味、と感じながら飲み干す。それが大人になる、ということか、という切なさが、なぜか、余裕のように受け止められるのは、ゆったりとした流れの文体のゆえかもしれません。秀作。
0これは秀作だなぁ。文句の言い様がない。 奏熊とととさんの作品の中では一番の好みです。 単純な子共と大人の対比として描いている訳じゃなくて、多層的、重層的な作りになっていますね。そこからにじみ出る詩情が素晴らしく、言葉にするのが勿体無い作品です。 これは近い内にブログの方に紹介記事書かせてください。社会人の心にすっと入ってくる、とてもいい詩だと思います。ああ、とてもいい。
0こんどもし辛い気持ちになったときに、読み返したい作品に出会えました。
0奏熊ととと様、はじめまして。御作にコメントさせて頂きます。 なんで?と思う素直さ、幼いなりに分析していく過程が成長の兆しなのでしょう。 ブラックコーヒーの味わいに暗い印象を持って、トラウマと感じた子どもの頃から、 鉄棒とコンクリートに囲まれた箱の中での生活から、ブラックコーヒーの苦みを に救われる最後。とてもいいなぁと思いました。
0この作品は一連が「こども」パート。二連が「おとなになる」パートになっています。 ●一連 「お星様がいない夜」つまり、星から飛躍して天の川=ミルキーウェイのイメージから、ミルクコーヒーのイメージも微かに匂ってきます。こどもから見たときのユーモアある物の捉え方から素朴な語り手のキャラクターも見えてきます。 語り手は初めて「おとな」の飲み物であるブラックコーヒーを飲みますが、本当にまずかったんでしょうね。 そこから逆ギレするようにこじれて「おとな」を一緒に馬鹿にしてしまうわけです。 語り手はブラックコーヒーの表面的な「苦さ」しか分からない。それで、その分からない感情が飛躍して、大人ってなんなんだっていう疑問をぶつけてしまうわけですね。そこが「マグカップに入ったブラックコーヒー」の「暗闇」に喩えられている訳です。 意固地になった語り手はそれを知ろうとしませんでした。 ●二連 そのまま二連に入って「おとなになる」パートになります。 時間は戻す事ができません。戻ることもできません。そして、逆週からは一週間のニュアンスも微かに臭ってきます。月曜から始まる長い長い社会人という道のりです。 鉄棒とコンクリートで囲まれた箱という表現から、語り手が都会、もしくはそれに準ずるような町で、社会人として働いている様子が伺えます。個人的には檻のイメージのニュアンスも伺え、まさに社畜のイメージにつながってくるでしょう。 そして、まだまだ若い新入社員の語り手は、自分が如何に若い存在であるかを自覚したばかりなので、罵声や説教を沢山受けまくります。そしてそのことが本当に辛い。軽く受け止めることができません。「おとな」的な物に反抗するためにまだブラックコーヒー(星のない夜の味=二四時間明かりのついている社会の味=辛酸なんか舐めたくない)なんか飲みたくないと反抗しています。 それでも、働いてクタクタになった自分の目の前にある自動販売機は「社会」が作り上げた一つの機構(「箱」)であってその中には煌びやかなジュース達がズラッと並んでいます。自動販売機は基本二四時間稼働していて、真っ暗になることはほとんどありません。しかも、多分その多くの商品が売り切れ状態なんですよね。その様はまさに、自分はまだ若くて社会の一員になりきれていない様子に加えて、そのようなリア充なジュース達(勝ち組)達に対する小さな嫌悪感を投影しているようです。 そんな中、語り手は売れ残ったブラックコーヒーを買ってしまいます。今まで避けていた筈のブラックコーヒーがここではなぜか弾きものの自分と、同化して見えてしまったんですね。(ブラックコーヒーは日本の自動販売機とかを見るとわかりますが、暑い夏の日とか本当に売れ残っちゃうんですよね) そこで久しぶりに手に乗ったブラックコーヒーを飲んだ時にブラックコーヒーの「苦さ」から「優しさ」という概念を獲得するんです。 これはどういうことか。 「おとな」になるというは、苦さを楽しめるようになるということなんですね。これは、青年漫画と少年漫画の違いについて鳥嶋社長が白泉社のインタビューの中で答えていますが、精神年齢が上がるということは、人生の中にある苦さを、楽しむことができるようになるということだと思います。 語り手は、今までブラックコーヒーの表面的な味しか掴めませんでした。苦い物はいやだ、説教や罵倒はいやだ、働きたくない、逃げたい、おとなってなんなんだ、なんであんなに我慢して仕事して生きてるんだみたいに、「知ろうとする事」から逃げて何もかも分からん分からんと拒否反応を示したり、理解する事を反抗し、拒もうとします。 ですが、いざ、自分がおとなになって、初めてブラックコーヒーを飲んでみたら、それが美味しかったんでしょうね。そして、大人達がなぜブラックコーヒーを好んで飲んでいるのか、という事を一瞬で悟る訳です。ブラックコーヒーの持つ苦さが、自分の中にわだかまっていた「苦さ」っていうの教えてくれる。 つまり、「知ろうとしなかった」自分に対して、ブラックコーヒーが「おとな」というものを「教えてくれた。」そこに優しさがあるわけです。ここに「同情の味ではいい表せないほど」というニュアンスの隠し味があるわけですよね。 反抗期の自分に対して、文明が差し出したいっぱいの缶コーヒー。それが教えてくれたおとなという立場、それがブラックコーヒーの工業的な辛酸のイメージを掻き立ててきます。 幼い頃おとながマグカップに淹れてくれた暗闇の味を表層的な理解から、おとなになる事で、深く知る事ができる。つまり、この語り手はブラックコーヒーを飲むことによって、おとな=辛酸を知ったのです。おとなになるという事は、その人生を、渋みを知りながら、受け止めて、それらを人生の味わいとして感受しながら長い道のりを生きていくだと悟るんですね。 その結果表層的な「トラウマ」としてあったブラックコーヒーというほろ苦さが、おとなになりかけの語り手の心をすくってしまったのです。 それが本作の最大の見所であって、僕が押したい理由です。書いてあることはただおとなになってブラックコーヒーを飲んだ、ただそれだけ。ですが、それを単なる二項対立に収めず、ブラックコーヒーをブリッジにして人生における苦味の獲得を多層的に、立体的に描いています。本作を読んだ後に、BOSSのCMを見ていただければ、よりそのニュアンスが伝わるのではないでしょうか。
0>>朝顔様 ありがとうございます。 このように些細なことから膨大にストーリー作る。 このスタイルで今後行こうかと思います。 >>花緒様 自分の経験と言うと自分はバリバリ中学生の頃からブラックコーヒーを飲んでいます。 しかし、この詩はあるきっかけがあって作られました。 そのことについてはいずれお話しします。 >>まりも様 ある意味あえての表現でもあります。 >>るるりら様 ありがとうございます。 その時はブラックコーヒーと共に思い出してみてください。 >>夏生様 幼い時の私は実はどうでもいいことに疑問を追求する子供でして、 大人になった今でも自分はこういうことをずっと考えてしまいます。 >>百均様 この度は感想と解説を頂きましてありがとうございます。 私の思いと多重構造の策が行き届いてすごく嬉しく思いました。 そして、最後にこの作品で私が伝えておきたかったことを述べたいと思います。 私が知りたいのはこれを読んだ読者が今度はブラックコーヒーを飲んだ時、どのように感じるのかを知りたい そういう意味では実験詩になるのかもしれません。
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