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光、落ち葉
空がすっかり 悲しくなってしまった 何をも失えずに 一人 光が刺さるままにしていた 雲が夕方の光を透かして 見えない衣を いくえにも、いくえにも降らせた それは地面で枯れて けれど 胸にだけ積もった そうして 遠くにいるかのように 全てが澄んでいった 透明の樹木たちにも似て 人は果物を摘んだ 見捨てられた橙色の、それらの名前を 知ってはいても 呼びはしない このままの寂しさを眠るために 光が糸になって 肌に 穴を開けていった そこから果たされなかった文字と約束が ほろほろ、ほろほろと零れていった 「何を言いたかったのだっけ」 人はそう言って笑う いつかくずほれてしまうのに なのに ただ歩いた 落ち葉が優しく あたりを歪ませていく ただ歩いていく 長い髪を梳くように優しく 光を折り曲げていく * 約束というものを守ったなら 人はきっと、死んでしまう だから流しながら 生活をしていく 掬われなかった約束たちが 雨になって 街路をぬらしていく 朝が来るまでには 犬になって 人たちに頬ずりをする 付いて行きもする 冬が来るまでには 空に溶けていって 知らぬうちにいなくなる 人は思い出さない そうしたのなら眠ってしまうから 遠くに鳴き声はしない くん、それはただの勘違いだから くん、葉はもう落ちたから それでもいつかは 守ってしまうのだろう 口ずさむように うそぶくように 約束と 抱き合ってまた口付けて すると人は 死ぬのだろう、澄むのだろう 何を契ったのかも どう守ったのかも 全部忘れしまいながらも 死ぬのだろう そのとき空が白むのだろう ずっと、僕にまでも…… * 枯葉が降る 光年が降る 立ち止まって そのために流されていく 落ち葉がはためく 空を線引く声をたてて 葉々は風に変わっていく 失われるすべてが 笑うことも泣くこともなく まじまじと、光を押していく いつか 死んでしまうときには 今が結晶するだろうか 言葉と物が結ぶだろうか 一人立ち止まった 老いた木がやわらかく 陽を揺らしていた 風が吹いて 人は 同じ虚空に接吻していた
光、落ち葉 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1149.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 3
作成日時 2017-03-21
コメント日時 2017-03-26
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 2 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 3 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0.5 | 0.5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 1.5 | 1.5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
私の一番好きな時間は秋の黄昏時なのだが、それを詩で表現しようとするとけっこう難しい。好きな光景、好きな一時であるがゆえに、余計な装飾をほどこしてしまいがちになるのだ。この詩も秋の夕暮れ時からスタートしていると読んだのだが、第2連はとても美しくて心に響いた。ただ、個人的には少し長すぎるのではないかとも感じた。同じような光景、心理を繰り返して描いているように思える。それが意図的なものだとしたら、成功しているとは言えないのではないか。 特に秋の夕暮れ時や「掬われなかった約束たち」についての描写は、もう少し削った方が魅力が増すと思うのだ。最終連は、私には少し分かりにくい描き方だった。「約束というものを守ったなら/人はきっと、死んでしまう」という部分は、とても良い。この切なさを引き立てるためにも、あと少しのシェイプアップを希望する。
0コメントありがとうございます。光景、心理の繰り返しが起こっている、という点について、もっともな指摘だと思います。狙いとしては内部にこの詩独自の緩やかな時間感覚(堀辰雄や立原道造で言う「投げられてある時」というものですね)を現出させたかったのですが、それが繰り返しとなっているようでは、まだまだ私の努力不足なようです。 評価していただいた部分はもちろんこの詩の中核を成す部分であるのですが、(詩的な論理性において)この部分を最終連にいかに接続させるか、というのがこの詩においての課題かもしれません。より推敲を試みてみようと考えています。
