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生活
りんごをかじって その酸っぱさに顔をしかめて だからといって今日1日が おじゃんになるほど 人生ってのはやわじゃない それは木にとって 枝につもった雪のようなものだし 海にとっては その中を泳ぐ魚群のようなものだ そんなものではびくともしない 我々の生活 1分1秒先のことがまったくわからないのにもかかわらず おそれおののいたりしない 我々の生活 いつか死ぬとわかっていながらも ほがらかに笑い、歌う 我々の生活
生活 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 766.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-02-20
コメント日時 2018-03-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
最後「我々の生活」となっているところが面白いと思いました。 >りんごをかじって >その酸っぱさに顔をしかめて >だからといって今日1日が >おじゃんになるほど >人生ってのはやわじゃない 最初りんごをかじっているのは多分一人で、酸っぱさに顔をしかめているという始まり方から、人生につながり、そこから自然現象の話が挟まった後で、「我々の生活」につながっていく、より一般化されていく、というよりは個の感覚が希釈されていくイメージなのかなと思いました。 些細なきっかけによって、その日、今日一日が終わってしまうという事は僕にとってはですが、とてもよくあります。そうして一日が終わってしまうと、ものすごくこれからの人生怖く思うときがあります。このままずっと失敗していくんだろうかみたいな虚無感です。でも、僕自身はだからといって死のイメージを内側に、そこまで深刻に抱いている訳ではなくて、毎日そこそこ苦しいのですが、でも生活は自然現象の様に続いていくみたいな感じです。多分苦しいと思っている瞬間も、上書きされていってしまうし、ここでは木と海が出てきて、木には雪が降り積もり、海の静寂を切り裂く?ような魚群が例として挙げられていますが、木そのものに自意識が芽生えていたら多分雪はうっとおしく感じるのかなぁと思いますが、木一人一人の感情なんか僕らは知らないし、木だってずっと雪が積もっているわけじゃないので、多分冬は大変だと思うんですがそれ以外の時期はそうでもないのかなぁとか、そこらへんに生えている木にきっと雪が積もったって、例えばせかいの枠組みから俯瞰して見てしまえばどうでもいい事に違いないように思います。だから、最初一人でりんごを食べたときに感じた感触、すっぱいっていう感想が、我々の生活の中に消されてしまうというのか、薄れていってしまう感じに、ちょっとした危機感みたいなものを感じたり、皮肉めいた物を感じたり、薄れていく感覚をなんとかつなぎ止めようとしている自意識の声みたいな物が聞こえました。
0感想ありがとうございます。 感想の最後のほうに危機感や皮肉という言葉が出てきますがそこには安堵というものもあるのではないかと思います。忘れていくから生きていけるのだというような気持ちです。 詩について他者に感想をもらうのははじめてでしたが面白かったです。ありがとうございました。
0こういう日常を噛みしめるような瞬間に共感します。 「我々の」と、この詩の中での主語は大きいのですが、あくまで自分自身の 日常生活の賛歌という感じがします。
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