軍手はそよ風にさらわれて
今日も命を造るのに疲れた
肥満気味の神様たちを消灯して
野蛮な星らに誘われて
タイムカードを切る前に倉庫の淫らな椅子に座る
ヒト ヤス ミ
髪の毛がゆったりと逆立つ
鉄分のにおい
倫理や知性の脱け殻の
鍵穴がそこかしこに転がっている
冗談のLEDが実用化されることはないらしい
景色の切れた眼は沢山、産廃の袋に入っている
声が聞こえてくる
積まれた発泡スチロールの洞穴から
オーパーツの首振り冷房機の谷から
カビの生えた作業着のポケットから
紛れ込んだ小人の息が聞こえてくる
ぷしゅ、ぷしゅ
頑固で気まぐれなスプレーみたい
ドリルのごつごつとした体をなでると
ウインウインあえいで困る
恐竜の卵のような洗濯機の蓋が開いて
善悪に窒息しかけた蛇が濡れたまま這い出してきた
赤子を拭いたタオルが身体に巻きついている
今どきの若者はやさしすぎるから
エタノールの在庫も切れかかるんだ
倉庫の奥から
赤く点滅する命がこちらを見ていた
何のエラーも吐かずに稼働し続ける罪の
扉は私のマスターキーでは開かないから
いつか断線する小人の首を
中古部品として売りさばく必要がある
給料が壁の隙間からねじ込まれた
私は今日も家に駆けて
たっぷりたっぷり肉を食い寝る
機械になれれば良いのだけれど
この倉庫にはもうドアノブがない
辛うじて、つむじが十字にとんがる
命の仮留め
作品データ
コメント数 : 19
P V 数 : 1748.0
お気に入り数: 1
投票数 : 4
ポイント数 : 0
作成日時 2024-08-10
コメント日時 2024-09-03
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:1748.0
2024/11/21 22時09分37秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。
ミハイワールド全開ですね。装飾がおどろおどろしいほどに静謐でゴシック建築みたい。 抽象って怖いですよね。鬼難易度に挑戦してる印象。ミハイさんの型にハマらない表現は基本的に好きだけど私、難しすぎて置いてかれるときがあります。 > 肥満気味の神様たち 七福神? >野蛮な星ら ギャングスター?うる星やつら? >倉庫の淫らな椅子に座る 応接室にありがちな光沢のある黒ソファーとかエロいですよね。でも、その事じゃない。何だ。人間椅子?家畜人ヤプーの生体家具みたいなあれ?座ったら必ずパンツが見える椅子?わからん >恐竜の卵のような洗濯機の蓋が開いて カプセルトイが頭に浮かんだ。 >善悪に窒息しかけた蛇が濡れたまま這い出してきた カプセルトイからクッパが出てくるイメージ? >給料が壁の隙間からねじ込まれた シュール! 「恐竜の卵」と「洗濯機のフタ」、こんな属性のまるで異なるもの同士をくっつけるとか至難の技ですよ。矛盾してるようなほど面白いけど、読者の中で一つのイメージとして結合させるのは難しい。詩の言葉を機能させるのは本当に難しい。こういったトリックを仕込むのも詩作の楽しさといえるでしょうけど。 題材が渋いので今回は愛嬌なしで、どストレートでいってもよかったんじゃないかなとも思ったりしました。
1ぺえ太さん、コメントありがとうございます。 「難しすぎて置いてかれるときがあります」 私も、私の作品には置いてかれてばかりです。自分のしない言葉の組み合わせ、他人の思想を乗せようと思えばそれが出来て、かつそのまま人に見せて良い詩の自由さに、頻繁に置いてかれます。 個人的には、今回ほどストレートを投げた作品はないと思っていたので、少し驚きました。労働をみつめた対比的な作品に、自作「日雇いザムライ」がありますが、あれはふざけすぎたのでこちらは真剣に向き合っています。(いや、あれも別の軸で真剣っちゃ真剣ですが) シュールな詩に触れる時、読み手のnowな心情によってその詩が深刻か、はたまたユーモラスに映るか左右されるものだと思います。この詩は、私は読んでいてストレートに刺さってくるものがあるんですよね。 もっとマクロに見て、シュールな組み合わせのノイズたちと、真剣さがあるような表現たちを分けると、何か見えるかもしれません。が、私はやはり、現実を真に直視しようとすればノイズが入ってくる、と考えているので、当分この作風は変わらないと思います。 ストレートって一体何でしょうね……