0花緒さん、コメントありがとうございます。 静謐な印象を与えられた点に関しては良かったと思っております。読みにくさの点に関しては、人との相性を選ぶのかもしれない、というところがありますが、ある程度私自身が、読んでいて突っかかるものを書こうという意識を持って書いているのも影響しているかもしれません。意図された突っかかりから、作品について考察をしていただきたいという考えがあるのです。(ただ、それが技量の問題として見られてしまうなら、結局私が失敗しているのかもしれません) 長い、という点に関してはもとこさんがすでにご指摘いただいた点が的を射ているように思います。言葉の練度の問題かもしれません。
0この作品は凄くいい。これは僕の見方の問題かもしれないんですが、 >* これが必殺の記号というか、落ち葉と、雪の結晶の象っているとおもいました。光に透過された、落ち葉がアスタリスクのマークに全て結合している。それが*に隔たれたパート毎の隙間に置かれているだけ、僕は身悶えしました。 この詩は凄く言及するのが難しい作品。それほどまでに落ち葉が豊穣な表現として機能しているし、落ち葉を光で透過させるという所から展開される凄まじい程の感情の表現の豊かさというが伺える。 例えば、透明な葉っていうのを言葉を捉えてみる。心に降り積もる言葉を考えてみる。すると一気に読みが面白くなってくる。 落ち葉っていうのは基本的に悲しみのメタファーを仕込まれてる存在だと思うんですが、そこから一端悲しみを色素を引き抜く、つまり単純な悲しみじゃないっていう事をここで主張していく。更に透明な落ち葉は目に見えない形で胸に積もっていく。という事で、言葉っていうのは目に見えて分かる悲しみを背負っていない。が、きっと目で見えてしまう悲しみよりも激しい暴力性があるのだという事が伝わってくる。 更に落ち葉っていうのは、まっすぐ落ちてこない。 光っていうのはまっすぐ直線的に太陽から降り注ぐ光線である。光というのは僕は時間だと思った。数直線上に表現される、時間軸というのを英語の時間にぼくは習ったのだけれど、その考え方をおうおうしてみると、光が刺さるというのは、正に直裁的な事実的な時間のあり方だと思います。しかし、落ち葉っていうのは空中で彷徨いながらフラフラと地面に降り積もるんです。つまり時間の落ち方が光とは異なるんですね。透明な落ち葉を透過していってしまう、残酷な光(老いにもかかってくると思いますが)それとは別に心に残る時間=思い出というのは、いつまでも心の中に今すぐそこにあったような悲しみとして残り続けるんです。 ここが以下の三連から >空がすっかり >悲しくなってしまった >何をも失えずに >一人 >光が刺さるままにしていた > >雲が夕方の光を透かして >見えない衣を >いくえにも、いくえにも降らせた >それは地面で枯れて >けれど >胸にだけ積もった >ただ歩いた >落ち葉が優しく >あたりを歪ませていく >ただ歩いていく >長い髪を梳くように優しく >光を折り曲げていく 想像出来る。長い髪を梳く人っていうのは身近な存在の人じゃないと多分やだと思うんですよね、だからその手つきは優しくなる。優しさっていうのは、その場所に流れる時間っていうのを歪ませる。それは落ち葉が降り積もる速度のように、人が感じる時間、光を屈折させてしまうんですね。 という事を踏まえて三パート目を読んでみると、凄く文章が締まってて、心に迫ってきますね。コメントの仕様がありません、 >枯葉が降る >光年が降る >立ち止まって >そのために流されていく > >落ち葉がはためく >空を線引く声をたてて >葉々は風に変わっていく >失われるすべてが >笑うことも泣くこともなく >まじまじと、光を押していく >いつか >死んでしまうときには >今が結晶するだろうか >言葉と物が結ぶだろうか > >一人立ち止まった >老いた木がやわらかく >陽を揺らしていた >風が吹いて >人は >同じ虚空に接吻していた 死というのは即ち、その人に流れている時間と思い出が一つの物体として結局化する最後の瞬間なのかなとおもいました。死とは僕は光を失う事でもあると思うんですが、そういう事を考えていくとこの詩からはまだまだ色々な事が読み取れるだろうと思っています。最後に老いた木が出てくるというのもさりげないんですが恐ろしく秀逸。木の年齢みたいな物を考えてもいいし、落ち葉というものを振り返ってもいいかもしれない。言葉を持たない木が、人に話しかける時に、陽を揺らし、その言葉を揺らしてきすをしようとする。自分の葉と、透明な落ち葉を降り積もらせた人間が接吻する。という一つの邂逅。圧巻です。 個人的な心残りとしては、二パート目の約束の部分が上手く読み込めなかった所。単純にスタミナが切れてしまったのもあるんですが、上に抜粋した詩行に心奪われました。
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