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くだらない
くだらない。 そう言って手紙を破く事も出来た。しかし私はその手紙に書いてある氏名を調べて、その女にコンタクトを取り、悩んだ結果、結局は会うことにした。言ってやらねば気がすまないと思ったのだ。 家の近くの神社の階段を降りる、一歩目を踏み出すとき、誰か誰でもいいから背中、押してくんないかなって。こんな長くて高い階段を転げ落ちたら、もうそれだけで死ねるじゃん。痛いだろうけど、生きてるのだって血が吹き出たりしないだけで、痣とか内出血とかさ、そういうのはどこかで毎日毎秒起きてるから、死ぬこと、とそれは地続きなのかな。 くだらない、と自分の考えを一蹴する。死んでどうなる。馬鹿馬鹿しい。 あの男とは、腐れ縁だった。高校生から付き合っていて、同じ高校の在学中に事故で家族全員を失った彼への同情を愛情とごっちゃにして若気の至りでいろんなことをやって、でも不始末の責任はいつも私が取った。 それだけでもう十分だったはずなのに、私は彼と同棲することにした。関係は線路のようにぐねぐねと、果てし無かった。どこまでも長くて、時折まっ暗いトンネルに永い間、閉じ込められた。新幹線で東京から京都に行く時のあの最初の方の大量のトンネル。みたいに暗闇が明けた!ってなったら、いつもすぐ次がきた。 たくさんのはなしをしたけれど、議論はいつも平行線で、彼は、死ねばいいのだって、バカボンのパパみたいに毎回毎回...。くっだらねえって笑う事も出来た。あんたといて私の方が死にたいよ。月に200時間くらいアルバイトしてさ、それでも手元にはあんま残んない。欲しいものは買えない。例えばマルジェラのブーツは買えなくはないけど買ったら家賃が払えなくなる。そういう暮らしのやつだっているのに。東京で一番いい大学入ってさ、それでもそんなしょぼくれてるの馬鹿らしいよ。言えないし、言わなかったけど。 * その女の人は、なんというか今までに私が見たことがあまりないタイプの人だった。穏やかで落ち着いていて、きれいな服を着て、そして絵描きだった。 『あなたの絵が完成しました。是非、見に来て。近頃お手紙がもらえなくて寂しいです。』 なんて送れるような無神経な人に見えないような、見えるような不思議な人だった。 「あなたの話ばかりされてましたよ」 その優しい声にことばを失う。私の存在を知ってて、あんな手紙、出してたんだ。私は、そうですか、とだけ言って、勧められた椅子にどかんと座った。女はクスリと笑った。その笑みが私の全てを馬鹿にしてるようで、気に食わなかった。けれど、私も大人なので黙っていた。 女は私の向かいに椅子を持ってきて座って、細い脚を組んだ。黒いデニールの薄いタイツがよく映えた。 「本当に残念です。まだお若いのに」 彼女の水面に一滴スポイトで水を垂らすみたいな無駄な話し方は私をイラつかせた。そのお若い男と遊んで、私を傷つけたのはあんたでしょって言いたかった。プライドが邪魔して言えなかった。ここは学校の美術室と同じ匂いがした。私と彼は、高校の選択授業で、美術を取っていた。学校の5階にあった美術室の窓から、よく空を見た。窓の下の景色を見た。風が気持ちよく私たちに向かって吹いた。 そんなこと、忘れたはずなのに、思い出して、頭痛がしてきた。気分も悪い。 「顔色がお悪いわ」 女はそう言って心配そうに窓を開けて、小さな簡易冷蔵庫から500のミネラルウォーターのペットボトルを取り出して渡してきた。ありがとう。私はそう言ってそれをごくごく飲んだ。窓から風が入ってきて、それはでも、あの日々に感じた風とはどこかちがっていた。 あんたがいないから。私はそう思ってぎゅうと目を瞑り、自らを抱きしめた。女は、大丈夫、横になりますかと尋ねた。お願いします。気分がとても悪くて、私はそう言った。 そのまま私はアトリエのソファーに横にならされた。いろんなことが頭をぐるぐるぐるぐるバターになってしまいそうに回っていた。 「このソファーで彼と寝たことあります?」 あまりにも敵意むき出しなそのことばを私自身が軽蔑し、嘲笑した。