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お星さま
星が見えないと思えることは なんと素直な心だろう この昼間 この空の下
お星さま ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 854.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-06-07
コメント日時 2018-06-20
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「虚ろ」とは別作品です
0見えなくても、あるんだよ・・・ このフレーズを、いわば反転させた作品ということになるのでしょうけれども、金子みすず的な物の見方、感じ方こそ素晴らしい・・・というような、ある種の圧力を感じることもあるので、いやいや、そう思えること自体が、なんと素直なんだろう、というスタンスに、魅力を感じました。 私は、素直、というフレーズに、本当にそれでいいの?もっと疑問を持ったり、反発したりしたいよ、私は・・・という、反語的な意味合いというのか、反発心を読み取れるように思ったのですが、作者がこの「素直」を、ストレートな意味で使ったのか、シニカルな皮肉、ある種の批評性を込めて使ったのか、この短さでは、いまひとつ踏み込めないところがあります。 私なりの解釈ですが、素直、という言葉に批評性を見るとき、この作品は鋭さを持ったものとして見えてくるように思いました。
0まりもさん いやあ、まりもさんのコメントを読んで本当にこの詩を書いてよかったと思いました。 真意を分かってくれる人がいるという安堵と感激で、孤独が癒されました。 と言いますのも、私は「虚ろ」という作品も連続して投稿していて、その内容は「お星さま」と全く同じであり、そのことについて指摘を受けたんです。 「虚ろ」のコメント欄で、この2篇について弁明しています。 この2篇がどうして別物なのか、どういう意図でそのように投稿したのか、きっちり説明しましたので是非読んでいただきたいです。 (長いのでお手間をおかけしますが…) http://breview.main.jp/keijiban/?id=1872 まりもさんのコメントで嬉しかったのは、「素直」という言葉を拾い上げてくれた点です。 そして、「この言葉をストレートな意味で使ったのか、シニカルな皮肉で言ったのかというところで今一つ踏み込めない」と言ってくださっている。 この評価が本当に嬉しい。 「うらやましく思う」ということをどちらの意味で捉えるのか。 私は言葉の意味というものをどうしても疑ってしまうんです。 「本当にそう捉えていいのか?見たまま聞いたままを信じていいのか?真逆からみたら全く意味合いが変わるかもしれないのに、どうして人は確信をもって前に進めるんだろう。いや、確信というしっかりした意志というものはみんな持ってないのかもしれないが、ある一方を「善」とする根拠はどこにあるのだろう。」 そういうことを考えて、右往左往してしまいます。 それをこの2篇で、萩原朔太郎の言う「蕪村と芭蕉のそれぞれのポエジーである『若さ』と『老い』の対立」において『対蹠的』に表現したかったんです。 私がまりもさんのためにハッキリと断言できるのは、この2篇は確実に「自分の胸から出た言葉である」ということです。 つまり「ストレートとシニカル」、どちらも「素直に出た気持ち」なんです。 これは人間の内面をよくよく観察すれば、この2つが共存し、衝突し、反発しあうことは決して有り得ないことではない、いやむしろ当然だと私は思います。 まりもさんのような方にこの詩を読んでいただいて幸せです。 もし「虚ろ」のコメントを読んでいただいた上で、まりもさんが「この2つの投稿は詩という活動においてはタブーであり、弁明は詭弁でしょう」と仰るなら、私は素直にその言葉を受け取ります。 それくらい、まりもさんのこのコメントは私の真意を汲んでくれていると感じますし、その上でそう仰ってくださるなら私としては反論する余地がないからです。 本当に救われました。 ありがとうございました。
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