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王子と素敵
沢山の素敵に囲まれた王子がおりました。 王子の心の中は、玉子の状態から抜け出れませんでした。 玉子の外の世界には、星屑が流れるように、沢山の素敵が、大粒の雨のように降ってきます。 「シメシメ…….」 王子は、玉子から抜け出るためにこの素敵を武器にし、味方につけて、自分も夜空を飾るスターになろうとしました。王子は心の中に鏡を持っていませんでした。そのため、王子は自らがとても美しく感じておりました。しかしその実、王子の心の中は、どす黒い野望で溢れておりました。 王子は玉子から抜け出るために、沢山の玉子の外の世界にある素敵をお金で買い占め、醜きもの、汚らわしきもの、価値の低いものには一切、目を向けようとしませんでした。 玉子の外の世界では、雨が降ります。 川が流れます。風が吹きます。 其れらの自然現象が、王子に取り、姫を奪い取り、王になるためにのみ、有益でした。 王子は裸のままの世界を、愛せませんでした。 自然が嫌いでした。むき出しの世界を恥とし、人のためにコントロールされたもののみを、善としました。 いつしか王子のそんな都合良きが、世の中に裏切られることになります。 王子の心の中にあった沢山の感情。ムゴいであり、醜いであり、憎たらしいであり、が暴れ始めます。 砂地、荒地、台風、濁流のように、川の流れがすべてを飲み込み、荒地を作るように、王子の心の中で沢山の思いが駆け巡り、其れは制御し、コントロールすることが出来なくなってしまいました。その時一瞬王子の心の中に、王子は鏡を見ました。其れはどす黒い野望に溢れながら、愛を必死で乞い、焦がれていた哀れな実に情けない自分の本当の姿。王子は、その鏡の姿とどうしても向き合うことが出来ませんでした。 王子は、その鏡に映った自分の姿と必死で反抗しようとしました。自分の憎み貶め、虐めてきた汚らわしきから物品を奪い取り、売り払いました。夜の街を出歩き、悪さをしました。そして遂に、権力者たちによって問題視され、王子は捕獲されました。 王子は姫をものにして、王になることが出来ませんでした。 そのためなら、なんにでもやったのに。なんにでも投資したし、どんな弱きもの、汚らわしきもの、価値の低いものを虐めることすら出来たのに…… 王子は玉子のまま大人になり、お寿司のネタとなって、パクリと精神医療の姫と王と、家来のお腹の中に収りましたとさ。 王子と素敵、王子は素で奇 王子は不敵 王子は不出来 王子は素敵になれなかった。だから王子は、不気味。 王子は愉快。暴力衝動愛欲名誉欲。あらゆる欲望がひしめく世の中で、あらゆる願望が心に映し出される真夜中が、医薬品により、王子の心の中から、奪い取られる。 だから、王子は悲しい。 王子は笑い、平和な世の中を、軍人のように歩き、謳歌させられる。 この世界の医療信仰によって、人々の願いによって、まだ見ぬ見えない明日に向かって、戦後かの科学技術大国が植え付けた平和憲法と、すり替えられた架空の『美しい国』が僕たちに見せる、根拠なき希望に向かって……
王子と素敵 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 767.5
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-09-07
コメント日時 2024-09-09
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
あなたは、作品を書く態度について僕にコメントしたので、私もそうしようと思います。 もっと書くべきことを真っすぐに書くべきだと思いました。様々な詩の書き方がありますが、あなたは切実な内容を書こうとしているのに、諧謔やシュールな表現に逃げている。切実な詩は正拳突きであるべきです。投球で言えばストレートであるべきです。まっすぐに線を引いて、その線に言葉を乗せる。意味が決して歪まないように、まっすぐ、言葉を投げるべきだと思います。
0王子が玉子のまま大人になり、お寿司のネタとなって、パクリと精神医療の姫と王と、家来のお腹の中に収るまでのナントモ奇妙なお話で、人格化された暗喩がドス黒い心をしていたり、随所に作者独自のセンスが光っていると思った。
