雨 - B-REVIEW
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PICK UP - REVIEW

大人用おむつの中で

すごい

これ好きです 世界はどう終わっていくのだろうという現代の不安感を感じます。

硬派な作品

萩原朔太郎や中原中也のエッセンスを感じます。

千治

体験記『呆気ない宣告』

それはあなたの現実かもしれない。

大概のことは呆気なくドラマティックではない。そうした現実の丁寧な模写が作品に厚みを増している。

ほば

世界は自由だ━不死━

わかるということ

あなたにとっては何が、その理解が起きるピースになるだろうか?

ほば

ふたつの鐘がなるころは

鐘は明くる日に鳴る! いつでもそうだ!

運営在任中に出会った多くの作品の中のベスト。決して忘れない。

yasu.na

良い

シンプルに好き

あっす

パパの日曜日

パパの日曜日

いい

明林

終着点

生きる、その先に死地はない!

美しくさわやか、そして深い意味が込められたシーン、均衡の取れた心情と思想、強い意志で最終連へと迫る引き締まった展開、我が胸にこの詩文を抱いて!

yasu.na

九月の終わりを生きる

呼び覚ます声

夏の名残の暑さが去ろうとする頃、九月の終わりになると必ずこの作品のことを思い出す。

afterglow

こっちにおいで

たれかある

たそがれに たれかある さくらのかおりがする

るる

詩人の生きざま

言葉と詩に、導かれ救われ、時に誤りながらも、糧にしていく。 赤裸々に描写した生きざまは、素晴らしいとしか言いようがない。

羽田恭

喘息の少年の世界

酔おう。この言葉に。

正直意味は判然としない。 だが、じんわりあぶり出される情景は、良い! 言葉に酔おう!

羽田恭

誰かがドアをノックしたから

久しぶりにビーレビ来たんだけどさ

この作品、私はとても良いと思うんだけど、まさかの無反応で勿体ない。文にスピードとパワーがある。押してくる感じが良いね。そしてコミカル。面白いってそうそう出来ないじゃん。この画面見てるおまえとか、そこんとこ足りないから読んどけ。

カオティクルConverge!!貴音さん

あなたへ

最高です^ ^ありがとうございます!

この詩は心に響きました。とても美しく清らかな作品ですね。素晴らしいと思いました。心から感謝申し上げます。これからも良い詩を書いて下さい。私も良い詩が書ける様に頑張りたいと思います。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

これ大好き♡

読み込むと味が出ます。素晴らしいと思います。

きょこち(久遠恭子)

輝き

海の中を照らしているのですね。素晴らしいと思います☆

きょこち(久遠恭子)

アオゾラの約束

憧れ

こんなに良い詩を書いているのに、気付かなくてごめんね。北斗七星は君だよ。いつも見守ってくれてありがとう。

きょこち(久遠恭子)

紫の香り

少し歩くと川の音が大きくなる、からがこの作品の醍醐味かと思います。むせかえる藤の花の匂い。落ちた花や枝が足に絡みつく。素敵ですね。

きょこち(久遠恭子)

冬の手紙

居場所をありがとう。

暖かくて、心から感謝申し上げます。 この詩は誰にでも開かれています。読んでいるあなたにも、ほら、あなたにも、 そうして、私自身にも。 素晴らしいと思います。 ありがとうございます。みんなに読んでもらいたいです。

きょこち(久遠恭子)

カッパは黄色いのだから

良く目立ちます。 尻尾だけ見えているという事ですが、カッパには手足を出す穴がありますよね。 フードは、普通は顔が見えなくなるのであまり被せません。 それを見て、僕はきっと嬉しかったのでしょう。健気な可愛い姿に。ありがとうございました。

きょこち(久遠恭子)

永訣の詩

あなたが出発していく 光あれ

羽田恭

あなたには「十月」が足りていますか?

もし、あなたが「今年は、十月が足りてない」と お感じでしたら、それは『十月の質』が原因です。 詩の中に身を置くことで『短時間で十分な十月』を得ることができます。この十月の主成分は、百パーセント自然由

るる

だれのせいですか

どんな身体でも

どんな自分であっても愛してくれるか、抱きしめてくれるか、生きてくれるか SNSできらきらした自分だけを見せてそんな見た目や上辺で物事を判断しやすいこんな世の中だからこそ響くものがありました。例えばの例も斬新でとても魅力的です。

sorano

衝撃を受けました

ベテルギウス。まずそれに注目する感性もですが、詩の内容が衝撃。 猫。木。家族。犬(のようなもの)。女の子……。など、身近にあふれている極めて馴染み深いものベテルギウスというスケールの大きいものと対比されているように感じられました。

二酸化窒素

ずっと待っていた

渇いた心を満たす雨に満たされていく

afterglow



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雨は勝手には、降らない 雨は適当には、降らない 雨は降るべきによって、降る 雨は正確に落ちるべき場所に落ちるべきタイミングで、降る 人は勝手に鼻くそを穿りだす 人は適当に嘘をつき、物事を解釈する 人はいい加減に仕事をして、いい加減ではないと怒ったりする 雨がもし勝手に降っているとしたら、雨の勝手はもっと純粋的な勝手である 雨が陽気に降る ゴキゲンかつ、ノリノリに降る 其れを雨の勝手だとするならば、人間もまた、我儘なものである 雨が適当だとしたら、雨の適当はもっと正確な適当だと思う 適切な量を、適切な場所に降らしている 其れを適当でないと怒るならば、人間もまた、退化したものだと思う 雨が若しいい加減だとしたら、そのいい加減は人間にとって、とても都合の良い、いい加減だと思う 其れが若し、土砂降りだとしたら、人の心に膿が溜まっているのでしょう 人間の勝手は陽気でゴキゲンな勝手もあるし、独りよがりな勝手もある 人間の適当は正確な適当もあるし、手抜きの適当もある 人間のいい加減は他人にとって良い加減の時もあるし、不愉快な時もある 人間の心の中には純粋な雨も降るし、汚れた粗雑な雨もある 人間の心の中には出来不出来があろうが、神が降らす自然な雨に不出来な雨があろうか? 汚れた粗雑な雨があろうか? おお、雨よ降れ! すべてを洗い流して欲しい 暴風雨となって、すべてを飲み込み、竜巻を巻き込んで、すべてを吹き飛ばして欲しい これは私の心の中に降る雨、音楽 この雨の出来を上出来と見るか、不出来と見るかは、貴方の心次第でございます


雨 ポイントセクション

作品データ

コメント数 : 83
P V 数 : 3435.3
お気に入り数: 0
投票数   : 5
ポイント数 : 0

作成日時 2024-09-13
コメント日時 2024-10-01
#現代詩 #歌誌帆掲載応募
項目全期間(2024/11/23現在)投稿後10日間
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閲覧指数:3435.3
2024/11/23 17時23分03秒現在
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    作品に書かれた推薦文

雨 コメントセクション

コメント数(83)
よんじゅう
よんじゅう
作品へ
(2024-09-13)

この作品で万太郎さんの魅力にすこし近づけたような気がしました。どの言葉も最後は目を閉じて聞かなければいけないのかもしれないなと思った。そうかだから農家の知り合いも雨やら嵐やらをずっと前から知っていたように一喜一憂していたのかも、いや気のせいか。

1
テイムラー隆一
テイムラー隆一
作品へ
(2024-09-13)

まあ、妙に攻撃性が目立つけれど、リズムとかそういうのは良い詩なんではなかろうか。 あと、暴風雨、というのも荒々しさの一端というべきか。僕が好んできた近代詩の詩人は基本的に細雨とか霧雨の方を詩的だと好んできたし。 ……で、作品の本筋とは関係ないかもだけれど………。 『鼻くそを穿りだす』 ……という部分。ネット詩の中でも前衛寄りの人たちは詩にこういった穢れたモノ・表現を入れることを躊躇わないという共通点を有しているのが興味深いというかなんというか。 例えば僕の知ってる別の人は『くそったれな月光』という感じに『月光』という綺麗なものという認識のものに『くそったれ』という相反する表現を使ったりした。(無論、月光が綺麗なものというのはその人が指摘した通りに、あくまで僕の価値観が前提であるとはいえ……) ……文極が長続きしてたら、絶対に僕とダーザイン、ケムリという人は喧嘩や衝突を繰り返しただろうな。(星菫VSネット前衛という謎の構図)

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
作品へ
(2024-09-14)

雨という自然がくり出す事象と人間という叡智を謳歌する生きものを対象にして勝手に~適当に云々などと形容動詞で格言のように抜き出しても詩の感動は起ち上がらない。そのことがわかっているので終わりの〆としてこのような文句で照れ隠しに終えてしまった。 どうもね、経験から考えてみれば詩書きにも大きく分けて二~三つのタイプがあるようだ。 批評やコメントを書かせば其れなりに理知的で整合性のある文章を書く饒舌な人が、いざ自身の目の前に置かれた作品を眺めてみれば案外つまらない詩が多い。それとは反対に、あたまを唸らせるほど佳いと思われる(個人的な見方だが)作品を多く投稿する人の自身の作品についての弁は言葉数も少ない。これは敢えて自らの解釈を避けようとして敢えて伏せているのか、または本当に論理的な言葉を使って解釈するのが苦手なのか、よくわからない。そしてこの二つのタイプ両方兼ね備えている方は理想的な詩書きとも言えるのだろう。 動画付きの作品から何作品か拝見した。どうも万太郎さんも最初のタイプのお人の様子が窺えてきます。特に詩経験も長い読解力もある書き手には多く、これには詩書きのほとんどが該当してしまうので必然的であるとも云えるのだ。 このことは、例えばわたしも等しく同じだが、白紙を前にしたとき常にあたまから思考から入るタイプの書き手が多いようにも身受けられる。このことは技術と結びつけて考えたとき、どうしても操作してしまうというのが逆に弊害として言葉には上手く伝わらないようだ。書きながらわたし自身も反省の弁としたいのです。 失礼いたしました。

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万太郎
万太郎
よんじゅうさんへ
(2024-09-14)

コメントありがとうございます。 なにかを感じて頂けたのだと思います。そのなにかは神聖なものなのだと思います。つまり自然ということになるのでしょうか。

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万太郎
万太郎
テイムラー隆一さんへ
(2024-09-14)

コメントありがとうございます。 田村隆一さんは私も好きな詩人で小学三年生の時『木』という詩が気に入って皆の前で朗読したのを覚えています。汚れたものを避けて美文だけで通そうとは私はあまり思わないですね。

0
万太郎
万太郎
メルモsアラガイsさんへ
(2024-09-14)

コメントありがとうございます。 つまらないとの見解、それも一つの意見であります。多弁は詩人のフォームとして美しくない。 今回はこれにて失礼いたします。

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鷹枕可
作品へ
(2024-09-14)

