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ハーメルン
ビルが落とす影と光の線の上に ぼくは大きな画用紙で家を建てる 新しいカッターナイフを左手で握って からだより少し小さなドアを切り抜く 余った紙で筆箱くらいの階段を作り 二階の壁に図鑑くらいの窓を切り抜く 少し考えてから切り抜いた紙に 黒いクレヨンでかみさまの似顔絵を描いて飾る 窓から明るい通りを眺めると お日様で温められた人たちが かっこいい洋服に絡まって信号を渡っていく ぼくはポロシャツの胸ポケットに手を入れて むかしママからテストのご褒美にもらった むらさき色のアゲハ蝶を丁寧に広げる こだわりをほどくやさしい風に アゲハはなびいて死んでいるから 遠くの青空に飾るふりして窓から放る 羽にはぼくの怠さがすっかり沁みついていて いくら謝っても意味ないくらいに 耐えられない重さで地面へと衝突する アスファルトに刻むモノクロームの画面に 鮮やかな鱗粉が音もなく散らばって乱反射する 明るい人たちは気にしないで通り過ぎる 通塾かばんを背負ったおとこのこが スニーカーの裏で死骸を踏んで走り抜ける 信号が変わると大人びた車が低速で行き交い アゲハの肢体はどこかに急ぐ足跡へと変わる ぼくは見えるものすべてに言い訳を探すけど 紙の家はあまりに細く建てられていて 新しいビルの影に覆われているから ママの顔さえ見分けられない だからそのまま何も望まなくなるまで 単調な信号のプログラムに感情を同期する ガムのミントが消えるみたいにお日様が沈んで やがて家は匂いのない暗闇に包まれる 狭い直線上に横たわってからだを伸ばすと 光が弱く射し込む家は白く淡く毛羽立っている しばらくすると背を向けた一階のドアの辺りに 生まれたときの病室の懐かしい気配を感じる でもぼくは目を閉じたまま振り返らない 待っているのは虹色の鼠だって知っているから 鼠の後ろには灰色の顔をした人たちがたくさん 張り詰めた顔をして一列に並んでいることも それとも狭いホームで電車を待つみたいに 携帯を片手に何列かで道路に立ちつくしたまま ぼくがアゲハを死なせたことを その人たちは怒っているのか それともアゲハを死なせたのはその人たちで 微笑みながら死体のそばを通り過ぎたのか 列にはきっとあの日の灰色のママもいるはず 心地よい眠りの砂にまみれてぼくはそう思う やわらかい左手にカッターを握り直すと ぼくがこれから作り上げる家と 夜の街に遠くまで広がる静かな家と いまこの瞬間も世界中のあらゆるどこかで 息を吐くように崩れていく家のことを考える
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ハーメルン ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2502.5
お気に入り数: 1
投票数 : 5
ポイント数 : 0
作成日時 2024-10-02
コメント日時 2024-10-27
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
画用紙で家を建てたのですね。それで息を吐くように崩れて行く家に納得がいったのですが、最初のフレーズを忘れていたので、慌てて最初から読み返しました。死んでしまったアゲハ。僕が死なせたのか、「その人たち」が死なせたのか。ああ、でも大きな画用紙で、とあるので、もしかしたら、本当に人が住める、今流行りの?厚紙で出来た家なのかもしれません。
1エイクピアさん、コメントありがとうございます。厚紙で家が建つかはわからないのですが、建ててみてもいいかなとは思います。住めるかどうかはわかりませんが、作ることはできるかもって思います。
0何が印象に残るのか、思い描ける文面、結びつきやすいオブジェクト。丁寧に言葉を選んで模索しているかんじ。ワタシ的にはただ、おもしろいことしてきたなとだけ思えた。画用紙の家を覆うように大きなポイントとしてアゲハチョウとハーメルンがあるのだが、どうもひっつかない、何度か読み直して、ハーメルン検索してみたけど読解してみようと思えなかった。言葉として不明なまま、引き込まれはする。だが、使いこなせてない印象を持つ。titleの世界観と、描かれている視界と、読ませたいことが、佐々木さんの中では混じっているのだろうか。わたしは、一読者として確実に伝えたいことが明確にあるように思えるので、ただ、ごちゃごちゃしているように感じた。
