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牛と猫
子供が居なくて死ぬ毛があった 連れは尻を隠して寝ている 尻の目は気にしない ルーツだけを気にして居眠りする連れ ミャーミャーミャーミャー猫が鳴いて居た ミャーミャーミャーミャー猫が草原で 小用を足して居て共鳴する連れを呼んで居る 空には牛が浮かんで草を食べている 仁に近い連れは道連れにはできない 自死よおまえも近付くな 私は多神教に入る 迷いなく連れを護るため リメークドラマを見ながら 連れの尻の目が消えるの夢想して居る 私用で外出した私の不安が高まる クーラーは全開に風車を回しながら 連れを呼ぶ猫の声 空では牛が草を食んで居た 業を抱えて私は劣等感にさいなまれた
牛と猫 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1134.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-07-19
コメント日時 2018-07-23
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
自由奔放に「ぶっ飛んで」いくスタイル、のようなイメージがあったのですが、この作品は寝入りばなの夢想と現実がせめぎ合っているような感覚があり、話者が居る場所からさまよい出てはまたそこに戻ってくるような、回帰するイメージもあって、すっと胸に入ってきました。 毛・・・という言葉、それだけで不思議とエロティックな響きを醸し出すわけですが・・・那珂太郎の詩を思い出したりもしつつ・・・連れ合いの尻、これはシリと読むのか、ケツと読むのか(毛、を響かせながら)、なんてことも、ちょっと思ったりしつつ・・・ 猫の恋とその啼き交わしが連れ出す夢想の世界と、死(あの世、異界、夢想の現れ出る場所)が思いのほか近接していること、そこに引き込まれそうになるタナトスとエロスとがまた、せめぎ合っていること・・・そんな切り離せないけれども、傾きによって色が変わるような心の両極の在り様を、空で牛が草を食む、という妙にクッキリとイメージの浮かぶ夢幻世界と、現実界(猫が家の外で鳴いている/死んだように眠っている連れ合い/死へと傾きかける気持ちを持て余しているような自分・・・)の気配を並列させて描いているところが面白かったです。
0たしかにすごく現実感を与えられました。 すごく好きです。
0まりもさんコメントを有難う御座います。毛はハングル語で「け」の発音が犬とか、母音の「え」の発音が豊かな言語なので、ちょっと同音異義語の発想は憚られるのですが、それでも「け」の音で犬を想起しますね。文字通り「毛」から毛沢東とか。ちょっとした外部ですが、イメージを広げたいといつも思います。那珂太郎の詩ですか。調べて見ようと思います。連れ合いの尻は「しり」ですね。「しり」をイメージしました。 そうですね、猫の恋、これは春の季語ですが、詩の世界をも想起させる威力が、おそらくはこの詩の「自死」などの表現から、あるのかもしれません。タナトスとエロスは言い出したら切りがないほど、内容が多いのかもしれませんが、せめぎ合っている両者、二項のせめぎ合いなど。傾きによって変わる色が変わる心のありようなど。夢幻世界と現実界もせめぎ合いがあるのかもしれませんが、確かに、死んだように眠って居る連れ合いと取れますね、「自死」の言葉がいろいろな解釈をせめぎ合わせて居るのかもしれません。並列による妙も意図した部分や意図せざる効果があると自分でも再読して見て思いました。
0かるべまさひろさんコメントを有難う御座います。ああ、現実感ですか。確かに事実は下敷きにしました。ちょっと猫のエピソードはあからさまだったかもしれませんが、「連れ」と混ぜ合わせる様な感覚で紛らわせればと思いました。空の牛は何か自作じゃない詩でモデルがあるような感じでした。自分でも時間の経過とともに、開示される謎があってもいいと言う感じでした、記憶のミステリーですね。
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