ふるさと - B-REVIEW
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ふるさと    

ふるさとに 何を思うのか。 この場所が この土地が好き そう思うこともある。 この場所にとtに 好き好んでうまれた わけじゃない。 そう思うことも ある。 ふるさとという土地に 根を生やし 生きている。 遠くに住んだら 懐かしく思うだろうか そう思っている。


ふるさと ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 12
P V 数 : 1267.8
お気に入り数: 0
投票数   : 0
ポイント数 : 0

作成日時 2017-04-19
コメント日時 2017-05-21
項目全期間(2025/04/19現在)投稿後10日間
叙情性00
前衛性00
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エンタメ00
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閲覧指数:1267.8
2025/04/19 03時58分52秒現在
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    作品に書かれた推薦文

ふるさと コメントセクション

コメント数(12)
渡辺八畳
(2017-04-19)

「この場所にとtに」は打ち損じでしょうか

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加藤圭一郎( @tenku )
(2017-04-19)

はい。

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渡辺八畳
(2017-04-19)

修正版の文をコメントに書いてもらえますか

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加藤圭一郎( @tenku )
(2017-04-19)

ふるさとに 何を思うのか。 この場所が この土地が好き そう思うこともある。 この場所にこの土地に 好き好んでうまれた わけじゃない。 そう思うことも ある。 ふるさとという土地に 根を生やし 生きている。 遠くに住んだら 懐かしく思うだろうか そう思っている。

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加藤圭一郎( @tenku )
(2017-04-19)

>花緒 ありがとうございます。そうですね。

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渡辺八畳
(2017-04-20)

なんともコメントしずらいというのが正直なところだ。 花緒さんの言うよう、平易だし故に形は整っている。いや、整っているというより崩れようがない。活字化されていることと文が孕んでいる内容とが1:1すぎて、内容を膨らませ(所謂「行間」に詩情を含ませること)ようとしての失敗が起こりようがない。 シンプルすぎるから、読み手が勝手にそこに推測を加えることもできなくはない。例えば、これは室井犀星の「ふるさとは遠きにありて」(http://tad.world.coocan.jp/poems_1/poem_02.htm)のオマージュであるとか。しかし際限ないそういった推測をすべきなのだろうか、禅問答のようなそれをすべきなのだろうかとも思う。 ハンドルネームにもあるTwitterのアカウントを見させてもらいました。ワサラー団なんですね。そして、千早Pなんですね。 カオスラウンジにも足を運ばれているようで。そういった、オタクカルチャーに近しい人物にしてはあまりに素直な詩作品だなと思いました。貶す意思は全くありませんと申しておきます。ただ、正直素直すぎて読解の面白さは感じられないです。難解にすればいいってわけではない(むしろ私は無駄に難解な作品は良しとしません)ですが、一捻り二捻りのスパイスは欲しい所です。 文学極道という実質B-REVIEWの姉妹サイトに、Jupiterから来たンゴ氏の「雪と少女」という詩(http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=516;uniqid=20170203_684_9426p#20170203_684_9426p)が投稿されています。 実はこの詩は、アイマスの萩原雪歩好きの氏が、「アイマスの雪歩にケツ穴ほじほじしてほしい」(原文ママ)気持ちを詩にしたものです。 ケツ穴云々はまぁとりあえずとしても、ある種の二次創作として氏はこれを書き、そしてサイト内で月間佳作をもらいました。 媒体が何であろうと創作を行う際、その創作行動を起こさせる熱いパッションが不可欠でしょう。加藤さんはこの「ふるさと」や「連投」のような内容を、どこまで深く激しく感じて書いているのかなと気になりました。推測ですから必ずしも当たらないのを承知で書きますが、もしかして加藤さんは詩とはこういうものだという先入観の元でとりあえずきれいな語句きれいな内容で書いてみた、ということはないでしょうか。もしそうだとしたら、余程の技術を持っていない限り成功させるのは難しいかと思います。 私の提案として、例えば千早、またカオスラウンジのようなサブカルチャーの流れ、そういったものものと触れて感じた思いから詩を書くのはどうでしょう。素直な感性で書かれたものはきっと良い出来になるでしょう。そして振れ幅ができるので、その時こそ今回の詩のような方向性のものも客観的に見られて、そして上手く深く書けるようになるのではないかと思います。 (勿論個人的な提案なので必ずしも従う必要はありません) 以上、長々と書かせていただきました。

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三浦果実
(2017-04-20)

どんな詩を書こうとも、それは作者の自由である。どのように詩を読もうとも自由。それを場と時間が縛る。場と時間が制限を加える。特定の個人を罵る内容の作品は投稿掲示板にふさわしくない。時の権力を罵ることは問題ないかもしれない。しかし、権力側の方々には問題となるだろう。大震災が発生し、世間が大騒ぎしている時世には詩を投稿している場合じゃないだろうと、不快に思われるかもしれない。その、世間の眼を気にすることがそもそも人間として死んでると敢えて詩を投稿するものが正しかったりするかもしれない。時と場を越えて、自由に詩を書き投稿するとは、覚悟が少しいるんだ。人によっては、その覚悟を考えると眠れないかもしれない。その覚悟が伝わらなかったり、誤解を受けてしまうかもしれない。もしかしたら、時と場なんて意味がわからず投稿したら、投稿禁止になってしまったりするかもしれない。でも、覚悟したんだから、それはそれでいいじゃない。 本作『ふるさと』はシンプルで平易な言葉であり、素直に書かれた作品なのだと思う。『そう思うこともある。』『根をはやし生きている。』この置かれた二つの言葉のうち、どちらかを「そう思う。」か「生きる。」という断言とすれば、そこに覚悟という詩情が生まれないだろか。しかし、そう思うのも私の感性でしかないが、敢えて断言します。詩情が生まれます。 加藤さん、初投稿有難う御座います。