1どう書こうかなと思ってる間に間違って返信してしまいました…まとまってからあらためて返信します。
1まあずいぶんと図式的な作品な気もしますが、佐々木さん特有の、知的なアンテナの鋭さもあって、 面白いのかつまらないのか、最後までわかんなかった。なんだか、わけのわかんないふうに書いてるってことなのかなと思いました。 提示されているものが、ぜんぶフェイクなもので(左利き←世界に対する違和感、ポロシャツ←匿名性、アゲハ←感性)、結局なにかしらの思想を置くようなマネもしない。 スクラップ&ビルド、&スクラップ。笑
1AOIさん、コメントありがとうございます。 AOIさんから毎回言われているように同じような作品を書いていても自分もつまらないので、何作かに一回は自分の思うように好きなように書いてみることにしています。そして大抵みなさんから「よくわからない。まとまっていない」と言われます。今回もそのパターンですね笑 根本的にはわたし自身の感覚がちょっとズレていることが原因なのではないかと思いますが、それだけじゃなくて、そのズレた感覚を読んだ方に運ぶ器や技術が足りていないのだと思います。 読み返してみて、確かに「使いこなせてない印象を持つ」というところ、真摯に受け止めたいと思います。あまり説明的になるのもよくないですが、さすがに唐突(バラバラ)という印象でしょうか。 わたしの中では画用紙もアゲハ蝶もハーメルンもママも鼠も灰色の人もすべてぴったりつながっています。ただ、どうつながっているか説明できないので形にしてみたのですが、もっと工夫ができたんじゃないかと思っています。かれこれ半年以上書いていますが、まだ何も見つかっていない気がします。長く書いている方からしたら当たり前だよってことかもしれませんが笑
1脳内での映像化がしやすい作品。かなり写実的な雰囲気があるというか……(僕の場合も映像化イメージがしやすい作品を書こうとするけれど、幻想性に傾けるし)
1不思議な詩に拵えていらっしゃる。終わりを読めば子供の気配さえ消えていくような…映像で起ち上げていけば寧ろ映画「ブリキの太鼓」に出てくる少年の姿を浮かべてしまいますね。あの成長を止めた少年の姿が… ということでおはようございます。佐々木春さん、ウルトラ爺でございます。 なんでアゲハ蝶なのだろう? ハーメルンはドイツ北東部の都市で古くは製粉業として栄えていた街らしいですね。らしいというのでちょっと調べてみたのですが、あの13世紀の頃ですね。なので鼠は多かったはずですが、ペストが欧州で爆発的に流行るのはまだ後々ですね。そう、ハーメルンと直接縁のない我々が思い浮かべるのは「ハーメルンの笛吹」グリム童話です。童話は読んでませんが映画ならずいぶんずいぶんと前に観てますよ。笑。何年か前にも衛星で再放送されてましたね。でもよく観てなかったので忘れちゃいましたよ。主人公の笛吹き男はジャック.ワイルド。もう既に他界されていますが、鼻に特徴があるので、あの顔だけは忘れることはありません。なんてたって「小さな恋のメロディ」マーク.レスターのお友だちで出演してましたからね。少女役はトレーシー.ハイド。三人とも可愛かったな。僕もレモン水のように純で爽やかだった頃です。「ハーメルンの笛吹」その後裏若き青年に成長した頃の作品ですね。 余談が長くなってすみませんね。ついつい回顧してしまいます。この「ハーメルン」と題された作品も当然念頭には「ハーメルンの笛吹」があるのでしょうね。少ない手掛かりですが、「虹色の鼠だって~」と記されてあるからですが、それだけかよ?ってなるのが、この物語を知る人間ならば当然疑問も湧いてきます。 大量の鼠に手を焼いていたハーメルンの村人たちは何処からやって来たのか、魔法使いのような笛吹き男に金貨の報酬を約束して鼠の駆除を頼みます。哀れ鼠たちはこの魔法の笛の音に誘わて河で溺死してしまう。しかし村人たちはあまりにもあっけない退治に約束の報酬を拒絶してしまう。この約束を反故にしてしまった村人たちに対して、魔法使い笛吹き男は笛を吹く。なんと今度は村人の子供たちが笛の音に釣られて連れ去られてしまうという。