しかし女は、「いいえ、彼はわたしとは寝たりしなかったわ」とだけ言った。その声は真実味を持っていた。母がいつか、おまえはすぐに騙されるから、だからあんな男といつまでも...と言った。私は何も言い返せなかった。正鵠を得たことばだった。いつも責任を取るのは私、傷つくのは私。なのにいつも、自分が一番不幸だみたいに笑ってたあいつ。手当たり次第いろんな女と寝たあいつ。修羅場になって責められるのはなぜか、彼ではなく私だった。かわいそう。馬鹿な女から、彼はいつもそう形容されていた。だからこの人とも寝たんだろうと思っていたのに。真実かはわからない。けれどこのひとのことばには嘘の入り込む余地がないようなそんな静けさがあった。 「絵のモデルなんかやってたんですね。まあ、顔とスタイルだけはよかったから」 私がそう言うと、女は笑い、「そうね」と私の近くに来た。「彼は美しかったわ」。その一言だった。私は急にやり場のない怒りに囚われて、喚いた。 あなたに何がわかるの!そりゃモデルと絵描きの関係なら、美しかったわで済むわよ。でもあいつの本性なんて誰も知らないの、そのひとたちはなんとでも言える。かわいそうだって、言うのは簡単よ。でもね、付き合ってるこっちはね——。 遮るように自分の名前が呼ばれた。私はバッと起き上がり、女を見た。子供をなだめるようなまなざしがそそがれていた。 「わたしは彼をかわいそうなんて思ったことはないわ。むしろ逆、よくこんなで生きていけるもんだっていつも思ってた」 ぼんやりと遠くを見遣りながら、女は言った。 生きてなんて、生けなかった。彼は死んでいた。家族が死んだからじゃなく、そんなのはただ彼の死に向かう背中を押す役割を果たしたに過ぎない。彼は生まれながらに死に続けていた。 女は言った。 「あのひと、いつもあなたのはなしばかりしてたわ。あのとうめいなまなざしで、だからわたしあなたに会ってみたかった。ひどいかもしれないけれど、彼の恋人が見てみたかった」 「嘘でしょ。どうせあなたの前でもかわいそうな男の子のふりして——」 「本当。だってあの人はかわいそうなんかじゃなくて、本当にうつくしくうまれてきたのに、この上なく残酷なひとだったものね」 あ、と声が出て、私は泣いていた。彼女は二、三度私の背中を撫でると、どこかへ消えた。そして帰ってきたときには、小さな額縁に入れた絵を持っていた。 「これ、彼に渡そうと思っていたの」 私はその絵を見た。物憂げな表情をした青年が今私が座っているソファーに腰掛けていた。私はさらに泣いた。 「それ、どうしたらいいかしら。あなたにお渡しするの、迷惑かしら?」 私はぼうっとその絵を見て、目に焼き付けた。そして口を開いた。 「焼きます」 女ははじめ驚いたように目を見開いたが、すぐに微笑んだ。 「なら庭をお貸しするわ」 彼女の広い家の庭で、私はあの絵を焼いた。あれを大事に持っているわけにはいかなかった。ぱちぱちと燃えていく絵を見て、ひとの少なかった彼の葬式を思い出す。また涙が出た。あんなにいた遊び相手のひとりも来なかった。彼の孤独は本物だった。 「泣きたいだけ、泣けばいいわ」 「もう泣いてない。けむりが目に滲みただけ」 私がそう取ってつけたように素っ気なく答えると、彼女はまた笑い、私もそれにつられるようにして少しだけ、笑った。もうあいつのことでは泣かないでいよう。私は、ぼんやりとふたりぼっちのこの葬式の最中に、そんなことを考えていた。
くだらない ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1025.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-11-11
コメント日時 2018-11-18
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
