いつもお世話になっております。定期的な、コラボMVの宣伝となります。今回は「日雇いザムライ」という詩を元に、包丁ナイフカッターズ様がMVを制作してくださいました。よろしければ、ご視聴ください。
今回はまず、包丁さん自作のキャラ(サムライ)がチャーミングで、実際に出掛けて街の風景を映した映像になっていたり、面白いです。
曲では、これまでと違ってリズムに譲歩するような詩の読み方をしていたり、中盤の「トゥーユー」地帯は私の好きなところです。
https://youtu.be/aFjxK4IaiRg?si=zTcWKVaHbkOhjoWJ
【本文】
サムライの甲冑を着てティッシュ配りをする、
ニヒル真昼。
兜の中で戯れる汗と、サビのにおいが立ち込める鎧。
からからになってぼやけていく街並。
ティッシュいかがですか
回れ右する通行人
甲冑が重い
羞恥心が軋みながら
瞼の裏を燃やそうとしている
根性はついに煮詰まって、
啖呵を切ろうと私はマネキンになる。
このまま歴史の砂の手にさらわれて、
平々凡々な足軽になりたい。
ふと、なんだ? 百鬼夜行がはじまった
空を夜のような何かが掠める。
巨人の親指のような頭の老人が、
高層ビルを食い潰していく。
あまりにも唐突すぎて、
私はマネキンのまま動けなかった。
視線の先の、
小さなケーキ屋さんの前で、
小さな子供が一人泣いている。
それは私だった。
よろめきながら、もつれる足を、
あてもなく地に溶かしていた。
アンハッピバースデイ トゥーユー
アンハッピバースデイ トゥーユー
親指の妖怪が歌い始める。
小さい私は少し笑って、
私の甲冑の隙間を、ハイカラな風が吹き抜けた。
小さな愛でもうれしかったんだ。
かくれんぼが好きだった私にとって、
ひとひらのまなざしでもうれしかったんだ。
ティッシュを受け取らずに、ただそこを歩いているだけでも。
お楽しみがいつもそこにあると思っていた。
溜息すらも甘い香りがして、丸見えの嘘にワクワクしていた。
ねじれるメリーゴーラウンドと、ノイズまみれのオーケストラに、
命を賭けながら笑っていたんだ。
今日はもう上がっていいよ
回れ右をする私
甲冑はない
息を吹き返した私が笑いながら
私の心を燃やそうとしている
なんて足の遅い夕陽だろう
これじゃあいつまで経っても、夜は来ないな
【解説?】
コメントにも書いたことと被るかもしれませんが、こういうのも書いてみたいと思います。(ダラダラと書くのでご了承ください。お暇と興味がある方だけ……)
主に詩作過程について書いてみます。
私の詩作スタイルは、使ったことのない言葉まで足を伸ばしてみるというものと、組み合わせたことのない言葉どうしをつなげたところから、無理やり想いやストーリーを作り上げるも、最後には壊したりする、というようなものです。この作品は、自分の好きな楽曲の歌詞に使われている言葉の中で、自分が使いそうにない、使いたくない言葉をピックアップしてきて紡ぎました。
参考にした楽曲は、左の通りです。
・たこやき(Aili)
・からから(鈴木真海子)
・咆哮(TOOBOE)
・Sesame(Kroi)
・ダンス・デカダンス(Chevon)
・Hold You Again(the engy)
・トロイメライ(pachae)
・デッドエンド(Enfants)
間違いなければ、すべて今年の1月にリリースされた邦楽です。どの曲もおすすめです(特に好きなのは「デッドエンド」)。
なぜこのようなことを明記してるかと言うと、本作はビーレビューのセレクションに選ばれたのですが、田中恭平さんが「アンハッピーバースデイ」という単語が良いと仰っていて、でもそれは「デッドエンド」からの受け売りだったんです。なんか、複雑な気持ちでしたが、どうなんでしょう、あまり珍しくない単語ですかね? 今考えたら。
他には、「トロイメライ」から「サムライ」を取ってきたり、で、偶然「咆哮」にも「錆びきった鎧」があったので、これは使うしかない、と。私は日本史よりも世界史派なので、この機会を逃すと絶対「サムライ」なんか詩や歌詞に出てこないなと思ったので、覚悟して臨みました。