グリム童話としてもお馴染みの何とも不可解な話ですが、ご存じのとおり、ちゃんと史実として伝承もされていますね。しかながらその実話の内容はかなり怪しいようです。あの時代は諸国との小競り合いで兵士として出征していったのではないか、とか、また植民地政策により人身売買にかけられた話しがすり変わって伝わったのではないか、などetc.諸説あるような話です。 そのような何かと怪しい物語の「ハーメルンの笛吹」ですが、話しを戻せば何故筆者は主体に近い形でアゲハ蝶をギミックとして取り上げたのだろうかという疑問が残ります。それで私なりに二つの解釈を浮かべてみました。一つはアゲハ蝶の姿見ですね。あの模様が魔法使いのような笛吹き男の斑模様をした格好に似ていたからではないか。二つ目としてアゲハ蝶とはいわゆる胡蝶の夢としての役割を与えている象徴ではないだろうか、ということです。 なので私が冒頭に述べた存在感のない消えたような子供として過去を語る語り手が、現実の街の様子を思い描きながら交錯していく夢物語。そう考えると画用紙で作られた家とはこの脆くも崩れ落ちそうな現実としての象徴で、このことは現に世界のあちらこちらで起きている破壊の様子。ウクライナやパレスチナにも通じる内在が含まれていて、そう、筆者にとっての「ハーメルン」とはまさに代償としての罪に咎められた土地の象徴で、それは約束の地が破られ何ひとつ保障もされなかったウクライナやパレスチナでもあるのでしょう。 と探って潜り込んでいけばいくらでも解釈は可能性に溢れてくる。このことはまだ新米だと言い張る詩人。佐々木春さんの突出した個性でしょうね。 まあ、素晴らしい書き手だとは思うので、どんどん長所を延ばしてください。
1おまるたろうさん、コメントしずらい作品へのコメント、ありがとうございます笑 「画用紙で家を建てる」というところが浮かんで、そのまま書いていったらこうなっていました。 先月は結構考えて書いてみたので、今月はまず自由に書いてみよう…とその結果、おそらくわたしの「わけのわからない」、というか整理されていない感情みたいなものが図式化されて出てきたんだと思います。 それでもかたちだけは何とか読みやすいように整えはしたのですが、それでもわかりにくかったですね…自分自身の確認(プロット?)みたいな作品なのかもしれません。 思想みたいなものは苦手というか、あまり拠り所にはしていません。 「スクラップ&ビルド、&スクラップ」というところは、仰るとおり、この作品の中心にあると思います。物理的にも、精神的にも。理不尽にスクラップされるものが圧倒的に多い中でも、やっぱり自分なりにビルドしていかないといけないと思っています。
0テイムラーさん、コメントありがとうございます。わたし自身あまり難しい詩は読めないので、こんな感じになるんだと思います。
0メルモさん、コメントありがとうございます。そして丁寧に読んでいただいてありがとうございます。 ハーメルンは仰る通りハーメルンの笛吹です。書いている中で虹色の鼠の後ろに、黙って怒っている灰色の人間がずらっと並んでいる姿が浮かんできて、これ何ろうだなって考えてみたらハーメルンの笛吹でした。もちろん原作は人間→鼠ですが、そこは逆転しています。 >ウクライナやパレスチナにも通じる内在が含まれていて、そう、筆者にとっての「ハーメルン」とはまさに代償としての罪に咎められた土地の象徴で、それは約束の地が破られ何ひとつ保障もされなかったウクライナやパレスチナでもあるのでしょう。 もちろん楽しい風景じゃないです。あまり正面から取り上げることはしませんが、初めてメルモさんにコメントいただいた「終戦前夜」のように、いま起きている戦争のことはいつも心のどこかに置いて作品を書いている気がします。なかなか言葉では表現できないものとして。 >話しを戻せば何故筆者は主体に近い形でアゲハ蝶をギミックとして取り上げたのだろうかという疑問が残ります。それで私なりに二つの解釈を浮かべてみました。一つはアゲハ蝶の姿見ですね。あの模様が魔法使いのような笛吹き男の斑模様をした格好に似ていたからではないか。二つ目としてアゲハ蝶とはいわゆる胡蝶の夢としての役割を与えている象徴ではないだろうか、ということです。 なぜアゲハ蝶か、これも浮かんできてしまったと言えばそれまでなのですが、おそらく模様と夢の両方なのだろうと思います。