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ちょうりょく
ぼくは人より、耳が聞こえ、ない?んです から、近くに来て、話をしてください 代わりに、ぼくが話します このくぐもった声で 今日も学校を休んで 耳鼻科に通う 人より 耳が聞こえない、から 「しかたがないでしょ、生まれつきだから」 (いつもと違う病院、不意に入れられた胃カメラに耐えられなくて、幼い手で、必死に、必死に口から引っこ抜いた。帰宅後、母は、ぼくをめがけてテレビのリモコンを投げてきて、頭にあたった。これで2回目だ、頭から流血したのは。また、病院に、行くことになった) あーあー、ぼくは、ひとより、みみが、きこえません?から (ひとより?みみが?きこえない?どうして?そうなった?よりも?どうして?それだと?いえる? 耳にどうやって麻酔をかけるか、知ってますか? 頭を机につけて、横を向きます 耳に、薬を入れられます その姿勢のまま、15分ほど待ちます そうしたら、薬を抜きます 完成です その後、耳に、機械が近づきます (けたたましい、非常にけたたましい音だけが耳に響く、あれは、耳を工事する、音だ ねえ、ぼくは、どうして、ひとより、みみが、きこえない、の?ねえ 「滲出性中耳炎」 (とは、ぼくにとって、終わりのない耳鼻科通い、でした 「あの時、通っていた耳鼻科は、廃院になりました。なぜなら、医師が病気がちだったからです。幼いときは知らなかったのですが、予約をしてから行ったのに、医師が体調不良のため、なくなく帰宅することが何回もあったと、さきほど母から聞きました。 耳鼻科が終わると 薬局に行きます そこの薬剤師が 中学時代の母の先輩でした 母にとっては憧れの先輩も 時が経つと、ただのおっさんです でも 売り物にあった清涼飲料水を おまけでもらったのですから、 いい人、であることはわかりました (いい、人?ぼくは、人より、みみが、きこえま、せん? 大人になったぼくは やはり人より耳がきこえません?から 話が聞き取りづらいのです だから、近づいて、ください でなければ、あなた、に、近づきます そして、 ぼくが、人より、耳が聞こえない ということを証して欲しいのです でも、 この聞こえない?耳で あなたの話を 必死に、必死に聞きます、ね
ちょうりょく ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2370.6
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 13
作成日時 2018-07-26
コメント日時 2018-08-14
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 5 | 5 |
音韻 | 5 | 5 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 13 | 13 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 5 | 5 |
音韻 | 5 | 5 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 13 | 13 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
文字の配置に、勝手ながらものすごく親近感を覚えました。 まったくこことは関係のないところで言われたことがあるのですが、自分の思考や思考になる前のものを垂れ流されてもしょうがない、といったこと。 僕は些か反感を覚えながらも、同感もあり。 この、計算?された心の声というのは詩の好きなかたちの一つです。
0生まれつき人より耳が聞こえない、ならば他の人が実際どれだけ聞こえているかもわからないし、自分が人よりも耳が聞こえないかどうかもわからない、そんなこと思ってみたこともありませんでした。 最初に1連目を読んだとき、自分は耳が新幹線に乗ったときの感じで、喋った時の、自分の声が骨に響くような感じがする感覚を想起しました。 それから<ぼく>の話しがはじまりますが、どこか少し逸れているような、<幼い時の病院にまつわる話>への回収がもたらすぼんやり感が、想起した耳のくぐもった感覚や、生まれつき人より、耳が聞こえ、ない?というよくわからない不安感と、妙に合わさっていると感じました。
0花緒さん 詩の批評に、「文章」という語が適しているのか、それについて疑問を呈したいです。 おそらく、これは耳と声≒語りを意識というか、それを主題にした作品であって、僕らの日常会話ですら、不要な音(えーっと・あ・あー等)が入っているはずであり、人により、呼吸≒息が合間合間に入るはずです。 それは花緒さんの御作と大きく違う「語り」そのものではなく、「語りの表象」とでもいうのでしょうか、詩は常に整然とされた文章である必要があるのか、という疑問から発して、そもそも詩に「文章」という語が適しているのか、という疑問に繋がります。 かと言って、詩は「声」である必要はあるのかと言えば、それはそれで必ずしもそうではない、ということではありますが、最近の僕のテーマだったり、何よりこの作品の主題と併せて、「声」に対してのこだわりがあります。 コミュニケーションの問題と言えば、それっぽいですが、クオリアというか、感覚、簡単に言えば、痛みは共有できるのか、ということになります。 