0>恐竜の卵のような洗濯機の蓋が開いて >善悪に窒息しかけた蛇が濡れたまま這い出してきた この表現だけを見てみると、 >恐竜の卵のような洗濯機の蓋が開いて ここでまずはてなが浮かぶ。卵みたいに曲線のある蓋ってドラム式の方かなとか読者にイメージを探させて迷わせてしまう。 「恐竜の卵」と「洗濯機の蓋」、これらを結合させるには界面活性剤のようなものが必要になってくるけど、それが >善悪に窒息しかけた蛇が濡れたまま這い出してきた になると思うんですが、ここでもさらにはてなが浮かび、うまく混ざり合わない。やっぱり読者は探しあぐねてしまう。 詩の表現は、イメージを自分の中ではなく読者の中に展開するためのもの。私はそう考えます。この作品は作者自身の中に全意識が向かってしまっている印象です。 ユニークな表現に私が置いてかれてしまった原因をイマジズム3原則をもとに考えてみます。 1.主観・客観を問わず「物」をじかに扱うこと。 2.表現に役立たない言葉を決して使わないこと。 3.リズムに関して。メトロノームによらないで、音楽のフレーズにしたがって詩を書くこと。 伝えたいイメージが上手く読者に伝わらない場合、3原則の3は置いといて、大抵この1か2で躓いていると思います私。今作『Arbeit』は1よりも2で引っかかっているような気がします。言葉がそれぞれ読者の中に展開するための表現として役立っていないということになりますか。具体と抽象のバランスが問題にあると思います、具体性、読者にとってリアリティが薄いのかもしれません。 あと、イマジズムを提唱したパウンドは「大した作品を書いたことがない人々の批評などに注意を払わないこと」とも言っています。はい
1あ、もう一点だけ。 ストレートといったのは、あえて「詩」を書こうとしなくてもいいのかなという意味でした。詩(自分にとっての)を捨てるとき、あらたな何かが見えるのかもしれないと。思った。 また、書きたいことを書きたいように書くのではなく、書きたいことには忠実でありながら読まれるように書く。ここは外せないと思います。自分も出来てないんですがね
1全体的にふわっと雰囲気がよいものを書くというタイプの人ではないので(すみませんがそこは本音で)、ミハイさんは、短歌的な、一行一殺みたいな、芸の開発が必要ではないかなと感じます。
1返信ありがとうございます。 まず、一個目のコメントでスルーしてしまいましたが、「恐竜の卵のような洗濯機の蓋」については、「恐竜の卵のような洗濯機」の「蓋」と分けて書いていたため、私の書き方の問題ですね。すみません。あまり守秘義務とかで言えないですが、ほんとに職場にあるんですよね、恐竜の卵みたいな洗濯機。水を汲んで持ち運ぶ時、モンハンの卵運びみたいに慎重になってしまうので、そのイメージで書いたつもりでした。(この詩はほとんど、職場の光景をそのまま書き写した作品でした。) しかし、恐竜の卵みたいな蓋という読み、確かにイメージできなくてゾクゾクしますね。少し悔しいです。 その表現以外にも、イマジズムの原則に沿わない表現を挙げればキリがないと思います。お恥ずかしながら、イマジズムというものを初めて聞きましたが、挑戦したくなる原則たちですね。たとえば、言葉において「役立つ」って何なのか。ぺえ太さんの読みのレンズを通してだと、有用でなかっただけなのか、どういう明確な線引きがあるのか。私は恐竜の卵みたいな蓋、という言葉をぶつけられると蕩けてしまいます。そういう気持ち悪さは気持ちよく、効きます。もっと気持ち悪い詩(主観ですが)を読んだあの吐き気が忘れられなくて、自分でも再現したいんですよね、ずっと。 あとは抽象と具体のバランス、確かに大切だと自覚しています。みなそれぞれのバランス感覚は更新され続けていると思います。ぺえ太さんの今回の感想もサンプルに取らせていただいて、もっと遠ざかる詩を作りたくなってしまいます。なんだか、最近はそういう時期なんですかね……しがらみから解放云々……
