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希望の丘※
希望の丘は、観光客やゆったりと散策する市民の憩いの場になっている。夏には、週末毎の野外コンサート、クリスマスの頃は、時計台に連なるイルミネーションが夜空に浮かび上がる。 塔に上ると市街が全方位に一望できた。大小のヨットが浮かぶ湾、そこから広がる地中海。「鉄仮面」が幽閉されていたセント・マルグリット島、その背後に比類無い清らかさの教会の島がある。 丘の上の海に向かうベンチで、サンドイッチを食べている日本の少女らしい二人連れにあった。静かに語り合う姿は姉妹のようであった。切れ長の目と、皮膚の冷たい光沢がよく似ていた。 「日本の方ですか?」 「ええ」 それだけの会話だったが面影は美しく心に残った。 数ヶ月たって、あるバレエ学校の発表会を見に行った。ダンサーの顔や体つきは幾分幼いが、動きはしなやかにシャープでプロと遜色無いように見え、私はこういう発表会がとても好きだ。 会場は映画祭のメイン会場だったか。モダンとクラッシックが入れ替わり立ち替わり、ステージに華やかに繰り広げられた。その最後のプログラム。中央で踊る少女に見覚えがあった。フランスを初め、ヨーロッパ各国から選ばれているに違いない少年少女の中央で、彼らを従えるように日本の少女が踊っていた。それは、いつか希望の丘で見た姉妹?の小柄な方だった。他のダンサーに比べ、手足のやや短いのが可憐に見える。彼女は最後に、なんと呼ぶのだろうか、片足のつま先立ちでする連続10回ほどターンを、日本的なほほえみを絶やさず見事にやってのけ、会場の割れるような喝采を博した。 終バスに遅れタクシーを待っていると、偶然にも希望の丘で見た少女の姉の方がその母親らしい人といた。 私は陶酔からまださめていなかったので、 「バレーをごらんになったんですか?」とつい声をかけた。 「ええ」と母親が答えた。 「素晴らしかったですね・・。」 「ええ・・。うちの子も出るはずだったんですよ。直前になって出られないことになって・・。」 姉だと思った少女は、目をそらしたまま母親の声を聞いていた。 翌日、日本からの留学生たち4,5人を誘って、もう一度見に行った。いつもぼんやりと彼女たちの圏外にいた私にも、みなそれぞれにフランスという大人の国で小さな傷を負っているように思われ、彼女たちに昨夜のステージを見て欲しかった。しかし、待望のラストステージは手足の長い骨格の確かな、そして私が見ても息をのむような技倆の、(恐らく)イタリア人のバレリーナに変わっていた。 * 〈付記〉15年後(2015年)、その二人と再会した。知らずに挨拶さえ交わしていた。一人ずつ何度か見た姿が、あるときふっと一枚の絵の中に収まったとき、ふたりがあの希望の丘の少女だったことに気づいた。青春の光とそれ以上に美しい影を異国の地に焼き付けて、今、故国の同じ職場で笑みを湛えて働いている。彼女らも偶然その折々に立ち会った私も、今なお希望の丘にいるのである。 2004作・改稿 ※bレビュウ杯不参加作品です。
希望の丘※ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 870.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-02-15
コメント日時 2018-03-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
私自身も、最近、エッセイと散文詩の間を行くような作品を書き始めているので、興味深く読ませて頂きました。 あえて感情を抑えた前半の語り。 鉄仮面の「幽閉」されていた場所と、「比類無い清らかさ」の教会の対比が、重要な伏線となるのだと思うのですが・・・その時に受けた感慨を、比類無い、とさらりと流してしまうのではなく・・・「皮膚の冷たい光沢」のような、観察を活かした比喩的な描写を入れていくことで、端正で抑制された表現の奥に流れる情動が、よりくっきりと立ち上がってくるような気がしました。
0まりもさんへ コメントありがとうございます。 ご指摘のように、鉄仮面の島と教会の島は、 強い印象を持っていたので、別に書くつもりで、 あえてサラリと済ましたという記憶があります。 牢内に入ることができるんですが、幽閉当時がそのまま残されてたんです。 冷たい石の床に、泥に汚れた大きな水たまり、太い鎖が 杭につながれてとぐろを巻いていました。 鉄仮面はいませんでしたが(笑 二重の鉄格子の間にまっ黄色のデージーが 咲き乱れてて。海の向こうにカンヌの白とオレンジの街が、 光を浴びていました。 でもこの文においては、彼女たちとの偶然の重なりにただただ驚いていたので、 島は伏線ではなく、丘の上から見る海と同じただの遠景でした。 以前書いた、滞在許可証を取りに県庁に行ったときに、 バレエ留学の日本女性がいて、バレエを諦めるかフランスにとどまるか 凄く迷うのだと話してくれたんですが、 伏線といえば、それが心のなかにあったかもしれません。 ヨーロッパ中に、そういう人がたくさんいるらしいですから。 当日になって舞台に立つことさえできなかった彼女の心情を、 もう少し書くべきだったかもしれませんね。
0いかいかさん 自慢かあ‥。 共有できないのだったら、そう取られても仕方ないですね。 私は自分をある時ある場所に何故かいる、感受する器だと思ってるので、 それがどこであろうが、たまたま有り金はたいて降り立った外国であろうが、 貧しかった日本の片田舎であろうが、 道はどこにでも続くし、風景は無尽蔵に広がっているから、 幸福全開で歩き回っているということでは、 卑下すべきだと他の人が思うときでさえ、自慢してるんですよ。 書くときには、これは問題かもね。 後方抱え込み三回転半ひねりみたいなコメント、ありがとうございました。
0twitterれんけいをしました~
0私、これはそのままで、この文章を書き直したものを今月の一作として投稿しますね。 少し研究するので、10日ほどあとになるかと。ありがとうございます。 ところで、コメントの最後の行は、いかいかさんの弱気が出てると思うので、「可能性あるよね」までで、いいんじゃないかしら。 これは余談ですけど、文極にお世話になったものとして、以前から誰にともなく言いたかったのは、文学獄道でダーザインさんがあえて批評における「罵倒」を打ち出したのは、罵倒に堕してもいいというマイナスへの許容ではなく、豊かな罵倒、美しい罵倒の可能性を信じていたからではないですか? 文極に携わった方には、その可能性を(どんな些細な場であっても)示してほしいものです。 また、今回ご自作コメント欄にも見られるように、ログが残るネットにおいて、延々と罵倒のやり取りをする必然性などはなく、(最初のビッグバンの中に全宇宙があったように、)第一のコメントにすべての言いたいこと、パッションは尽くされている(もしくはそのように書くべきだ)と思います。本当に新しい見解が閃いたときにのみ、注意深く積み上げていけば、議論でいたずらに消耗することもないのでは? そして、作者によって産まれた作品は、別のものにすげ替えようとするのではなく、ましてや、自分が自分の詩においてやりたいことを人にさせようとするのではなく、必要なのは、どんな姿に生まれようと、その作品が最もその作品たり得るような働きかけではないかな。 今回はありがたいコメントを頂いたので、感謝して修練したいと思います。 文体を自分でも、もうちょっといいものにしたいので・・・。
0久しぶりに文獄のコメント欄を見たら、随分様子が違っていたので、上記の自分の作品について以外は、とりけします。(度々上がってすみません。)
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