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虹よ
ちぎれた 火の粉を雫の中にやどした言葉たちを超えて鳥が謳う ほととぎすは 夜通し歌をもやし、カッコウは霧雨を もやし 溶接工は、鉄を燃やして繋ぎ合わせノアより巨船を創り アリアは、魂をすくいとり 天界に謳いあげ星を示す 四つの季節の花々は 透明な火を 発している 山を覆う その紫の霧の微細な火を 吸い 生まれたての双葉のように両手を広げ 翼の思いたけ 遥か彼方のあなた あなたの胸の内に ほむら立つ 夜の帳が落ち 空を赤く染め 褐色大地の鼓動が聞こえ 赤さ橙から黄色緑青紫 赤から多彩に変化し 赤よりも熱く静か あなたは 星々 橙黄緑青紫 黄緑青紫 緑青紫 青紫 泣いているあの娘に天井の一点を見つめている子に 紫 砂漠が隠している たったひとつの井戸を教えてあげて 一粒の涙の中にも 収斂する虹があることに 手を合わすよ
虹よ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1041.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-10-06
コメント日時 2018-10-17
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
視覚的効果だけではない良さをこの詩からは感じます。視覚的演出の部分は「翼」をイメージさせました。そして添えられている三節。特に「一粒の涙の中にも」から始まる最終節は、切実でまさに祈りにも似た姿を連想させます。綺麗な詩です。ありがとうございました。
0視覚的効果については、いつも実はコメントに悩むのです。鑑賞法が身についていない自分の不学のせいなのですが。きれいだなぁと思いました。なにか、視覚的効果なら、この辺りを読むとおすすめみたいなものに触れてみたいです。 詩の言葉は、虹が印象的なのですが、逆に色があまり連想されないのが印象的です。きっと僕が語らないもの、反対のものを意識するからなのですが、美しさの言葉に対して、砂漠がすごく心に残りました。
0●stereotype2085 様 この詩のようなものは、ビーレビのお祭りに寄せて詩を壁に掲示してくださるという呼びかけに応じて投稿させていただきました。実際の壁に貼られることを想定しましたので、 視覚的効果だけで、読まれもせず この詩が 佇んでいてくれたら それだけで私は幸せだったのです。 でも、視覚効果だけはない良さをこの詩からは感じていただけたのなら、そりぁ 作者冥利につきます。「一粒の涙の中にも」←わたし自身も ここが一番好きです。こちらこそ、ありがとうございます。
0●かるべまさひろ 様 ここだけの話。コメントがゼロでも 良いと思って投稿しました。なぜなら、ビーレビテンという おそらくとても刺激的であったであろうお祭りの壁に貼っていただきたくて投稿したのですから。コメントは期待していませんでした。 この詩の鑑賞なんて、「きれいだなぁと思いました。」←このような感想が、いちばん、ただしい鑑賞ですのに、おもいのほか とても深く読んでいただきました。 色があまり連想されないというご意見は、わたしにとって宝です。この詩から、砂漠を思ってくださったなんて、驚きです。あっ わたしの詩文にある【砂漠が隠している たったひとつの井戸】のせいですよね。あれあれ?砂漠の砂がざわわとレスポンスからあふれてくるようです。 実は、いただいたレスポンスを旅の空で閲覧しました。早朝にバスに乗車して、ぽんやりとした気分で車窓を眺めておりますと、私は 平野部に掛かる ほんとうのほんとうに虹を観ました。私の詩の゛虹゛は虹ではないというレスを、ほんものの゛虹゛をみながら 鑑賞させていただくという贅沢な時間は 奇跡そのものでした。 わたしがレスを拝読したときに実際に表れていた虹は、とても大きな景だったのですが、明るい空に浮いていた虹ではなく、曇天に浮かぶ曖昧な虹でした。 走行中なのでポイントが移動してますし、光の加減も刻々と変化するので ぼんやりと虹のような姿は現れたり消えたりするのです。 虹というものは、じっさいにも 虹に見えたり見えなかっりするものです。 だから、かるべまさひろ 様にとって この詩の姿が虹に見えなかったのなら、それは この詩が ほんとうのほんとうに虹だからかもしれないですよ。なんちゃってね。
0蛾兆ボルカ様 返信が遅れて申し訳ありません。じつは、寺山のその言葉が「ビブリア古書堂の事件簿」というラノベにおいてどのような引用効果がされているかが気になって 購入してしまいました。五巻を手に取ると巻末に引用箇所の列挙があり ずらりと寺山の名前があるので買いっ!とレジに走ってしまいました。 どんな鳥も、想像の翼より高くは飛べないだろう これ、↑素晴らしいです。私の拙詩には、鳥を登場させています。 「ほととぎすは 夜通し歌をもやし、カッコウは霧雨を もやし」 わたしは登山道入り口に住んでおりまして、まあほんとうにホトトギスは徹夜で歌うものですよ。霧の中のカッコウときたら萌えぇ~です。「溶接工は、鉄を燃やして」とつづけましたが、亡き父はかつて造船の溶接工でしたので、じっさいに鉄を燃やしてました。造船の町には近くに空港がありましたので、わたしの子供の頃は ぼんやりと船を観たり飛行機をみたりしていました。 鳥は血をにじむような進化の果てに飛行をてにいれています。人も血のにじむような努力のすえに思いをかなたに運びます。人は想像の翼を駆使して実際に船をつくり、飛行機をつくりもしてきた様子が、わたしを夢想家にしてくれました。 どんな鳥も、人間の空想の翼より高くは飛べないのは ほんとの話です。 しかし、いきものは素晴らしいです。生き物も生きている者も素晴らしい。 鳥よりもかなたに飛ぶのが人です。ですが、人は鳥よりも いつも着地に苦労している気がします。 人の行っていることのすべては まるで すぐに消えてしまう虹のように足場から不明瞭になる傾向がある気がします。 すべては うつろいやすい美です。 【どんな鳥も、想像の翼より高くは飛べないだろう】という寺山の言の葉は、 「ビブリア古書堂の事件簿」の中で どんなふうに飛行し着地しているのだろう。 どんな素敵が あるのだろう。わたしは、今 妄想がふくらんで わくわくしているところです。 それもこれも拙詩を読んでくださっただけでなく、「素敵な詩だなぁおいっ!」だなんて言ってくださったおかげです。 とても嬉しい。ありがとうございます。
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