1わたしは今回の作品は比較的素直に読ませていただきました。おそらく今の仕事を扱ったものなんだろうなと思いました。仕事と労働、ハンナ・アーレントが浮かんできました。 わたしには興味深かったのですが、あえて自分を棚に上げて言うとすれば、題材が普遍的なものであることもあり、熊倉さんの独自のひねくれ?ひねり?(オリジナリティ)みたいなものが薄かったような気がします。
1工場労働だと荒々しい感じの文体になるような気がするんですけど、そうじゃなくて綺麗な感じの文体で、描写も丁寧。その妙がいいと思いました。悪夢を描いたような幻想的な光景は、工場労働における辛苦から出てくるものなのか? 作品の中から、労働者の息遣いが聞こえてくるような内容。不気味さも綺麗な描写だからこそより美しく引き立っていると思います。忙しく動きながら、あれこれ感じている物事を細かく表現されていますね。全体を語るのではなく、ワンシーンを切り取る。そういう詩もいいと思います。ちょっと筋肉質な繊細さんの文章だと感じました。
1中途半端になったので続きを書くと、コメントしたオリジナティって書き方のことではなくて、熊倉さんの労働に対する感覚をもっと濃く出してもいいんじゃないかと思いました。たぶんみんなそれぞれ働いてるからこそ、このひとはどう働いてるんだろう、どう思ってるんだろうって気になるんだと思います。わたしは気になりました。 あと、言い忘れましたがわたしはいい作品だと思いました。
1コメントありがとうございます。 「感覚をもっと濃く出しても」 なるほど。少し考えましたが、これ以上濃く出そうとすると、詩ではなく小説やエッセイになりそうな感じがします。「このひとはどう働いてるんだろう」、という疑問にわざわざ詩で応える必要はないかなと。ただ、「働く」ということに対して自己中心にではなく、射程を広くするため抽象度を上げています。私の作風は、カメラアングルを読ませるスタイルだと考えていて、何を映して何を映していないか、そこを読んでいただくだけでも、労働に対する感覚をつかんでいただけると思います。 気に入っていただけて嬉しいです。ありがとうございます。
0すみません。私の言い方が悪かったです。確かに読者の疑問に答える必要はないですね。 自分が何を言いたかったか考えたのですが、例えば熊倉さんのおっしゃるとおりカメラアングルを読ませるスタイルだとしても、それだけでは説明できない表現がいくつか出てくると思うんです。例えば • 倫理や知性の脱け殻の/鍵穴がそこかしこに転がっている • 善悪に窒息しかけた蛇が濡れたまま這い出してきた •機械になれれば良いのだけれど などでしょうか。 もちろんこういった表現を説明してほしいということではなくて、なんというんでしょう、労働についての作品として驚きがないというか、特に「命の仮留め」っていう終わり方は、それはそうなのかもしれないとしてもそれこそ説明になってしまってるんじゃないかって思いました。 知らず知らずに労働が一般化されてしまってるというか。 …といいながら自分でもうまく言えないので、意味不明なら無視してください…
1いえ、云わんとしてることは伝わってきました。私なりの切り込みではなかったということですね。これはポジティブに、期待の眼差しと捉えさせていただきます…… そうですね……詩の発想、起点を今回は捻っていませんでした。確かに、「一般的な労働者」の像を一に立ち上げていました。今なら、なんでしょう、靴にメインのスポットあてたりとか、おそらくそういう個性のことですよね。