アゲハってあまりに繊細で綺麗で、この世のものとは思えないもの、ただ生存のためだけに存在するには過剰なもの(逆に生きにくそうなもの)のように思っています。だからこそ、世間の風に吹かれるとすぐになびいて死んでしまう。 >終わりを読めば子供の気配さえ消えていくような…映像で起ち上げていけば寧ろ映画「ブリキの太鼓」に出てくる少年の姿を浮かべてしまいますね。あの成長を止めた少年の姿が… さすがですね。ブリキの太鼓を意識しているわけではありませんが、作中の「わたし」は特に「女性」でもなく「ぼく」は特に「こども」というわけではありません。誤解をおそれずにいえば「女性」性・「中性」性、「こども」性という要素なんじゃないかと思っています。 なお、ブリキの太鼓は本当にすごい作品だと思います。 画用紙の家は脆くて儚いですが、それでもひとつひとつ丁寧に建てていくことは大切なんじゃないかなと思っています。
0こんばんは。 詩を書くこと、作品を作ることを書いた詩なのかなと思いました。
1佐々木さん、はじめまして。 紙の家は壊れてしまった自我の再生の象徴だと読みました。蝶やその羽ばたきは大人になる象徴。鱗粉は希望かな。紙の家も蝶からも脆さを感じさせますね。生まれたときの病室の懐かしい気配を感じるドアの方を振り向きたくないのは過去を振り向きたくないから。奪われてしまったと感じる他責と自分のせいかも知れないという自責が交差する様子。ママや大人たちから約束されるべきものは手渡されなかった。(以上読解の一例として) 約束の反故によって子どもたちを連れ去ってしまったハーメルンの笛吹きに上手く重なり、読みやすい作品でした。上手いなぁ、洗練されていると言うか。これが噂の佐々木さんの実力か、と感心させられた作品でした。
1悲しげで、切ない現状、現実への危惧が仄めかされた最終連、良い。後半になるほど尻上がりに表現に鮮度が増し、切れ味鋭くタイトになっている。列には…灰色のママもいるはず なんてドキリとさせられるではないか。みなさんが注目している第一連の書き出し、そしてこの詩の肝、基幹にもなっている部分だが、もっと分かりやすく書いた方が中盤から後半にかけてのうなぎ登りにも、誰一人つまづくことなく辿りつけたのではないかと思う。大きな詩才を感じる。お弟子さんという謎のユーザーが熊倉ミハイさんと佐々木春さんの名前をあげて当面潰しに行くライバルと言っていたのも頷ける。熊倉さん、佐々木さんの詩は、ざっとビーレビを観た限り冒頭だけでもいい意味で浮いている。この詩に難点があるとするならば、先にあげたように詩的に書かなくてもいい部分、画用紙で家を作る、という行為を細緻に書いてしまったところだけだと思う。
1トビラさん、こんばんは。コメントありがとうございます。 作品を書くことを強く意識して書いたわけではありませんが、どの作品にも(大げさな意味ではなくて)何かを表現するっていう要素は入っているのかもしれません。 どんな仕事だって突き詰めて言えば表現なんじゃないかと思っています。
1虚構性の度合いと言うか プロットは追えるんだけどだから如何したと言うか、何処にも辿り着かない いや、これは別に悪い事ではないと思う これは多分読み手に委ねている 開いているというか 論理的帰結をなくして読者に開いていると言うか、だから読者はどこにも辿り着かない 文学はそもそも支配を受けてるんだけど 如何にその支配から逃れるか 虚構の中に虚構を産み出して読み手は迷いながらもいや、そもそも迷う事に意味があるのか?だって何処にも辿り着かないのに 迷う意味があるのか?意味が無いのなら それは迷っていると言えるのか? ハーメルンと言えばハーメルンの笛吹きとは思うけど、どんな意味があるのかな この作品は誰も何処にも連れて行かない 時間の感覚が希薄で走馬灯にも思えるけど 夢にしては暗示的過ぎる もし作者がこれは実は愛の告白なんですと言えば、それはとても結構ですねと言うかもしれません、いや見事とは思います。
