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自爆それと
打ち付け 叩き付け 壁に頭を自爆させる 机に頭を自滅させる 床に頭を爆発させる 打ち付け 叩き付け 感じない痛みに陶酔する 制御不能の身体に従い 異常な光景を展開させてしまう “自己こそが自らの主である” 無意味な音が喉から出て 無意識に右手が頭を殴り “おのれの心を護れ。自己を難所から救い出せ” 不随意に首が折れ曲がり 不気味な不快な声が出る みんな 見えない色を見る “怒り 執着 妄想を三毒と呼ぶ。心を感情をこれらに分類 みんな していけ。正しく理解するために“ 聞こえない音を聞く みんな 触れないものを触る みんな 考えないものを考える みんな 感じない何かを感じる この世で唯一この頭と体は酷く劣る “「われは愚かである」と知ればすなわち賢者である” 理解できずされず 中傷と冷笑と嘲笑の 孤立と隔離と孤独の中 絶望だけを友に “生きる事には苦しみが伴う 焦燥感と自己嫌悪と劣等感が 苦しみには原因がある さいなみ 蝕んでいく 苦しみは取り除く事ができる 苦しみを取り除く方法がある“ 人並みを目指す 努力が記憶が意識が 積もりもせず 何も勤まらず あざけられ “人のそしりを忍ぼう。多くの人は性質が悪いから” 罵られ 焦燥感と自己嫌悪と劣等感が “嫌悪は自ら生ずる” 救い無くただ侵していく 涙が感情が 出てしまう度に人としての階級は下がって行く あまりの見苦しさのために “ままならない人間の心もまた苦しみである” 打ち付け 叩き付け 壁に頭を自爆させる 机に頭を自滅させる 床に頭を爆発させる 打ち付け 叩き付け 感じない痛みに陶酔させる 制御不能の身体に従い 異常な光景を展開させてしまう 打ち付け 叩き付け 壁に頭を自爆させる 机に頭を自滅させる 床に頭を爆発させる 打ち付け 叩き付け 感じない痛みに陶酔させる 制御不能の身体に従い 異常な光景を展開させてしまう “生きる事には苦しみが伴う 苦しみには原因がある 苦しみは取り除く事ができる 苦しみを取り除く方法がある“ “怒り 執着 妄想を三毒と呼ぶ。心を感情をこれらに分類していけ。 正しく理解するために“ “この世は泡沫ごとみよ。身体はうたかたのごとしと見よ” “自己こそが自らの主である” “自分と他人を比べて 「等しい」とも「劣っている」とも「優れている」とも考えてはならない。 それらは新たな苦しみを生むからである“ “人のそしりを忍ぼう。多くの人は性質が悪いから” “心がむらむらするのを、まもり落ち着けよ” “「われは愚かである」と知ればすなわち賢者である” “さまざまな言葉を受けても、自分の価値を判断しないようにせよ” “ままならない人間の心もまた苦しみである” “嫌悪は自ら生ずる” “「我らはここにあって死ぬはずのものである」と覚悟しよう” 言葉が 彩り出す 人生に 30年の自爆の果てに 息を吐き出す “諸々の事象は過ぎ去る。怠る事無く修行を完成させなさい” 姿勢を正し 背筋を伸ばし 目を閉じ 息を吐く 長く ようやく 息を吐く
自爆それと ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1164.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-03-23
コメント日時 2018-04-10
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
この作品について、言うべきことをいくつか。 まず、引用しているのは原始仏典にある釈迦の言葉と仏教関係の書物にあった言葉を自分なりにまとめた言葉です。 それとどこの宗教団体にも所属しておらず、ただ20年来の仏教オタなだけです。 一連目の症状ですが、自分はこのようなものを持っており、ストレスによりたまに顔をのぞかせてきますが、最近になって諸々の生きにくい特性と共に折り合いを付ける事が出来てきました。 多くの言葉をようやく自分の物に出来たためでしょう。 かつての自分の苦しみを言葉にできるようになっていたので書いたのがこの作品です。
