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ある日、公園にて
砂場に誰かの足首が転がっていた 失くしたボールの代りが見つかったと ママ達が無機質に笑う 花壇に誰かの人差し指が紛れていても 転がる頭部に蜜蜂が群がっていても 誰も気にはしない 横たわる蒼白の肌 紅色の鼻 向日葵色の花 葡萄色の造花 ベンチで仮死状態の老人達は いつかの海を夢視ているけれど 寄り添う二人の距離はあまりに遠く 彼らはテトラポット上で、喧騒と肉塊に浸された公園に溺れることを選んだ この世界に二人だけのような そんな顔をして 或る彼は何かの書類に没頭している 蟻の群れが彼の右目を 蠅の群れが彼の左目を喰い尽くしても 彼はスーツを乱すことは無い 彼の身体がリクルートを越えたフォーマルへと変異した時、葬列に並ぶのは僕か君かワタシかアナタか。 早すぎた埋葬を誰が救うのか? 唐突に消えた彼に行き場所はあるのか? そんな他愛も無い疑問も、ほら、空っぽの乳母車に放り込まれたラベンダー香の匂いを嗅げば、処女の季節なんて記憶の彼方だって、血塗れのベンチで君はうそぶく。 マルボロの残骸 空っぽのワインボトル 或る少女は桜だけを見ていると呟く 友人が滑り台の輪廻に耽溺しても 無邪気な噴水に劇薬が混入されても ブランコに包丁が突き刺さっても 春が老衰しても夏が狂っても秋が変死しても冬が腐乱してもずっと、ずっと 「桜の木の下には何が埋まっているの?」 「チョコレート、ココア、カカオ、ミルク、クランベリー、ストロベリー、動脈血」 そう答えると、彼女は添加物が無いのねと、幽かな笑みを浮かべた。溺れたまま、呼吸困難のまま、水の中のリボルバーが斬弾数1の水底で、それでも君は笑みを浮かべて。 公園から視えるこの世界は美しいと 朝焼けに沈黙するこの世界は美しいと 出血多量に悶える夕暮れは美しいと 君はそう言っていた気がするけれど 私は何も鳴らないイヤホンで 鼓膜を惨殺することに耽っていた
ある日、公園にて ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1186.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-04-21
コメント日時 2018-05-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんばんは。初めまして。 私は他の方の作品を批評するようなことができる立場でもなく、ただ思ったことを書くだけしかできないので有意義になるか分かりませんが、精一杯感じたことを書かせて頂きます。(とても長くなりました。ごめんなさい) 砂場の足首のような人間のパーツや、ママ達のような完全な人間が、たくさん出てきますが、映像としてはどれも中にきちんと赤い液体を含んでいる/いたような感じがしました。 赤い液体というのは、なんだか血じゃなくても、腐ったり傷んだりして黒ずんだ上、虫がたかりそうな赤い液体なら、成立しそうに思えたからです……。(後で言及しますがママ達の中にはクランベリージュースか何かが流れていそうです。もう戻ってこられない、別の生き物に成り果ててる感じがしました。でももともとは普通の人間だったんじゃないかなーなどと想像しました) 後でひっくり返されますが映像としてはグロテスクだし、蜂や蝿の描写も不快です。 この公園の世界の住人はなんにもしません。見てるだけというか見てすらないです。立ってたり座ってたりのポーズはとっていて、表情もありますが、中身はみんなおんなじ恍惚と虚無のミックスシェイクです。 私が介護職だからか「ベンチで仮死状態の老人達は/いつかの海を夢視ているけれど」の行のあたりがなんとなく、心に刺さったのですが、ママ達もスーツの彼も桜を見てる彼女も、みんなゾンビか妖精か、とにかく人間じゃない何かみたいです。ゾンビは本人の意思とか関係なく何かに衝き動かされて生きてる人間を襲いますが、同じくらい衝動的に死に続けてるみたいな感じがします。でもゾンビはゾンビの摂理に従っているだけです。あとこの公園ではむしろその摂理こそ自然なのだから、妖精と言ってもいいかなと思いました。 この公園には何故か血なまぐさいもので溢れているのに、香りは甘ったるいものばっかりです。それが最後の仕掛けを助けてるんじゃないかなと思いました。(私の中では仕掛けだと思ったんです) その仕掛けというのは、最後までハッキリとした色合いで飛び込んできた情景が、「公園から視えるこの世界は美しいと/朝焼けに沈黙するこの世界は美しいと/出血多量に悶える夕暮れは美しいと」の三行で、突然ファンタジーのような陽光と、スモーキーなフィルターを伴うようになってしまうことです。私はここでガラッと見え方が変わりました。 季節が変わっても変わらなくても、そもそもぐずぐずに終わってしまってもいい、死骸のユートピア。 そして唯一内面を見せてくれていた語り手も、最後には他の人物と同じように「何も鳴らないイヤホンで」耳を塞いでいたわけで、つまるところ、実はゾンビみたいな他の人物にも語られない内面があるのだろうなと、想像が膨らみます。 ということは、ここに来る前、この人たちはやっぱり人間だったんだろうなと思うんです。 多分この公園に時間らしい時間はないと思います。永遠にこういう光景が続く感じがします。 でもこの世界にやってきたいろんな人間は、いったい何処からやってきたのでしょう。 天国って意外とこんな感じなのかな、なんて思いました。人間を辞めた上で、生前遂げられなかった何かの思いを何らかの方法で殺し続ける怒りの肉塊になってすべてを忘れて眠り続けるみたいなことが永遠に出来たら、それはそれで悪魔的な魅力を感じませんか……?笑 私はそういう詩だと受け止めてみました。
0途中で差し込まれる意識が好きなのですが、さじ加減かもしれませんが、もっと意識に触れたくなってしまいました。 熟語はつい強い印象を感じるのですが、踏み込むのをためらっているような、 (それは「私」が詩の中でためらっているからなのもあるのですが) 世界観を淡くさせている印象にもなりました。 添加物のない死のモチーフはすごくハッとさせられたので、 もう少し神の視点から近付いて欲しくなりました。強い世界観が奥の方に感じられました。
0はさみさん コメントありがとうございます。 そうですね、この作品の下書きを書いたのは白昼の公園という、人が生き生きとしており(或いはフリをしている)、尚且つ人間の臭いが漂っているような環境でした。 そうした空間に相反する死や虚無というその場に於いてはフィクションな情景を、人間観察をしながらの現実とミックスして書くことに腐心した作品ではあります。 人/人ならざる者の境目や現実/非現実の境界線は酷く曖昧だと常に思っていて、その線上にいながらも、どちらかといえば非現実や死に近い場所を描いたのですが、はさみさんの仰って下さった(死骸のユートピア)という言葉のような作品になったような気はします。
0かるべまさひろさん コメントありがとうございます。 確かに意識の深い部分にはいっていないというか、浮遊している・表層を漂っている感じがするなと読み返して改めて思いました。 もっと神の視点から奥へ入り込めれば(それは私の根本的なパーソナリティの変化も要するかもしれませんが)、また良い方向へとアップデートした作品になったかもしれません。
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