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雨後
おまえを重荷から解き放ってやろう おまえの負いつづけた渦巻いた闇 宇宙をたくわえ羊水に満たされた その空洞こそ 手足を地に押しつけ 歩みをひしがせた甲殻 踏み潰す 血のにじむ肌から カケラをひとつひとつ 抜きとっていく おまえの耐える痛みは 直截に私を射抜く 氷を握り締めたあとの てのひらに残る痛みと痺れ 融け残る前のものを 手に受けたかったのに 私は粗雑で 器量狭く 大切な物を 取りこぼしてばかりいる 虹色の痕跡をひいて ゆっくりとおまえは歩きだす 雨を吸い鮮度をぬり重ねて 色を深めた下草の上を おずおずと 心を手足の先に出して 生まれたての舌で すべてをたしかめていくように おまえの柔らかさは 刃の上をも渡って行くだろう 不浄として塩をまく者があれば 古い外皮を脱ぎ捨て 先に進んでいけばよい おまえの重荷は取り払われた もはや阻むものはない
雨後 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1132.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-03-26
コメント日時 2017-04-02
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
一読して、カタツムリやナメクジのことを書いた詩だと判断しました。根拠はタイトルと、「背負う」や「渦巻いた闇」や「刃の上を渡る」や「塩をまく」といった表現です。間違っていても泣かないぞ。本物のカタツムリは殻を壊されると死んでしまうらしいですが、この詩においてはナメクジ形態でたくましく生き続けるようです。それにしても、あの小さな殻の中に羊水の中で眠る宇宙があるとは! 作者の想像力の豊かさに驚かされます。 カタツムリにとって殻は我が身を守るものであり、住居でもあります。しかし語り手は、それを「重荷」だと断言して破壊します。殻を失ったカタツムリはナメクジのような存在となり、ゆっくりと歩き出す。色々な意味で保守的になり、守りに徹する生き方を賢いとする現代人を皮肉っているようにも思えます。こんな生き方は無理だと思う一方で、やはり憧れてしまうのです。
0「おまえの負いつづけた渦巻いた闇 宇宙をたくわえ羊水に満たされた その空洞」 に、雨後に出没するカタツムリをイメージしました。素数の謎から導かれた、宇宙の秘密につながる渦巻きを背にしょって、それを住みかとする、自由なのか不自由なのか判別しがたい存在。 そのもろい甲殻を見ていると踏み潰したい衝動に駆られる。俯瞰するものは、容易に他の存在の生殺与奪を手にしてしまう。痛みさえなく。瞬きひとつで他者を消却する現代において、誰もが意識、無意識にかかわらず行なっていることだと思います。 甲殻を失った存在に、 「おまえの柔らかさは 刃の上をも渡って行くだろう」 とささやく踏み潰したものからの残酷なエール。 「おずおずと 心を手足の先に出して 生まれたての舌で すべてをたしかめていくように」 ここには、ギリシア悲劇の「オイディプス」をかいま見ました。「父を殺し、母と結ばれるであろう」という預言から逃れようとして、その悲劇の成就に突き進んでいくラスト。すべてを失った盲目の赤子として独り泥濘をゆくとき、ようやく宿命の重荷からも解き放たれた「オイディプス」がこのような姿をしていました。 何気ない日常に潜んだ存在の危うさとつよさが描かれていると感じました。3連の描写は特に素晴らしく個人的にも好きです。
0花緒さんへ 怖いですか(笑) 今、ネットで話題になっている東大(教養学部?)の卒業式祝辞の中で、自らを焼き尽くして、その中から新生せよ、というようなニーチェの言葉がありました。まず、自分を滅ぼしてしまいたい、それからだ、というような思いは、常にあります(たぶん。) アポロン的な美とデュオニソス的な美、の他に、ガイア的というのか、大地母神的な美というものが、あるだろうと思うのですね。生成に関わる、畏怖を伴うなにか。 日本風に言えば、アマテラス(アポロン)的な美と、スサノオ(デュオニソス)的な美、そしてイザナミ(ガイア)的な美。父権性が強まった後、イザナミは山姥に格下げされて、民間信仰の中に生き続けることになるわけですが・・・。ミューズはどちらかというとアポロン系で・・・金髪に純白の衣服、花を摘み、琴を奏でて小鳥と遊ぶ、というような清純な美少女のイメージですが、私の思う「詩の神」は、カーリー女神のような、太母、大地母神的なイメージです。(答えになってないですが) もとこさんへ はい、かたつむり、がイメージソースです。以前話題になった、『でんでんむしのかなしみ』という絵本も被っているかもしれません。自身の悲しみを抱え込んで、その中に感傷的に浸る・・・生誕以前の安住にのめり込む、のではなくて、殻をぶち壊してやるから、外に出ろよ、自分の感性だけを信じて、先に進んで行けよ、的な(やっぱり、コワイかな) fiorinaさんへ 宿命の重荷、オイディプスですか、なるほど・・・深いところで連想を辿って頂けて嬉しいです。剃刀の刃の上でも、カタツムリは傷つかずに歩くことができる。そういう実験があるのですが・・・そういうことを確かめよう、刃の上を歩かせよう、という発想は、確かに残酷かもしれないですね。 大学院で、学会発表の前に、討ち死にしたら骨くらい拾ってやるから、思い切ってやってこい、というエール?を頂いたことがあり・・・なんだか、剣の橋を渡ってこい、死んでも知らねーよ、と言われているような気がしてすくみ上ったことがあるのですが・・・詩を書くということは、どこか、そんなイメージもあるのかもしれません。
0まりもさんへ 「おまえの柔らかさは 刃の上をも渡って行くだろう」 ここは残酷ではなく、すなおに届いて快感でした。 残酷という言葉を使ったのは、エールがつねにそういう一面を持っているのと、「踏み潰す」から数行へのやや違和感のためだったかな。 語りかける相手が他者と言うより自身に近い場合、無意識に強い、そして身体的な言葉が選ばれてしまうのかもしれませんね。 >・・・詩を書くということは、どこか、そんなイメージもあるのかも< (まりもさん) 昔、雷がごろごろ鳴っている空に、屋根の上で金属片をかざしているようだ、というのを読んだことが忘れられませんが、「おまえの柔らかさは刃の上をも渡って行くだろう」と「虹色の痕跡をひいて」いくカタツムリも忘れないと思います。
0読んでみて、表現が滑らかに接続しているようで、内容を忘れたような気になりました。「雨後」というタイトルも示唆的でしたし、「おまえ」に語り掛けるような文体。全体的に柔らかさが魅力であると思いました。
0耽美的ですね。この詩の特徴は、名詞、モノに、存在感があるところだと思います。そして、全ての名詞がメタファーである。 雨が降った後で、待ち侘びていた新しい生活が始まる。自分を励ますような。個別がオープンと通じる方へ変わっていかれる のじゃないかな、と想像しました。
0fiorinaさんへ 再コメありがとうございます。感覚を、大切にしたいですね。 エイクピアさんへ 文字の音声化というのか・・・黙読でも、音声に解凍されてから意味の引き出しや連想への飛翔が始まる、と考えると・・・詩の質感や手触りは、意味を主体として伝える通常分(散文)よりも音声や面立ち(詩形や空間の取り方など)に左右される部分が多いのかな、と思います。日本語の二人称の呼び方は、実に難しい、いつも迷います・・・。 黒髪さんへ そうですね、名指すこと、名付けること、によって、他者の脳裏にイメージや質感を移し替えていく・・・呼び覚ましていく。そんな魔法をかけるのが、名辞かもしれません。
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