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百均〈2018年4月選評〉
○maeoki 社会人になって一ヶ月経ち、その中で割と充実した感情を獲得してしまった僕にとって、それまでの僕の心の支えであった文学や音楽は少しだけ影を潜めてしまった。僕が文学や音楽やアニメに心を浸すのは、はっきり言ってしまえば生きる時間を如何にごまかすかという事に尽きる。僕は今生きているという事を決して考えない事。考えてしまったら、その先には「なぜ僕は生きているのか」という途方もない比較が始まってしまうからで、その比較の先には何もないからだ。考えない為の癒やしとしての文学があり、詩があった。ボロボロのXPを起動させて家族から逃れる為に家の片隅でオナニーしながら眺めるディスプレイの先にある文字列達を読んで一喜一憂しながら、それらを日々の糧としながら生きていた高校三年の冬を思い出すと、あの日々にはもう二度と戻りたくない。 そこから僕と詩との関わりが始まり、気がついたらもう5年以上はネットの掲示板でもがいてきた。その中で、正直僕からどんどん詩が離れていくような感じがする。主に東京で働き始めてからそうだ。どんどん詩と僕の間に溝が出来てきているように思う。 その中で、でもまだ詩を偶に思い出すように読み始める時がある。毎日朝の8時半に家を出てから夜の8過ぎに家に帰ってくるまでの間、スマートフォンの中に詰まっているあらゆる娯楽では満たせない何かがある時、ふとbreviewを開いて見るときが、一ヶ月の間に5回程あった。その中で心に入ってきた作品を今回は取り上げる。 僕にとっての詩は、生存に必要な食料に近い。残念な事に、僕は詩を消費する。こういう事を認めたくなくてもがいた5年間だったが、本質が衣食住からやはり離れる事は出来ないように、僕とっての詩もまた、今の所はそこら辺に巣食っているようだ。 ●大賞候補 たまご かおり「スパンコールのひざ当て、の話。」 http://breview.main.jp/keijiban/?id=1678 一回読んだ時に、ああ、いいなと思った。一番心に入ってきたから。 帰りの電車の中で、とてもスクロールのめんどくさい、見にくいスマートフォンの中で僕の感情があふれ出したあの瞬間は忘れられないだろう。 今月一瞬生きる事を忘れられたのは今月、本作を読んだ瞬間だけだった。 そして、 どうでもいい事だけど、書いた人にあってみたいなと思った。 ●優良 白犬「a lie」 http://breview.main.jp/keijiban/?id=1646 白犬さんの作品を読んでいて、一番ぞわっとしたかもしれない。フレーズの切れ味というよりは神聖さがエグいですね。頭の中に何を飼ってるんだろうな。大賞候補でした。 shiki「オリエンテーション」 http://breview.main.jp/keijiban/?id=1570 二人称の語りかけから >あなたの定位は失敗に終わる/せめて東を向いた向日葵を思い、夏に備える/テーブルの下の足はすでに乾いた流木となった 最後の終わり方が本当によかった。流木の詩は今月、、、多分二編あって僕はどっちも選んでしまったので、感じ方を比べてもいいし、別に別個に感じながらでもいいのですが、僕は選んでしまった。という事で許して下さい。 静かな視界「流木」 http://breview.main.jp/keijiban/?id=1621 間違いなく僕には書けない。というのは技術の話ではなくて、多分僕が書いたところで嘘の情景になってしまうだろうと、思わされる程に、この詩を読んでいるとそこにいるような気がしてしまう。つまり、僕は今この詩を読んでいる電車や家の中にいないのだ。それは凄い事だと思う。 ●推薦 タムラアスカ「梅田」 http://breview.main.jp/keijiban/?id=1628 滅茶苦茶いい。フレーズがもの凄くいい。始まりから終わりまで余すことなくメロディアス。でもタイトルが地名で、ド直球なのがいい。 >凱旋門はいつも機嫌がいい/ささやくような声で歴史って言うのかわいい 今月一番始まったと感じた。この「感じた」はなんとも至上な感覚だ。僕は今読んでいると思えるので楽しい。 原口昇平「「ふたたび殺戮の時代」のためのスケッチ 」 http://breview.main.jp/keijiban/?id=1582 正直、最初読んだ時は大賞はこれしかないだろうと思わされるくらい感情を揺さぶられた。どちらかというと嫌悪に近い感情だったと思うが、好き嫌いの幅は何かを鑑賞する時にそこまで問題じゃないというのは、共通理解の根底にはあると思うので単純な感情ではなかったことをここで表明しておきたい。(感情を揺さぶられ、価値観をブラブラにされることに、作品鑑賞の醍醐味の一つがあるのだから、それらの感情も基本的には歓迎すべきであろうからだ。無論、だからといってそれらを理由になんでも受け入れていたら疲れて死んでしまうだろうが。) 後はあれである。別に大賞候補にする事自体に、僕は権威なんて物は感じていない事は前置きとして置いておきたい。(最近の僕はサボっているので、ここでの信頼性はゼロだろうしね。この発言をどう受け取るかの判断は読み手の皆さんに任せる) そんな訳で、「「「で重ねられた言葉というのは中々強烈で、多分ここまでマクロにカメラの引いていく作品もbreviewでは珍しいのではないだろうか。僕はこの詩に書いてある事がどこまで合っているのかという保証がどこにもない。ただ、この詩を読んで世界というか世間というか、僕を取り巻く環境はこのように作られて、それなりに作用している。という事はビンビンに感じる。紫陽花の人とは誰なのか僕には分からないし、この詩はそういう意味で僕にとっては大人過ぎるのかもしれない。でも今、社会人に成り立ての僕が本作を読んで良かったと感じている。そのことは伝えたかった。 ともね「リセンの果て」 http://breview.main.jp/keijiban/?id=1630 なんか良かったなぁと。キリトリセンをキリトとリセンに分けてその果てを描く、そのさなかにカタンを入れて いつかボードの上で拓かれていく星は/一粒一粒数えるように/これは散歩をしているのではありません/交差していく花弁の/32年前の日差し/覚えていることのできなかった/切り取り線の端の端の/産声もあげずに溶けていった花弁/一粒一粒とじ込めて 真っ暗な水筒の中に/確かに入っていたのは/今からたった32年後の/引っくり返された無数の日差し ひっくり返された無数の日差し。この一文を引用してこの選評を終えられる事以上に、ふさわしい何かがあったとは思えない。 ○atogaki 結局の所、この選評はゴミほどの価値のない僕の読書感想文だし、興感日記である事には変わりが無い。こんな物貰っても正直しょうも無いのかもしれないが。それだけだ。の、それだけに僕の薄っぺらい心は、存在している。皆さんの中にも心ありますか? それともそんなもの、どこにもない?
百均〈2018年4月選評〉 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 960.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
作成日時 2018-05-15
コメント日時 2018-06-02
>この選評はゴミほどの価値のない僕の読書感想文だし、興感日記である事には変わりが無い。 なんか気になったので。 こうして詩を読んでくれているだけでもありがたく思います。 あるわけでもないわけでもない自分の心は、そう感じました。
0羽田さん ありがとうございます。返信遅くなってしまいすいません。日に日に、読む力が落ちてきているように思います。それは才能というよりは体力の方が近いかもしれません。なんとなく、ですけれども、最近もっと読んでくれる人の存在みたいを背負いすぎず生きられたらと思います。羽田さんの作品も未だ読めていないのですが、今年中には読みます。 申し訳ないですが、やれる事をやっていきます。大変申し訳ないです。でも本当にありがとう。
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