爛々と輝く未来もれば
平々と平伏す未来もある
早々と立ち去ればよい
防備を怠らず未消化へ
ららばい、然らば未来は閉じまたいつか開かれる
かあさんは出臍だった
それを叔母に指摘されるようになれば僕に移した
臍の垢はとっても臭かった
手垢の取れたかあさんは叔母の言動に苛々していた
その苛々を父親と共有していたのは長男だった
長兄はスポーツが得意だったので親子共々に期待していたのは五輪代表選手
ある日かあさんは都会に出した兄の仕送りに困窮して再び出臍が膨らんでしまった
そして僕の前から姿を消してしまっていた
姉と妹には関心もなかった
やったあ!これで僕の人生が開かれる と思ったら
しばらくして父がかあさんを連れて帰ってきた
心配かけたね
と、かあさんは泣いて僕にすがる
これで僕の不幸がまた始まるのだろう
その日から僕の出臍は収まってきた
僕は自分で出臍を食いちぎったのだろうか
隣のおばさんたちから臭い匂いを投げられた
お腹から臍が消えたのは
僕が腹に収めたせいだ
誰のせいでもない。
作品データ
コメント数 : 13
P V 数 : 1085.2
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-08-20
コメント日時 2024-09-12
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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閲覧指数:1085.2
2024/11/21 22時43分59秒現在
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出べその子は出べそでしょうか、親子の因縁を上手に物語っていらっしゃいますね。ワガママな親を持つと、。
0確かに感情やシーンに急な飛躍があり、ストーリーの流れを追うのが難しい部分もありますが、これはこれで人間味があって良いと感じました。▲また、「出臍」が繰り返し登場し、その存在が家族内の緊張やストレス、さらには個人的な不安を表しているようにも感じられます。母親の「出臍」が叔母に指摘されたり、話者に移ったりし、最終的には自分自身でそれを「食いちぎった」としていることから、「出臍」は何かしらのコンプレックスや心の傷の象徴として機能しているのだとも思いました。▲つまり、この「出臍」を通じて、作者が抱えているコンプレックスや、自分自身が家族内でどのように見られているかに対する意識が浮き彫りにされているのかもしれません。▲特に自分でその「出臍」を「食いちぎった」という表現は、コンプレックスや問題を自力で克服しようとする試みや、その過程で感じる痛みを象徴していると考えられます。 さて、少し話が逸れますが、室町さんについて少し述べさせていただきます。▲過去にイエローカードを受けた際のいきさつについて、突然リングに登場したボルカ氏との(ことばの)乱闘が原因であったと記憶しています。▲今回の takoyo2 さんの件でも、同じような状況が生じたのではないかと感じています。▲takoyo2 さんに対する意図的な挑発があったようにも思え、その点について、もしメルモsアラガイsさんにご意見があればお伺いしたいと思います。 さらに、室町さんがいなくても、もしかすると仲良しグループが形成され、他者のコメントに対して過敏に反応することがあるかも知れません。▲ダブルアカウントの可否や AI による作品投稿等、サイトが今後どのように運営されるかについても、多くの人が関心を寄せているのではないでしょうか。▲詩の投稿サイトが、創造的でありながらも、時に議論や対立を生む場であることは否めませんが、すべての参加者が心地よく利用できる環境を目指すべきだと感じます。▲さて、それはともかく、塩は良いものです。▲腐敗を防ぎ、素材の良さに磨きをかけてもくれる。▲ただ使いすぎると塩辛くなってしまうこともあるので、適度なバランスが重要です。▲もしかすると、過去の詩の投稿サイトにおいて、室町さんは重要な役割を果たしていたのではないでしょうか?▲是非ともメルモsアラガイsさんのご意見を伺いたいです。 少しばかり詩の講評から話が脱線してしまいました。どうかお許しを、、
