私は君がいなくなくてさみしいよ
ずっと憎んでいた君を
失って今、さみしいと思う所に来た。
呼んでもいないのにそばに来て、座って、その存在だけで私をへこませる君がいなければどこに行けただろう、と、君を横に据えながら何度も呟いた
だけど、今、君がいないままで、どこに行ったとしても本当じゃない気がして
君がいなければ感じることが出来ない大きな波に飲まれることもなく
予見できる凪のような海と、退屈な暖かさに包まれながら
君が波紋を起こしてくれることを期待している
こんなこと、よくも言えたものだね
分かっている。君が私に飲み込まれてしまったのを見て、私は心底がっかりしたものだ
私は君を下らない、役に立たない不合理な自然としてののしりながら、君が恐ろしい津波のように、整頓された街を飲み込んでしまえばいいと思っていたから
君が私の中の、小さな餌を食べて粛々と生き延びるちっぽけな虫のようなものだと知ってがっかりしたんだ。君は寄生虫にもなれない。ただそこにあるだけの黒い点だ。
私は君に偉大であってほしかったんだ。もしそうでなかったら、知るべきではなかった。君の姿なんか、一生知らずに、ただ君の気まぐれに翻弄されて、戸惑って、その先に大きいものが待っていると期待しながら死にたかった。
さようなら、君の愛すべき不明瞭な不条理
この世界で、君の幻影の中で溺れていたかった。もがきながら、やっと息を吸いたかった。
だけどそれはもう叶わないから、私は君のことを知ってしまったから。世界が今までよりも明るく見えて、簡単で、困難が少ないものに見えてしまった。
君のいない夜明けは眩しくて、どこにでも行けそうな気がする。一人だから、どこにでも行けそうな気がするんだ。
君がいなくて寂しいよ。
作品データ
コメント数 : 4
P V 数 : 127.3
お気に入り数: 0
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ポイント数 : 0
作成日時 2025-01-18
コメント日時 0 分前
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2025/01/19現在) |
叙情性 | 0 |
前衛性 | 0 |
可読性 | 0 |
エンタメ | 0 |
技巧 | 0 |
音韻 | 0 |
構成 | 0 |
総合ポイント | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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閲覧指数:127.3
2025/01/19 04時24分59秒現在
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複雑な感情の言語化能力がすごく高い方なのだなと思いました。私はこんな風に書き込めないので、こちらの作品を読んで、内側を見つめて、それを書くということについて再考しました。良いきっかけをありがとうございます。
0この詩は内面を見つめて書き込んだというよりも衝動的に書いたのに近いので、そういった感想をいただけたことが興味深いと思いました。 私は詩的に「内面を見つめる」こととは感情を叙情的に書くことだと思っていて、「さみしい」などの単純な言葉を使うことは衝動的だと思っていました。普通、詩を書き始めようと詩人に思わせる複雑な感情は単純な言葉では表せないもので、もしその感情が「悲しい」に近いものだったとしても、より言語化する際の誤謬を美しいものに昇華するために詩人は例えや叙情を使うものです。しかしこの詩を書いたときはどうしても「さみしい」という言葉を使いたくなったのです。「さみしい」より適切な例えや叙情的な表現があるとは思えなかったというよりも、使いたいと思い書きました。だからこれは自分にとって衝動的な詩で、良い詩になるのかという不安がありました。 しかし自分の感性とは別のところを感じてもらえたということは作品が作者から離れることができたということであり、その時点でこの詩はある程度の成功をおさめることができたのだと思えました。ありがとうございます。
0すみません、返信先を誤ってしまったのでもう一度同じ内容をコメントするのを許してください! この詩は内面を見つめて書き込んだというよりも衝動的に書いたのに近いので、そういった感想をいただけたことが興味深いと思いました。 私は詩的に「内面を見つめる」こととは感情を叙情的に書くことだと思っていて、「さみしい」などの単純な言葉を使うことは衝動的だと思っていました。普通、詩を書き始めようと詩人に思わせる複雑な感情は単純な言葉では表せないもので、もしその感情が「悲しい」に近いものだったとしても、より言語化する際の誤謬を美しいものに昇華するために詩人は例えや叙情を使うものです。しかしこの詩を書いたときはどうしても「さみしい」という言葉を使いたくなったのです。「さみしい」より適切な例えや叙情的な表現があるとは思えなかったというよりも、使いたいと思い書きました。だからこれは自分にとって衝動的な詩で、良い詩になるのかという不安がありました。 しかし自分の感性とは別のところを感じてもらえたということは作品が作者から離れることができたということであり、その時点でこの詩はある程度の成功をおさめることができたのだと思えました。ありがとうございます。
1ご返信ありがとうございます。先のコメントにて、複雑な"感情"と書きましたが、複雑な"思い"の方が適切な表現だったと思いました。たしかに「さみしいと思う」とはっきり書いてあるのですが、そこに至るまでの思いの過程は複雑であったように感じました。複雑だからこそ、比喩を交えて何度も書き重ねてある。 頂いたレスにて、夜行さんの詩についてのお考えが知れたので、コメントさせて頂いて良かったと思います。ですが、私の一件目のコメントは、読んで受け取ったものを"衝動的"に書いたものだったと反省しました。 私は何かを書いてどこかへ公開した時点で、「作品が作者から離れ」てしまい、読み手の解釈に委ねられ、"別のところ"を感じられるものになると思っています。 でもそれ以前に、作品を書くに至った時点で、ある程度作者は自分の思いや、感情を少し離れたところから見つめ始めているとも私は考えています。今まさにじゅくじゅくの傷口の、激痛そのものを描くことは難しく、少し痛みと距離が出来始めたときに、作者は何かを言葉にしようと試みるものだと私は考えています。痛みを言葉に置き換えようと思った時点で、人は回復を始めるのだとも思います。そして傷口をより適切に、正確に表す言葉を求め始めているときには、もう傷口と人の間は、薄い瘡蓋で隔てられてしまっている。激痛そのものを描こうとするのは、不可能への挑戦だと思いますが、私はそのような挑戦に価値を見出しています。長く書きましたが、後半は私個人の考えを、夜行さんの詩についての考えから刺激を受け、言葉にしただけのものになってしまっていて、しかも本筋から脱線しているので、この人の返信は、意味がずれてるなと思われたことかと思います。すみません。終わります。ありがとうございました。
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