此の度は、歌誌「帆」自由詩掲載欄へとご投稿を賜りまして、允に有り難うございます。 未だ、ご応募受付開始よりは間がございます。 暫し、(始動時期は未だ決定をされておりませんので、爾後、募集期間を追って、御知らせをさせて頂きたく存じます) お待ち下さりますと嬉しく存じ上げます。 御作を、拝読させて頂きました。 雨――自然現象と 人――作為的現象を対比なされて記述を為された、半‐散文詩であると。 読ませて頂きまして感受を致しましたのですが、 如何でしょうか、 エセー的文体と詩的文体の中間におありになられる御作を、 孰れか――完全なる散文詩か簡素記述へと――かたむけに為られた方が色が出る、と存じました次第でございます。 而して散文詩と致しましては文体、記法の強度が稍、足りず。 所謂非‐散文詩形(つまり伝統的自由詩)の、韻文詩の形式を保全なされた文体の方が、此の詩作品の主題には合致を致しましそうな感覚を憶えました。 例えば(下手、且つ拙いですが)、 雨が降る ひとのうえには適切に 雨が降る ひとのしたには適切ではなく ひとの適切とは何だろうか の様な簡潔な文体を追究をなされた方が、贅肉の少ない立姿の佳い詩文となりうるのでは、と存じ上げます次第でございます。 テーマが比較的、明瞭な御作でございましたので、余計事を注文をさせて頂きました(的外れかも、と自ら恐れつつ)。 主題に沿って、種々の文体を駆使なされる手腕の程を、一層期待を致して仕舞う所存でございます。 それでは、復のご挑戦をお待ち申し上げております。 此の度は、ご応募ご投稿を賜り、允に有り難うございました。

1
万太郎
万太郎
鷹枕可さんへ
(2024-09-14)

アドバイスありがとうございます。 丁寧で美しい文体に振り切ったほうが良かったとのこと。 今回は言葉の分類や捉え方を自然現象を主題に表しました。あまり多くは語らずにおきます。 またよろしくお願いいたします。

0
完備
完備
作品へ
(2024-09-14)

作者の思考の浅さを露呈するだけの文章

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万太郎
万太郎
完備さんへ
(2024-09-14)

コメントありがとうございます。 ピンとこないなあ。割と適当にやってるんですよね。 完備さんの作品がそこまで良いのなら、真剣に考えても良いかも知れないけど、SNS詩ってバカしあいじゃん。 20世紀以降は大した芸術も世の中にはなくってさ。詩がどう? 芸術がどうって、真剣に考えても、なんかピンとこないよね。思考が浅かろうが深かろうが、大きなお世話。つまんないならもう来んな!

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完備
完備
万太郎さんへ
(2024-09-14)

つまんないのはあんたの詩だろ……

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万太郎
万太郎
作品へ
(2024-09-14)

>つまんないのはあんたの詩だろ…… こいつ頭悪いんじゃないか? 俺がお前が俺の詩がつまんないならもう来んなって言ったんだよ。 それに対して、上の言葉はなんだこのバカタレ。舐めんじゃねえよ、全くよお。 こっちとら遊園地行きたいだなんだくだらねえ目的のために芸能界の扉叩いんだ。それで一応合格したんだぞ。賞だって受賞したんだよ。俺がそれなりに努力してることに対して、いちいちケチつけんなこのクソッタレ!

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atsuchan69
作品へ
(2024-09-14)

ちゃんのコメントはどれも短すぎるし、作品が良いにしても悪いにしても、いつだってちゃんと説明していない。面倒くさいならわざわざコメントもしなくていいし、ただ自分への権威付けのためならこんな場所で燻っていないで権威ある賞とか取ってから思う存分ネット詩人を馬鹿にすれば良い。先ず、謙虚さが足りないし、チヤホヤされて辿り着いた君自身の今をぜんぜん判っていない。君の作品ってそんなに素晴らしいの? 悪いけどボクには君の作品の凄さなんて微塵も感じたことがない。それと上から目線の発言をしている君は、自分の立ち位置が酷くリアルとかけ離れていることすら全く知ろうともしない。知っていたら他者に対しての、こんな無礼極まりないコメントは書けない筈だけど、、

0
atsuchan69
作品へ
(2024-09-14)

ちゃんって、誰だか判るよな、、

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完備
完備
atsuchan69さんへ
(2024-09-14)

私の作品に文句があるなら私の作品のコメント欄でどうぞ^ ^ https://www.breview.org/keijiban/?id=13409

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万太郎
万太郎
完備さんへ
(2024-09-14)

読まない。それは違うと思う。 >atsuchan69さんへ これも違う。酔っ払ってるんじゃないかなあ。

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atsuchan69
作品へ
(2024-09-14)

あ、ちゃんって完備ちゃんなんだ?  読む気にもなれないけど、、

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万太郎
万太郎
atsuchan69さんへ
(2024-09-14)

>作者の思考の浅さを露呈するだけの文章 その根拠が示されてないので対応が出来ない。どうして思考が浅いと思うのかが、説明されてないため、分からないです。 >つまんないのはあんたの詩だろ…… これは批判じゃなくて、貶しであり悪口に思うのです。中傷が目的だと思います。 私は幼い頃、良く 「自分の心に手を当ててよく考えろ」 とか、なにが問題でなにがダメなのかを十分な説明をされないまま、説得力を感じない批判をされて、頭を抱え考え込むことがありました。人の頭を混乱させる批判は悪口だと私は思うのです。 意見をぶつけるというのが一方的だと、よく無いと思います。それで腹を立てました。 「なにが問題でなにが悪くどこが酷くてどう改善すべきか?」 そこまで行き届いたものを求めるのは良く無いかも知れないけれど、ただ >作者の思考の浅さを露呈するだけの文章 >つまんないのはあんたの詩だろ…… こういった非生産的な、非難めいた言葉をぶつけるのは良く無いと思うのです。

1
完備
完備
作品へ
(2024-09-14)

Aなときもあるし、Bなときもある、みたいな話を延々としててそんなのクソ当たり前の事をくどくど述べることの意味不明さ、 言葉をくどくどくどくど連ねても一向に思考が深まっていない、論理が先に進んでいない、 あと最後に向かうにつれてドンドン適当っちゅーかやけくそになるかんじ この辺が特に駄目だと思いました

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atsuchan69
作品へ
(2024-09-14)

「A なときもあるし、Bなときもある、みたいな話を延々としててそんなのクソ当たり前の事をくどくど述べることの意味不明さ」というのは、大江健三郎やプルーストをはじめ、文字があっちへこっちへ飛び交う小説やどこから始まっても良い物語等、ソウカガッカリや壺売り教団でない限りは自由に書かれるべき多くの文学に当てはまることだし、【詩】とはそもそも思考とか論理ではない。また、「あと最後に向かうにつれてドンドン適当っちゅーかやけくそになるかんじ」こそが日常的感覚を離れた詩情とも解釈できる。ましてや詩とは読み手の好き嫌いに関わらず自由に書かれるべきであり、「くどくど」だの「意味不明」という見解には明らかな文学的殺意が感じられ、これは要するに、あからさまな「作品=作者」への誹謗中傷なのではないのか? 

0
atsuchan69
作品へ
(2024-09-14)

正直、批評って言うのはたとえどんな理論を持ち出そうとも本質的には「好き嫌い」なのだから、嫌いな「作品=作者」ほど丁寧なコメントを付けないと「教えの強要」になってしまう、、

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atsuchan69
万太郎さんへ
(2024-09-14)

おやすみなさい 正しい者には安らかな眠りがある

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万太郎
万太郎
作品へ
(2024-09-15)

>Aなときもあるし、Bなときもある、みたいな話を延々としててそんなのクソ当たり前の事をくどくど述べることの意味不明さ、 クソ当たり前の事という記述に乱暴なものをとても感じました。 この世界にもし『クソ当たり前』のことがあるとして、それを疑ったり、色々な視点で眺めるのがアートなのでは無いかと私は思うのです。 >言葉をくどくどくどくど連ねても一向に思考が深まっていない、論理が先に進んでいない、 思考がどんどん前へ前へ先へ進んでいくことを、深まりとは言わないと私は思います。 同じことを繰り返し繰り返し唱え、調律のずれているところを正しながら、音階を整え、演奏まで持っていく。その発表したものを聞いて、論理的飛躍の飛距離ではなく、本当の意味での深まりを感じてほしいです。雨が上がって、泥状のものが乾いて土になる。当たり前の繰り返しが日常です。その繰り返し繰り返しの『クソ当たり前』の中を生きること、そしてそれを違う視点違う眺めで考え新たな考察を加えること。それを私は深みだと思う。 >あと最後に向かうにつれてドンドン適当っちゅーかやけくそになるかんじ この辺が特に駄目だと思いました そう感じたということですね。それで特にそこがダメだと思った。 歌の内容について良し悪しを作者が説明を加えながら、一種の自己弁護をしていくのは少し違うと思うので、そこが気に入らなかったのなら、それは仕方ないと思う。 ただ、私は最後の部分を『投げやりに書いた』とは全く思ってない。曲で言えば展開が少し変わり、荒々しさから静けさへ移り終わる様相を呈していますが、それを論を放り投げて、良い加減に終わらせたとは私は思わない。そう思ってしまうのは、歌に意味を求めたり、答えやなにか目覚ましい新たな発見を求めるからでは無いでしょうか。 私は、繰り返し繰り返しの毎日を生きる。それを肯定したり、悩んで生きたり、そういった日々の細々の歌しか今後も書かないと思います。 詩は頭で読むものでなく、心で読むものだから『クソ当たり前』のことや『新たな発見なきもの』をつまらなくてダメだと思う気持ちが分からない。私は、トンカツが美味しければ毎日トンカツを食べて過ごしたいと思う。そしてそのトンカツを毎日おいしいと思って食べれる自分が嬉しいし、そう出来なくなったら悲しい。

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万太郎
万太郎
atsuchan69さんへ
(2024-09-15)

色々申し訳ない思いをさせ、すいませんでした。 不満をぶつける時、心地よくなっている人もいますが、atsuchan69さんは心地よくなっていないですよね。指摘された件、怒り等々重々反省致します。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
万太郎さんへ
(2024-09-15)

~口の中はたと血が滲んで空に唾を吐く~ 万太郎さん、虎に翼です。完備が単刀直入に無礼な物言いをするのは以前からでこれはもう性格ですよ。吐いた唾は何れ自分に降りかかってきます。そういう輩は少なくない。 キレるのはよくわかる。だから気にしないことです。人を眺めて言ってる。陰でこそこそデキてる仲間にはこのような物言いはしない小心者です。熱く相手にはしないこと。流して大人になって受けとめてやればいいのです。

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万太郎
万太郎
メルモsアラガイsさんへ
(2024-09-15)

>人を眺めて言ってる 叩きやすいと思われた気配を感じて、カチンときました。 ものを書く人はいい人が多いと思いますが、体育会系的なところはそれぞれありますからね。 自分は内気な性格で物事に熱中しやすく、子供の頃から鬱の傾向がありました。同じことをクダクダのような印象を感じる鬱陶しさが感じる人には感じるのだと思います。鈍臭さとか、ノイローゼ的な面があるのは確かで、それを内心感じている人は言いやすい時に言うのかもしれないですね。 一つ頭に来ても大人にならないといけない。返すのでも乱暴な物言いでした。反省しています。 大人になって、受け止めたいと思います。

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atsuchan69
万太郎さんへ
(2024-09-15)