掲示板をスクロールしていて、「わあ長げーなあ」と敬遠してしまうタイプの作品がある(失礼!)本作も何回か読み始めては途中で投げ出していた。そしてまた「くだらない」というタイトルが妙に引っかかる。掲示板をスクロールする毎に。で、そもそもこの作者は誰だったっけ?となる(失礼ですみません!)。で過去作をみて驚いた。私が好きな作者の1人だった。名前が記憶になくて大変に失礼だけれども、私がコメントしていた二つの作品ははっきりと記憶に残っていた。私が好きになる作者とは連続性を持っている作者であることが多い。作品と作品がその内容で連続しているのではなくて作者として、詩人として一貫性があるということ。鬱海氏の作品にはそれがある。過去作もそうであったが本作も、なんとも言いようのないダラダラ感があってしかもなぜだかそれが心地良いのだ。参考までに申し上げておくと、ホントに読み始めるまでに抵抗がある(すみません!)。だが、読み始めると妙に楽しく読めてしまうのだ。それは大量のトンネルであったりバカボンのパパであったり、それらの気の利いたディテールが散りばめられているところがいいのかもしれないし、作品全体としての魅力を言えば、、これは語弊があるかもしれないが、若い女性の個人的な日記のようなものを覗き見しているような感覚に近い。ちなみにだけれども、本作を好む読者が一体どのようなシチュエーションで本作を読み好ましい感想をしているのか、それを作者殿にとっての今後の創作のためのサンプルとして提供しておこうかと思う。と、思ったけれども、あまりにも下品なコメント過ぎると思いやめました。とにかく、本作は良いし、是非また次回作も読みたいと思った。
0みうらさま 温かいお言葉頂けてうれしいです。わたしもその二作についての頂いたコメントを覚えています。 「愛されなくても生きていける」という旨のお言葉はとくに今でも思い出します。三作すべてが他者がコメントをしづらい、または読み始めるまで抵抗のあるような文や詩であるのにそこを超えてコメントをくださることに感謝です。皮肉ではなく心からの感謝です。わたしの書いていることは所詮わたしを離れていないことが多いので、ひとの日記をのぞいているような感覚を覚えられるのも納得です。そこを超えられるようになるのが課題だと思っているので、これからも頑張っていろんなことを書いていこうと思いますので、また機会があれば、よろしくお願いします。コメント本当にありがとうございました。
0彼は結局自殺したのかな。なんとなくそんな気がします。
0鬱海さん、こんにちは。 最後のどんでん返しには驚かされましたが、それよりも語り口、ディテールが魅力的な作品だと思いました。 初めのうち、作中の「私」が作者の投影された対象だろうと思ったのですが、読み通してみると実は絵描きの女性こそが作者ではないか、と考えるようになりました。或いは、分立した人格の一面として絵描きの自分が作者を無意識の層からコントロールしているとか。 端正で破綻のない物語を創造する作家は皆そうであるのかも知れませんが。端正ではないし、破綻もありますが、僕自身もそういう傾向があると思っています。それは良いことでもあるし、悪いことでもありますね。 「彼」も結局「私」にとって、手の届かない、自分自身のある部分を投影したものなのでしょうか。 楽しく読ませて頂きました。余計なことですけれど、ペンネームがちょっとすごいですねw
0IHクッキングヒーター(2.5kW) さま どうでしょうか。普段は情報を書きすぎると言われているので、委ねられそうなところは読み手に託してみようと思いました。読んでくださり感謝です。 右肩ヒサシさま 作者が登場人物にどれくらい自己を投影するかは難しい問題ですね、読み手にとっても書き手にとっても。私の物語は私の問題意識や関心から出発していますが、あまり投影は考えていない気がします。それこそ無意識を紐解いていけば、おっしゃるような結果になるかもしれませんが...。 名前は最初、硝子と名乗っていたのですが、ツイッターと連携したら変わっちゃいました。やべえ名前だなと思われるかと思いますが、そういうわけです。読んでくださり感謝です。
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