「先生、このリンゴ、いつまで経っても同じ味がするんですよ」
そう言った君は今、目の前で眠っている。
目覚めることはない、故郷の麻酔薬で。
君の上衣を脱がせると、やはり、
立派な大都会が広がっていた。
尾びれのついた、銀のメスが澄み泳ぐ。
先ほどまで群衆が守っていた、幹線道路、ビル街の皮膚へ。
つ、パキ、つ、パキ、
細い川が流れ出す。
止血用のガーゼには、救済を塗っている。
胸の中の、列車のようなあばら骨をゆっくり抜いて、
動物たちの牙や角を刺し込む。
君の体毛が、徐々に森に成っていくのが見えた。
肺から伸びる、記憶の両手をやさしく払いのけ、
小さな命の球を拾い、
隣に立つ天使の助手の手の上へ乗せる。
そこに人工心肺をつけ、胎動するよう刺激した。
その間に君の体は、
自分を抱え込むように丸くなって、
青緑色の綺麗な丸い背中を私たちに見せてくれた。
「先生、成功ですね」
助手はそう微笑むと、すぐさま次の現場へと翔び立ってしまった。
何故だろう。
私はぐるっと地球を回る。
決まって全員が、深い傷を負う。
水面をなぞると、偽りのさざ波が聴こえる。
無影灯がチカチカと、点滅し始め、
周りの蛾たちが、白い鳥となって降りて来る。
「先生、このリンゴ、いつまで経っても同じ味がするんですよ」
大きな黒いイボの下で、ちっちゃな君が言う。
「ああ、同じようだね」
私の胸が、ぱっくりとうなずいた。
作品データ
コメント数 : 16
P V 数 : 927.2
お気に入り数: 2
投票数 : 5
ポイント数 : 0
作成日時 2024-11-04
コメント日時 2024-11-14
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/15現在) | 投稿後10日間 |
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2024/11/15 02時31分18秒現在
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熊倉さんは、シュールレアリズムをよく書かれるということですが、グロテスクなものへの 嗜好が少しあるのかな、と思いました。想像の翼を駆って、飛翔することに、美しさが 伴っていた場合、シュールレアリズムへの敬意へと変わると僕は思うのですが、そうではない 場合には、人工というやや厳しめの感想が浮かびます。ボードレールやロートレアモンを 超えて欲しいと思っています。
1https://x.com/yokoyama_hiyori/status/1841716635557888392?t=qeavqIEyAHTd6uZTRi4R3w&s=19 『先生、ひじが曲がらないんですけど』 『曲がってるじゃないですか!』 を想起 #弟子のネタ
1ああ、イイね。この詩は全文詩に対する思考(試行)についての暗喩に置かれて書かれている。「術産」算術でもなく、どちらかと言えば問答方法によって相手に認識や思想を自覚させようというソクラテスの「産婆術」に近い思考から「術産」と、そのことを捻ってますね。「先生、このリンゴ、いつまで経っても同じ味がするんですよ」と冒頭&終わりに繰り返されている。ということは結論エハ何ひとつ導かれなかった。ということを表している。 グロテスクだ。黒髪さんがそうコメントしているが確かにグロテスクにエロくて、僕の一目置く画家、ヴンダーリッヒの画を眺め見るように奇妙なカタチ構図と書かれていますね。 熊倉くん( くん付けで呼んでもいいかな?私よりもまだずいぶんとお若い気もするので)は味な事をしますね。 岡本太郎や晩年のピカソの画は醜い。あのデフォルメが醜く見えてきますが、それは外形的な美しさを意識しているからで、そう、醜い化け物がいるからこそ美もより一層引き立つように、醜さと美しさは切り離せない関係にある。そういうことを踏まえての、この詩の醜さです。 ああ、素晴らしい。
