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蛍をまた見たい
蛍が飛んだ。 いきものはまだいる。 僕はめだかのほうが幸せだったかな? 僕は人間的な生活を求め詩を読む。 僕は人間的な生活を求め詩を描く。 僕は人間的な生活を求め大学に行った。 雨が今日は降った。 昨日は晴れ間はあった。 雨が今日は降った。 月も太陽も見えない。 不在と存在がメロディーを、音楽をつくる。 雨が降った。 蛍が今日は飛んだ。
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蛍をまた見たい ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 304.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-11-01
コメント日時 2024-11-12
項目 | 全期間(2024/11/15現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
蛍は川のそばでよく見かけました。さいきん、夜に川に行くことがなくなり見ていません。
0晴れ間がみえていても、飛ばなかったのですかね… 人間もめだかも蛍も雨が不在だと、生き生きできないのかもしれませんね いろいろな解釈ができそうでおもしろい詩です
0「不在と存在がメロディーを、音楽をつくる」 音楽は、それぞれの楽器が沈黙したり奏でられたり、その美学があると思います。それと、「雨」と「晴れ間」が交互に奏でられる日々、蛍の飛翔と停留が重ねられる。 そういう詩だなと、また最初に立ち返ると、「いきものはまだいる」という行に目が止まる。もちろん一匹、一人、の個々の生死は繰り返されるけれど、この地球では現在、いきもの全体が滅亡したり誕生したりというメロディはリアルタイムでは聴ける生き物はいない。そういう楽譜の上で生きていることを感じて詩が始まっているところが、良いなと思いました。
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