「指摘された件、怒り等々重々反省致します」 ――いえいえ、万太郎さんに非はまったくありません、、 そう、「ただ、そういうクソみてーなきったねぇ嫉妬を真に受ける必要は一切ない。気にするな。無視で良い。コメントも返さなくていい」と、誰かが言っている通りです。 笑 まあ、誰かに関して言えばリアル可哀そうな奴ではある。だからボクは彼女を必要以上に追い詰めようとは思わない。それよりもボクは個人的発言の背後に見え隠れする【あるグループ】の動きが気になる。たとえば過去に室町さんがイエローカードを喰らったときも一緒にイエローカードを喰らった相手はかなり確信犯的に室町さんへ攻撃的発言を行なっていたし、おそらくいつもとは違った話しぶりから「きっと誰かに頼まれたのだろう」っぽい匂いがプンプンしていた。 ボクの場合、ナンミョーだの壺売りだのと書いてはいるものの、個人に対しては匂わす程度の一歩手前で止めているし、たとえば自分からナンミョーの幹部だったとか公言している詩人については X でのフォロワーを確認して「ナンミョー繋がり」のネットワークもひとつひとつのアカウントから点と点を繋いで推測し、ナンミョー度における ABC 分析くらいは一応はやっている。 「ナンミョー繋がり」というのは、D ちゃんが自らを【詩人】と称した関係上、詩壇にもかなり多くのそうした怪しいカルト信者がいるものと推測されるリアルと妄想のチャンポンなのだが(笑)。 果たして可哀そうな誰かがナンミョーかどうかは別として、いちおう万太郎さんへの【口撃】は、ボクへ向けて発砲している威嚇と認識しており、たぶん彼女は●くて逞しいボクが好きなのか(笑)、それともやはり怪しいカルト信者にとって邪魔なボクを排除するべく頼まれて活動しているかのどちらかであろう。 いや、ボクがこの場所にいつまでも居座るつもりは全くなく、万太郎さんにしても「クソみてーなきったねぇ嫉妬」をマトモに受ける必要もなく、ボクはボクで、万太郎さんは万太郎さんで黄色いこの場所がなくても立派にやって行けることは誰の眼から見ても明らかだ。 それよりも、こーゆー誹謗中庸を野放しにしている運営のこの先がボクにとっては心配なくらいなのだが、、

1
万太郎
万太郎
atsuchan69さんへ
(2024-09-15)

ありがとうございます。 無視は正直苦手です。少しずつ覚えていきたいと思います。 自分で言うのもなんだけど、優しいタイプだと思いますが、裏目に出ることもあると思います。 私はSNS文芸空間で書くようになって日が浅く、そう言う見えない抗争が起きていることはよく知りません。 思うのですが、芸能界に入ろうとか、文芸に携わろうと言う人は、極一部の成功者を除けば一般的な道を歩めずに、落ちこぼれや、障害者、ヤクザなどの道を歩むのでは無いでしょうか? 私は一般人には理解し難い世界を生きている。そんな感じがします。 私は一般の人からも嫉妬を受けます。何故応援してくれないのか分からず被害妄想ばかり募ります。女性に対してもそんな感じです。可愛すぎていじめたくなるとか、格好いいから声をかけづらいとか、僕がバリアを張ってるわけでも無いのに勝手にバリアを張ってくる。訳がわからない。 ものを書いている人はエンターテインメント精神を発揮して周りを楽しませようとしている人がいい。 自己顕示欲でやってる人はつまらないし、嫉妬深いですよね。 誹謗中傷に関しては、運営に甘えずに自分の力で成る可く対処したいと考えています。ものを表現する人間として、批判は当たり前だし、中傷まで行っても、実際の暴力や脅迫に至らない限りは、大丈夫かなと。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
atsuchan69さんへ
(2024-09-15)

憶測でものは言いたくないけど、わかりますよ。ええ、巨大な組織で政治的にも力をもっている。なのであちらこちらに網を張って眼を光らせている。実際そちら系の組織の方は芸人芸術家にもたくさんおられるでしょう。詩の分野にも居坐られて当然です。そういう人たちは話しているうちにわかりますからね。個人的な強い繋がりを意識して当然でしょう。なにせ同じく信じるものに迷いがないのだから。 その点わたしはけっこうあちらこちらで悪口を発言していることがある。充分組織にとって危険な人物だ。と見られて当然でしょう。一般家庭から産業政治経済マスコミ芸術。実際凄い人数ですよ。日本国が牛耳られているといっても過言ではない。口は災いの元。よくよく慎重に眺める必要がある。そして当然そのような組織の名前を挙げるときには気をつけなければならない。特にネットだから、なんて軽い気持ちでいたらすぐに攻撃の矛先が向いてくる。まったく厭なことだ。山のような組織には確信的な繋がりが存在する。そのような組織を前にして個人として立ち向かうのは非常に心労なのです。自由に発言しても敵はいるのです。気をつけなければならない。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
atsuchan69さんへ
(2024-09-15)

ああ政治的な発言は気をつけなければならないですね。特に室町さんは以前から政治的発言が多い(怪しい情報を拡散する癖もあるこれは乙) 彼とは政治認識でみれば程度逆の立場ですからね。昔から意見の多かった。でも、これまでわたしの挙げる愉快で下手な返事を真に受けて止めてくれ!なんてことはなかったので、驚いてしまったのが真実です。そういう問題があったのですね。わたしはこちらでは新参者なのでそういう事情は知らなかった。帰ってきてほしいな。山田太郎~室町~なんだたっけ笑(名前忘れた汗) 彼の詩には嘘のない隠れた萬の愛を感じる。詩の世界でも自由なコメントは危うい。よくよくわかりました。これからは慎重に相手を眺めることにします。。。

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万太郎
万太郎
メルモsアラガイsさんへ
(2024-09-15)

室町さん〜takoyo2さんでしたよね? 一時期私が荒川亭濁流という名前で発表した作品「まっぴらごめん」の批評を書いた人がいて、そのコメント蘭に室町さん時代のtakoyoさんがコメントしてるんですよね。批評された方が辞めてしまったのか? 批評文は消えてしまいました。 やめたということについては、アカウントが多分もう消えて三ヶ月くらいかな。宮崎駿さんだと、引退宣言をされてから三年後くらいに新しい作品を作り出しますよね。私はなんとなく室町さんは、帰ってくるような気がするのです。そういう風に感じる人もいると思います。 私生活があって、文芸が好きで本を読んでいると、書きたいことがある場がSNSにある。すると家に帰ると時折見てしまうのではないか? それで書きたくなる時もあるのでは無いかな? とあくまで憶測ですが。追放された過去があるということで、事実上は出入り禁止だと田中さんが書いていたと思います。 そちら系の組織については、私の知り合いにも加入者がおります。芸能人が好きな明るい人です。影響力の少ない一般人がどこまで危険視されるか私は分かりません。有名になったらなったで、組織に守られたりすると思うので、発言そのものについては、そこまでセーブするべきものかは分からない。 というのも言論弾圧は権力者がやるイメージがありますが、一般人が過剰に恐れてSNS内でそういう発言に自分たちで臭いものに蓋をして、益々言論統制が進み、危険な国になってしまう面があると私は思うからです。 コロナワクチンの薬害問題についても、押し黙る人が多すぎて、情報統制が更に進み、何万人人が死んでもその情報をシェアし合わないとても悲しく、危険な国になったと私は思っているのです。 私ごとです。私の親は、家庭内で政治的な発言は、盗聴器が壁に仕掛けられているかもしれないからするなと私にヒステリックなまでに威圧しました。政治家が禁止令を出しているわけでも無いのに、自分たちで口をつぐむことを推し進める日本の自粛文化は、確かに世界でも類を見ない気がする。中国では、習近平の悪口を言ってはいけないことは、人々の自粛ではなく、権力者がそういう令を出していると言います。その中国と日本の言論の自由度で、実は人々が率先して自粛をする日本の方が、言論の自由度が低いと聞いたこともあります。つまり言いたいのはなんでも言っていいということでは無いけれど、自粛をしたり、口をつぐむことの弊害や危険性も、社会的なスケールで物事を見るとあるということです。それで私はどちらかというとつぐまない方を選ぶ。 世間体を守ることが賢いことを教え込まれたせいで、言論の自由に蓋をすることが賢い選択だという考えが、広まりすぎているのではないか。それで人々はまともに意見をぶつけ合ったりコミュニケーションが自由に取れず孤立して、引きこもる人が増えてしまったのではないか。私はそう思っているんです。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
万太郎さんへ
(2024-09-15)

あなたがおっしゃるとおりで、わたしや旧室町(takoyo2)さんでしたね。彼も口を閉じるのが嫌いな人である意味正義感には溢れた方です。だから敵を多く作る。これは致し方ない。黙っては見過ごせない。その万太郎さんの言辞には賛同し応援もしたい。彼(takoyo2氏)は渡世人ですよ。度々草鞋を履き替えてる。笑。何れそのうちに何食わぬ顔をして現れると確信しています。 atsuchan69さんが指摘される振興(?団体 )この組織な繋がりを根拠とした陰謀めいた策略。SNSなどではその団体が反社会的組織を巻き込んで関与した云々~とやらの事件がちょくちょく上がり、身の毛もよだつ恐怖を感じることもありますが、それが一般的には認知されている巨大な組織だからこそです。そのことが捏造か真実なのかは我々には当然わかりません。芸術の世界ではオーバかもしれませんが、しかしその人数的な多さには圧倒され呆れてしまいますよ。どこでどう圧力を受けるのかわからないであまり強く語りたくはない。市内単位に配りモノなどをしていると驚くように実感できます。ははあ、で、政治もか…これ以上は差し控えますが、投稿サイトの運営や選評がある繋がりで決められてしまってはお終いですね。そういうことで消えた詩の投稿サイトは幾つもあるでしょう。こちらはそうではないと確信?しておりますが。汚ないモノに蓋をしたまま放置はできない。その粋です。頑張りましょう。

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atsuchan69
メルモsアラガイsさんへ
(2024-09-16)

たとえば、未だに学者でもない一般人が反ワクは非科学的根拠に基づいたデマだと言って嘲笑するポストを見かけるが、権威ある学者の中にまで反ワクがいるのに専門的知識の薄い一般人が一体何を言ってるんだろう? こういうポストしてんのは、ボクには医療利権と繋がったカルト宗教の工作員としか思えない。 仮に反ワが教養のない人の非科学的な思い込みだとしても、なぜか大勢いる工作員たちの同調圧力は怪しい。それこそデマだと信じたい「ワク支持=某カルト教団」説が本当に思えてくる。殆どの一般人って、ワク支持でも反ワクでもない人たちで、わざわざ反ワクがデマだっていうポストを拡散しないと思うんだけど。 影響力というのがナンミョーの力を誇示する勲章のひとつで、意味もなくフォロワーを増やしたりベタベタと仲間同士で繋がったりするのは、つまりそういう理由に因るのだと思う。ナンミョーといっても、一般会員と幹部とは恐ろしく違っているようで、お布施の額も貢献度もぜんぜん違うという話を元ナンミョーの人が YouTube で話していた。 ここ黄色い場所でエラく威張った権威的なコメントを作品へマーキングする行為も似たようなもので、もしかしたら メルモsアラガイs さんもナンミョーかも知れないとボクは秘かに怪しんでいたくらいだ(笑)。特に運営でもないのに複数の作品へやたらマーキングする人物は疑うべきで、それによって優れた作品が下へ下へと沈んで行く。 あ、リアルタイムたった今、すぐ下にある作品の表題が凄いね、、

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
atsuchan69さんへ
(2024-09-16)

