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EuropEophObiA
「君はどこまでも、どうしようもないほど、ヨーロッパ的だね」 最初にふとそんなことを言われた時、僕はただ黙って、おにぎりを食べていた。あるいはおにぎりでなくても、各々の食べ物を指定するべきなのだろうけれど。 とにかく、僕はどうにも首をかしげるしかなかった。 そもそも僕にそれを言った相手は、今となっても誰なのかが知れないのだ。少なくとも、僕と同い年の少女であるということはわかっているのだけれど。なぜ僕にそこまで興味を持っていたのかもわからないし、なぜ彼女が僕と話している間は自死というものを延期していたのかも、今となってもわからない。 星空に祈った。光が差し込む、僕をもう信じないでくれ 僕はおにぎりを飲み込み終えると、彼女にそっと訊ねた。 「ヨーロッパ的って?」 「そうだね。まず、私に突然そんなこと言われて、驚いているし、困惑してるでしょ?」 僕はどう答えればいいのかわからなかった。だから、とりあえず肯定するという行為を実践してみることにした。 「そうだね、驚いて、困惑している」 すると少女は呆れ顔で肩をすくめた。 「そういうところだよ、ヨーロッパ的というのは」 よくよく考えてみると、別にこういう僕の態度がヨーロッパ的だというのは初めて言われたことではない。僕が書いている作品を見た何人かの知り合いは確かに僕の中に確かに英米文学の影響を見出していただろうし、あるいは僕自身もヘッセを実に愛読し、ドイツ的な文化を享受し、そしてキリスト教的文学の要素を受け継いでいたのはわかっていた。 「君はまるで英米文学の主人公だ。あるいは村上春樹の小説の主人公とでもいうべきかな」 僕は訊ね返した。 「その反対はなんだっていうんだい?」 「安部公房、あるいは有川浩の主人公たちだよ」 「剥製にされた天才」をご存知ですか 「あるいは君に関してはこう言った方がいいかもね。『横光利一あるいは李箱の描き出した機械質的な主人公たちそのものだ』って。彼らは皆、困惑したとか混乱したとか言っているけれど、それはあまりに欺瞞に満ちている。だって、彼らはただ淡々とした表情でそんなことを言って、ただ目の前の状況に対する感想だけを述べているんだから。それのどこが困惑で、あるいは混乱だというの?」 僕は確かにと頷きながらも、同時に僕の中の持論がそっと湧きあがっていくのを感じていた。なるほど、確かに機械的だ。実際、横光利一のモダニズム小説のタイトルは『機械』であったし、その主人公も確かに無機質な雰囲気があった。だが、それの何が悪いというのだろうか。 別に感情がないわけでもないし、むしろ整然としていて悪くなさそうなのに。 「じゃあ、君は僕にここで喚いて欲しいのかい? パニックになってほしいのかい?」 「ううん、別に。うるさいから嫌。安部公房の『砂の女』の喚くことしかできない主人公なんかより、有川浩の感情が強すぎるキャラクターたちよりも、モダニスタの雰囲気を私は選ぶね。でも、その論法は気に食わないかな。卑怯だよ」 彼女は小石をそっと投げる。星空を鏡のように映すプールの水面は揺れていった。 どうして心の迸るままに生きることがこんなにも難しかったのだろう 以前、僕は少女に詩集を渡していた。まあ、詩集というよりは、いくつもの紙束といった方が正確なのかもしれない。その時も彼女はそれを持っていて、僕の顔にぶつけるように返してきた。 「これ、悪くなかった」 「良くもなかったみたいだね」 彼女は答えた。 「うん。綺麗さと技術がなければ読めたものじゃなかった。君の抒情詩は、あまりにもあからさますぎる。感情を綴るための形態なのに、君はそれを理性と少しの行き当たりばったりで設計しているから。テクノクラートって知ってる? まさにそれだよ」 僕は呟いた。 「つまり意図的すぎるってことか」 「そういうこと。君のヨーロッパ性の顕現だ」 支離滅裂さよりはマシだろうに、と僕は少しのふてくされた想いを、それはそれとして口には出さないようにした。とりあえずは彼女に語らせておくべきだと、どことなく思えたからであった。 代わりに、別のことを言うことにした。 「でも現代詩サイトを見てみなよ。僕の詩は癒しじゃないかい?」 少女は肩をすくめる。 「確かに君の詩は優しさを求める人々にとっては、これ以上ないほどの癒しだよ。社会を論じることはしないし、作中で荒い言葉遣いをすることもない。ネガティブさも毒気も憎悪すらもない。ただ郷愁と失ったものへの愛、あるいは情景への感動と星菫派に対する懐古。それだけが存在する。ここまで抒情に振り切った詩人は私も初めて見たと思う。でも、その抒情はどこまでも意図的な理性の産物じゃん。ヨーロッパ人よりも、遥かにヨーロッパ的すぎるんだ」 それから彼女は足をプールにつけながら言った。 今夜も星が 風にかすれて泣いている 「いつか君のために『新しい「新しい星菫派について」』という文章が書かれるかもね。それも、憎悪やらたくさんの感情をこめられた、理性に基づいた君の文章とは正反対の代物がね。でも、それは実に君の自業自得だ。