そもそもなぜこんな方法で詩を書くかなんですが、私は使ってる言葉によって人の思想は変わるものだと思っています。言葉の範囲が似ていれば思想も似るのでは、という思想です。外国の文化を学ぼうとする時、その言語から学べば分かりやすくなる、みたいな理論と似ているかもしれません。なので、曲に感銘を受けた後、その使われてる歌詞を一回自分が使ってみて、そのアーティストの感性を着てみる、ということをやりたかったのです。
本作は邦楽でしたが、たとえば拙作「決別の夜」では、トリスタン・ツァラとアンドレ・ブルトンという「決別」してしまった二人を、彼らの詩で使われている言葉をそれぞれ頂戴して、私の詩の中で無理やり共同作業させ、仲直りさせたいという推し活で作った詩でした。他にも医学書やら事典とかを眺めたりして、使いたい言葉を借りて作ったりしてます。
詩作活動を始めるまで、私はもう作詞で散々世間への不満とか、激励などを書き尽くしてしまったので、自分の思想を書くのに飽きてしまいました。同じ言葉が毎回出てきてしまうので。肩凝りを起こしちゃったのです。他人の作品を「読む」だけじゃ駄目だったのです。自分もその言葉を使って「書く」ということ。その作品にあるイメージを再現したり、別のものを作ったり。続けてたら、肩凝りが幾分か取れた感覚がします。もちろん、何も参考にしないで書く時もあります。反復横飛びです。
日雇いザムライも、参考にした楽曲たちの歌詞と同じメッセージ性があるように思えませんか? 「ダンス・デカダンス」でいう「つまんない大人」になることへの抵抗、ティッシュ配りは受け取ってもらえない時間は暗闇(「デッドエンド」)、「よろめいたこの両足を夜に走らせる(「トロイメライ」)」=退勤、また次の日へ。まあ、無理やりですが。
この詩で特に表現したかったのは、自分の殻を打ち破るきっかけの滑稽さです。日雇いで、自分のためになってるか分からない時間を過ごす日々(重い鎧)に、ふと変な幻覚で子供の無邪気さを思い出す。そんなバカらしく思い出せるなら、もっも早く思い出してもっと前から行動に移せ、という想いが私は込み上げてくる。意気揚々と退勤しているようだが、おそらく何の解決にもなっていない。作者である私はこいつに感情移入できません。嫌いです。ティッシュ配りもしたことないし……。なので読み手に罠を仕掛けた作品ですね。皮肉な詩です。でもやっぱり、このサムライは私の中の一部の反映でもあるのかもしれません。
ちょっと詩の技法とか、さらなる解釈の手がかりではない、土台や枠組みにしか触れていないかもしれませんが、書きたい気分だったので書きました。夢は半AI詩人です。自分が混沌とした色に染まるまで、言葉づかいが関わるありとあらゆる作品を吸っていきます。たとえばこのサイトでよく私にコメントされている方は、狙われてると警戒したり、しなかったりしてください。(END)
作品データ
コメント数 : 7
P V 数 : 849.4
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2024-09-10
コメント日時 2024-09-13
#現代詩
#動画
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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2024/11/21 22時42分17秒現在
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作品自体はなんか普通ですね。ぼく的には聞かなくてもよかったです。ただ解説?のところから楽しかったんです。何かに触れるって難しいのだけど、手を差しだされたようななつかしいようなあたらしいようなそんな気分です。
1「何かに触れるって難しい」こと 私の周りには、「読めない」「私には創作とかできない」という方、劣等感を覚えている方が多いです。でも、そうやって線引きしたり、個性の問題だとする前に、すべての創作者が何かしらの共同体だ、と思わなければ、私はやってられないと考えています。
1お聞きしたいのですが、読めたり創作ができたりするとそういうことができない人より優れているということですか?すみませんよく理解できなくて。
