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宇宙人
三蔵法師の打算がダサくて 神に祈った 小豆のさやにライターで 火を付けると 幻想的な発色をした 火を魅せ付けられる 火を見ていると 三蔵法師よりも ダースベイダーだと思う イームズ回顧展で 宇宙人を探すと 堪えてつかあさいと 自重を求められるが 切りつけられて怪我をしてしまった この矛盾を解決するのが ダースベイダーだ バターを多めにとって 宇宙人と向き合うと 岸壁の母よりは有用で ダースベイダーの剣を 躱(かわ)さない方が 有効だと思うのだ
宇宙人 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1191.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-04-30
コメント日時 2017-05-23
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
宇宙人、というのは、この詩を書いている人、が、まるで宇宙人のようだ、というイメージと重ねている、のかなあ・・・と思ったり、ダースベイダーが出て来るんだから、宇宙人に決まってんじゃん!と思ったり・・・ 大真面目に「バターを多めにとって」と言われると、逆にずっこけるような面白さが出て来る、のは、なぜなんだろう・・・ちびくろサンボ(今は、この名前は使わない、ようですが)の、バターになって溶けてしまったタイガーたちを思い出したり・・・。 「小豆のさやにライターで/火を付けると/幻想的な発色をした」個人的には、こうした詩行が好きです。豆を煮るのに、豆のさやを燃やす、という故事も、なんとなく思い出しました(これは、関係ないかも、ですが・・・)
0なんじゃこりゃ笑 突拍子がなさすぎる気が第一にしますが、それでもなんだかうーん、変に納得しちゃうような詩行の連続ではありますね。ある種ニッチな需要はありそうですけれども、売れない感じがします。作者は何考えて投稿してんのかなぁ
0hyakkinnさんへ 何考えて投稿してんの、というのは、読みようによってはスンゴイ失礼な言い方かも(^_^;) 読む人をびっくりさせたいとか、反響を聞きたいとか、イメージのぶっ飛び具合の中に、他の人は何を観るんだろう、とか、そういう意識はあるのかな、と推測しつつ・・・行間イメージが飛び過ぎているので、全体をまとめるというのか、流れにのせていくような、何か盛り上がりみたいなもの、旋律のようなもの(音感とか独自の韻律とか)なにか、そういった「仕掛け」がある方が、「ニッチな需要」が「より広い需要/受容」になっていくきっかけになるかもしれないですね。
0すごい好きですコレ。ミーハーに好みです。 意味は全く取れないのですが、何故かげらげら笑ってしまいました(失礼)。 なんつっても、「岸壁の母」と「ダースベイダー」を同列に持ってくる、この飛躍。 ・・・でも、ほんとうに飛躍なのか?ってちょっと心理学的に考え出すと意外に底がものすごく深いんです。 岸壁の母は、日本的な慈愛の母親ですよね。でも、そっちよりもダースベイダーつまり、西欧的な権力的な父親、と言うもののダークサイドと戦う方が面白いよ、と。 そう考えると、「バターを多めにとって」と言う一行もなかなかに意味深です。バタ臭い、という単語が昔ありましたね。 うん、面白い。
0まりもさんコメントを有難う御座います。ダースベイダーは陳腐なイメージの使い方だったのかも知れません。でも分かり易さ、イメージの鮮明さと言う点で、捨て難いイメージでした。バターを多めにとってにしても私なりの個別性、歴史性が考慮されました。小豆の莢を燃やすと言うのは、ある意味余分な行為ですね。単に捨てればいいのですから、実用的には。でもそこに詩的行為があると思いました。美化するつもりはないのですが、詩的イメージの胎動があると思ったのです。ちびくろサンボのバターに溶けてしまったタイガーですか。これは何か詩的イメージが濃厚ですね。この作品は差別排除運動があったりして一筋縄ではいかない作品のようですが。
0hyakkinnさんコメントを有難う御座います。ニッチな需要ですか、隙間産業みたいな(意味が違ったか)感じを受けます。売れない感じと言う評言は孤高なイメージに包まれた弧峰性が含意されて居る様な気もします。私としては、この作品は津田三蔵さん、ニコライ二世さんなど歴史的な登場人物も実は意識されていました。
0まりもさん再コメントを有難う御座います。行間イメージの飛び過ぎは反省すべき点なのかも知れません。音感と独白の韻律ですか。考慮しておきましょう。そう言う観点からはもう一回自分の詩を読み返して見て ダースベイダーの剣を 躱(かわ)さない方が 有効だと思うのだ この最後の三行は蛇足だったのかも知れません。自分の詩の内省を深める意味でもレスレスはやって見るものですね。
0朝顔さんコメントを有難う御座います。そうですね、岸壁の母は確かに一筋縄ではいかないイメージだと思います。ダースベイダーとの組み合わせも異化を狙ったわけではないのですが、何か並列する事から来る、イメージの刷新を図ったのかも知れません。バタ臭いですか。マーガリンとの比較から来る、含意もある程度はありました。マーガリンは出てませんが。飛躍と言う観点、心理がから見たアプローチ、再び自作詩を再読して見る意義を見出せたような気がしました。矛盾を解決するのがダースベイダーだと言うフレーズがありました。何か自作詩ながら、ダースベイダーがステレオタイプのイメージから解放されて行く感じを持って行く感じがしたのです。
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