0一種の童話のような親しみやすさを感じました★ 王子と玉子を掛けるところがセンスを感じる(*´ω`*) 自分に都合の良い事だけに目を向けているといつまでも大人になれないことを読者に語りかけているように感じます。
0コメントありがとうございます。 この作品内で一つのモチーフにしている人間がいます。 僕はその人間をずっと上から目線で見てました。どう違うのか? どうおかしいのか? どう間違っているのか? どう歪んでいるのかをずっと他の誰より気づいていたし、其れを周囲に指摘し続けていたのです。そんな人間を描くので、当然辛辣にはなります。馬鹿にしたような書き方にはなるでしょう。死ねばいいと思っていたんですから。其れで実際この物語で描いたような悲惨な目に遭いましたよ。ザマーミロと思いましたね。その滑稽さを愉快にお腹がクククと笑う愉快さで表現したかった。 世の中いじめっ子ばかりです。見て見ぬ振り人間もそう。 真剣になっても、なにより大切な鬱憤に対する発散が出来ませんね。笑い飛ばして仕舞えばいい。 すると、曲がった表現になります。 その辛辣さにおいては割とストレートだと思うんですよ。世の中クソッタレ、誰もかも死んでしまえ、そう思っていた自分は決して悪くない。そう思わされるようなことをやられたし、抵抗しても味方もつかなかった。ぶっ飛ばしたり、蹴っ飛ばして泣かせましたよ。しかし、味方はつかなかった。言葉で泣かせたこともある。彼は一人でこっそり泣いていました。 どう読ませるかとか、どう外に向かって開く表現をするか考えた時に、自然とマナーとしてのユーモアが身に付きます。あくまで話は聞いてもらうものですから、辛辣な意見でも、ユーモアがなくてはいけない。これが保守の考え方です。西部邁という方が語っておりました。参考までに。 私は彼に辛辣な思いを抱きながら、また別の部分では可哀想だと思ってしまう面が確かにあるんです。その両面を描く時に、ユーモアが必要なんです。
0コメント、ありがとうございます。 王子と玉子というなんともベタベタな組み合わせ。 世界観というかイメージが湧いたんです。其れでいけると思って書いて、このざま〜です。 自分で読んで感じる稚拙なところはありますが、キラリと光るところも仰っられるようにあると思っています。今回は少し物語性の濃いものを描けてよかったな〜と思いますね!
0コメントありがとうございます。 イエローサブマリンというビートルズの有名な歌が好きで、童話的な世界観は割と自分に合っている気がします。王子と玉子。この似ていてもうまいのか微妙な二つを21世紀令和の時代に、あえてダジャレにしようという、このオールドスタイル。この親父っぷりが中々いいと自画自賛。 >自分に都合の良い事だけに目を向けているといつまでも大人になれない 正にそうですね〜。でも、都合の悪い意見にばかり耳を傾けすぎても心が曇るばかりだし、ある程度自分というものが自分勝手で、都合よく生きているんだという自覚を持った上で、自分の都合好きに生きると謙虚でいいと思いますね。
1これくらい 万ちゃん的スペルマを撒き散らかしたような気持で書いた方が、 かえっていいのだと思います。 今後は、本当に狂ったような長文とか、書いてみてもいいと思います。 6万字くらいの笑
1コメントありがとうございます。 普段手厳しい方から、好意的なコメントを頂くと、嬉しくなります。 善とか悪とか、言葉による概念の分類カテゴライズも、深く考え突き詰めていくと、ごっちゃになって分からなくなってしまう。すると狂いになっていく気がする。狂えるものを持っている僕は幸せです。