1リンゴである意味なんて知恵の実しか考えられないけど。知恵を得た、或いは堕落と読んでいくのが読解として必要なのか。リンゴはただオブジェクトとして味が同じという点だけで、麻痺とするべきか。迷っていた。あとは大きな黒いイボってなんだろうってずっと考えてる。単純に不穏なものでしかないんだろうけどきっとなにか見えていてこう書いてると思うんだワ。ただの悪性と考えればいいか、まあそうだろうな。)Oo。.(´-`) それを踏まえてChatGPTくんと対話しつつ読解しました。 まずはじめに「リンゴの味がしない」という部分に着目しました。 「リンゴの味がしないということは感覚の麻痺だろうか。大都会、列車など、無機質なものに体が侵されているもので、それを群衆が守っていた。故郷の麻酔薬で眠らせられたキミは、動物たちの牙や角を刺し込み/君の体毛が、徐々に森に成っていくのが見えた。これは神経だろうとして、野性的に豊かに。という意味だろうか。」 「最終連で「私の胸が、ぱっくりとうなずいた」とある。これは先生自体は感覚どころか心臓もないように思える。したがってこの者たちは皆、死んでいるのかもしれない。」 「いまさら野生を取り戻したところで手遅れなのだろうね」等、とりあえず対話しつつ此処でなんとなくの方向を決めます。 そして「大きな黒いイボとはなんだろうか」ときくと「死や腐敗、もしくは侵食といった負の要素の暗示」や「無機質で人工的な生活に蝕まれていく様子」「感覚や心そのものを蝕む「病巣」、「イボ」という言葉が持つ不気味さや醜悪さ」「何かが既に「腐っている」という暗い未来を示唆しているとも言えるでしょう。」などなかなかのワードがでてきたので。それを踏まえて考え直しました。 titleにあるようにこの作品は「術」によって「産」み出されるもの、と考えるのがいちばんしっくりくるんだが、自分はこの詩を戦争詩として見えてしまったので←一文づつChatGPTといっしょに浚っていって、ここがこう読むとどうなる?みたいな感じで対話しつつ照らし合わせた感じですが 形だけではなく物事の不条理さ。過ちを繰り返すさま、循環。君(未来)に対しちっちゃな希望はあるのでしょうか。「私の胸が、ぱっくりとうなずいた。」欲望でも虚無でもあるのかなと。そんな印象を受けました。 読解メッチャ楽しかったです。〔たのしいと言っていいのかな、誤読内容的に??)
1一票
1この方熊倉くんはシュールリアリストだから意味を追い求めては理解できないですよ。私はダリの「ダリブロー.フェイス」に近い無意識の世界観を想起させられる。連想から得られる精神分析的解釈の偏執狂的批評を取り入れたダブルイメージですね。固定観念の崩壊を目指してる。なので読み手によって解釈が異なって当然です。
1対象的な会話として脈筋は読めるのですが、それをどのようにして切り離して読み手がイメージを想起させられるのか。意識する思考と無意識に飛躍する想像を。つまり読み手としての我々の思考が試されているのです。
1おもしろかったです。
1黒髪さん、コメントありがとうございます。 単語の意味合いが若干違うかもしれないですが、以前ある方に、グロテスク・リアリズム味を感じる(入沢康夫さんを例に挙げて)と言われたことがあります。主義、概念の運用に懐疑的になりつつある最近の心境ですが、そういう先人の業績などは自分なりに分析して、現代に合う詩を書いていければと、思いますね。
1話が逸れるかもしれないですが、お弟子さんは、アイドル的存在が好きそうですね。自分はアイドル的という性質には疎くて、キャラや発言よりも、どれほど感動できる曲を歌ってるかしか見れないですね… ちょくちょくチェックはさせていただいてます、ありがとうございます。
0メルモさん、コメントありがとうございます。 「連想から得られる精神分析的解釈の偏執狂的批評を取り入れたダブルイメージですね」 おっしゃる通り、身の回りのあらゆる物事を新解釈しながら、それを作品に落とし込んでいる意識をずっと持っています。又、分かりやすく描きながらも、どれだけ多くの結論を読み手に出させるか、詩の中の強いメッセージというのをまばらに抜く操作もしているつもりではあります。が、反面一つの優れた批評に掬われたい願望もありながら、書いてますね。 すみません、この詩はなかなか自分じゃ怖くて直視できない作品でもあるので、外部の話しかできませんでした。ありがとうございます。
