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シャルロットの庭※
2001年9月11日の午前、私はパリ発の飛行機でロンドン、ヒースロー空港に向かっていた。(隣の席にアラブ系の女性が子ども連れで乗っていた。) 私がそのことを初めて知ったのは、翌12日、ロンドンの宿を出る時で、最初はテレビに映っている光景か何を意味するのかまるで理解できなかった。受付にいた日本女性が説明してくれて、ようやく事件の一部を知った。 その足で市内に出かけ、午後にはかねてから行きたかったキューガーデンを訪れた。日本のテレビでしばしば紹介されていた庭園は、広大さは想像以上だったが、期待したほどの感銘は受けなかった。もっとも、私がまだ見ていない場所が、かなり残されていたに違いない。夕刻になって、痛い足を引きずり、ほとんど迷子になりなら辿り着いたのが、「シャルロットの庭」と言う夏期だけその門を開く小さな一角だった。既に閉園近い庭に観光客らしい人影はなく、かなたに太陽を包んで重い雲がかかっていた。入り口付近から幻想的な美しさで引き入れるような庭のたたずまいに、足の疲れを忘れて踏み入った。 木のベンチに銀髪の老婦人が斜めに腰掛けて新聞を開いていた。古い手紙でも読むに相応しい庭に、それはひどく不似合いな光景だった。新聞の記事が何であるかは容易に想像が付いた。 庭は美しかった。 さっきまで見てきた場所もそれなりに美しいと言えるのだが、似て非なる何かが領していた。あまりにも美しい場所というのは、死の気配がする。私はその庭を愛した人々の魂や、まだ其処かしこに見開かれたままの瞳、死者のささやきを木立の陰や自分の背後に感じた。花々の彩りはむしろ沈んでいたが、夕暮れを押しとどめる華やかさがあった。 私と老婦人の他にもう一人いた。その庭を任されているらしい園丁だった。彼もまた庭に相応しい美しい金髪の若者だった。けれども、異常に痩せて蒼白な皮膚の色は、当時話題の不治の病を思わせた。彼は掘り返した紫の花株を手に持って、新しい場所を物色していた。そう言う単調な作業が、どのような歓びに溢れたものかを私もいくらか知っている逡巡を、庭に溶けいるような静かさでくり返していた。おそらく庭は彼の心の色でもあるのだった。 彼は新聞の記事を知っていただろうか。知っていたとしても、この庭の中には、その記事の殺伐さは入ってきようがないのだと私は感じた。たとえ、この場所までもが破壊されるような事態が起こったとしても、この庭に息づいているものを誰も破壊することは出来ない。彼が配置し、育て、染め上げた心の色を、今というこの瞬間を、誰も破壊することは出来ないのだと。もし、私の想像通り、彼が不治の病に冒されているとしたら、その憂愁の中に最後の時まで、限りない憧憬として、心としてあることを、シャルロットの庭はやさしく見まもるにちがいなかった。 2004作・改稿 ※bレビュウ杯不参加作品です。
シャルロットの庭※ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 841.1
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ポイント数 : 0
作成日時 2018-02-18
コメント日時 2018-03-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
9・11の「衝撃」が、「旅行者」である語り手に、何を残したのか、残さなかったのか・・・ 美しい場所には死の匂いがする。様々な文学者が、入れ替わり立ち替わり「その不思議」について語ろう、物語ろうとし続け、常に「その人の物語」は現れたとしても、普遍的な「答え」は見いだされない。それでも問い続けることに、文字を綴るということの意味と必然があるのだとは思うのですが・・・ あまりにも抑制された筆致が、事件の衝撃をあえて遠ざけよう、ひとつの事象としてとらえようとする心性によるものなのか(自身の精神を守るための、自然な防御反応ですね) 事件の大きさを把握できないまま、何らかの麻痺状態にあった、ということなのか。 それでも、この美しすぎる場所が破壊されるかもしれないとしても・・・という仮定が脳裏をかすめた時点で、語り手の精神は事件の影響下にあるわけです。 死に蝕まれている肉体が、目の前の場所の「美」の完成のために(それは未完に終わるとしても)手を尽くし続ける。 そのようにしてしか、事件を「受け止める」ことが出来ない、という1つの限界と、自身には受け止めきれない大きな悲惨と、いかにして向き合うか、という問いへの自分なりの答えを、語り手はつかんだ、ということなのではないか。 だとするなら・・・そこに焦点をあてて、掘り下げていく試みを、もっと工夫してみたらどうでしょうか。 全体に抑制され過ぎていて・・・隠れたテーマとも言える、明日、世界が滅びるとしても、私は今日、リンゴの木を植える、という「今」との接し方、生き方に気づいた瞬間の心のおののきのようなもの・・・までが、抑制されてしまっているように思われました。
0まりもさんへ 「明日、世界が滅びるとしても、私は今日、リンゴの木を植える」 という時の、ながれてゆく時間や人間の意志ではなく、 新聞の記事や私の記憶でもなく、 庭師の静かな行為だけに支配された一瞬が満ち渡っていた、という感じ。 (以前書いた「ダグマ」とかでは、思い切り悲惨と向き合いましたが、 ここでは、) その一瞬の中にいることは、幸福そのものなので、 抑制とは違った、忘我のような感覚だったと思い出すのですが、 作者がこれ言っていいのかなあw いつも、楽しく考える切っ掛けをありがとうございます。
0twitterれんけいをわすれてました。
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