看護師が仕事をさぼっている
半分砂で埋もれた視界
誰も修理しない椅子と
フランスの田舎から来た手紙
遠過ぎて叱れない山脈の列に
看護師が仕事をさぼっている
毎夕の祈りが羽根を休める枝の先に
時々ぶら下がっているのがいる
その生活を私は知らず
言葉足らずの行間が愛しい
泣き笑顔の持ち主が城を手放した
多角経営の末にドメインも放棄
鍵の文様だけが石畳に残る
天気雨にもコツが要るらしい
調べたらそこまで古くない映画
ブルースとカントリーの間だろうか
頭が二つある鹿の、もう片方が骨になっている
そして、やはり看護師が
さぼっている
或る日、であることの前夜
振付師ほどの手拍子と腰の動き
構図には一定の悔しさもある
とはいえ
思案することがないと言えば嘘になる
作品データ
コメント数 : 9
P V 数 : 924.5
お気に入り数: 1
投票数 : 3
ポイント数 : 0
作成日時 2024-09-01
コメント日時 2024-09-13
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
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閲覧指数:924.5
2024/12/04 02時42分02秒現在
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看護師がさぼっている、というリフレインがこの社会の世界認識の美化ではない重石のように効いて作品を肉厚のものにしている。風変わりな双頭の鹿の片方が骨なのが面白い。死と再生のシンボルなのか、意味はわからなかったが思索的で心に残る。赤ちゃんが来る前夜だろうか?それとも?
0ありがとうございます。赤ちゃんが来るかもしれない前夜ですね。誰の赤ちゃんかわからない、特定の誰かかもしれないし、大勢の誰かを指すのかもしれない。愛は地球を救うらしいが逆に地球は愛を救うのか。愛はその前に何と言って地球を誘ったのか。謎が謎を呼び次号いよいよクライマックス!
1なんだろう、すげえやっかいな、という表現が適切か分からないのですけど、渋い作品で、好きですね。センスを買いたい。 >或る日、であることの前夜 >振付師ほどの手拍子と腰の動き >構図には一定の悔しさもある >とはいえ >思案することがないと言えば嘘になる とか。普通の人には書けないと思う。
1ありがとうございます。やっかいで面倒くさいんですよ私の詩は。自称サバサバ系で味噌煮ばかり食べてます。ひとりでいたがる癖にかまってちゃん、甘えん坊な割に上から目線。八方美人にも関わらず六法全書を持ち歩いてます。こういう詩に引っ掛かったら後が大変なので気を付けてください。 普通の人には書けないのなら普通の女の子には戻れません。水谷豊と結婚するしかないのです。
1好きな詩です。湖湖さんの読みに概ね同意ですが、それでも読めない、掬いきれない表現がまだ沢山あって、何度も味がする作品です。 ちょこっと「鍵の文様だけが石畳に残る」という表現について考えてました。城を手離してることから始まる連だったので、もう誰もいないがら空きの城でしょう。飛躍しますが、思い出の光のようなものが城の中でまだ残っていて、中から外へ、石畳に鍵穴模様に光が差している。誰ももうドアを開けないから、石畳が日焼けしてその文様に変わる、みたいなのを想像しました。 しかし、それが作品全体でどのような位置づけか、どんな効果をもたらしてるか、時間かけないと読めない作品ではないでしょうか。良いと思いました。
1ありがとうございます。今回は所謂小品ってやつでして、ここらでちょっと休憩みたいな、気楽に行こうやみたいな、そんなつもりでもありました。 鍵の文様は私も何だろうな?と思ってて、城を築く前は鍵屋さんだったのかな?とか、自分でもいろいろ想像してます。想像しながら書くのが好きなんです。私の場合は自分でも一読み手になれるものを、と思っているのです。
1比喩化されるのがお上手な方だな。わたしのその認識はやはり本物でした。 これは世界(社会)という大きな視点から看護師の労働という身の回りの小さい視点がはっきりと区別されて、詩としては曖昧な形式を辿り創作されている。 「生誕前夜」一体何が生まれ何が変わるのだろうか? この語り手の視点が気になりますね。入院患者としてベッドに横たわりアタマの中で思い描いているのだろうか、それともまったく関係も無いところで、いずれにせよ客観的に無感情な視点が意識されている。 対比的に看護師と振付師の動作が描かれていますね。看護師のほうは賃金を主体にした労働とはいえ人名には多いに貢献している立派な職業です。逆に振付師のほうは創作ダンスを目的とした仕事で、とはいえお金も気にはなる。 よく看護師の服装をして仕事をサボタージュしているちょっとエッチな姿がネットに上がりますが、 振付をしながら一生懸命踊る姿もネットには散見される。 はて、それを眺め見る語り手の姿は見えない。それでも多くの人間がこの二人には関わっている、という確かな事実だけが存在するのです。ではそのことと「生誕前夜」の何が一体関係しているというのでしょうか? これはニヒリズムを媒介した大きな視点からみた小さな事柄たちで、実はそのようにして我々とは関係もなく世界は創世を繰り返すという。つまり「無」が意識された詩なのだろう。とわたしは読むのです。
1~人名には多いに貢献している→人命ですね。笑。老眼です。ああ、できたらコメント欄にも確認がほしいところです。度々申し訳ない。
1ありがとうございます。比喩が好きというか、比喩しか書きたくないというか、お菓子みたいなのが書きたいんですよね、菓子職人らしく。何かのついででありたいと、ちょっと欲しい気持ち、感覚、そんな時にたまたまあるものでありたい、そんな感じです。 語り手が何処にいるのか、今回ちょっと意識したのもそれで、きっと斜め上、天井くらいの少し高い所にふわふわと、いるんでしょうね。げろげーろ。
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