それと同様に、至極簡単な疑問として、僕の耳が悪いということは他人と比べて判明できるものであるのか、何を基準にして悪いと言えるのか、というものがありました。 かるべまさひろさん 「心の声」とありますが、現場/声が発せられる場所、言わば、日常会話というのは、その時その場所でしかなく、それを文字にするという行為は記憶と同様、ほぼ歪曲させられて描かれるので、「計算された」というのは、声を文字にした時点で必ず起こり得ることなのでしょう。 それでも、より声が発せられる現場に近づけたく、意識して書いたのは間違いありません。 「自分の思考」というのは、原因と結果が結びつけられたものとして保管されますが、むしろ、そこに行くまでのプロセスが人によって異なるということが、自然科学/人文科学の違いなのではないでしょうか。だからこそ、そのプロセスを描くべきなのだと、ディルタイの思想を学んでからはそう思えるようになりました。 グーグルグル夫さん 聴力って不思議ではないですか?と、本当に単純な疑問であり、かつ、僕にとって重要なテーマを扱ったものになります。 新幹線や標高があがった時のあの感覚はおそらく誰しもが体験し得る身近な出来事であるはずなのに、僕もそのことは忘れていました。 全ては疑問から始まり、その疑問に対する答えはいまだにわからないのですが、答えがなくとも、その疑問に付き合っていくと見えてくるものがある、とそれっぽくまとめましたが、このことが大事なんだと気づかされました、ありがとうございます。
0息子と娘がある家の前を通るたびに「キーン」という音が聞こえる、といい・・・私には聞こえないのですね。 気になっていたら、猫よけの超音波(高周波?)を出す機械が、玄関先に設置されていた家だったのでした。 息子と娘、は、猫の比喩、ではなく、文字通りの人間の息子と娘、なのですが・・・猫に近いのかもしれない。 私には見えるのに、他の子には見えない色があって、焦ったこともありました。 中学の時の文化祭の準備中、模造紙の上の「黄緑の消しゴム取って」と言ったのに 「どれ?そんな色の、無いよ?」と言われてしまい・・・ 私が這いずって手に取ったのは「それは、オフホワイトだよ」という消しゴムでした。 手に取るとオフホワイトなのに、紙の上に置くと黄緑。 科学の先生に聞いてみたら、蛍光灯の光と、模造紙の中の蛍光増白剤とが、 消しゴムの微妙な黄色みにかぶって黄緑に見せているのだろう、とのこと。 色を、その色に見せる、って、なんだろう。以来、ずっと、考えています。 美術史の「ディスクリプション」という授業で、一枚の絵の枢機卿のガウンの色を説明するのに ある人はワイン色といい、ある人はカーマインレッドといい、ある人は象徴的歴史的色彩性をコンコンと説き始める。 歴史的、物語的意味合いを担う色もある、ということ。 見える/聞こえる/魅せる/効かせる って、なんだろうな、とか。 鼓膜が腫れあがってガンガン頭痛がして、医者に行ったら鼓膜の向こうに腫瘍があるかもしれないからCTスキャンを撮る、と言われて、ガンガン痛む頭を抱えて別の耳鼻科に行ってみたら、首をかしげながらとりあえず試してみよう、と茶色い液体を流し込まれて、これで収まらなかったらまたおいで、と帰されました。その日の夜には痛みが治まり、翌日報告に行ったら、やっぱり、亀の甲より年の功だな、入れたの、イソジンだよ、うがい薬、と言われて絶句。よくよく調査したら、羽虫が耳に入り込んで、鼓膜のそばで死んで腐ってカビていたのでした。それと関係するのかしないのか分かりませんが、今でもストレスがたまると滲出性外耳炎になります。綿棒で副腎皮質ホルモン系の薬をちょびちょびと塗り込みます。 ・・・というような思い出を、想い出しました。(これは、即興詩、なのかな、即興コメント、なのかな)
0まりもさん お話、って、自ら作り出すのは難しくて、聴いたことで、喚起されるものがあったりしますよね。 職場でも雑談が多く、誰かの話を皮切りに、次々と連鎖していって、最終的に「何でこの話になったんだっけ」と最近ではよくあります。 今はもっぱら、僕がちょっとしたミスをすると「千疋屋のサトウニシキ、バナナ、桃、マンゴーをプレゼントする」というネタがあるのですが、このネタが出ると上司とともに「何で千疋屋の話が出たんだっけ」と確認しても、遡れなくなっています。 そのようにして、僕の作品を読んで、喚起されたまりもさんの話というのは、作品の効力として僕は嬉しくなったりしています。 色の話は小難しく言えば、クオリアの話になりますが、そのような概念的なものではなく、具体的な消しゴムの色の話は、なんだか温かみのある話でした。 人それぞれ、どこかしら体に異常を感じた時、日常的に付き合っているものは意識しないですが、その日常が崩れる瞬間、それこそがまさに詩的、というか、発見というか、生きることを考えさせられる瞬間だったりします。 僕は、母親から「お前はわたしと似て、耳の構造が少しおかしい」と過去に言われたことがずっと耳にへばりついていて、それでも、僕にとっての日常だから、あまり意識はしないのですが、そのように言われた意味をいまだに考え続けています。
0せ、ん、び、き、屋か〜!!!って思いました。 詩と関係ないこと言ってすみません。
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