0A・O・Iさん、コメントありがとうございます。 まず、「リンゴ」、知恵の実について注目されたということで。 リンゴには、旧約聖書のイメージを持ちながら当時書いてはいたと思います。上のメルモさんへのコメントにも書きましたが、その聖書の物語から色々と要素を抜いたり思想を加えている覚えもあります。 一つ浮かぶ問題は、リンゴが知恵の実ならば、この詩における「蛇」の存在はどれだろう。手術前に既に食べてしまっている。お見舞いの品なんだろうか、それとも病院食だろうか。誰から貰ったのだろう。リンゴだけ別次元からスポッと侵入しているような、違和感。 又、知恵の実を食べると神と同じ賢さを得られるそうですが、この詩における「神」はどれだろう、という問題も立ち上がってきそうです。どちらも居ないように描かれているとも読めるし、医者が神なのかもしれないし。 その他、「いまさら野生を取り戻したところで手遅れなのだろうね」というのは、自分の価値観に関わってくるところですし、「イボ」が、「何かが既に「腐っている」という暗い未来を示唆しているとも言える」という解釈にもおおむね同意します。 「イボ」を書いた意図は単純に、大きな樹木のような「イボ」として、そこに成ったリンゴを食べるラスト、のようなイメージで書きました。しかしそうなると、冒頭と最後のリンゴは別物でしょうか。いや、この医者や天使が今立っている地球にも、同じ「イボの木」が生えているかもしれません。 「蛇」、「神」の存在はどれか、「イボの木」はこの地球だけに生えているか等々、AOIさんはどの解釈か、どの派なのか、気になります。読み手がどういう人間かを引き出せるように書けたのかなぁと、思いますが、どうでしょう…。
1まずリンゴ=知恵の実の意味を思った。あくまで意味だけですね。すべてを一つに絡めようとは思わなかった。それは仮に書き手が元ネタありきでナゾリがいたものだとしても、私はそういう読みはしないです。これは一文づつ浚っていき全体として戦争詩としての見解を一つに定めてみただけなので。連想されることがらをパズルのように嵌めていくかたち、この手のしゅるれありすむ要素に見えるものに関してはとくに、読解も詩を書いているときと変わらないです。なんせまず私の初稿が自動筆記だったりコラージュだったりするので。そっから自分で自分のものを読解していくので。表も裏も色も形もひっくり返しては書かれたものを疑って行く、書き手の意図は考慮しないですね。 まあでも神が医者だとしても崇拝や独裁に近い気もしますけど。救済ってささやかでわがままなものだと思いますし。必要があれば善であり、なければ悪みたいなものです(脱線) >読み手がどういう人間かを引き出せるように書けたのかなぁと これですよね、目指すところは。難しいところですが。この書き手は――みたいな先入観、払拭したいですよね。ミハイさんは結果を出しつつほんとうに努めてらっしゃるなと思って、甘んじないところが強さだなと、いま一番注目してみています(ガン見)
1アンドレ・ブルトンの『溶ける魚』とはまた違う、現代版のシュルレアリスムを感じます。ただこの作風の目指すところは結局のところ、どれだけ突き詰めても、ブルトンの『溶ける魚』のような世界観に立ち返るのではないかと思います。時代背景が違うだけで、手法そのものはブルトンと瓜二つであり、まるで「馬車馬」を「自動車」に置き換えているだけのように読めてしまいます。意地悪な意見になってしまいましたが、どこかに独自のアプローチを取り入れなければ、この手法の新鮮味を出すことは難しいのではないでしょうか。ただ、良い作品でしたのでコメントをさせていただきました。
1コメントありがとうございます。 彼らの向かっていた先に、立ち返り、通過点にしなければならないという意識があります。その上での独自のアプローチも、これから形象化してゆくだろうと思います。体感、10年は掛かりそうです。 大まかに方針は、新しい押韻のスタイル、多言語知覚の獲得、ナラティブの境界線模索などを考えています。 お褒めの言葉、ありがとうございます。
0天使の助手っていうWordがすこし気になったけど(それは僕がヨゴレであるからでせう)初っ端からなんか引き込まれましたねー楳図タッチの画で再生させてみましたよー票入れちゃいまーす
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