1動画、なんの楽器なんだろう?万太郎さんが奏でているのかしら?淋しいようで温かくもある詩情のある音色ですね。この作品にとても合っている。 コメント欄に少し触れさせて下さい。 >どう読ませるかとか、どう外に向かって開く表現をするか考えた時に、自然とマナーとしてのユーモアが身に付きます。あくまで話は聞いてもらうものですから、辛辣な意見でも、ユーモアがなくてはいけない。これが保守の考え方です。 これすごく良くわかります。その上で書きます。 真っ直ぐに書く(言う)か、歪曲させて書く(言う)か、それって私はどちらでも良いと思うのね。(私は本名で活動している別の場所(非文芸関係)があるんですが、それを前提に話します。)毒々しいものをストレートに言って受け付けない人も少し包んで言えば受け入れやすい事は確かにある、けれどソフトにした事でインパクトに欠けて伝わりにくくなる場合もある。結局、受ける側の個性や好み、タイミング(その日の気分等)なんかも含めてピタッと嵌って「伝わった!」って〝運〟みたいなものだと思うんですよね。ではどちらを選ぶのか…そこに経済が関わっているならどちらの方法を取るかは自ずと決まってしまう。よりリターンの多い方を選択する。 ただ、詩って経済のリターンを求めてない趣味の分野で書き手の満足度も比重が大きい。つまり、自分が〝どう書いて満足するか〟が、かなり重要になる。だから多様でいいと思っています。そして詩の世界ってものすごく小さい。このサイトですら評価ポイントが多くても5ポイント程度かな?それって評価ポイントが1でも大差はないように感じます。例えば5人が評価する作品が「面白い」「なかなか上手いね」「意味は良くわからないけど技巧何だかすごい」みたいなポイントで、たった1人の評価作品が「この詩に心が救われた」だったらたった1人の評価の方がより重たい気がするのね。つまり詩に限っては、私は大衆受けする(読み手に媚びる)ような書き方をせず自分自身に忠実に書いた方が良いのではないかと思うんです。 仰るようにこの部分が重要。 >私は彼に辛辣な思いを抱きながら、また別の部分では可哀想だと思ってしまう面が確かにあるんです。その両面を描く時に、ユーモアが必要なんです。 余談ですが、九十九さんがこのテーマで彼流に書いたとしても良い作品が書けると思います。私はどちらの書き手の書き方も好みなので(それはどちらの書き方にも良さを感じる感性をもっいる)幸せな事だと思うのです。 詩ってそういうものじゃないかな、と考えされられた作品とコメント欄でした。ネット詩活動の〆として読めて良かったな、と思います。 ちなみにこの考え方は、私が一番影響を受けた詩人の方に言われたら言葉から発生しています。それは彼の辛辣な言い方を批判した時に返された言葉なんですが『どんな言い方をすれば相手に伝わるかなんて賭け』でした。それは「どんな言い方をしても伝わらない相手には伝わらない」そういった現実があるって事で私は腑に落ちてます。 ご活躍を祈っていますね。
0>動画、なんの楽器なんだろう?万太郎さんが奏でているのかしら?淋しいようで温かくもある詩情のある音色ですね。この作品にとても合っている。 鍵盤ハーモニカです。夜空の星を心に浮かべた時に、作品のイメージが湧いたんです。 其れで心に浮かぶ音色を、具現化しました。 今までちょっとインスタントノリで、作り込みの荒さ軽はずみさがあったかな? と思い少し手間暇かけようと思い立ちました。 内的ファンタジアを描きたいと思い始めたのですが、現実世界との折衷になってしまいましたね。 自分は、モーニング娘。やポルノグラフィティが出てきたあたりから、世の中のチャラさ、福山雅治的なわざとらしい2枚目ノリが嫌で嫌で仕方なくて、世間に対し心を閉ざすようになりました。 だから其れ以降の表現者の作品は本当はちょっと分からない。 ああいうの嫌だなあ、という感触を味わったことがない世代の作品の感触は自分にはどうしても少し、分からないのです。 表現が直接的に感じてしまい、屈折した捻りが見えなかったために、不登校の割に素直な文章だなあと思ったんだけど、令和世代的な在り方なのかもしれませんね。 ママっ子みたいのを文に表すことに照れがない素直さは、僕の知っている同世代者にはなかったかなあ。 これだと荒れてバイクを盗んで走り出すこともなさそうですが、そんなことで良いんだろうかと、思っちゃった。 僕は圧倒的に歪曲化させて書く派ですね。ソフトは乳臭く感じてしまって(笑) 失礼なことを言っているのは重々承知で書いてますが、でもそう感じちゃうんですよ。 >大衆受けする(読み手に媚びる)ような書き方をせず自分自身に忠実に書いた方が良いのではないかと思うんです。 自分もマスに流されているところのある同じ大衆だと思うし、やっぱりマークトウェインみたいに書いたものが読者に愛されることは嬉しいことです。