実際万太郎さんと一緒でわたしの廻りにも大勢の信者さん(敢えてさん付けで)がいますからね。ほとんどの方々はみんな善良な人々でしょう。がしかしあの組織的な政治活動を抜きにすればです。これが直接社会と結びついて階級闘争を志す労働組合なら理解もできるのですが、なんせ他を寄せつけない偏った●教を母体とする組織で、政党にも影響を及ぼしている。非常に抵抗があります。 元かな?タレントの長井某などはSNSでちょくちょく批判してたし、最近「X」で見た伊丹十三の不審死について、あなたが取り上げている問題と繋がりますね。医療廃棄物問題のことでしょう。 彼らは普段自らそのことについて自称することがないのでわからない。わたしを含めて地域もほとんどは普通に浄土真宗ですが、地下活動で結びつくような組織的な政治活動なんかしてませんからね。あの団体人数の多さは各家庭の配りモノをしていたら驚きですよ。部外者としての怖さを感じる。 ああ、こんなところにも政治不信が結びついているのか、そしてまさかの投稿詩サイトにまでそれが及んでいるとは、思いたくもなかったのですが、あなたの詳しく分析を含めて、訥訥とある敵対的な言動をみれば疑わざるを得ない。いま振り返り考えてみれば文極のときもそうだったのかな、と…特に疑わしいグループには気をつけなければならないですね。慎重によく見極めて発言するようにします。はっきりと言いたい。どんな宗教であれ詩は負けない。と。

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atsuchan69
メルモsアラガイsさんへ
(2024-09-16)

「実際万太郎さんと一緒でわたしの廻りにも大勢の信者さん(敢えてさん付けで)がいますからね。ほとんどの方々はみんな善良な人々でしょう」 「私は日蓮宗です」と称する実際には日蓮宗どころか仏教徒でもない選挙が近づくと挨拶してくる人たちは身近に住んでいるどころかボクの親戚にもいるし、義父の姉もナンミョーです。(爆) 一般信者はもちろん、フツーに良い人たちだと思います。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
atsuchan69さんへ
(2024-09-16)

笑、何処も似たようなものですね。まるで蜘蛛の巣のようだ。わたしの身内でも同じくです。家に閉じこもっていた時から決まった曜日に出て行って帰るので熱心に活動しているようです。因みにいまは絶縁状態です。あの組織団体が一人身内に居れば家族関係はバラバラになりますね。大嫌いです。投稿者たちにも気をつけなければならない。これからはコメントなどをよく精査するようにして警戒しますよ。阿呆らしくなって気分がわるくなる。厭なことですが、仕方ないですね。

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atsuchan69
メルモsアラガイsさんへ
(2024-09-16)

エロ可愛いソルジャーたちが拉致目的で追いかけて来る。ついさっきは、あわやオバサン・ソルジャーに噛みつかれて死ぬところだった。ソルジャーたちの背後に見える太々しい顔があまりにも巨大なのでボクはそいつのことを巨大ちゃんと呼ぶことにした。巨大ちゃんは銀行や重機製造メーカー、電気メーカー、自動車メーカー、誰もが飲んでるビール会社、牛丼屋さん他、多種多様な企業とも関係が深い。そーゆー見えざる支配の「圧」が顔中から滲み出ている。そして女ソルジャーたちの天真爛漫な笑顔でビジュアルに攻められると、流石のボクでも誘惑に負けてしまう気がする。街行く人のほとんどが巨大ちゃんのワイヤレス・リモート・ターミナルだった。ボクも彼女たちの下半身のためならリモートされてもかまわないと秘かに想ったりもする。巨大ちゃんは選挙活動もしているが、巨大ちゃんはじつをいうと日本の黒幕ではなかった。噂では、巨大ちゃんはすでに死んでいるらしい。じゃあ今もそこにある巨大な顔は一体何なのだろう? それは GHQ による財閥解体とともに歴史の坂を転がりつづける途方もない大きさの落石のようなもので、時代が今に移っても巨大ちゃんをとめるためには戦争以外にはないらしいのだ。しかし巨大ちゃんは口をひらけば「対話しよう」と誘う。要らねえよ、対話なんか。口を尖らせてそっぽを向いていると、「兄ちゃん兄ちゃん」と声をかけられた。「知っとるけ? あのデカイ顔のうしろには、もっとデカイ顔があんねんで」はあ? もっとデカイ顔? まさか。「あのデカイ顔はなあ、さらにもっとデカイ顔の仮面やねん」へえ、そうなんですかあ。その会話の真横で、「対話」を拒む若者が路上で悩殺攻撃された。ミニスカートのソルジャーたちに拿捕され、豪華絢爛たる施設へと連れて行かれる。そこで「朗らかな対話」を済ませた者たちは、胸に歓喜の太陽を抱き、希望の光となる選挙運動へと駆り出されるのだ。だからボクは今も可愛いお姉ちゃんや豹柄の服を着たオバサンたちから必死で逃げている。リモートされた男たちもたまに「対話しませんか」とやって来るが、巨大ちゃんのソルジャーはあくまでも女性が中心だ。「気ィつけや。あのデカイ顔は戦前からおって、ワシ等をエエように使うてきた心底悪いヤツ等の別の仮面なんやで。他にも壺売りだの降伏の化物とか色んな仮面、ぎょうさん持っとるわ」さっきのオッチャンが、またボクの耳元で何かを話したが、そんなことはもうどうで良い。次から次と、巨大ちゃんが美女ばかりのソルジャーを仕向けて来る。逃げなくちゃ! ――いやしかし、都市部も、農村も、山奥の村でさえも、にっぽんじゅうのあらゆる生活圏が、電動のリモートパンツを穿いた女ソルジャーたちによって悩殺攻撃され、男たちは胸に歓喜の太陽を抱くと、朝は乳酸菌飲料を飲み、昼には牛丼を食べ、夜にはエロ可愛いソルジャーたちと朗らかに対話をし、日々その大道を勝利の道としてゆくのだった。

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万太郎
万太郎
atsuchan69さんへ
(2024-09-17)

創造性に満ちた文章をコメント欄に頂き、ありがとうございます。 コロナワクチンに関しては、見えない被害者が相当数いるんだろうと。規模としては戦後最大であり、将来的に見る被害者数死傷者数は原爆を上回るであろうとそう言う見込みが出来ている中で、私自身も腹も括れないままなんで生きてんだろうと思いながら、詩を書いたり、事業所へ通うといった日常を送っております。そう言うことに気づいているかどうかで書いているものの内容も変わってくるでしょうね。 ものを書いたり想像の世界に携わる人はどうしても一般的な人への上から目線を辞められないものではないか? と。言葉一つとっても、テレビを見ればわかる通り、矛盾だらけの内容を放置出来るのが常にお隣さんであるからには、それと故意に喧嘩しようとは思わないけれど『なんで?』と言うクエスチョンマークは出てこざるを得ない。テレビもラジオも正直今は嘘ばかりで気持ち悪いですね。とても見れたものじゃない聞けたものじゃない。ではそういったもので溢れた日常はとても生きれたものではないか? と聞かれればお返事に困る。 福丸さんの『死』は確かにタイトルがね。その下に僕の『雨』がありましたからね。色んな人が書いているのはわかるけど、料理で言えばレシピを揃えて献立を作っていざ料理というそのアレンジが見えなくて、素材一本で『ハイ、どうぞ』みたいな印象を受けることも作品によっては。「このお料理どうっすかうまいっすか?」じゃないっすもんね。書き出しから「これから暗い話します。死についてです」ですもんね。でも頂いた文章にあるような『ファンタジー』を描くのが本当の創作じゃないかなあとは。ちょっと難しい陰謀大河小説みたいな内容でした。コメディとして読んでもいいかなと。

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万太郎
万太郎
メルモsアラガイsさんへ
(2024-09-17)

その筋がポエムサイトの背後にあるのなら、確かに発言に気をつけなければならないのかも。 日本は本当に多宗教国家になりました。幸福の科学から、上祐さんのアレフ、怪しい利益系のものも多数あり、言論の自由どころではない。私自身も宗教には興味があります。どちらかというと伝統的な仏教キリスト教ですが、人は生きている以上なにかしがみつくべきもの絶対的なものを求めるのではないでしょうか? 米国では宗教を持たない人間は恥だという考えがあります。私自身もその恥の人間として自らを省みる思いが少しあります。押し付けのようなやり方をやる宗教に関してはやはり良くないと思います。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
万太郎さんへ
(2024-09-17)

海外では宗教を持たないと恥だという。 よく言いますね。わたしの耳にも吹き込んだ身内は何処やらのナンミョ団体です。よく映画のシーンで観られますね。オ!マイ、ゴッド!神よ救い賜え…と叫びながら平気な顔をして相手を殺してモノを奪う。そんなシーンを多く観る。実際どうでしょう。基督教カトリック教徒は日曜礼拝には熱心に教会に行く。日本で暮らす信徒たちもそうでしょう。わたしは一応仏教徒の肩書きですが寺などは小さい時を境に覗いたこともない。ほとんど無信心者です。しかしそれでもいいと思っている。宗教に固執するのは争いの元ですね。世界を見渡せば、ご覧のとおりです。映画「猿の惑星」はご存じでしょう。洞窟の奥に住む地下人間たちは「核ミサイル」を神として畏怖し崇めていた。数え切れないくらい萬の神として日本では拝まれる。 宗教を持たないと恥だ。胡散臭い定義ですね。何かを崇めないと世の中は上手くまとまらないものでしょうか?そのことは崇拝の対象。王と呼ばれる人たち。そしてときには独裁的な為政者が無知な大衆に向ける束縛と搾取。その地位の下で隠蔽し利得をあげる偽善者。べつに恥だと言われてもなんの抵抗もないですね。といっても極端な左翼思想に囚われてもいるわけではない。すぐに政治に格好つけて右か左寄りかで区別されるのはナンセンスです。それよりもそれらの頂点に君臨する者の意図的な操作を感じて、真に理知的に自由で解放された人類としての発展はまだまだだな、とか思いますけれどもね…。

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万太郎
万太郎
メルモsアラガイsさんへ
(2024-09-18)

現代ではテレビが宗教だと唱える人もいます。なにか絶対的なもの、しがみつくものを持たず、生きていくことが出来る人は強い人だと思う。だけれどもそれなりになにかを皆信じて生きている。 考えてみると俗世間にあるものに、ここ数年とても宗教的なものを感じなくもない。例えば歌について考える。 「時代は億千万の胸騒ぎ。命のときめきエキゾチックジャパン」日本語としても、あやふやで訳のわからないものが音韻だけ揃って韻踏みしてそれが心地いいというものを、私も含め皆聞いてきて育った。恥ずかしいことじゃないですか。これは宗教ではないかも知れないけれど、宗教より酷い思想もなく、なんにもない。なんとなく楽しければいいという『平和という宗教』です。こういったものを私達は常日頃から取り入れ、最早そこから逃れることが出来ない。『言葉の矛盾が気になる』人間として素朴なことなのに、それがもう通用しない。テレビを見ると人が死んでいる。悲しいなと思いながら飯を食ってうまい。このパラノイアの世界を私たちは幼い頃から過ごしているのですよ。コロナ報道に疑問を持ちながら、コロナワクチンで人が死んでいる話をSNSで眺めながら、飯を食うとうまい。それで生きている。このパラノイアが辛いと言いながら笑っていたりする。正にジョーカーですよ。犯罪は犯してないかも知れないけれど、善良でいながら羊として生きるジョーカーです。 宗教を持ち、戦争をすることがいけないという意見はわかる面もありますが、譲れない何かがあるから人は拳を上げてぶつかり合い、それが世の中を熱くすることを思えば、天皇陛下を侮辱されたから許せないと国をあげてもし、この国が立ち上がるようなことがあれば私は賛成するかも知れません。

