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(後編) 捨てる/捨てられる
真理はベランダでたばこを吸っていた。俺は自分が怒りたいのか謝りたいのかわからなくて途方に暮れてカーテン越しに真理の前に立った。 「引越しの準備が終わったら鍵、置いて行ってくれよ。お幸せにな」 真理は無感情にそう言っただけだった。俺はその一言で頭に血が上ってしまった。 「なんで何にも言わねぇんだ、お前いつまでそんなロボットごっこしてんだよ!むかつくならむかつくって言えよ!!」 「五月蠅い。近所迷惑だ」 真理はそう言って俺を冷たい目で見据えた。俺はこんな時にまで平静な真理がゆるせなくてベランダへ入り、真理の足元にあった薔薇の鉢植えを持ち上げ床にたたきつけた。こうすれば真理が反論するなり感情を見せるなりすると思ったからだ。 しかし真理はそんな俺を鼻で笑っただけだった。俺は言葉を失った。そして頭が急速に冷めていくのを感じた。自分のしたことの最低さを思い知ったのだ。 「おまえも俺も腑抜けだよ」 「そうだな」 俺は背中で真理が俺の言葉に同意するのを聞いて、黙ってベランダから出た。引っ越しの準備なんて真理は言ったけれど、俺が彼の留守の間にそう言ったことをすべて終わらせていたのを知っていて言ったのだろう。どこまでも無関心無感情な男だった。俺は自分の部屋だった場所からまとめてあった荷物をつかんだ。そして合鍵をテーブルに置いて「じゃあな」と言って真理の部屋を出た。玄関は大きな音を立てて閉まった。 ○ ひどい音がして玄関のドアが閉まった。僕はまた捨てられたのかもしれない、ぼんやりとそう感じた。けれど、いや僕が捨てたのだと思い直して僕は自分の心の平安を保った。別に総は恋人でも何でもなかったが、僕にとって大切な人間のはずだったのに。そう思えば思うほど僕の中で彼が価値を失くしていく。そのことがこわくて僕は彼について考えるのをやめた。そして、母親について考えることにした。 母さんあなたは僕といて幸せだったのか。それとも、僕といるのが辛くて苦しくて憎いからあなたはどこかに消えていったのか。だからあなたは僕に手紙しか寄越さないのか、あの他人行儀な文字の羅列。そこに愛を見出すべきなのだろうか、それとも別の何かを見出すべきなのだろうか。愛を、憎しみを、あるいは無感情を見つけて僕はそれを喜んだり悲しんだりするべきなのにそう出来ない。そうすべきだ、と僕は何でも義務にしてしまう。人を愛することも、薔薇を育てることも、総との暮らしも何もかもすべて。僕はあなたのようになりたいと思っているのにそう思えば思うほどあなたから遠ざかっていくのだった。あなたのように明るくて優しくて強くて、それでいて子どものような人間になりたいのに。僕は彼があなたに似ているから総と暮らしていたのに。僕はあなたに強烈に憧れ、それでいて激しく憎んでいる。あなたが僕を捨てたから。僕はあなたに捨てられたから。僕があなたにとっての一番でなかったから。僕が一番になれなかったから。それでも僕はあなたからの手紙を一通たりとも捨てることが出来ない。 僕は総の言ったとおりの腑抜けだった。もう21歳にもなってまだ母親に捨てられた自分の価値とその母親のことばかり考えている。 自分がたった一つの価値もなく、意味もなく、理由もなくこの世界に存在している気がして僕は恐ろしくなる。だから僕は総と暮らすことに決めたのだ。知らない人や物ばかりで作られた世界に一人だと母さんに捨てられたことばかりを思い出してしまうから。自分が独りぼっちなのだと嫌でも思い知らされてしまうから。総がいれば、誰かが僕を見てくれていればこんな僕も価値や意味、理由を持つことが出来ると思ったから。だから総は僕にとって大切だった、価値があった。 『私を承認の道具にするのはやめて、あなた本当は私を好きじゃないでしょう』 いつか昔の恋人にこう言われたことがあった。僕は違うと言いたかったが、そう言えなかった。しかしそう言って去っていった彼女の後を追わなかった時点で僕は彼女のことを好きでなかったのかもしれない。僕には自分の感情と言うものが分からないので、好きでなかったのかもしれないとしか言えない。僕はたくさんの言葉を知っているが、その言葉は勉学の場でしか生きない。誰かに自分の想いを伝えるための言葉を僕は持たない。だから彼女の後を追えないし、総の言葉に反論することも出来なかった。僕はまさしく総の言うように腑抜けだった。 腑抜けの僕は新しい煙草に火をつけ、そして足元に崩れた薔薇たちを見た。 「おまえたちは僕と同じだな」 僕は煙を吐きながらそう言った。美しかったはずの薔薇は土を被り、今朝見たのとは全く違うもののように思われた。 「おまえらが醜いのは、捨てられたからだよ」 僕はそう言って薔薇を踏みつけた。この薔薇も、それを踏みつけた自分自身もひどく醜悪なもののように思えた。もう僕はこの薔薇を捨ててしまえるだろう。そして総は二度とここには来ない。薔薇も、総も、僕が捨てたのだ。僕が捨てられたのではない。 「・・・母さんからの手紙も捨てよう」 そう呟いたとき、僕は今までに感じたことのないような高揚感のようなものをどこかで感じ始めていた。煙草の火で薔薇の花びらを燃やしながら、僕は静かに笑った。その時初めて僕は愛とか憎しみだとかそういうものに触れることが出来たような気がした。
