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夕陽に顔面
長い黒髪 風にゆらめかせ 女子高生 夕陽を望む 滑らかな曲線を描くシルエットが 逆光によって赤い校庭に写し出される 女子高生は ゆっくりと こちらを向いて その顔面が落ちる ストンストンと真っさかさま一直線に落ちる 何枚も落ちる止まることなく地面に落ちる 落ちて入れ替わって落ちてこちらを見つめてくる顔面は無い 落ちる落ちる落ちる奇術のマスクのように落ちる 落ちる落ちる落ちる滝のように目まぐるしく落ちる 静止した胴体と反して次々変わる顔面の状態 周りの風景もいつの間にか激しく変わりだす 空は絶え間なく256色に移り変わり 早送りのよう雲は飛び月陽星々は回り続ける ついに女子高生のハイソックスの縁から虹色の水が溢れだし 爪はどんどん伸びていって蛇のようとぐろを巻いていく すべてが落ちて変わって飛んで回って動いて暴れて暴れて暴れて 百面相の顔面は険しい山を盛り積み造りあげているが ただひとつ女子高生の胴体だけは 静止して 動かない それ以外の全世界は恐ろしい速度で変化し続ける
夕陽に顔面 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2165.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 11
作成日時 2017-03-23
コメント日時 2017-04-01
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 5 | 5 |
技巧 | 3 | 3 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 11 | 11 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 5 | 5 |
技巧 | 3 | 3 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 11 | 11 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
爽やかな青春ポエムかと思いきや、いきなり女子高生の顔面が落ちるという驚愕の展開。しかも落ちるだけではありません。何度も落ちる。すごいスピードで落ち続ける。その描写はまるで伊藤潤二のホラーマンガのように恐ろしく、同時にどこか滑稽でもあります。 >早送りのよう雲は飛び月陽星々は回り続ける この一文を読んで、私はウェルズの「タイム・マシン」の映画版……それも1960年制作のオリジナル版における、タイムトラベルのシーンを思い出しました。リメイクではなく特撮技術がチープなオリジナルの方が、この詩における時間描写のイメージに近い気がします。しかし映画では主人公が見つめる「外の世界の時間」だけが高速で過ぎ去ったり戻ったりしていたのに対して、この作品では女子高生の胴体だけが静止していて、それ以外は顔面も手足も世界と同じ時間軸を共有しているようです。これは何を意味するのでしょうか。まるで、この女子高生の胴体こそが世界の中心であるかのようです。胴体だけが時の流れから置き去りにされたのか、それとも胴体によって世界の時間が高速化しているのか。もしかしたら彼女は人ならざる者の子を宿し、その影響でこのような怪奇現象が起こったのかも知れません。彼女の胎内に宿っているのは、果たして世界を滅ぼす悪魔の子か、それとも新時代の救世主なのか。もうこの辺になると、絶対に作者の意図とはかけ離れているはず。それでも落ち続ける女子高生の顔面のように、私の妄想は止まらないのであります。
0冒頭の表現に細かく注目すれば、「長い黒髪 風にゆらめかせ」というのは、髪が自然の力によってゆらめかされているのであって、風がなければ、女子高生に限らず人は自らの力=意志で髪をゆらめかせることはできません。そうした、自然の外部的な力の働きによって始まったこの作品は、そうした無意識的な作用によって展開されているのだと思います。 そのため、女子高生の顔面が落ちるのも、きっと自然な現象として受け入られる気がします。それも「何枚も落ちる」のであって、「落ちて入れ替わ」るのですから、いくつの顔面を持っているのかと気になります。また、顔面はあくまでも顔面であって、顔の表面でしかありません。「静止した胴体と反して次々変わる顔面」は、風で髪がゆらめくように自然なことであって、周りの風景も激しく変わりだすのも自然なことと思うしかありません。 全体として、諸行無常、つまり、何事も変わり続けていくことを描いているのだと思うのですが、女子高生の胴体は静止して動かないというのが何を意味しているのでしょうか。この世界では、顔面という一つのものから始まるのですが、結果的に世界そのものが激しく入れ替わっています。その自然の摂理=ルールを無視してしまう、言い換えれば、世界に流されない女子高生の胴体は強固なものと言えるでしょう。 動くことのない女子高生の胴体は、意志を持たず、また、世界についていくことのできないはぐれものというネガティブな見方ができますが、同時に、世界に流されない強いものというポジティブな見方もでき、両義的などっちつかずのものとして感じられました。