2再読しての感想ですが、 >僕は自分で出臍を食いちぎったのだろうか と、書いているし、 >お腹から臍が消えたのは >僕が腹に収めたせいだ >誰のせいでもない。 ――と、あるので、 作者が自分の臍を食いちぎったわけではないですね まあ、「出臍を食いちぎった」にせよ、 「腹に収めた」にせよ、 けしてリアルを書いているわけではなく、 内面的なプロセスを表現していると思うのですが、 つまり、これは自分のコンプレックスや悩みを 自分の内側に押し込んだ、 あるいは抑圧したことを示しているように感じられるし、 「誰のせいでもない」との表現からは、 その結果について責任を他者に求めるのではなく、 自分の内で納めようとする 作者の気品を備えた人柄が感じられます、、
0作品が作者を毛嫌いするのですか? そういう風に読めちゃったです。 詩の声は小さいですか?黙って書いてりゃいいのかもしれないですね。いやはや。
0湖湖さん、コメントありがとうございます。おまえのかあさん出臍なんて大昔はよくからかわれてましたね。僕自身言われたことはないですけど
1atschan69さん、コメントありがとうございます。これ、5分くらいで書き上げてます。おっしゃるとおり出臍はべつに身体的なものとは何ら関係もないのですが、後々ずっと尾ひれをひく劣等感になった出来事には間違いないですね。まあいまから考えてみれば因縁ですかね。人間も環境によって徐々に変わっていく、良くも悪くもなる。昔は嫁に八つ当たりする意地の悪い義理の母親も多かったし、祖父母との関係が良くないと母親は子供にあたん(八つ当たり)する。された子供はたいへんですよ。いまは夫の親との同居も少なくなってきて、そんな気づかいもないのでしょうが、そのぶん子育てには手間もかかるでしょう。肉親との別居が続くと結果独居老人も増えてくる。どちらがいいのかよくないのか。 takoyo2さんですか。旧名(室町)または山田太郎さんでしょう?わたしはね、あの方の作品はリスペクトしてるんですよ。なので返詩のようなカタチをとらせてもらっていた。自分の作品としても近々しいイマジネーションがわいてくるのです。昔から蛾とヤモリの関係みたいなあの二人の意識とはまったく違う。冗談に悪意などあるわけはないのです。 takoyo2(室町)さんはかなり個性的にも偏る保守的な意見の持ち主で、私も彼の意見には度々個人的に反論もしている。しかしね、だからといっていくら多少主義思想が異なるとは言っても創作への評価は違うでしょう? たぶんネット情報とか、ちょくちょく批判していたので私が思う以上に気に入らなかったのでしょうが、そんな些細な喧嘩はもうずっと以前からです。私も彼の作品は好きですよ。もう何も言えなくなってしまった。がっかりですよ。ったく。
0よんじゅうさん、四十代ですか? コメントありがとう、ですが、何を指して言いたいのかわかりましえん。
0さいきん、文庫化されたガルシアマルケスの「百年の孤独」を読んだのですけれど、ところどころ印象的なシーンはあれど、やっぱり通してはちゃめちゃな話だったな。 と云いてなぜ百年の孤独の話をはじめるかというと、お話しのなかの 一族の末尾に「豚のしっぽ」がついた子供が生まれるんですね。 その、「豚のしっぽ」と「出臍」っていうのがなかなか僕の連想の中で拭いきれいないんですね。 この作品も、はちゃめちゃって言ったらはちゃめちゃじゃないですか。 ただ、一定のトーンだけがあって。 「お前の母ちゃんでべそ」っていうのは本来、悪口なんですよ。しょうもない悪口。 そこには悪口をいう他者がいて、そういういじめっ子もしょうもないんだけれど。 それを「かあさんは出臍だった」と書くとき、これはその、引っ込み思案の、内向きな 「告白」としてコミュニケーションされたいものなんだ、として響く。 