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万太郎
万太郎
メルモsアラガイsさんへ
(2024-09-18)

矛盾だらけの世界を受け入れて笑っているのは狂気の世界で平静を保つための薬みたいなものです。その薬がいつまで効き続けるか? 人間は動物として時に本気になれなければいけない。粗雑でいい曖昧でいいなんとなく平和でいいという世界では熱が生まれず、一億総白け化する日本で子供が生まれない現象が起きている。北朝鮮を見ると、金正日時代から絶対的なものを持っていたこの国は、コロナは解決済みだといって猛毒ワクチンも使わず、マスクを脱いで人々は働いている。独裁的だったり強権的な振る舞いは恐ろしいけれど、子孫繁栄という観点から言えば、北朝鮮の方が日本より上かも知れない。狂信的な世界を受け入れている点で、日本と北朝鮮でどちらが酷いか? 日本は言論の自由があるから嫌だとは言える。けれど私に関して言えば、薬も拒否出来ない行動管理は徹底されている。多くの人がそうでしょう。 AV大国と軽蔑される理由も分かります。AVと言うのは子孫繁栄を顧みない欲望発散のツールですから、世界から見れば、共同体のことを考えない愚かなツールに見えるのでしょう。 人々が白けずに済む倫理的かつ論理的に説得力のある規則があることが、子孫繁栄と国の安寧にいかに大切なことか? そのリテラシーに沿ってみれば、北朝鮮、日本、米国、中国、どれが一番酷いかわからないけれど、ヨーロッパや南米ではこういった問題に気づいて闘っている人たちがいますし、ドイツが右傾化しているのもその歪みに対する反発なのだと思うのです。 人々は健全な未来と明日のために、健全なルールを求める。ドイツは今ナチス政権時代を再評価する向きがありますが、伝統の中にもう少し納得出来る規則があった時代を、日本もドイツも探るべきだと私は思います。 私の詩作品『雨』もその規則ごとの問題が一つのテーマになっています。理路整然としている人間の詩が時につまらないと言うご指摘ですが、私は詩作品を通じて美文に流れず常に問題提起をしています。その問題提起のフォーマットとして『詩』と言うフォーマットがあっているかは分かりませんが、言葉の流れを美しく整えようとはしました。 平和というものには、ジョンレノンのような人はもう少し懐疑的だったと思います。祖国アイルランドのために闘えと歌う曲では思いっきり右翼肌のジョンが聞けます。死ぬ直前に書いた曲では「平和なのに誰も助け合わない社会」や「愛や平和について歌っている自分が嘘くさい」と自嘲する歌まである。 殺された理由の中にもそういう現代的な問題を予見してしまうような鋭さを持っていた権力者にとっての都合の悪さがあった気がする。

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
万太郎さんへ
(2024-09-18)

伝統の中に~けっこう保守的な考え方をお持ちなのですね。それはそれでいいと思う。勝っても負けてもきちんと礼をするスポーツ競技。汚せばちゃんと掃除をして帰る我が国のマナーの良さ。これは人間としても誇れる行為です。しかしこのことが血の系脈と結びついてそれだけで頭を垂れるのには少々抵抗感がある。いつまでも当選させてしまう世襲議員なんてのは典型的な例ですね。と言っても誤解しないでほしい。わたしはどの左翼政党にも属してはいない。むしろ政党なぞはやく無くなってほしいと願う少数派意見を持つただの変わり者です。あなたの意見と違ってあの血筋だけで崇め奉る行為にはどうしても心から賛同はできないのです。例えその人物が優れていようとも。こんなことを言っても日の丸が上がり国歌が流れれば胸は熱くなります。好きな演歌が流れてきても同様に目頭は熱くなる。一応育ちはもう古い世代の人間ですからね。伝統それは文化的な継承。日本特有の景観や祭り、そして歴史的な建造物に工芸品。確かに美しいモノはこころ穏やかにさせてくれる。続いてほしいとは思いますが、わたしはそれに固執する認識を強くは持たないようにしています。何故ならばどのように長らえても、いまここにあるモノすべては朽ち果てることに代わりはないのだから。?だから敢えて保てるように努力をすべきだろう?これも当然な考えだとは思う。しかし経済的にそのことによって救われるべき人間が救われないのならば、これはある意味現実を無視した人間の傲慢だと言わざるを得ないのです。 モノよりも大事な人の命。 そして未来は人の為に在り、人の未来は機械によって支配されてしまう。 人工知能。象徴として崇拝すべき者はモノへと移り変わる。そう長くない将来、わたしはこのことを判断として確信的に捉えているからです。

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万太郎
万太郎
メルモsアラガイsさんへ
(2024-09-18)

マウス実験で、十分な栄養と生活に困らない環境をマウスに与え、生活させたところ全滅してしまったという実験結果があるそうです。何故、全滅したか? これが平和な世界の末路です。孤立した世界で餌を求めるのに助けを借りずに生きれるならば、人々は助け合わなくていい。心を開く努力もしなくていい。子孫はどうなるか? おかしなことが起きていたり、おかしな情報が出回っていた時に、正しい情報を広め共有し合おうとする努力は? 天皇制について、メルモ様のような考えをお持ちの方は多いと思います。 三島由紀夫という人は、日本というものがどこにあるかと言えば、天皇にしかないと断言しました。 天皇は国が栄え、国民が安寧に努めるための絶対条件であり、それが崩れた時、日本という国も滅びるであろうと。日本という国の歴史はスサノオノミコト古事記と言った神話によるフィクション想像力の中にあり、日本はその架空の物語を何千年も国が栄え、丈夫で健康な赤子と丈夫男の国であるよう守ってきました。 しかし、現代はどうでしょう? 軟弱なふにゃふにゃ男子。元気のない痩せこけた女性。「ボイン」の影形もない色気のない人々そういったものが福祉界には多数を占め、日本社会を圧巻しそうな勢いすらある。煤け萎え萎んだ女性群男性群が 「私たちは世のため国のため働き社会貢献している」 と胸を張るが実態はどうか? 道徳的な縛りはかつてないきつさでありながら、裏ではAVやエロ情報が氾濫し、手を繋げない男女、自分のしたマスクを売る女性といった乱れな道徳心。影で、時には人前で他人の悪口を言うそのふしだらさ。ミスタードーナッツの店へ行けばデブの教育を受けていない女性が屁をこく姿がお目に描かれます。 日本は紛れもなく、今いる高齢世帯が全滅した後、天皇制も崩壊し(つまり天皇を崇める人が総数として減ってしまったのですから、政治家もそうですね。安倍さんもそうですが、天皇を心から崇拝していない)私が60になる頃には、外国人による国になると思います。日本語も消えていくと思う。武器で殺されることはなかったとしても、確かに日本人は子孫を作り産み増やすことなく、消えていくと思います。 機械文明AIも人間のエゴイズムを思えば、映画で描いたような人間がお皿の上に回されて、機械の餌食になる未来もどこまで本気かわかりませんが、ゾウっとしますね。 今日本は、人権と命が大事のピークの状態にいると思います。人の命がマナーや規則よりもし上回るようなことがあれば、健全で美しい清らかな笑顔や笑いのある世界でなく、下卑た笑いが蔓延る世の中になるでしょう。私は福祉界にいますが、バスに乗ろうとすると『私が先だよ!』と怒った女性が私を突き飛ばしてバスに乗ったこともある。人権思想の闇の面を沢山見ましたよ。私の価値観では相当数の人間は死刑にするべき存在です。そういう意味では乗っ取られることに関しても、以前ほど抵抗は無くなったかな。どうにでもなれというヤケクソと、没落への思い。三島が語った「憂国はエロスである」という言葉に測って言うなら、萎びた国が乗っ取られて北朝鮮女性の金政権マンセーコールで国民の股間が総勃ちしている哀れコメディー国へ変わる姿を見たい想いさえあります。

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鷹枕可
万太郎さんへ
(2024-09-18)

話が、きな臭く為ってきたようでございますので。 敗戦国の最高権力者と致しましての天皇陛下が、おめおめと生き延びられた事を如何に整理なされますでしょうか。 人間宣言以降の陛下が、実効的支配力――武力を含む、それ――を 今、此の世界趨勢の時期に、具有せなければならない、ということばの意味を、もう一度お考え直されて下さいませ。 そこに、歴史的正統性、歴史的一貫性がございませんのならば、 貴兄とは袂を別たねばなりますまい。 関東大震災、朝鮮人虐殺より101年の今年に於きまして。 記憶が確かでございましたならば元・楯の会参与関係者某氏が慰霊式典の場に於きまして、 「慰霊碑は必ず撤去して見せます」 「慰霊碑は必ず爆破し、破壊して見せます」 等とヘイト・スピーチを行いました事に附きまして――つまりは「憂国」が歴史修正主義に傾いて継承をされております事に附きまして、 如何、お考えでございましょうか (之は、ナツィズムの昔を如何受け止めるか、 今後の新-ナチス主義と謂ったものの台頭を如何に阻止し、その歯牙を抜き去るかという問題に直結を致しております)。 因みに――自分は若し、 三島の意志を正統に継ぐものがございましたならば、 現・日本国の国体を以て武装傾向へと先鋭化してゆく状況へと、反旗を翻しになられるのでは、と想像を致して仕舞います。 何故なら、今武装国家日本を実現致します事とは、三島が最も憂慮をしていた(と考えております)、 国家アメリカの傀儡、飼犬としての ――皮肉な言い方とはなってしまいますけれども――対中国への「楯の国家」と致しましての顛末をしか想像出来ませんものですから。 それは、多分、彼の愛した日本ではございませんでしょうから。 突如長文失礼。

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万太郎
万太郎
鷹枕可さんへ
(2024-09-18)