1次々と運ばれてくる部品を組み立てる工場の流れ作業。ロボットのように無表情で動きまわる人間の手足。そして顔までも無表情で固い。そこまで人を追いつめていくのは、当然生活するための稼ぎを得るためで、そこに働く喜びが介在しているのだろうか?という問いまでもが動きのあるストーリー性と共に敷かれている。そこがこの詩を表層的なシュールレアリスムな表現だけに留めていない佳さがあると思います。 多分にシュールレアリスム的な概念の表現を試みておられるのでしょうが、~恐竜の卵のような洗濯機の蓋~善悪に窒息しかけた(蛇)~等々。例えばあのダリの絵に描かれるぐにゃりとしたやわらかな時計などは、そのままぐにゃりととしたやわらかな時計。と言葉に置いたのではそのまま読み手に解釈を委ねることになる。そのあたりが難解さを伴う現代詩の弊害として、少しだけ興味を持つ一般的な読み手からは敬遠される素にもなるわけです。 この詩の素には前述した非人間的な労働への問いがあるわけなので、全体的なイメージとしてのシュールなレアリスム。あのダリの絵に見られるような非日常的な光景と非人間的な動きを交錯させるのならば、過激な比喩に固執するよりも却って現実的日常性を帯びた表現を駆使してみるのも一考ではないかと思われてきます。
1コメントありがとうございます。 過激な比喩に固執したのは、メルモさんがおっしゃったような「働く喜び」を無理やり見出だそうとする詩中主体を描こうと、タイムカードを切る前のずる休みというシチュエーションに置いたためです。 詩中主体のぶっ飛んだ視界、想像力が退勤前の短時間に浪費されること。その比喩の過激さを強めれば強めるほど、どれだけその力が抑圧されているかも強められるのではと思って書きました。 そしてその想像もどこか、完全に自由ではなく、物の在庫を気にしたり商売を気にしたり、想像と労働が混ざりあってしまっていること。そんなある種の現実を目指して書いた詩でした。 しかしそうなると、じゃあどんな比喩でもよかったのではと思われる(解釈すらもなんでもいい)かもですが、元々この時代にシュールレアリスムを使ってるので、承知の上です。読み手がどこで読みを敬遠するのか、そのラインを反復横飛びして確かめる日々です。 「現実的日常性を帯びた」表現……うーむ、確かに想像しづらいですね。模索してみます。
0>ヒト ヤス ミ 一 休 み と区切るとカタカナではこう区切る。 >オーパーツの首振り扇風機 私個人の感覚としては、まだまだオーパーツには加えないでほしいと足にすがりながら懇願する。 >ぷしゅ、ぷしゅ プシュ、プシュ あえてひらがな表記。作品に温かさと柔らかさをもたらせている。 ※自己総括 縦書きでも短ければなんとか読めることを今ここに認知した。
1返詩を書いていこうかと思います。自分の仕事を重ねつつ。 肥満気味な神様たちに 飛び掛かり プロレスリングを仕掛ける 牛の毛が宙に浮く中 ブラジリアン柔術のデラヒーバの要領で後ろに回り レスリングのスープレックスを決める 産廃の袋の中は沈黙し 二度と声を出さない ゾーゾー言う 肺の狭窄音は 聴診器を占領する 赤子を拭いたタオルは ボクシングのリングに投げられる 跳ね返したかった 自衛隊徒手格闘の直突きで 神々よ お前らの頭蓋には何が入っている 論理と知性の抜け殻か?! ジークンドーのステップワークより 軽快に ムエタイのコンビネーションより 連結し 相撲のぶちかましより 強烈に 皆が動けども 子供は 子牛は 生き返らなかった 産廃の袋の中 音を出さない 無責任な神々を放置し 現場の我らは歩き出す 心に中拳の発勁を撃ち出し 治療箱を 分娩介助道具を 投げ縄を手にし .調子の悪い牛たちの元へ参じる 産廃の袋で眠る子を 馬頭観音に 預けて
1日常から感じ取れる不条理はこうして詩によって浄化されて昇華されてゆくのだろう。 体の中に浸透して心に灯る燈のように私の胸に残りました。
1昔、帝国ホテルで舞台セットを組み立てる仕事をしていた時の気持ちを思い出しました。あらゆる仕事はハレであると。歩いたことのない道を作るに等しいことと。手以外に正直な器官はない。
1擬人化された例えの存在が全体的にちりばめられ面白く、作品がしまって感じられ、安定感がありプロっぽい文章だなあ、と読んでいて思いました。思いながら存在し労働する人の気配がむん、と息を嗅いだような暑い倉庫の仕事場にある感じです。
1