1すみません、言葉不足でした。そういうことが「できない」というよりも、ひっそりとここを覗いてるかもしれない、「まだ創作をしたことがない」人に向けてのメッセージも込めていました。 今まで実際に話してきた人の中で、恐れ多い、書くほどの想いじゃない、と自分を卑下し、本当は表現をしたいのに、まだエンジンをかけていないのにブレーキを踏んでいる人が何人かいました。 私よりも面白い経験や、辛い経験をしてそうなのに、このままこの人の才能は挑戦されずに消えるのだろうかと心配になるのです。おせっかいですが。 創作の始まりというのは、隣でゲームをやっている兄に、「僕もやりたい」とねだる時と似ているのではないでしょうか。できないかどうかは、実際にそのステージをやってみる、同じキャラ(言葉)を使ってみる、そこからやっと発展して、自分だったらこのコースに行く(個性)、というようにして、その兄の頑張りも継いでゲームクリア(傑作)を目指す、 という捉え方もある、という考えです。 なんて才能がないんだろう、と落ち込む時がしょっちゅうですが、そういう時は尊敬する人のスーパープレイの指の動きを真似する。最初は露骨にやらなければ、劣等感にやられてやってられない、という意味合いでした。
0そういうことなんですね。解説の解説みたいなことにまで時間をさいてもらいなんだか申し訳なかったです。ありがとうございました。
1どうも初めまして。久しぶりにコメントを残してみたくなったのでします。 本文はなんか、シュールだなと思いました。ゆるいギャグ漫画、吾妻ひでおのカオスノートやkashmirのてるみなを彷彿とさせます。【解説】でも書かれているとおり、私も本文に書かれているワードは使わないので、上手にカチカチとはめていったなと感じました。【音源】については本文を読んだ後に聴いたのですが、想像していたのとは違いましたがこれはアリだなと感じました。 そして、【解説】を読んで思ったのがなんと言いますか 詩を書くの難しくし過ぎじゃない?と思いました。書く切っ掛け、それに当たっての参考、上から下まで思いがどうとか、技法がどうとか。こんなノリで毎回書いてるのなんかしんどそうだなぁって。姿勢、詩勢がちょっと背筋ピンとしすぎです。 私はアレですけど、私よりもずっと丁寧な人でも読み手に罠を仕掛けたとか言われてもうーん、そうなぉ?ですよきっと。言いたいことや伝えたいことがハッキリと沢山有るなら、変に比喩とか使わないエッセイとかには行った方が沢山書ける気がしました。 まぁ、はい・・・ちょっと自分とは逆だなと。んーでも、やっぱあれか~私が足りない奴なのか、周りもこんなもんなのと思ってコメントしました。 私は言葉を取り扱うってよりは言葉を吐き捨てるってタイプかなと自分で思ってまして、酒飲んで煙草吸って、適当に曲流して、勢いで書いて、誤字脱字あるかな?くらいの確認でポイポイ書いてるんで、真逆っぽい作者さんの考えに感心と驚きです。
1コメントありがとうございます。 軽いノリで書いていた時期もありました。しかし、やはりとことん考えて書きたいんですよね。友人に文学教授を目指す人がいて、自分は作り手、あっちは研究側として一緒に切磋琢磨してきたりしました。自分もその研究の厳しさが分かるからこそ、同じくらい試行錯誤して作らなきゃなと思ってる感じです。 「言いたいことや伝えたいことがハッキリと沢山有る」ようで、無いような気もします。自分が詩にこだわるのは、完成させられるからです。今まで漫画を描いたり、長篇ラノベを書いたり、それこそ安部公房の「砂漠の思想」や外山滋比古のエッセイに憧れて書いたりしましたが続きませんでした。もちろん、大いにこれから転向することは有り得ます。たとえばもっと、映画監督とか画家とか。 色々な表現がある中で、作曲と詩作が初めて「完成」させられて、かつ「続けられるもの」だったんですよね。で、僕はまだ初心者なんで、作曲(ボカロですが)って1曲20~40時間くらい掛かっちゃうんですが、それに比べれば、数時間で出来上がる詩は楽です。 最近の現代詩手帖で、新井高子さんの「睦言」(だったような)という作品を読んだのですが、方言が面白く心地よく展開されていく詩で、ああ、めちゃくちゃ現地人に取材したり、資料集めて、練られて書かれてそうだなあと、それだけじゃなく色んな詩を読んでそう思います。憧れながら、自分の興味のある分野を堀りながら、まずはスタミナ作りですね。アイデアを枯渇させてからが勝負、といった感じです。
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