>人間宣言以降の陛下が、実効的支配力――武力を含む、それ――を 今、此の世界趨勢の時期に、具有せなければならない、ということばの意味を、もう一度お考え直されて下さいませ。 それが実現することに関しては、諦めもあるし、文化も産業も美意識もなし崩しになれた今の日本のために命をかけて陛下の為に戦う日本人が数の上で勝利を収めて、日本がそちらに傾くことは間違いなくないと思います。だって太った女性がファミレスで屁ですよ。 そう言う意味では私のマイノリティ意見など今の日本においてはお笑いでしかない。悪いジョークとしか受け止められないでしょう。 朝鮮人虐殺に関し、日本は度々謝罪を繰り返してきました。これ以上謝る必要がなんであるのか? 米国は一度だって日本に頭を下げたことがない。また、虐殺写真の内容が捏造による合成写真であることなどは、これまでも保守派の作家などが指摘してきました。その内容ロジックに関し、論議を巻き起こしましたが、内容の論理的辻褄などに関し、完成度が高く説得力に富むものだと感じております。 ナチスは障害者虐殺、ユダヤ人虐殺など偏りのある政策を打ち出し、ああ言った良くない結果を招きました。 あの当時ソ連に敗北したドイツの復興において、人々がなにか強力な羅針盤を求め、それがヒトラー台頭へ繋がった。 今の日本における左翼的共産主義的な戦後民主主義に染まり切った『なんでもあり政策』見本にすべきリーダーもいなく、ついていく羅針盤もない混乱した状況において、人々がそう言ったものについていくとしたら、それは仕方なきとさえ言えるのかも知れない。 マスクにしても任意と言いながら、ほぼ強制に近いし、人々が言論の自由行動の自由の果てに、進んで自由を放棄しているのが今の日本であることを思いますれば、安易な羅針盤を求めるのが大衆の本質であり、ナチスのような具体的なカルト政治団体がいなくても、今の日本は狂信的全体主義に身を任せているように私には思えるのです。 >三島の意志を正統に継ぐものがございましたならば、 現・日本国の国体を以て武装傾向へと先鋭化してゆく状況へと、反旗を翻しになられるのでは、と想像を致して仕舞います。 三島の意思を継ぐものはいません。それは美意識がもう違うのです。もしいたとしても、それはたった一人で褌でビルの屋上に立って腹切りをするようなものです。 ファミレスの味に染まり切った一般大衆が、米国追従の末に、対中感情を爆発させることもありましょうが、それはSNS内でのことです。日本語が器用に使いこなせなくなっているのに、日本を取り戻すことも難しいでしょう。日本人は子供を産むことが出来なくなっているし、少子高齢化も歯止めが効かず、SNS内での右翼など、なんの意味もない言論の自由の無駄遣いであり、ヘイトスピーチ運動も具体的な日本を取り戻すことに何一つ結実しないことは言うまでもありません。 そう言った野蛮な活動に傾くのでなく、果物屋、文房具屋、農薬や化学肥料を使わない野菜作りと言った地味で堅実な労働が国内産業復興に向けて如何に大切なことか。それがなに一つ実現することなく、なし崩しに崩れ潰れていっている日本で、私はある種のレクイエムであり、鎮魂歌を描きたいのです。 最後の最後に残るのは、歌だと拳を込めて言いたい。それが不快に感じることもありましょうが、文化に執着心を持つ日本人として、最後の最後までせめてもの日本語の復興に精一杯尽力し、そのまま天に登れれば、子供なき未来に向かう我が人生において本望です。 『日本を諦めた』は有名な反ワクチン医師の言葉です。私もどこかでそれに同意しております。

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福まる
福まる
作品へ
(2024-09-18)

雨は私にとって癒しです。何故なら落ち着くんです心が。この詩も私にとって癒しです。

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万太郎
万太郎
福まるさんへ
(2024-09-18)

ありがとうございます。今日も今日とて同じ施設で働いている利用者に顔色の悪さについて尋ねられ、クリエイティブな人間の持つ禅問答の苦しさだと説明しますが、ある種の鬱傾向があることは確か。それを同じ疾患を持つ福まる様に共有して頂いたならありがたいと思います。

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鷹枕可
万太郎さんへ
(2024-09-19)

色々と、見解の相違が見受けられましたので、下記へ。 >今の日本の為に命をかけて陛下の為に戦う 矛盾を致しております。「今の日本」の「天皇陛下」権威付け、 その拠り処を明文化致しておりますのは日本国憲法一条から八条、そしてその前提より成立致しましたのが不戦の宣誓、第九条、であると存じております (間違いがございましたならばご指摘下さいませ)。 いわずもがな、憲法九条は不戦を説いておりますから、陛下の許に戦を決起する、 と仰られるのは憲法の精神、戦後日本に於ける象徴天皇制の許なる平和精神にも矛盾を致しております (もっとも、一部の歴史解釈も出鱈目なる政治家――例えば高市早苗氏などは――その様な一貫性を欠いた論法を使役する可能性もありや、とも存じますが)。 >朝鮮人虐殺に関し、日本は度々謝罪を繰り返してきました。これ以上謝る必要がなんであるのか? 謝罪の十全性、それを決めるのはわれわれ日本人ではございません。 丁度、先の大戦に於ける無差別空襲に拠る民間人虐殺の、正統性を決める権利が――道理に適うならば――国家アメリカにはございません様に。 そして、虐殺事件の資料、証言の現実性を鑑みますに、捏造と仰るのは無理があられるのではないでしょうか。 >今の日本における左翼的共産主義的な戦後民主主義に染まり切った『なんでもあり政策』 果たして、いづこの政党を指摘なされていらっしゃるかも不透明でございます。 自由民主党、立憲民主党、維新の会、等等、巨大政党各党は右から左へ到りますまで「保守色」を打ち出しているではございませんか。 防衛費増額43兆円(と記憶しておりますが)を反故にする、 という公約を掲げる政党が何処にも――勉強不足でございますから若しかしたなら立憲民主辺りは検討を致しているのかも知れませんが――見当たらず、 寧ろ安倍内閣時に強行をされました憲法の歪曲解釈に副って、軍事拡大へと向かわんとする政党ばかりではございませんか。 >人々が言論の自由行動の自由の果てに、進んで自由を放棄している 上記には同意を致しますが、それは世界潮流的排外主義の為れの果て、であると考えております。 極右政党の台頭の全‐世界性、之は動物的存在としての人間の本能が指向する、文明破局の瀬戸際にわれわれが立たされている、と考えております。 >三島の意思を継ぐものはいません。それは美意識がもう違うのです。もしいたとしても、それはたった一人で褌でビルの屋上に立って腹切りをするようなものです。 上記には文芸上のレトリックが仕組まれておりますので、賛同は致し兼ねます。 三島と同じくする美意識が、異なる状況文化の中にて三島とは異なる色合いにて発色する、という事は十分に考えられましょう。 三島を殴ち毀つものこそが、最も三島の思考の趣意を継承し得る、とも自分は考えております。 そのまま、現代に於いて自決時の三島を再現しようと致しますなら、上記の様なカリカチュアは成立を致しましょうが。 件の元・楯の会関係者某氏が行っている政治運動とは、斯くごとくも滑稽な、或は滑稽ゆえ不気味なものであると、認識を致しております。 鎮魂歌を、歌を、という意識は否定を致しません。 ただ、その鎮魂の対象が誰であるのか、如何様にことばを使役なされれば鎮魂頌足り得るか、それは各々が能々考えなければならないことでございましょう。 死なば産まるるいのちもなきか、と。 長文、閲覧を賜り允にありがとうございました。

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完備
完備
鷹枕可さんへ
(2024-09-19)

くそみてーな政治談義は居酒屋でやってくれや

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鷹枕可
完備さんへ
(2024-09-19)

せッ、、政治のはなしもッ、、だいッ、大事だゾォォォッ、、、、!? 下記、テスト。 こォんンぶゥハあンはァ、おほつかァぁあきィぅおでェㇲ

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万太郎
万太郎
鷹枕可さんへ
(2024-09-19)

三島的なもの。楯の会的なもの。それを引きずったような思想を持っている人もいるでしょう。 時代がもし保守化しているとお感じなら、それは西部邁氏の語っていた『新生保守』と言うエセ保守のことだと思います。ネトウヨやSNS上で右翼を共謀したり、知ったかぶりで反米を唱えながら、骨の髄まで米国精神に染まり切っている人間は多い。要は小林よしのりの『戦争論』あたりから世の中が右寄りの言論が増えたのだと思うのです。しかしその殆どは的を得たものではなかったように私は思うのです。小林自身も『自分がネトウヨを産み、右傾化を生んだが、正しい解釈をしていた人ばかりではなかった』と語っています。 米国的なものに私も洗脳と言えるぐらい染まってきましたが、ここ数年はそんな自分を顧みるような出来事がたくさんあったことも確かです。それでもやっぱり今の日本なら米国の方がいいなあと思うことが多くありますね。 今の日本に関してはやっぱりちょっと違うなあと思うことが多いのです。 洋楽を聞かない理由について 「英語がわからないじゃん」 なんて言う素朴な意見を言う人がいる。この人がよほど日本語のスキルが高くて、教養に富んでいるのならいいのですよ。そうでもないんだよな。田舎っぺえが知ったかぶりで反米を唱えるなとは言わないけれど、それに近いものが確かにある。それが新生保守という『左翼よりも左翼』『新生保守こそ、本当の極左だ』と言う西部さんの意見に私も同意見です。ネトウヨもヘイトスピーチも酷いですよね。改憲も仰る通り、私は日本が米国から自立するための改憲ならいいと思いますよ。米国の侵略戦争に参加させられるための改憲が今の改憲であるならば、それは護憲の方がマシだと言う意見に賛成です。 >鎮魂歌を、歌を、という意識は否定を致しません。 ただ、その鎮魂の対象が誰であるのか、如何様にことばを使役なされれば鎮魂頌足り得るか、それは各々が能々考えなければならないことでございましょう。 死なば産まるるいのちもなきか、と。 鎮魂歌に関しては、歌と物語に生きた我が半生の決算として、この世に生きた置き土産としていずれ先住民のように、ヨーロッパ人の策略により滅び去るであろう日本人と言うものを、祈りや呪術のように思いを込めて歌いたい。そして未来の世界で絶滅危惧種として生き残った日本人に伝えたいと言うことかも知れないです。 >謝罪の十全性、それを決めるのはわれわれ日本人ではございません。 丁度、先の大戦に於ける無差別空襲に拠る民間人虐殺の、正統性を決める権利が――道理に適うならば――国家アメリカにはございません様に。 そして、虐殺事件の資料、証言の現実性を鑑みますに、捏造と仰るのは無理があられるのではないでしょうか。 捏造写真については小林よしのり『戦争論』によっております。私は、この資料を通した分析は信憑性の高いものと感じております。文芸のサイトで政治の話は、完備様も仰られる通り、居酒屋でやるのがいいかも知れません。広く社会を見る目は、文芸に携わるものとして大切だとも思いますがね。

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鷹枕可
万太郎さんへ
(2024-09-19)

分り合える箇所も有り、分り合えぬ箇所も有り。 歴史認識に附きまして。 最後に。 幾ら申しても届かぬ様でございますから。 自身の素性を明かしたく存じ上げます。 自身の父方の祖父母は、満州鐡道の駅員と、殖民移民者でございます豪商の娘、でございました。 長男たる父には三人、姉がおりましたが。満州引き上げの折、落命を致しております(その戒名も確りと、位牌に三つ並んでおります)。 自身の母方の祖父母は、孰れとも天理教の信仰者でございました。 天理教徒は、満蒙開拓団へと参加を致しておりました来歴がございます。 それらが、何を意味するのか。 自分が、自分の血肉を以て証明し得る事とは、すなわち――大日本帝國、国粋主義的殖民政策、「満州國」の、末子の一人と致しましての血の歴史を、 その結末を。 その因果を。 自身が一身へと引き受けて存在しております、事実でございます。 それでも、貴兄は 日本の、 国家の、 天皇の、 歴史遡及的正統性を担保できますか、と尋ねさせていただき、口を噤ませて頂きたく存じ上げます。 既に、われわれは加害の歴史を、その罪を負って現に在る、ということでございます。

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atsuchan69
鷹枕可さんへ
(2024-09-19)

