(i)
かぼそい
あんまり長いこと夏を遊んでしまったから
羽化することもできずに
あかるみに息絶えゆく名のない虫のような
かぼそい
あの女と部屋のすみでまるくなっていた午後
窓の向こうに見える工場の
煙突の先にとまっている煤けた鳥のような
かぼそい
かぼそいまなざし
ぼくに向けられたうすっぺらな唇が
ただただため息をつくときでも
歯車はまわっていて
やがて暮れては
白すぎる時間を抜けていく
電車の
何かをひいている
ような音が 好きだからと
駅のような場所に立つ
ような
ひとのような
夜ばかりではない
ほんとうはもうずいぶん前から
あのあかるい遠さの病院で
まどろみのなか横たわっているだけなのに
部品のひとつとして青く剥がされては
また青く組み立てられていくまま
そんなときでもやっぱり
あなたのそれはかぼそいまなざし
世界に向けられたはかなげな眼から
やわらかなシーツがこぼれ落ちるときでも
歯車はきつきつとまわっていて
(ii)
水はからだを拒まなかった。それはひとつの
再婚として、妻のもう開かなくなった空へ向
けて。途絶えなくつらなる休息。そして初夜
のことを
思うだろうか。わだかまるための旅
を。暦のほつれを。やがてそこから水との日
々はあふれ、堰を切って趨るだろう。そして
私、そう呼ばれたひとはもう
立ち去っていく
しかなく。息を切らせた死から。あとでの雨
は言葉としてのみ生きながらえる。降った、
それだけだ。そのころには誰も「かなしい」
なんて言葉は知らないだろう。それが
お前の
ねたみだとでもいうように。そうじゃない、
お前のかなしみ。誰も知らない。私、の複数
形をあらわす言葉は私たちではないから。影
だけが暗く川底にはりついて呟く。戦争、戦
争、戦争、青が
足されて。
やがて音も。
波紋はひとつにしか見えなかった、と。それ
が最期の言葉なのか。石たちはひとりひとり
で自殺していったというのに。もうひとつ、
花束がその婚礼のために供えられて。いちり
んずつの花ではなく。それもまたかなしい。
のよ。と、
妻にはそうやって消印が押された
のだ。あとには流れていくだけで。
あとには。
(iii)
窓に
部屋のない場所
時折顔ぶれが
青く終わっているだけの
めずらしげに垂れる
さむい夕涼みの声がする
骨のまるみを殺した
球形の女の小鳥がする
青色の青空
青色の青信号
青色の青写真
つらなりの出土したさまざまに
途切れていく水がする
書きとめられる叫びのひとの
暮れるほほえみの口がする
窓に終わっている
(2002年5月)
作品データ
コメント数 : 10
P V 数 : 1234.6
お気に入り数: 0
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作成日時 2018-03-14
コメント日時 2018-04-11
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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技巧 | 0 | 0 |
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2024/11/21 22時56分49秒現在
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一篇書き始めたのですが月末にできるかどうかというところなので、20歳のころに書いたものをそっと置いていきます。いま読み返すと詰めが甘い部分がとりわけ(ii)にありますが、たぶんそれも含めて私のはじまりにあった姿勢をよく写し取っているような気がします。
0本作から受けたものを、女と青を用いて影響詩のような趣旨で私も書いてみました。 モニュメントがうつむく
0すみません、失敗して送信してしまいました。
0モニュメントがうつむく 殺戮の道に涙すみ やがて平行線 白線なれば平和と ひいて 水を汲む 涙すぎれば青あたらしく 銅によるも 情は黄金とあらわれ 殺されない 殺されないと 道あるうちはと 女性の気持ちよ バルラハの風の中の旅人