1~だって何処にも辿り着かないのに迷ういみがあるのか?意味が無いのならそれは迷っていると言えるのか。 物語を形作るプロセスをプロットして分けた場合には起承転結などという構成要素があります。このことはあくまでも我々が目にする段落としての一部分である章のようなもので真実辿り着いてしまうものなどありませんよ。もしも辿り着いてしまうとすればそれはわたしが人生を終えるときでしょう。辿り着かないからこそ迷う意味はあるのです。 わたしからみれば吸収さんの考えには少し誤解が生じているようにも身受けられる。 ~文学はそもそも支配を受けてるんだけど、如何にしてその支配から逃れるのか~ このことは作者が背景に提示する思考や思想のことをおっしゃっているのだと思うが、我々読み手ははじめから支配されていると意識して読んでいるつもりもなくて、いや、寧ろ支配されたいと願ってよむのですが、先にも述べたように辿り着くものなんて何も無くて、読んでよかったと思う作品ならばそこには感動としての意味があるだけで、べつにはじめから意味を求めて読んでいる訳でもなく、刺激的でもなく感動もしない、つまらないので無意味だった。とわたしが思うだけで、そこに意味を見出すのか、それとも無意味で終えてしまうのかも人それぞれで、結局詩人とは迷い続ける為に存在もしている生きもののように思えてならないのです。
1ミカエル先輩を煩わせる結果になってしまったな 読解と言う部分にふれるのはもっと慎重にならなければならないとの御指導ありがたく受け取ります。 ちょっとねファースト・インプレッション と言うかある程度のあたりを見て書いたかもしれません 読解というものは作者の魂みたいなものにふれる行為なので正直言って最近は気が引けると言うか良い作品というものは殆ど初見である程度わかるので。 この作品は如何かな? アゲハ蝶が混沌であり秩序であることはわかるのだけどプロットが中々追えない様に構成されている 蝶と言えばアレかな蝶の力学、バタフライ効果を連想するけど > アゲハはなびいて死んでいるから との事 ママから貰ったのは変化を求めない事 従順さ、従属みたいなものなのかな しかしぼくはアゲハ蝶を羽ばたかせたい 虚構の世界なら如何だろうか? プロットが追えない場合でも作者がまとっている美学を追うことは出来る ハーメルンとはつまり現実世界で何かの調べによって従い操られている灰色の顔の人々の事を表現しているのではないかと思ったな いや、ちょっと疲れたな 読者は敢えて操られる事を望んでいると言うのはその通りであると考えますね 俺の拙筆を自覚します 作品そのものは高いレヴェルにあると感じますが如何かな?方向性がね あぁコッチに来てるのかと思いましたね 俺的には佐々木さんには別の方向に向かって欲しいとは思ってはいるんだけどね まぁ試行錯誤してるのだと思いますが。
2ronaさん、はじめまして。コメントありがとうございます。 そして丁寧に読んでいただきありがとうございました。 今回の作品はこれまでのものとちょっと違うところから出てきた感じがしてて、コメントをいただいているみなさまを困惑させてしまっています… でも、rona さんのようにすんなり読んでいただける方がいるのもわたしには興味深いですしうれしいです。 というわけなのでいつも自分の作品に自信は持てないし浮かんでくるものを捕まえていくしかないと思っていますが、そんなものでも読んでコメントいただけると勉強になります。
0stereotype2085さん、コメントありがとうございます。 わたしは熊倉さんほど真摯に十分に詩に向き合えているとは思っていないので並べてもらうほどの人間ではないのですが、それでも作品を興味を持って読んでいただけるのはうれしいです。 そして、作品の構成についても指摘いただきありがとうございます。かなり感覚で書き進めて最後に推敲するのですがその分、ばっさり落とすということがあまりできていないと思います。コメントいただいたように確かに最初の家を建てる詳細はあまりいらなかったのかもなと思っています。そういう推敲もしていきたいです。これからも自分の書けるものを自分なりに書いていこうと思います。