(後編) 捨てる/捨てられる ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 856.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-06-12
コメント日時 2018-07-13
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ツイッターと連携したため名前が違っていますが硝子です。
0まず、申し訳ありません。「真理」と「真里」の誤字でしょうか。誤字ではないかもしれないと思って読まねばと一度思索しなければいけないところが、個人校正の仕様になるのが、個人投稿ネット詩、個人同人誌のデメリットかもしれません。一度査読する手軽なシステムがあればよいのかもしれませんが、一読者としては承知の上で読んでいて、突っ込むか突っ込まないかも都度考えるのですが、この「真理」か「真里」かは重要でしたので突っ込ませていただきました。 なぜならシンプルに「真理」が真実の理=しんりと読めちゃうからなんですね。純粋にルビを振る機能はない場合でございますので、それを楽しむためにも。 なので、一応、「真理」=まりと読むとして読者が判断しないとならない過程があまり惹かれなくなってしまいましたので、ちょっと重要な箇所での表記の不統一かと思われました。(いっそ、しんりと読みたいのですね本音では) (あと段落の一字空け、「齧る/かじる」などもありますが……校正してみたくなります対話しながら) 以上が、いったん細かい話です。 そしてまず、どなたでも感じる点が、「短編小説」と「詩」のことだと思います。 僕は省略して、結論は「詩」だと思いました。 ただ、「小説」としても読めるというつくりではあると思います。 加えて、ただ、「小説」として読むと(僕が同性愛者かつ腐男子という面もありまして男性同士の関係性の逸話として捉えたときの経験と読書量から)いくらか内容が陳腐に思えてしまうのです。 なので詩として”読まねば”膨らまないという点があって、詩として読む、というのがまず最初に来る感想でした。 詩として読むと、言葉であぶり出そうとしているところは非常に淡くて曖昧で濁っている人の感情や機能の部分で、そこへ言葉で迫ろうという姿勢はすごく好きでした。 安直な感想としては、「真理」くんの最終連が「総」くん的な書きぶりと違いがあまりなくて、勘違いさせるほどの効果もないので、そこがもったいないかなぁと思いました。一層、ロボットだったと判明した方が泣けちゃうし、人間を抉れそうです。質的に似た文体を用いるのなら、どちらも人間である切なさをもっと攻めないといけないのかなぁ、と感じました。人間ってもっとえぐいです。 とても文章はきれいにわかりやすく構成できる力をお持ちなので(どれも適量で、意味内容が汲み取りやすく、読みやすいのです)、描く着目点や、誰も暴いていない人間関係を晒して欲しくなりました。 読みやすさやわかりやすさを描くとなると上には上が居過ぎるので、反対に、一層もっと奇天烈な人間関係や微妙な感情についてもこの書き筋なら惹き込む力があると感じました。
0かるべまさひろさま まず、名前の誤字に関しましては読む際にご不便をお掛けしました。 そして、短編小説でなく詩として読んでくださったというご意見が、わたしにとっては新鮮なものでした。たしかに仰る通り、小説としては陳腐で膨らみに欠けていると思います。でも詩としての強度も弱いので、どっちつかずの作品になってしまったなあと反省です。かるべさんが仰る通り、人間はもっとえぐいものですね。そこを書けるようになりたいです。ほんとに。 丁寧なコメントありがとうございました。
0短編であるがゆえに、具体的なエピソードの羅列や回想という手法が取れない・・・がゆえの、観念的なまとめ、という事になっていくのだとは思いますが・・・。三人の複雑な人間関係や、過去の確執、恋人たち(去っていった人たち)との関係性を描き込むには、短編という器は狭すぎるような気がします。むしろ、写実的、具体的な回想を織り込んで、中編小説のような形に膨らませる&短編として繋げていくような形をとり、たとえば薔薇の鉢を壊す一場面を中心に置いて、断片的な(薔薇を巡る)回想を呼び寄せていく、というような書き方もあるかもしれない(ミュージシャンのプロモーションビデオのような、コラージュ的な映像のイメージ)と思いました。
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