0もとこさん 実際、作者としてもなぜ胴だけが静止しているのかの意図はあるのですが、そんなもんどうでもいいんですよ。生みの親が終生作品に鑑賞できると思うほうがおかしい。私の手から離れた時点で作品は独自に歩き去っていく。
0花緒さん 映像性は私が詩を書く上で最も重要視している要素の一つです。メディアアートビデオ作品という評価ありがとうございます。私としても、自分では「動画詩」と読んでいる、映像性重視の詩編の第一号がこれなので特別思い入れが強いです。
0桐ヶ谷忍さん 皆さんが作者の思いもよらなかった読解をそれぞれ行ってくださって正直驚いております。表層意識なんて思考の数%でしか無いのであるから、書いた人間である私も無意識下ではこういうことを考えていたのかもしれない。 因みにこの詩は、夜2時頃に眠いところを無理して起きている時にパッと脳に浮かんだ映像を元にして書きました。
1なかたつさん 私もこの詩がなんなのか正直わからなくなってきました。
0面白いですね。映像的というのは僕もそう思います。なんでなんだろう。上手く説明できない。 顔だけが落ちて皆色々変わりまくる。顔だけが落ちるというのが面白い。それで落ちるとまわりの景色がガンガン変わっていく。女子高生の胴体、というか女子高生ってなんなんなのか、という事で、女子高生っていうのは最強なのかもしれないですね。なんで最強なんだろう。 256色でデジタルにダイブしたりする所なんか印象的、虹所じゃないですもんね。あんまよくわかんないんですけど、ドット絵みたいな感じもします。 という訳で、多分顔が落ちてるだけなんですけど、それだけで面白いし、落ちて変化していく世界は全部変化していくから、色々突っ込んでいくと自分を精神分析にかけていくように読んじゃいそうだし。そういう意味で作品として一定の器みたいな物を獲得してるような感じがします。無論荒っぽさみたいな物も感じるので細かく読んでいくと、突っ込みの意識も出てくるのですが。という事で、今の所は読んでて何かしら思うことがあったことをつたえて一度退散します。
0hyakkinnさん 肥大したサブカルチャーのなかで「女子高生」が持つ情報量は限りなく多いです。二次創作によって原作のキャラクターに新たな属性や設定が付加されることは現代ではままありますが、女子高生はそういった付加に一番多く晒されている存在だと思います。女子高生が出てくるだけで作品が内包する情報量が増える。そういう意味でも女子高生は強い。ただあまりに強すぎて女子高生のイメージが作品自体を呑み込んでしまうことある。劇薬ですな。 デジタルの世界って我々の住むアナログの世界とは条理が違います。アナログなものってどれだけ複雑でもその仕組みが体感的にはわかるように思います。歯車だらけの蒸気機関もなんとなくわかる。でもデジタルは、知性によって理解はできるかもしれないが身体的な理解は不可能ではないかと私は思っています。0or1は自然じゃないですよ。でもその違和感はデジタルが発展した今の時代だからこそ感じることができるし我々も利用することができる。ホラー路線の拙作「kissはチョコの味」に繋がりますが、恐怖となるものにはhyakkinnさんの言うよう得体の知れないものに外堀を埋められるのもあるかもしれません。つまり同期することのできない条理が目の前にある。デジタルも根本的には恐怖すべき存在かもしれません。追加の感想お待ちしております。
0動詞の使い方がめちゃくちゃうまい作品だと思いました。 女子高生、という、人格とか性格とか、そういった個人的なものと関わりなく、メディアの中で(あるいは、アニメの中で)創り上げられていくイメージは、限りなく人形に近い、気がしています。女子高生というフィギュア。 現実の女子の高校生、の持つ「わからなさ」、「知りたい」という感覚を刺激する何か・・・でも、素顔を見せてくれない(現実の女子の高校生が、ではなく、メディアの中で増殖し続ける女子高生の総体、的な、なにか)の不気味さや不穏さが、グワッと伝わって来るなあ、と思います。 実写映像に、蛍光ライトでどんどん加筆していくような、それもかなり目まぐるしく、サイケデリックな感じで切り替わって行く映像を見ているような読後感がありました。
0まりもさん 映像性を求める際に被写体がどういった動きを見せるかは非常に重要です。そのため動詞の選択も詩自体の評価を左右させます。お褒めいただきありがとうございます。 「野獣先輩」という、ネットのホモセクシャルネタでもう何年もいじられている人物がいるのですが、彼を使った作品は数多く在り、それに伴い二次的に彼につけられた設定もたくさんあります。それを揶揄して「野獣先輩情報生命体説」なんてのも唱えられています。現実世界での存在を超えてネット間で人格が育まれていく。女子高生も、人々の妄想やメディアの扱い方をハブとした思考のネットワーク内で生きる情報生命体かもしれません。
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