じぶん、天理教なら鰻の「みしまや」とか知ってるよね 天理教は近親相姦も許してくれる宗教だって聞いているけど実際はどうなの?  ボクは「みしまや」のファンで年に数回くらい大阪と天理を通っている それと物部氏ゆかりの石上神社も近くにあって、 ル・レーヴというフレンチレストランもたまに行く ボク的な推測では、 大本教と古代氏族の関係のように 天理教の背後には、 初代天皇よりも先にヤマトを治めていた (と思われる)ニギハヤヒの末裔、 物部氏がいると考えている 毎月26日かな?  おぢばがえりの際は「みしまや」で鰻食べてね、、

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おまるたろう
おまるたろう
作品へ
(2024-09-19)

個性はあまり感じませんでしたね。今回は、上級者のやり方を志向しすぎたと思いますね。 万太郎自体にはなにか存在から醸される魅力みたいなのは、たしかにあるんですけどね。なにかを成し遂げそうな。 現代アートの草間彌生は「水玉」をえんえんと描いてきて、世界最高額のアーティストにのし上がったわけですよね。 そういう「狂気」性を突き詰めていくみたいなところがないと、つまり狂気が中途半端だと、逆に独創性とは反対の「匿名性」が強く出てしまうんですよね。

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万太郎
万太郎
鷹枕可さんへ
(2024-09-20)

歴史認識における認識の違いは、それぞれに勉強した資料内容の違いによってずれが生まれ、お互いの言い分思い入れもあるために、合致することは難しいでしょうね。 日本語の文芸サイトで、日本の歴史認識についての議論が起きることは、そう不思議なことではなく、また居酒屋談義をバカにしたものではないと私は思います。居酒屋とは大の大人が腹を割って語る場であり、巷で流行っている一方的なカウンセリングコミュニケーションなどより、余程社会を知る勉強になるところだと思うからです。 特に、この議論は決着はつかないと思いますが、鷹枕可様の言い分しかと受け止めさせて頂きました。

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万太郎
万太郎
おまるたろうさんへ
(2024-09-20)

まともな文章を書けると言うところを見せたかったのもあるし、少し自分が問題者であることへの反省と、文芸サイトにおけるびっくりパフォーマンスへの偏りを懸念し、バランスを意識したところも、今作の内容に反映されているのかも知れませぬ。 正統派の書き方を意識した結果無個性という印象になったのなら、それも至極当然。 またその意見を聞いて改めるかというと、色々な自分を見せていくというやり方もありかと思っています。ホラー漫画家が突然ギャグ漫画を描き出して驚かせるように、受け手が驚いても作者としてはその内容流れに一貫性があるというような。自分自身の狂気については、他人に指摘されて気づくぐらいで、自分ではあまり思い当たらなかったところもあり、言われてみれば確かに変だなあとここ数年思うようになった次第です。一本線のようなものを見つけて自分でそこを前面に押し出していくことは、考えています。例えば 「どうして自分は周りに馴染めないのだろう」 というようなテーマを突き詰めていくとわかっていくことがあるのかも知れないし、それがアートという形で昇華されることもあるのではないか、と。

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atsuchan69
作品へ
(2024-09-22)

「作者の思考の浅さを露呈するだけの文章」←これ、スクショしておく。 作品を書いた人へ自由にコメントをさせてあげたら良いのに、それすら許さずに横から突っ込んで来るオバサンって、要するに自分のお気に入りが下に来るのが気に入らないワケだよな。で、こーゆーオバサンを観察してみると結局、自分たちの居場所の縄張り争いなんだ。だから排除したい作品が上へ行かないように矢鱈コメント付けしたりしてワンワン吠えてるんだけど、それでも上がってくる作品をナンとしてでも叩きたいワケか。で、オバサンひとりじゃ非力なもんで同じ組(笑)の仲間がやって来る。もちろん、ナンミョーとは言ってないし、もしもナンミョーだったとしてもそれはそれで見える化されて面白いのだけれども、ここが文極と違うのは、そーゆー団体色が運営も含めて【黄色】く染まっているところなのかも知れない。ボクは今月中でこの場所でのミッションを終了するつもりだから言うけど、【文化】って、新旧の交代劇であって、誰かがいつまでも権威として居座るための仕組みじゃないし、権威のためにあるのでもなく、むしろ壊すために働く力なのだ。権威あるオバサンがこの先この場所をどうするのかはともかく、文化の流れとして既存の【正しい評価】は、いつか次世代の【ヘンテコ】もしくは【メチャクチャ】に取って変わるということを言っておきたい。ボク個人としては、万太郎さんは、出来れば今すぐにでもこの場所の運営代表になってもらいたいほどの詩人だと思っている。それがわからないオバサンは、別れる理由は読んでなくとも、せめて石川淳の狂風記くらいは読んでからワンワン吠えろ。

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湖湖
湖湖
作品へ
(2024-09-23)

雨を擬人化するよりも雨になろう!自然信仰みたいな、動物愛とかも思い浮かびます。

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万太郎
万太郎
atsuchan69さんへ
(2024-09-25)

熱いコメントありがとうございます。 数日前から腰が痛く、PCに触れられず返信も遅くなりました。 私のことを少し気にかけてくださる方が、少しずつ辞めていったりしていくようで、人と人との出会い別れは世の必然でしょうか。自分は縛りがある中で本領を発揮することは得意なのですが、なんでもやっていい好きにしていいと能力を過信され、また放置されてしまうと自分がそれをやり続けることの大義のようなものが見えづらくわからなくなってしまって、SNSの自由投稿も引き際がわからず辞めたり入ったりの繰り返しです。現在は、プロダクションがついて人が見てくださっている中で作品制作を続ける環境準備に向け、動き出しています。プロダクションのようなものでなくとも、友達がいたり、作品に自由意見を貰える人が身近にいることはとても大切ですね。それは最初の頃atsuchanさんが言っていた友達がいること、そういうものを持つことは大切だよという言葉に通じていると思います。 こういうのは良くて、こういうのは良くないというリテラシー見識を持つことと、辞める時には辞められるというのはatsuchanさんにはそういう鏡となる存在がいるのだと思うのです。 影で糸を引く団体の存在などについては、現実生活でもそういうものが沢山糸を引いて、人間関係を動かしていたりするものなんだと思います。 運営代表にしたいなどと勿体ないぐらいあり難きお言葉。私はこう見えて、メカ音痴ですので、現実的にはそういうことが出来るかはさておき、お気持ちだけ頂戴したいと思います。

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万太郎
万太郎
湖湖さんへ
(2024-09-25)

コメント有難うございます。 雨への接近度が擬人化を超えた印象ですか? 人間も人間の外側にある環境も目に見えない規則によって動かされている。 私はそこに『神』の存在を見るのです。自然信仰もあるし、動物愛もあると思います。

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黒髪
作品へ
(2024-09-25)

雨が自然現象であり、人間以上の存在だとは思います。黒い雨とか。 人間は、雨を降らせるお祈りを昔から考えていて、忍性(良寛)師が、日蓮上人に雨降らせ合戦を、 挑まれたのですが、適度にあしらって相手にしなかった、というエピソードを思い出しました。

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atsuchan69
万太郎さんへ
(2024-09-25)

じつは心配していました、、 FM の発言が原因だった場合は、それなりにデカイちんこのボクの代理人の手配も考えていました 笑 ボクが去る理由は空飛ぶ猿たちのせいではなく、やがて来るであろう言論統制に備える為です とはいえ、黄色い場所のピーチクパーチクは公的機関でも匙を投げるしかないでしょう、、 「現在は、プロダクションがついて人が見てくださっている中で作品制作を続ける環境準備に向け、動き出しています」 おお! それは凄い、、 ええと、現フォにあるボクの作品群のうち★印の作品はすべて万太郎さんがいつでも公の場所で自由に朗読していただいて OK です、ぜひネタのひとつに加えて下さい。いずれボクの天使さんの関係する出版社で本にするつもりですが、朗読とかはぜんぜん構いません。 運営代表については、人間性と公平さにおいて間違いなく万太郎さんが望ましく、また技術面では今の代表もまったくチンプンカンプンな筈です。 FM もナルシストの魔女にあれほど尽くすことが出来るのなら、眼が覚めれば、今度こそ本当に【詩】のために万太郎さんをフォローするかもしれません 猿‥‥ちゃう、去ると言っても、作品こそ投稿はしませんが、気が向けば何方かの作品へコメントをしたりするかも知れません まだあと5日あるので、ふたたびコメントさせてもらうかもです、、 ★あ、どこにでもいる FM については、少しばかり知っておいた方が良いと思いますので、参考までに動画を貼っておきます https://youtu.be/hMWNrEBE3ic?si=1wrKyoc2IJlP7PB8

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メルモsアラガイs
メルモsアラガイs
atsuchan69さんへ
(2024-09-25)

万太郎さんが運営に携わるのは賛成ですね。彼の評を読ませてもらえばその実力も品格も備わっているのはわかります。しかしひとつ懸念があります。鷹枕可さんとのやりとりを拝見して彼、万太郎さんが三島の英雄主義を肩に提げた天皇国家を崇拝できるということ。あくまでも国家としてですね。かの戦後の総括を軍部の責任だけに押しつけようとしてきた我々日本人の考えは如何なものでしょうか?これにはGHQ占領下だという政策も大いに関わってきますね。復興のためには象徴としての天皇を。生き延びた日本人そのほとんどが万歳と賛辞する。しかしながら傷付き帰還してきた兵士、また中国や満州から生死の中を彷徨い必死になって逃げ帰ってきた人々はどうだったのか。敗戦後の数か月後に巣鴨プリズンで哲学者三木清の死を知ったのは進駐軍だった。もしも、仮にもう少し早く天皇が敗戦を認め決断していたなら、広島で、長崎で原爆は投下されいたでしょうか。各地方の都市に爆弾は雨の如く降りそそいだのでしょうか。いや、もしかしたら投下されてたやもしれませんね。あのことは明らかに米国による実験目的も兼ねていたのでしょうから。当然わたしは第二次世界大戦を経験はしていない。生まれてもいない。しかしながら、しかしながらですよ。もっと早くに決断していたなら、あれほど犠牲者が増えたでしょうか? あの当時天皇陛下は国民の神として敬われ、また大元帥で全軍部の長でもあります。当然責任はある。と陛下自信も認めておられた。ならば、何故いかされいざなわれても当人は降臨しなかったのか。それが日本人全国民の意思だったのか。わたしは非常懐疑的な見方をしています。なので象徴としての立場を認めるのはいいでしょう。しかし海外からいくら無礼な振る舞いを受けても手を挙げて参戦することには反対です。どんなに小さなサークルであれ、新しき文化を育てようとそれに携わる心意気のある人間は、大衆を尻目に大政翼賛的に文化を先導させてはならない。万太郎さんは芸能のプロを目指そうとする考え方のお人です。それについては何の異論もない。ですが、芸能もプロになれば人気も必要になり当然目的はお金目当てになる。事業者から広告業界そして大衆と、迎合しなければならなくなりますね。迎合という二文字は多くの場合質の低下を招く怖れがある。仮にあなたのようなお考え方の人が投稿詩人たちを管理する立場に就くとしたなら、わたしが心配するのはその点なのです。……これはatsuchan69さんの意見を読んだ上での妄想ですので、と追記しておきます。

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エイクピア
作品へ
(2024-09-25)

雨イコール音楽と言う発想には共感出来ます。何か雨には悲喜こもごもや、人に発想の源を提供するある何かがありますね。この詩では雨に対する定義と言うよりはむしろ、雨が醸し出す抒情、雨が強要する感情の絵図面みたいなものが開陳されていると思いました。