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加藤圭一郎( @tenku )
(2017-04-21)

祝儀敷さん >正直素直すぎて読解の面白さは感じられないです。難解にすればいいってわけではないですが、一捻り二捻りのスパイスは欲しい所です。 素直さは性格から来るところもあるので、率直な鋭さなど狙うべきかもしれませんね。 >創作行動を起こさせる熱いパッションが不可欠 思い返していると、たしかにこれを書いている時はパッションが不足していたと思います。 「パッション」を入れすぎると、サブカル的な意味で「中二病」ぽくなるので、それで破棄した作品がある(駄作も含めて大量に破棄してしましました。今考えるともったいないですが)ので、あえて避けてしまったというところは私内部であったかもしれません。 この返信を書いている時のほうがよほどパッションがあるようにも思います(詩を書くモチベーションに承認欲求的なものもあるので他者の存在は大事なのだと思います)。また、これらの作品を書いた時不調な感じもありました。 >私の提案として、例えば千早、またカオスラウンジのようなサブカルチャーの流れ、そういったものものと触れて感じた思いから詩を書くのはどうでしょう。素直な感性で書かれたものはきっと良い出来になるでしょう。そして振れ幅ができるので、その時こそ今回の詩のような方向性のものも客観的に見られて、そして上手く深く書けるようになるのではないかと思います。 試してみようかと思います。

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加藤圭一郎( @tenku )
(2017-04-21)

>どんな詩を書こうとも、それは作者の自由である。どのように詩を読もうとも自由。それを場と時間が縛る。場と時間が制限を加える。特定の個人を罵る内容の作品は投稿掲示板にふさわしくない。 そうですね。投稿掲示板よりブログの方が自由はあります。ただ、人間関係や知名度によっては公開されていても他者不在になりえます。 >時の権力を罵ることは問題ないかもしれない。しかし、権力側の方々には問題となるだろう。 詩人によっては権威主義であり、また、ある詩人は反権威主義、反権力であろうと思います。権威や権力は打ち倒されるべき存在でもあると思います。 >大震災が発生し、世間が大騒ぎしている時世には詩を投稿している場合じゃないだろうと、不快に思われるかもしれない。 大地震が起こっている時も、ミサイルが落ちようとも、戦争が起ころうとも、世界大戦が起ころうとも、あるいは富士山が噴火しようとも、詩人というのは詩を書くことが正しいと思っています。 >その、世間の眼を気にすることがそもそも人間として死んでると敢えて詩を投稿するものが正しかったりするかもしれない。 確かに、他者に評されることで、人間として、詩人としての情熱や生きがいといったものを取り戻せるのかもしれません。 >時と場を越えて、自由に詩を書き投稿するとは、覚悟が少しいるんだ。人によっては、その覚悟を考えると眠れないかもしれない。その覚悟が伝わらなかったり、誤解を受けてしまうかもしれない。もしかしたら、時と場なんて意味がわからず投稿したら、投稿禁止になってしまったりするかもしれない。でも、覚悟したんだから、それはそれでいいじゃない。 そのとおりですね。眠れなかったり、誤解を恐れたりするのは、どちらかというと繊細な詩人ですね。確かにそれでいいのだと思います。 >本作『ふるさと』はシンプルで平易な言葉であり、素直に書かれた作品なのだと思う。『そう思うこともある。』『根をはやし生きている。』この置かれた二つの言葉のうち、どちらかを「そう思う。」か「生きる。」という断言とすれば、そこに覚悟という詩情が生まれないだろか。しかし、そう思うのも私の感性でしかないが、敢えて断言します。詩情が生まれます。 その変化を取り入れたほうが詩情が生まれる。指摘されて私もそう思います。 >加藤さん、初投稿有難う御座います。 こちらこそ。このような場に投稿するきっかけを作って下さり、ありがとうございます。

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百均
(2017-05-05)

 割と皆思う事なんじゃないかなぁ、、、という点で考えると、的は突いている。と思います。ただ、「皆これぐらいは普通に思うよね」という感じが強いし、そういう意味では無価値かなとも思います。このままだと単なるボヤキっていう感じすかね。

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加藤圭一郎( @tenku )
(2017-05-21)

hyakkinn コメントありがとうございます。 コメント見逃していました。 「割と皆思う事なんじゃないかなぁ」というのは私としては継承された再現性であるということなんですよね。 そこから導くと、「皆これぐらいは普通に思うよね」というのは的を突いた指摘だと思います。 「ふるさと」や、例えば「夕日が綺麗」などは、「共感性」に表現を持っていけると思います。 >無価値 詩歌界隈は詩を書くこと事体に対して、もっと価値を置いたほうがいいと考えています。 無価値の判断基準は人それぞれでゲームに価値が無いという人もいれば、無いという人もいます。 ソーシャルゲームなどはどんなものでも価値を持たせようとしてるように思えて、 詩歌界隈って変なこだわりがあるように思えるんですよね。 別の視点から芸術的といういだけではなく、文化的なことでもあるので、書かれることそのものに意味があると思います。 LINEというのはよく使われるアプリケーションですが、そのやりとりしていることは他人にとって無価値だったりします(内容のないようなコミュニケーションでもコミュニケーションとして価値はあると思いますが)。 ただ、そういった無価値(に思えることの)の集積が「時代性」を生み出したりすることもあるので、難しいですね。

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加藤圭一郎( @tenku )
(2017-05-21)

書きそびれたことがあります。「共感性」に持っていけなかったというのは作者としての落ち度であると思います。

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