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海のとき
海みずのなか 風が吹いていく たくさんの破片をひろいながら 海の時間を どこまでも奥へ、追い出されて 破片たちは みえなく、ぶつかり また結んで ほどきあって 遠くへ、とおくへと 降ちていく きみの破片はとても小さく きみを、どこまでも覚えていく きみがいたすべての場所と きみが思ったすべてのことを とめどなく忘れて きみ、をどこまでも覚えて いく 海みずに抱かれて きみの破片は あまりに、きみの食べたものだろう きみが殺した豚や牛や きみが殺した野菜や米や 人たちだろう きみはどこかの静けさで 水の音を聞いているか うそみたいなやさしさで きみを話さない波を ぼくが離したぼくを 風は水面にふれて 波をおこす あの日はそれが大きかった とても、大きかった 海みずは岸に押し寄せ 何度もきみを確かめ ふち取った きみがほどけてしまうまで いまきみのいた 岸辺の町に来て 見せまいとするたくさんの 黒々とした防潮堤を越えて 海みずにさわる ぼくはきみにさわって いる だろう きみに小さくふち取られて きみの波に話されて ぼくの手は つめたくなっていく ずっと、そうしているだろう いつか ぼくの手は凍りついて 透明のうちがわに たくさんの風が対流しはじめた きみを待っている
海のとき ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1073.7
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-03-11
コメント日時 2018-04-06
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
海みず?と思いながら読み始めて・・・ あの日、押し寄せた黒い海の水のことを思いつつ きみ は わたし わたし の 打ち砕かれた かけら の ひとつ ひとつ わたしは あなたがたを胸にのせていた わたしは あなたがたのうみだしたものを 腹にのせていた わたしは あなたがたのつくりだしたものを 背にのせていた あのひ 細かく削り取られ奪い取られ わたしは 打たれ 裂かれ 自らの重みに押しつぶされた わたしにやわらかく ほほをよせた みず わたしをきよらかに あらいあげた なみ 日がのぼる時 わたしは りく と呼ばれ 日がかげる時 わたしは うみ と呼ばれ わたしは みずからの名を 知らない わたしの内で 掻き乱された無数の声 声があふれ わたしをのりこえ 今もなお 呼び続ける わたしは だれ わたしは きみ わたしは あなた いまも響き続けている 声
1311ですね。即興で。 流された 記録と記録を残し 砕かれ すり潰され 食べられて 多くの豚と牛と野菜や米のように 拡散した 黒い水から青い水になった今日 海みずに じっといる 探す人よ ここにいるよ 海みずにさわるひとよ ここにいるよ
1きみの破片はとても小さく きみを、どこまでも覚えていく きみがいたすべての場所と きみが思ったすべてのことを とめどなく忘れて きみ、をどこまでも覚えて いく ここが凄くわかるなぁという感じがします。読点のずらし、たったひとつだけなのですが、これが凄くいい。一緒に誰かといた記憶は消えていくばかりで、人間だけが浮き彫りになるような感覚。波の打ち返し一つ一つの事は覚えていないのに、波と言われたら波の姿を脳内に描くことが描くできるように。人も波もそういう意味では同じだ。ただ、人には言葉があるからこそ、少しだけ違うのだけれど、おんなじだ。
1まりもさん、HAneda kyouさん、百均さん。 皆さんコメントありがとうございます。せっかく返詩をいただいたのに、こんなに時間が空いてしまい、しかも、まとめて返信することになってしまい、申し訳ありません。初めは、僕の方からも詩をお返しできればいいな、と思っていたのですが、手をこまねいているうちに、時間が経ち、身の回りでも様々なものが変わってしまい、返信できないでいたのです。フレッシュな詩として返すことができないで、申し訳ないのですが、それでも何か言えたらと思って返信します。 まりもさん 僕は、2011年3月1日にあったことを語る、ということは、「きみ」や、「わたし」、「ぼく」といった呼び名について、問い返すことでもある、と感じています。もちろん、こうした災害を前にして、「私たち」というような、共同性、地域の一体感のようなものは重要なものに違いないのですが、僕は、そうした災害を前にして、「私たち」と自称する時に、追い出されてしまった、掬いきれなかった存在が重要に思えるのです。おそらく、その中には、この詩のなかの「ぼく」「きみ」といった不確かな存在、そして、死んでしまった人、というものもあるんですね。 だからこそ、まりもさんが詩の中で「わたしは だれ」と問いかけたことがとても大切なことのように思いました。「私たち」ではなく、「わたしはあなた」「わたしはきみ」であるような優しさ、もありえていると思いました。 HAneda kyouさん 海みず、があくまで海みずである、ということ、黒い水が青い水に変わったということ。そうしたスケール感で決定的にされてしまいがちな「あの日」を語る、ということ、僕にはHaneda kyouさんの詩は、そういうことを表しているように見えました。「ここ」としか呼びえない、一つ場所が確かにあって、例えば、それは「被災地」とひとくくりにしてしまうことの残酷さから離れた場所にある、と僕は考えてしまいます。「ここ」である、ということ、海を前にして、今、ある、ということ、それこそが、「ここ」にはいない人を思う、よすがであるように、僕は感じました。 百均さん 「人も波もそういう意味では同じだ」という言葉に、感無量でした。ここまで、詩は伝わる、というよりは、僕が思ったものとは別に、同型の感情を、惹起させられるのだな、と思いました。まどろっこしい言い方をしてしまいましたが、本当に、僕はこの詩を書きながらそういうことを見出していったような気が、するのです。
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