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万太郎
万太郎
黒髪さんへ
(2024-09-26)

コメント有難うございます。 雨は人間以上の存在なのか? 上下の問題なのかはともかく、誰にでも降る、なにに対しても降るこの雨。その雨を通して詩情を交えながら、哲学を語ってみました。 黒い雨? というとなんとなく不吉な雨が頭をよぎりますが。そういう小説もありました。原爆を描いていましたね。 豊作を願い祈祷。祈りを捧げる。その風習が昔話でも様々なエピソードになったと思います。

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万太郎
万太郎
atsuchan69さんへ
(2024-09-26)

コメント有難うございます。 確かに、日本が中国のような言論統制の厳しい国になるのはそう遠くない気も致します。 押し黙って善良に生きれ、平穏な生活が出来るなら、それもいいのかも知れませんね。 私は実は以前何度か触れましたが、福祉の事業所に在籍していて、腰痛が起きたのも、長期による座り作業による面が大きかったのですが、ついこの間、障害者専門の芸能事務所のオーディションに合格致しまして、芸能界のオンライン授業のようなものに関して、就労Bの管理者との交渉次第で、無料でレッスンが受けられるようなのです。そこからマスコミへのアピールなどに繋がるようなのですが、そういう意味では僕もこれから先はいい子にすることを自分に課していかなければいけないという内面の葛藤もあります。 運営代表については面白いとは思いつつも、どういうことをやるのかがよく分からない。 atsuchanさんの作品以前音読した際は、上手だと言われました。本になるかも知れないということで、それはいいと思います。 是非ワケワカメの歌を朗読してみたいですね。節をつけて読んでみようかな。ナニガナニヤラワケワカメ♪ >猿‥‥ちゃう、去ると言っても、作品こそ投稿はしませんが、気が向けば何方かの作品へコメントをしたりするかも知れません 辞めちゃうってキッパリ宣言しなくてもいいんじゃないですか? 立派に生きてきた普通にローンのない家もあってという、atsuchanさんの話を聞いていると、人間は幸せになっていいんだなあと思う。嫉妬なんて全然湧かないですよ。 僕は顔も悪くないし、お行儀も悪くなく、好青年なところがある。ある種の嫉妬にあったんだと思うけれど、幸せになっていいのか悩むことが多かったかな。楽しいことが好きじゃないという家庭に生まれ育ったので。 FMについては、動画見ました。確かにそういう人はいるかも知れませんね。

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atsuchan69
万太郎さんへ
(2024-09-26)

今から太刀魚の仕掛けを作ります。 と言っても、 電動リールのPEとナイロンの糸をW8の字結びで直結させるだけですが‥‥ 他、持って行く道具とかの準備です 人生の後半はネット詩を書いてる若い人たちに美味しい食事とか振舞って過ごそうと考えていたのですが、 もうネット詩をやってる人とは一部の人を除いてあまり関わらないで過ごそうと思います ただ万太郎さんと知り合えたのは最大の収穫でした でわ、、

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万太郎
万太郎
メルモsアラガイsさんへ
(2024-09-26)

コメント有難うございます。 芸能界も色んな人がいます。色んな考えの人がいます。 スポンサーがついている。その中で表現をやるのだけれど、自分としては今見ている景色と違う眺めで同じ眺めを見てみたいという遊び心のようなものがある。その遊び心を捨てない限り、どこへ行ってもなにをやっても大丈夫かなと。 運営代表については、今のところあまりやるつもりはないかな。 文学界というのは大変な世界ですから、そこへ行くには私生活でも比重を置く必要がある。 私にも事業所通いに、芸能界のレッスン授業とやることがそれなりにある。 頑張って運営サイトをやっている人はリスペクトしますよ。 天皇制の問題など、政治的な問題の細部にわたって、私と気が合うような人は保守と言われる人でもそうあまりいない。 それぞれ読んでいる資料参考にしている文献も違いますからね。やや政治問題に言を触れ過ぎたかなと思うこともあります。 日本語を扱うサイトで日本の歴史を語ることは間違いではないけれど、大事な話だからこそ、行き過ぎてしまってはね。 >しかし海外からいくら無礼な振る舞いを受けても手を挙げて参戦することには反対です。どんなに小さなサークルであれ、新しき文化を育てようとそれに携わる心意気のある人間は、大衆を尻目に大政翼賛的に文化を先導させてはならない。 このコメント欄でやり取りのあった内容に関してですね。しかと心に受け止めておきます。

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万太郎
万太郎
エイクピアさんへ
(2024-09-26)

コメント有難うございます。 雨が醸し出す詩情。それが心に音楽となって響いてくる。 その自然的な佇まいの中で感じる感傷を読んだ作品です。 素朴でありふれたものが人に与える直感やヒント。それは気まぐれのように顔を出す現象より、なにかを感じさせてくれるものかも知れません。 1回目にみた雨、2回目にみた雨、30年経ってみた雨。同じ雨でも毎日違う。なんの変哲もない自然現象に静かな感動を覚える。 そういう年齢になったのだなあと。 >雨に対する定義と言うよりはむしろ、雨が醸し出す抒情、雨が強要する感情の絵図面みたいなものが開陳されている 私が伝えたいことをビシッと言い当てているようで、その分析に敬服です。

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万太郎
万太郎
atsuchan69さんへ
(2024-09-26)

コメント有難うございます。 釣りですか。いいっすね大人の遊び活動的です。 自分は割と文学肌の孤独な寂しがり屋ですので、その愛嬌が伝わる人には伝わるんだと思ってます。 障害者の世界に陥ってしまって、SNSでは叩かれやすい存在になって、でもそれでも現実では優しい人たちも沢山いて その私と出会えて良かった! と言ってくれるatsuchanさん。 私もそういう人と出会えて良かった! 

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ぺえ太
ぺえ太
作品へ
(2024-09-28)

雨。雨と聞いて思い浮かべるのはビートルズの神曲『Rain』ですね。あれはリズム隊が「雨」で遊び倒してて最高です。だららっと雨雫が落ちるようなドラムとか。 この作品、着眼点は面白いですが、ちょっと説明に走りすぎかなという気がします。説明に走りたくなるのはわかるんですが、ついつい早道したくなっちゃうんですが、それやりだしたらもう詩ではなくなってしまうんじゃないかと私は思います。これはあくまで個人的な意見です。 5連からラストまでは良かったです

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万太郎
万太郎
ぺえ太さんへ
(2024-09-30)

コメント有難うございます。 ビートルズの「Rain」はビートルズが実験的なことをやり始めた頃の作品だったと思います。 リンゴスターのドラムが印象的ジョンレノンのヴォーカルが気だるく、音楽で詩の世界を表現しようとしたような詩情溢れるロックナンバーの快作です! また、着眼点の面白さをお褒め頂き有難うございます。この書き方がしっくりきたのでそうしたのですが、確かに説明的な感じも受けますね。解説が詩になってはダメですね。 五連からラストまでの流れお褒め頂き、有難うございました!

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atsuchan69
おまるたろうさんへ
(2024-09-30)

ここではさよなら。約束通り、ここは今日まで 明日からは現フォで会いましょう、、 アク禁になったので現フォで私信してます でわ、、

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rona
rona
作品へ
(2024-09-30)

自然と人間の対比、必然と不条理、心の在り方、、哲学的な作品だと思います。万太郎ワールド、万歳!!笑 勝手に設けたタイムリミットにより本日迄活動しております。笑(以下独り言) まぁ、ここでは万太郎さんは人間性において抜き出てる。それはあなたが人並み以上の苦労に向き合った結果で、それは文芸において宝となるものだと思う。 私は苦労しない人生を選べる人間だったけど苦労する人生を自ら選んでしまった。昔の仲間からはなぜ敢えて苦労する道を選ぶのか不思議がられる。でもどっちが幸せかなんてわからない。私もこちら側で良かったと思っている。(選択した人間と非選択の人間を同一するのは余りに不遜だが)やはり通じるものを感じるのですよね。万太郎作品にも、あなたのコメントの端々にも、シンパシーを。色々学べました。(感謝) 注)アカ削出来ない場所だからまた登場するかも。万太郎作品限定ルールを勝手に設けて。笑

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rona
rona
万太郎さんへ
(2024-09-30)

あ、独り言が意味不明かも。『すかんぴんブルース』での万太郎さんのコメント(37)を読んで書きました。

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西山智
西山智
作品へ
(2024-09-30)

今年は梅雨時に余り雨が降らなかったから、僕も雨女の話しを書きたかったけどうまくいきませんでした。この詩は雨についてよく考えている‼と感心しました。

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万太郎
万太郎
ronaさんへ
(2024-09-30)

コメント有難うございます! 昔、運動会で最後まで走っていたらそんなに前の方じゃないのに、女の子に声援を贈られたことを思い出しました! 哲学詩と捉えて頂き、ありがたいです。 すかんぴんブルースでのコメント、あああれですね。 苦労はしてきたと思います。 勝ち組を選ばなかったことを、私はホリエモンではないので、後悔してないですね。 自分なりの信念があって、卑怯や姑息を働いてまで他人を押しのけて幸せを得ようとは思わない。 >注)アカ削出来ない場所だからまた登場するかも。万太郎作品限定ルールを勝手に設けて。笑 是非またお越しください。私は今後作品発表の頻度はどうなるか分かりませんが、やっていきたいと思っております。少し人前に自分の文を晒し、厳しい指摘を受けて、程度が分かった面もあり、以前のように自信満々というわけではありませんで。 ronaさんのこれまでのコメント度々励まされ、良かった!

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万太郎
万太郎
西山智さんへ
(2024-09-30)

コメント有難うございます。 民話は座敷童から始まって、小話とんち。 雨女の小話、考えたくなるお気持ちわかります。 生活の中から出てくる思いとなにかそこで得た知恵のようなものを、物語に託したいという思いだと思います。 お住まいの地域によるかも知れませんが、確かに今年は私の住んでいる地域も雨が少なかったかも知れません。 雨についての熱考を高く評価頂き、ありがたき幸せ。そのお言葉、宝にしたいと思います♪

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中田満帆
作品へ
(2024-09-30)

表現が硬い。他人の介在を許さないほどに硬い。思弁的で決定論に満ちあふれている。彼我の有り様を映像的に見せるからくりが欲しいところ。

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田中宏輔
田中宏輔
作品へ
(2024-10-01)

避難しているひとのことが浮かんだ。

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万太郎
万太郎
中田満帆さんへ
(2024-10-01)

コメント有難うございます。 指摘されてみると確かに、力味が入っている気がする。日常生活における人間関係が少し緊張関係の人がいることがあるのかも知れないですね。 欠点に気づいていけば辞められる気もするし、良き批評が出ると勉強になります。有難うございました。

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万太郎
万太郎
田中宏輔さんへ
(2024-10-01)

コメント有難うございます。 避難している? 遭難ですか! なんちゃって。 確かに今不謹慎ですが、雨嵐台風で避難してらっしゃる方もおりますよね。 そういう時にもユーモアやウイット冗談は大事です。冗談冗談冗談♪ 冗談というのは他人との距離感である。とまた思弁的な決定論を、少し悪い癖がついて辞められなくなってしまいました。とほほ......

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