0九品仏寺の近くに通うことがあって、通りすがりに毎回、お参りをしていたことがありました。 こちらのそのときの気持ちによって、仏様のお顔が異なって見える。 人は、自分の見たいものを相手に見てしまうものなのかもしれません。 私は仏教徒でもキリスト教徒でもありませんが、様々な宗教や宗派の教義に興味があります。 神秘主義系は特に・・・そして、結局、すべては同じことを言おうとしている、その、表現法方が異なるだけだ、と思うのですね。 ハネダさんの、頭蓋を破壊せんとするばかりに自らを痛め付けずにはいられない(痛みを感じないということは、痛みの感覚すら麻痺してしまうということなのか、打ち付けるという妄想に身を浸しているのか)激しさに驚きましたが、動詞を整え、バリエーションをつけながら畳み掛けていく調子が、心地よいリズムを作っていると思いました。 わからなかったのは、 「涙が感情が 出てしまう度に人としての階級は下がって行く あまりの見苦しさのために」 という部分。詩としてわからないと言うよりも、感情を表に出すと、人としての階級が下がる、という部分が、内容的によくわからない。 様々な執着から逃れて、外に意識を広げながら、外部は私の感覚が見たいと望むものの投影であると夢想してみる・・・そうすると感情の荒立ちは薄れていくのでしょうけれど・・・その事が、人としての階級があがっていくことに繋がるのか、どうか・・・ 自分が網目のような存在で、一本一本の軸から吸い上げては拡散を繰り返す。そして、網目の体を風が吹き抜けていくに任せる。そんな立ち方をしてみたいと思います(なに言ってるのか、よくわからなくなってきました(笑))
0「安心して絶望できる人生」という言葉を思い出しました。 冒頭からの描写は、途中に挿し込まれる引用と相まって混沌としています。これはスマートフォンから読むとより顕著でした。 後半に冒頭の自爆の連が丸ごと二回繰り返されますが、今度は引用が入らないために一律の周期となり、嵐が過ぎたような寂静を感じさせます。そしてその後に続く引用の数々。かつて救いを求めた言葉が語り手の血肉となり、内に存在していると思わされました。 >長く ようやく 息を吐く このようなことをできるようになったのは、語り手に余裕が生まれたから、ではないのだろうと思うのです。コメント欄の言葉をお借りすれば「諸々の生きにくい特性と共に折り合いを付ける事が出来」る己である、と知ることができたからではないでしょうか。 「ようやく」の重みを想います。
0まりもさん、こんにちは。 人間の苦しみを無くすという点ではどの宗教も同じではありますからね。 さて、一連目ですが、実際に頭を反射的、無意識的に打ち付けてしまう症状という神経系の症状が実在しており、それを持っています。 (トゥレット症といいます) 小さい気づかれないようなものを含めると子供だと意外といるとか。 ただ大人まで引きずってしまうのは珍しく、またあまり知られていないので、奇異に見られていたのです。 「涙が感情が 出てしまう度に人としての階級は下がって行く あまりの見苦しさのために」の下りですが、涙と感情を出すと何度も悪く言われてきた経験があります。 軟弱に思われたのでしょう。 人としての等級云々は“自分と他人を比べて「等しい」とも「劣っている」とも「優れている」とも考えてはならない。それらは新たな苦しみを生むからである“ということかと。 これは妄想だったのです。 「自分が網目のような存在で、一本一本の軸から吸い上げては拡散を繰り返す。そして、網目の体を風が吹き抜けていくに任せる。そんな立ち方をしてみたいと思います」 これは自分を境界を越えて宇宙に体を拡散させると言いますか、岡本太郎が言う爆発の本当の意味に近いのかなと思いました。
0斎藤木馬さん、こんにちは。 絶望しない方がいいとは思いますけれども。 個人的に仏教に親しんではいたものの、上手く自分の生き方に反映させる事が出来なかったのです。 それがこの詩の最初の方のような苦痛と挟み込まれる言葉の描写になりました。 最近になってようやく、釈迦の伝え残した言葉と瞑想法が人生の指針となってきたように思います。 (詩に釈迦の言葉が入ってくるようになったのはつい最近ですし) 本当に、ようやく、です。
0語り手以外の声があって、それらは結論しかおいてくれないから、そこに到達するための過程は自分で手に入れなくてはならない。でもその方法はわからない。僕は今社会人になる一発目の朝でこのコメントを書いているわけですが、正直大学生活の方がやっぱり辛かったです。今はこの作品のように最後の長く、ようやく、息をはく、というような感じを本作の持つ切実さとは多分程遠い場所で。でもなんとなくシンクロするような所で、他の皆さんの感想も読みながら、本作を感受できたように思われました。
0百均さん、こんにちは。 書き込んでくださっているとは気づかず、レスが遅れてしまいました。 そこに到達するための過程は、実は明らかにされていたのです。 “生きる事には苦しみが伴う 苦しみには原因がある 苦しみは取り除く事ができる 苦しみを取り除く方法がある“ その一つがこれ。四聖諦というものです。 それを知識としてはあったものの、実行できてなかったという話です。 その体勢がなかったんですね。ようやくできてきました。 物心ついてから30年以上たって、ようやく一山を超え、端緒についたという所です。 “諸々の事象は過ぎ去る。怠る事無く修行を完成させなさい” 死んでしまうか、悟りを開くまでそうなのでしょう。
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