0アゲハのことでは、言いたいのです。私は、自分が世界で一番の悪人だと思っていたとき、 何らかの善行を積まないと地獄に落ちてしまうと思って、畑でイモ虫を捕まえて、 飼育してみました。もりもり葉っぱを食べ、やがてさなぎになり、アゲハになりました。 僕は、アゲハを放ってあげようとしたのですが、捕まえるときに羽を傷つけて、 果たして生きて行けるのだろうかと、心配しました。でも、とにかく放ちました。 今では、生き物を踏みつぶさないように、足元に気を付けて歩くようにしています。 アゲハについて、そんな感慨があります。 佐々木春さんは、表現をもっと分かりやすくしたらいいかな、って思うんですけど、 アゲハについて、真摯な思いを持つだけの、良い心を持っておられ、この詩も、 そうした魅力がいきわたっています。強い言葉を、もっと磨いて行かれるでしょう。 まだ、底の見えぬ佐々木春さんのポエム力が、人を惹きつけるものだと思います。
1吸収さん、コメントありがとうございます。 わかりにくい作品に、慎重に言葉を選んでいただいて少し申し訳なくなりました… 吸収さんとメルモさんのやりとりを読んでいて、いろいろと勉強になりました。 今回の作品については(それが良いとか悪いとかではなく)自分が感じた「何かわからない何か」をそのままを作品に表してしまったような気がしています。なので読んでいる方々がわからないのも当然だと思いました。 別に内容を無理に方向づける必要はないのでしょうけど、せめて書くっていう行為を通じて転化するなり視点を設定するなりしないといけなかったのかもなと思いました。 あと、吸収さんのいう「コッチ」というのはなんとなくわかります。この作品は試行錯誤というよりはどっちかというと愚痴みたいな部分(「リボルバー」もそうですがすっきりしない感情の発露)だと思うのでこういうものを書き続けることにはならないとは思っています。秋になって気持ちのいい天気になってきましたし。 それでもみなさんにいろいろコメントしていただけるのはありがたいことだと思っています。
1黒髪さん、温かいコメントありがとうございます。 アゲハって確かに何か暗示的な存在だと思います、あの儚い感じが。 「表現をもっと分かりやすくしたらいいかな」というところ、わかりにくいものを内容を損なわずにわかりやすく書くのは大切だと今回あらためて感じました。
1好きな詩です。 第一連にもあるような、光や影への疑心みたいなものを受け取りました。 作られた明るさというのに気づかないまま生きていく街の人々。「ぼく」だけ「かみさま」を黒いクレヨンで素朴に描く、現実を突き刺す眼を持っている。同じくモノクロームなのが街のアスファルトで、どんな足跡も均一化されているのを「ぼく」だけが気づいている。 その世界にこのまま流されてしまいそうだから、後半目を閉じているのでしょうね。アゲハを身代わりみたいに放って、すぐ地に落ちることも分かっていたように思います。 「ママ」からの光(アゲハ)すらも手離して、過去と決別し他の家を見なければと決心する。「これから作り上げる家」、「遠くまで広がる静かな家」、「いま~崩れていく家」。三つの中に「過去の家」が出ていませんからね。この決意は、多くの書き手の人の共感を呼ぶように思いました。 しかし主題に立ち返ると、光と影に干渉できるほど強い力は持てないのだなとやるせなくなります。が、そういうものだよな、とも思います。家だけでなく公園や広場などの「空間」をつくるところから、光と影への付き合い方を考える。 良い詩でした。
0熊倉さん、コメントありがとうございます。 仰る通り光と影みたいなものを何とかしたい(でも難しい)という気持ちはどこかで持っています。 >その世界にこのまま流されてしまいそうだから、後半目を閉じているのでしょうね。アゲハを身代わりみたいに放って、すぐ地に落ちることも分かっていたように思います。 流されないで生きるって響きはかっこいいですが、完全に流されないのってたぶん無理だし、むしろ流されているところがほとんどなんだと思います。本当に少ない小さい幅でどうやって流されないでいられるか、そんな微妙なせめぎあいを自分の心の中でやっているんでしょうね。 アゲハは重くなっているから放れば落ちていく、わかっているけど、そうやって現実を確認しているのかもしれません。 >家だけでなく公園や広場などの「空間」をつくるところから、光と影への付き合い方を考える。 そう思います。光と影への付き合い方を考える。場所を作る。別に物理的な意味だけじゃなくて。ひょっとしたらここもそういう場所なのかもしれません。人によっては。 丁寧に読んでいただきありがとうございました。
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