仏家、僧侶の家では、生きること、死ぬことを、一代で明るめることが求められるけれど わたしたち世俗の人間は、年を老いても、いいえ年老いるだけ、ないものねだりのように 先代の不都合に向かっていかなきゃいけないとしたらば、明るくなくて 私は40手前にして、体力含め、リソースがかなり削られていってますから。 その、最後「誰のせいでもない」っていうのは、そう引き受けざるを得ないから 「誰のせいでもない」なんですよね。そこが詩人の佇まいとして渋いな、と。 家族問題で言ったら複雑で、「誰のせいでもない、誰が悪いといったら皆悪かった」 が、僕は極めて極端ですけれど、よくある例だと思うんですね。 そこで、言葉をつづけないのが、いいのか悪いのかってことですね。 この作品をくまなく読めばそれは「皆悪い」んですよ。 最期の言いきり、はそれを頑なに拒否していますね。 ここまで読んで、やっとこの作品に対して「救い」という文学的価値を 付与することができたかな、と勝手に思ってますね。 まーやっぱり、問題は基本的に一代で蹴りをつけることですよ。そうしないと 心理的プロレスがはじまる。ありがとうございました。
0田中恭平先生。丁寧に読んでいただきありがとう。感謝申し上げたい。ほぼおっしゃるとおりの解釈で正解でしょう。出臍というのはもちろん喩だけどある種の因縁で、そこにはやはり脈々とした血の存在がある。引き継ぎ引き継がれあるとき出臍となって表情を現しはじめるわけです。優しさもあればときには傲慢さが子供を奈落の底に陥れる。しかしながらある程度年齢を重ねて考えみれば人間がそのように変化していくのにも原因は潜んでいる。子供の頃には思いもしなかった人間に宿命づけられた嵯峨。自分が親に近い年頃になれば理解できるようになる。その時にはもう遅い。というのも思えば無常感に包まれてきます。
0まず、冒頭の「爛々」「平々」「早々」などの韻が目を引きました。「ららばい」「然らば」もリズミカルです。 そして二連目から続く内容は、はっきりした事情は掴めない、家族関係も複雑で読み取れない部分はありますが、だからこそリアルで、踏み込んで詳しく知ってしまってはいけないと思わせる怖さのある詩でした。 出臍の比喩も絶妙だと思います。「臍の垢はとっても臭かった」という部分はユーモアがあるようにも見えますが、わたしにはとても不気味に感じました。 最後に出臍を自分で腹に収めたのも、母から解放されない人生への諦め、平々と平伏す未来になったのかなと思いました。
0説明、修飾などの語句が目立った。べつに心にある直接なおもいならそれでもいい。ただ作者は詩を書きたいのだろうから、言語的な逸脱行為がどこかで必要におもえる。
0富井さん、コメントありがとうございます。読めるお方ですね。我が人生を振り返ってみて、それを事実から抜き出してだからわたしはこうなった。なんて書いてしまえばすべてそれはおまえの至らなさが生み出した責任だ。と他人から括られてしまうのは必至で、どうしても喩化して隠蔽してしまいがちになります。人にはそれぞれの拭いきれない思いが晩年に至るまで劣等感として堆積してしまいます。それを志賀直哉のようにまだ自分は曝け出したくはない。というこころの弱さがわたしにはある。あります。なので詩の形式を模倣するように言葉を置いてしまう。誤魔化しに映るだけですね。だから内容的には単純で、このことを私小説として書き込めばきっと心情からわたしの内面までを理解される方でしょう。それがわたしには怖いのです。
1中田さん、コメントありがとうございます。上記と同じく、親や兄弟という家系の因縁を比喩してまで詩に興そうというは誤魔化しでしかなく。自分のこころの弱さを曝け出してしまうだけです。話しの基がそうなので本来ならば非難されても致し方ない内容ですよ。言語的に逸脱させる。まったくそのとおりで、ああ、そうだな。このようなたぶん一生拭いきれない悔恨を詩として興すのならばリアルな心情を写すのか、まったく違う角度から誤魔化して言葉も創作されるのか、はっきりと分けたほうがいいかのな。という反省点しかありません。
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