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蠅
蠅がたかる 我が子を 河に流した 体の温もりが消えゆく我が子を抱きかかえ 私は街中をさまよい歩いた 薬を薬を、と いつしか蠅は我が子の周りを飛び交い ひっきりなしに我が子の体を舐め回した それは私の体までも蠅で真っ黒になるほどだった それでも私は叫んだのだ 薬を薬を、と この子に、と そんな折、芥子の種がこの子に聞くと耳にした 誰一人死者を出したことのない家の芥子ならばその呪力でもって この子は治る、と だがこの世は死で満ちていた 我が子は死んだのだ 蠅はそれを教えていた ずっと 周りを飛び 舐め回し 蛆虫を這わせて 私に伝えていた 助けを求める叫びをかき消す羽音をもって 私に ずっと 蠅がたかる 我が子を 河に流した もはや腐り 蛆虫が這いつくばり 蠅や蟲たちの糧にしかならない 我が子を 私はこれから家を出 髪を剃り上げる 我が子には芥子が効くと声をかけた彼の下で 蠅よ 我が子を送れ 共に流れる死者たちを送れ そしていずれ せめていずれ 仏となれ
蠅 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1029.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-10-18
コメント日時 2018-10-24
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
なかなか強烈な作品ですね。 情景描写がリアルな分、これは現代なのか?ということが気になりました。 あまり設定やシチュエーションを書き込んでいくと小説になってしまいますが、現代であれば難民キャンプや疫病や飢饉に教われている、「後進国」のイメージ。 江戸時代の天然痘やコレラが大発生した景も思い浮かべました。
0まりもさん、こんにちは。 クリシャー・ガウダミーの話を元にしました。 釈迦の下で出家した、実在の人物の話です。「私はこれから家を出/髪を剃り上げる」とあるのはそのため。 釈迦の時代の尼僧の詩をまとめたテーリーガーターという経典にもこの人の詩が残っています。 この話自体は、仏教説話としては有名だったりするので、”クリシャー・ガウダミー 仏教”で検索すれば元になった話が出てくると思います。
0こんばんは。羽田さんのこれまでの作品から読みながら、仏教的なテーマであると推測しました。ひとの生死にかかわる悲痛な状況が書かれているのですが、他方で、死者に集る蝿、蛆に注目しました。死体とそれに集り貪る無数の蛆や蝿の蠢きは、ひとの生死の外側に厳として存在する自然の働きであり、餌場とし解体させることによって、ひともまた自然の秩序のうちにあることを証する。この蛆や蝿といったミクロな存在が浮かびあがらせるマクロ(自然の秩序)な働きを宇宙的なものと見るのは些か拡大解釈になるかもしれませんが、そう考えてみたくなります。そして、それゆえにこそ、ひとにとっては無情であり、悲痛さはいや増すのではありますが、それにとどまらない広がりと奥行きのある作品に感じます。
0藤 一紀さんこんにちは。 蠅や蛆に関してはそのような事を考えて出してはいなかったのですが、そう考える余地はありますね。 確かに自然にのシステムの中に循環させて、転生させるみたいな。 いずれそういった意味でも仏となる、とは言えるかもしれません。 結果として、いい作用があったようです。
0仏教の話を、ミスチルのライブのMCで知ったのですが、そのお話だったので、個人的に印象深いタイミングでした。 描写は焼き付きますが、 人の慈しみ方とはどんなものだろうか、これは慈しみとも言えるとも思うが、この言葉で表しきれてないこの感情はなんなんだろうか、と考えさせられました。
0我が子が死んだという事実を否応なく突き付けてくる蠅、人情としては憎んでしまいそうなところなのに、死を教えその亡骸を送ってくれる存在としてとらえる、その視点に惹かれました。 仏教的な世界観ですが、それを意識しなくても、十分に響くものがあるように思います。
0かるべまさひろさん、こんにちは。 この元になった話を、偶然にも聞いていたとは。 自分にとっては印象深く、とても好きな話です。 仏教的な感覚としては、人が死に、別れてしまう苦しみを認識し、それに正しく対処するのが慈しみになると思います。 ただそれでも悲しみを感じてしまう、という事かもしれませんね。 二条千河さん、こんにちは。 釈迦の場合(ここでは芥子の種が効くと声をかけた人です)その子は死んだのだ、と認識させる対応を取っているので、蠅をそのような存在として書きました。 劇的な描写がうまくいったようで、よかったです。
0こんばんは。元になったお話というのは、 わが子の死をどうしても受け入れられない母親が、お釈迦様に 「わが子を生き返らしてほしい」と懇願したところ お釈迦様は 「よろしい生き返らせよう。ただし、誰一人死人を出したことのない家の芥子をもって くることができたなら生き返らせよう」と おっしゃったので、母親は 一所懸命に死人をだしたことのない家を探した。けれど、人が死んだことのない家は 一軒もなかった。 なん日もかけて家々を巡ることで、その母親は ようやく 自分の子供も しょうがないのだということを やっと理解した。という風な あらすじの話を聞いたことがあります。 この詩と 私の知っている話との違いは 病の子を治す妙薬を探す話ではなく、死人を再生させようとしている母親の話だということが 違います。 また、この詩ではハエがすでに死をおしえてくれていたことになっているのですが、 ハエは生きている人間にも たかることがあります。 日本でも 戦中戦後に多くの生きている人々の体に ウジがわきました。それでアメリカが大量に殺虫剤を噴霧したりしたようです。死人のほうが生きている人よりウジがおおくわくことはあるとはおもいますが、ウジは直接的には死を意味しないのではないでしょうか? そんなかんだの理由で どうも ふにおちませんでした。 わたしが不勉強のせいなのかもしれません。 失礼がありましたら、すみません。
0しつれいしました。生きている人々にわいたのは しらみでした。 詩作品を汚すようなコメントをつけてしまい もうしわけありませんでした。心よりお詫びいたします。
0るるりらさん、こんにちは。 そういえば昔聞いた話で、インドのマザー・テレサが開いた施設に行ったことのある人の話だったと思うのですが、生きている人の足が壊死しかけていて、そこに蛆が湧いていて消毒薬を浸していた、というのを聞いた覚えがあります。 となると、間違ってはいないのでは。 まあ、この作品の母親は、蠅に対してそう感じた、ということで。 それと、元の話とは自分がやりやすいよう好きに変えています。元の話に蠅うんぬんは一切ないですし。 出典によっても微妙に変わってきたりもしますし、あまり気にしないでいてくれたらなと。 自分のアレンジということで。
0つい よなかに ねぼけておりました。良い詩だと思います。しつれいしました。
0るるりらさん、再びこんにちは。 良い詩とはありがとうございます! 励みになります!
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