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雉
雉の鳴声がする ギャーギャーと 悲痛な清々しさが朝の空気を色濃く切断する キジ目キジ科キジ属 春、すべての生き物の 発情を報せる鐘のように響いた こどもの頃 何度か訪ねた古い旅館 廊下には雉の剥製 植えられた目玉が見ていた 番いの二羽が視線をずらして 向かいあっている その背を撫ぜると つるつると手触りがよく わたしは廊下を通るたびに 雉に話しかけながら 背を撫ぜた 山鳥と孔雀の私生児 おまえは飛ぶのかい? はじめて野性の雉をみたとき ずれて生きる番いの角度そのものが 雉の生きかたであると知った 限界を知り羽搏かないか 限界を知らず羽搏けないか 薄暗い廊下の古い柱時計が ボーンボーンと鳴り響いた日 古い旅館で わたしは高熱をだした お医者がかけつけ 生きるか死ぬかの瀬戸際であった 天井がまわるー と母に訴えていた あのときも 壁を隔てた廊下から 番いの雉が 難癖のない角度で 植えられた目玉で じっと見ていた 剥製の雉に 強く惹かれた殺生な わたしの心 生きていたとは思えない 生きているとしか思えない 無臭の生臭さ 抱きすくめたくなる像 それがわたしの愛しさの一部なのだろう まだ春芽も少ない 枯草の茂る藪で あまりにも目立ちすぎる雄と 茶色く地味な雌 玉虫色に光る濃い緑色の首を 前後に震わせ いったん足早に消えてから わたしを驚かせようと 低く飛んだ
雉 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 832.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-03-20
コメント日時 2018-03-24
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
田舎に住んでいるので大きな鳥をよく見ます。大きな鳥は美しくもあり、怖くもある。 生死のさかいにたち現れるほど雉に惹かれる、雉の本質を鋭い感性と巧みな表現で描かれていて味わい深かったです。
0「私生児」という言葉に話者の身上が仮託されているとみるのは少し安易でしょうか。 しかし「番いの二羽が視線をずらして」ともある。雉の番いがことさらに仲がいいということも、個人的には聞いたことがなく、また、雉の子育ては雌に一任されるという。 また、ググって知ったのだけど、「雉も鳴かずば撃たれまい」という故事。これも父の不在がその骨子にあるらしい。なので、話者の「精神的な父の不在」(実際のところは分からないけど)のようなものが、この作品の底流にあるように思う。そしてそれを内包している。 >壁を隔てた廊下から >番いの雉が >難癖のない角度で >植えられた目玉で >じっと見ていた 熱病の見せた幻影かもしれない。あるいは、わたしと、わたしを取り巻く状況と、わたしの心情とを、一段高い場所から俯瞰するまなざしかもしれない。 この5行により示される、独白とは違う視点があり、この後に現れる、剥製の雉を「抱きすくめたくなる」という一見奇妙な衝動があり。これを「わたしの愛しさの一部なのだろう」としているあたりに、不在を内包して結実できる話者の精神的な成熟をうかがい知れる…ような気がする。
0岩垣弥生さま、はじめまして。 コメントをありがとうございます。 わたしの住んでいるところも、車で少し行きますと藪があり、よく雉を見かけます。 あれは、あまり飛びませんね。そして、雄と雌がまるでお互いの存在を知らぬ振りで生きているような素振りをします。 とても不思議で興味深い生きものです。これからも観察していきたいと思います。 お読みいただき、ありがとうございました。
0miyastorageさま、こんにちは。 雉の民話について、わたしも初めて知りました。教えていただき、ありがとうございます。 空気をつん裂く雉の鳴き声は、他所の世界からのようで、いつもはっとさせられます。 「父の不在」という点においては、自分の意識しない所で、この作品に投影されていたようで、ご指摘を受けて驚きました。流石ですね。 父の死を受け入れた後だったから書けたのかもしれません。 また、雉によらず剥製というものは、その存在すべてを伝えてくれていますね。命が奪われてから、再び形成されるまでを思うとき、それが「空っぽの命を抱きすくめてしまう」行為につながるのだと思います。 コメントいただき、感謝いたします。
0こんにちは 雉や孔雀は どうして あんなにも ありうべからざる見事な色彩を持っているのでしょうかね。 私も、鮮やかな生を感じさせる鳥に 心を奪われがちな人間の ひとりです。 この詩の場合は、話手の生と死の狭間での感覚であるので なおさら 鮮烈です。 ふと、私の雉体験を思い出しました。私の雉体験は 一度だけです。東京のわりと奥地に住んでいたころ 自宅のあるアパートの裏が雑木林になっており いきなり雄の雉が飛んで林をつっきっていったのでした。 ついでに 孔雀体験も 思い出しました。東京のとある動物園では孔雀を放し飼いにしており、道路を歩いていると 五メートルくらいの距離で 突然 みごとな羽根をひろげてきたのでした。わたしは、そのあと 孔雀に求婚されたと 大喜びだったこととかも 思い出しました。 私は、この詩に出会って はたと思ったのです。 雉と孔雀は種が違いますが、雄雌の距離の取り方を考えたとき もしかしたら確かにかなり類似しているのかもしれません。 ●詩文引用 はじめて野性の雉をみたとき ずれて生きる番いの角度そのものが 雉の生きかたであると知った ●引用終わり 鳥の番の有り様であるという、ずれて生きる角度というものを わたしなりにイメージしてみたのです。私が見た雄の雉も雄の孔雀にも ずれた場所に きっと 雌がいたのだと思います。 雄と雌には、雄と雌にだけに解る生の有り様がある。 私も うつくしく生きたいものです。 私のような 凡庸な人間である存在にだって うつくしい生き方の関係性の角度が きっとあるにちがいない。そんなことも 思わせていただけました。生死の境で 関係性の角度を感じるなんて、知恵を超えた智慧だと 私には思えたのです。 なんだか目の醒めるような詩文でした。拝読できて よかったです。ありがとうございました。
0るるりらさん、こんにちは! 雉や孔雀の雄につけられた色は、ほんとうに凄いですね。 やっぱり、るるりらさんも心奪われますか。 るるりらさんの体験をお聞きして、わたしも改めて今までの触れ合いの機会を思い出していました。 たしかに、雌が居たように思います。そして、もしかしたら、一羽じゃなかったかもしれない。 何だか色んなことが、ほんとうに不思議に思い出されます。 孔雀に求婚されたんですね。(いいなぁ) わたしたち平凡な人間が美しく生きるためにも、何かを纏うことが必要なのでしょうか。 果たして、少しでもこれが表現になっていましたら嬉しく思います。 お話しを聞かせていただいて、楽しかったです。 ありがとうございます。 (^ ^)
0静かな視界さま、こんにちは。 お読みいただき、ありがとうございました。 うまいかどうかは、分かりませんが、自分で書いたなかでは、特に好きなもののひとつです。 なので、とても嬉しいです。 コメントありがとうございました。
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