イメージがあって其れに忠実に書くだけでなく、求められているものに忠実に散文もかけたら素敵だと思う。 多分僕みたいな人は、人より自己中心的で自分勝手度が強いんだと思います。 無責任でいたいし、軽薄でいたいし、軽みを失いたくないんだと思うのです。 >詩ってそういうものじゃないかな、と考えされられた作品とコメント欄でした。ネット詩活動の〆として読めて良かったな、と思います。 ネット詩活動を〆るのですか? ふーん、なにか目的を達成されたとか、、、 >『どんな言い方をすれば相手に伝わるかなんて賭け』でした。 分かります。私も、この話は興味深く受け取って頂けるんじゃないかと細心の注意を払い書いたものが、その通りに受け取って頂けた時、喜びを感じたものです。逆に、外れた時は無視されたわけで、あっ、つまんなかった。取るに足りなかったのかな? と思う。正に賭けです。 >「どんな言い方をしても伝わらない相手には伝わらない」 本当にそうでしょうね。せめて伝えるためには、自己満足や気持ちよきに逃げてはいけない。其れは肝に銘じなければ。一方で文章の流れが心地よく出来ていることも大事ですし、そこに酔ってはいけないという感じかなあ。村上龍が「限りなく透明に近いブルー」を書いている時に、熱さと冷静が一体だったと語っておりましたが、良い状態で書いている文章は、そういうものな気がする。 >ご活躍を祈っていますね。 ありがとうございます。
0>村上龍が「限りなく透明に近いブルー」を書いている時に、熱さと冷静が一体だったと語っておりましたが、良い状態で書いている文章は、そういうものな気がする。 わかる。村上龍は好きな作家で若い頃に随分読んだけど文体にも熱さと冷静さを感じる。そこが好きだったりするな。 >ネット詩活動を〆るのですか? ふーん、なにか目的を達成されたとか、、、 (ちょっと長い話になってしまうけどこの作品にも関連するので書いておきますね。) 私は昔から美しさに憧れてその世界に踏み出すみたいで詩も憧れから入ったんだよね。前述の詩人の一作品が深みに嵌るきっかけでした。美しい作品を書く詩人は他にもたくさんいるけど、その人の作品は文体の美しさだけではなく詩人への辛辣な批判が含まれていていて、それでもなお美しいのが衝撃的だった。言葉にするなら〝鋭利な美〟かな。結局、私はそういった作品は書けなかったのと、詩が自己現実であったり生きるということに直結する人たちがいるとしたら、私には別の場所にそれがあって、これからは時間もエネルギーもそっちに注力したいのと、今の自分にとっては、詩は小説を読んだり映画を観たり音楽を聴いたりする一読者、一視聴者としての位置にしかなくて、書き手としてお互いに切磋琢磨する目的の投稿掲示板は自分がいる場所じゃないと思っています。 その人にもう一つ言われた事があって『ネット詩投稿掲示板は変なヤツが多いからあなたはそういうのとぶつかるのを繰り返すだけだよ』なぜぶつかるか、その理由は『あなたは自分に対しても他人に対しても理想が高いから』と言われたんだけど、最近ようやく気づいたんだよね。詩(文学)って正しさを求めるものじゃなく、そもそも歪さや不完全さを持つ人間を表現して行くもの、だから理想や正しさを追うなら自分にとって相応しい場所はここではないって。文学が自分自身を見つけるためのものだとしたら、私はこの作品でいう〝心の中の鏡〟を見る事が出来たと思う。それが最終目的地だったのではないかと思います。 やっぱりその分野に向く資質ってあって、鍵盤ハーモニカにしても絵にしても、万太郎さんはこの分野に必要なもの持ってるなー、私にはないなーって思う。笑 そうそう、何の楽器だろう?って考えていた時に昔聴いたオカリナを思い出したんだよね。鍵盤ハーモニカ、万太郎さんが奏でるとオカリナの雰囲気に重なるから不思議。 これまですごく楽しく有益なやり取りをさせて頂いたと思います。ありがとうございました。今後は余程作品に伝えたい言葉があればyoutubeの方にコメントさせて頂くかも。その時はよろしくねー^_^
0彼女はそう言い残して去っていった........
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