0(i)の息の長いフレージングがとても魅力的に感じられます。「かぼそい」の繰り返しでたくみに導入のリズムを作り出し、「〜ような」と「〜て」が対となってゆっくりと正確に安定した「低音」を刻むことで息の長い文章を息切れさせることなく、そして全体を重くならせない絶妙なバランスで非常に魅力的な旋律を作り出していると感じました。 (iii)では「声がする」にはじまって「〜する」がいささか奇妙な使われ方で反復されることによって刃物の上を歩いているような緊張感を感じました。文章としては意味を失って錯綜したような状態になっているのに、あまりわざとらしさを感じさせず、むしろ明確なイメージを想起させられるのが非常に不思議です。「窓」や「青」「終わっている」といった言葉の使われ方、言葉の配置や構図の作り方が非常に効果的なのかもしれません。
0争いから愛憎劇として読むならば、婚礼と書かれてあればロルカの血の婚礼やロミオとジュリエッを思い浮かべてしまう。 映し出す青のイメージが、記憶を透して反映されるように描き込まれていますね。 眼に映し出される水の青とは、光を通して空の青が反映される色でもあり、これを人物から受け取るイメージに置き換えれば、与える印象として冷たい哀しみの色でもある。 そのように考えてみれば、ここで用いられている青とは別れを示唆し予感した哀しみの色でしょう。 あの時代をチャップリンが殺人狂時代と揶揄して映画化したのは当然ご存じでしょう。 戦争、戦争、戦争、殺戮の時代。これは予感を示唆しているのか、または内面的なイメージからこころの戦争と置き換えられたのか、時代背景が読み取れない分、解釈を試みるならば少し中途半端な読後感で終わってしまう。そのような感想は否めませんね。
0否めないというよりもむしろ、流れに詩的誘因力があるだけに少し残念な余韻が残ります。
0殺戮という言葉は「多人数をむごたらしく殺すこと。」という意味だそうですが、ただそれだけの意味で禍々しい気配を字から感じるわけがないとおもいながら戮の意味を調べると、人を斬り殺す意味の他に、力を合わせるという意味があることを知りました。殺戮とは一人では行えないのだ。という前提を真似にこの詩と向き合ったとき、ここには一人、もしくは一つの死が刻印されているようにおもいます。なのに、なぜ、殺戮なんだろうということをおもったときに、戦争という言葉が唐突にむき出してくる(ii)に僕は違和感を覚えます。いいわるいではなく、なぜ、戦争なのか。 殺戮は時代を形容するように、「の」でつながれ、繋がれた時代は歯車のように回り続け、止まることはありません。殺戮でない時代は前にあったのか、これから先にあるのかもわかりませんが、戦争に付け足される青とは何かというところも気になります。アラメルモさんの感想からヒントみたいなものをもらったような気もするのですが、そこからどう深化させていけばいいのか印象に言語が追いついて行きません。 つらなりの出土したさまざまに 途切れていく水がする 書きとめられる叫びのひとの 暮れるほほえみの口がする 窓に終わっている 僕はこの詩を受け取れなかったということは上に書きました。でも、それとは別に本作の持つ文の鋭さは本当に寒気がします。これは僕の勝手な思いですが、もっと読まれるべき作品だと思います。他の方のコメントがもっと読みたい。
0コメント欄に「詰めが甘い部分がとりわけ(ii)にあります」とあるのですが・・・私に一番響いてきたのは、(ii)の部分でした。実話か、そのような設定でシリアスな物語を想定しているのか、あるいはどなたか、実際にモデルがいるのか、そのあたりは分からないまでも・・・私は、この「戦争」を、病との戦い、と読みたく思いました。 上下にピースを寄せて行けば、ぴったりはまる、長方形の形象が現れる。逆に言えば、一つにつながった時間にヒビや断裂が入り、余白の時間によって隙間が引き伸ばされて、そこに言外の意味が生じる。 水、を、末期の水というように具体的に取るのか、彼岸と此岸とを分ける、隔ての川の水、というように取るのか・・・ここでの再婚、婚礼は、死との再婚であるような気もしました。 妻を彼岸に送り出し、一人で現世に戻って来るしかない男の悲しみを描いている。そんな静かな追悼作品であるように思いました。
0〈私、の複数/形をあらわす言葉は私たちではないから。〉 特に目立たせるでもなく差し込まれたこの一文が、なぜかとてもとても気になりました。 私の複数形。私と誰かを含む言葉が私たち、であるなら、私の複数形は私をしか含まない。 いつも私、私と自分のことばかり考えているせいでしょうか。なんだか妙なところで躓いてしまいました。とてもとても気になります。
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