決して尹東柱にはなれやしない君のね」 それから、彼女はぐいっと僕の腕を引っ張って、一緒にプールに落ちるように飛び込んでいった。僕は少し水を飲んでしまったけれど、すぐに息を持ち直した。そして、今度は水ではなく息を呑んだ。ただ星だけが瞬いて、その冷たい暖かさというものに直に触れることができたのだから。僕はそれを仰向けに浮かびながら眺めたんだ。 濡れた服の重さなんて、ちっとも気にならなかった。 「君は、この光景もいつか詩にするんだろうね」 少女は悲しそうに言った。 「理性の意図と設計が根底になってしまっている詩に。どんなに感情で揺り動かされても」 僕は頷いて、言った。 「夜の果てのために僕は書いているんだ。仕方がないだろう?」 「仕方なくない」 言葉なんて覚えなければよかった しばらくプールで浮いていると、僕は少女に手を引かれて、そのままプールサイドにまで引き上げられていった。世界はまだ夜の眠気の中にあるかのようだった。ただ、波打つ音、水の滴り落ちる音、鈴のような鳴き声、夕涼みに相応しい風の音……。 この瞬間は、ただ僕に記述されるために存在したのだ。 ただ、僕の魂のどこかにある情感的理性によってのみ。 「……君は最初に会ったときから今に至るまで救いようがないね」 しかし僕は少女の言い方にも問題があるように思えた。そもそも、はじめて彼女に会ったとき、救いようがなかったのは彼女の方だともいえるからだ。屋上から飛び降りようとしていたのだし。 少女はそんな僕の言いたいことを察したみたいだった。 「命の所有権は本人にあって、その扱いは本人の自由であるべきだ……そんなことを言われたの、初めてだった。そして、こうも思ったんだ。いくら理性が素晴らしいものだからって、ここまで理性というものを突き詰めていくと、こんなヘンテコなことになっちゃうんだって。オブジェクティビズムの極致じゃんって。そして、笑っちゃった。村上春樹の主人公も絶対に似たようなこといって、そのまま見届けようとするって思うとね……こうやってリアルにいたのが恐ろしいけれど」 確かに言ったが、そこまで変なものだっただろうか。僕は少し疑問を覚える。でも、あまり深く思考をすることは叶わなかった。どうにも疲れていたし、それで段々と瞼が重くなっていったのだから。 「うん、ゆっくり寝てなよ」 少女は僕の濡れた髪を撫でながら言った。 「それで、ただ君の信じる道を進み続ければいい。どんな期待の成就、どんな嘲笑、どんな苦しみが君を待ち受けていたとしてもね。きっと、君はただ進み続けるしかないんだろうし。もとから君はそんな人間だから。おやすみ、ヨーロッパ精神の体現者さん」 僕の視界を、ゆっくりと、星の瞬きなき暗闇が覆った。 王子さまが自分の星に帰ったことはわかっている 夜明け時に、僕はゆっくりと家に帰っていった。きっと少女はもうこの世に存在しない。目が覚めたときに、彼女はどこにもいなかったのだから。 ただ、それだけのことなのに。僕はどうにも不思議な悲しみを言い表せず、ただ家のベッドに戻ったときには、そっと泣き伏せたのだ。 なぜ今に至るまで僕の魂に刺さったままなのだろう。 嵐が花の喩えであるように、人生だけが「さようなら」を意味できた
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EuropEophObiA ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 791.0
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2025-03-15
コメント日時 2025-03-24
項目 | 全期間(2025/04/07現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ジュディマリの「風に吹かれて」みたいです タイトルが好きです
1初めまして。 文中で述べられている通り、 随分、理知的で文章がサラサラしているなぁと思いながら読みました。 ただ、理性に狂いを入れて、 抒情に振り切っているのが、 段落の区切りに入れられている文章たち。 どの文章も鮮烈で、 ハッとしました。 とても印象的です。 ありがとうございます。
0……まあ、確かにあれの歌詞にも「詩集」は出てくるね(検索して調べた) タイトルは最初は結構悩んだ。 素直に英単語だけでいくか、あるいは日本語を添えるか。 結果としては……このような変則的な形になったけど。
1もともとの僕の得意な文章と、普段から書いている抒情詩の合体だからね、この作品。理知と抒情は決して矛盾するものではないとは思う。
1そういえば少し細かい疑問がふと湧いたのだけれど、レモンさんは「理知的でサラサラとした文章」についてはどう思っているのだろうか。 ※少し細かいことが気になってしまう性質
1おはようございます。 へ? 何も思わないです。 「ふーん」で終わりです。 私の好みは想いが溢れるような詩です。 それは、上手い下手関係ありません。 とても失礼致しました。 ありがとうございます。
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