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阿q外伝
救いがたく自意識過剰でプライドが高い人間なので ヒトカドの人物になりたいという想いは強く 一方でどうしても勉強が嫌いなので 結局何もものにすることが出来ない という確信があたまに浮かんで 常に落ち込んでいる どんなに優れた資質をもっていようとも 勉強してないやつは 屑であると断言できる (勉強しているから素晴らしい人間であるとは限らない) 余談だが、 詩人のランボーが好きで なんでかというと たいして勉強もしないで歴史に残るような詩を書きやがったからだ いやもちろん彼の生き様だけではなく 作品自体も好きなのだけどさ 話を戻すと そのうちに一つのねじれた意識というか 奇妙な哲学的命題をかかえこむようになった おれは勉強が大嫌いだ だけど 本当は勉強したいのだ どうする? という愚劣な「問い」である (勉強しろやボケ!という突っ込みはナシでお願いしますね) 俺の一生はこの問いに応えるためにある のである
阿q外伝 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2115.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-07-21
コメント日時 2024-08-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
昔の自分を思い出して、なんだか気恥ずかしい思いです(笑)中身がまったく伴ってないのに誇大な夢ばかりが膨らんでゆくという… 語り手は、勉強をしなければどうにもならないと認識しているだけ立派だと思います(勉強していないやつは屑とまで言うのはどうかとは思いますが)。僕の場合はなんと(!)、勉強しなくてもそのうち胸の底から泉のようにインスピレーションが湧き出してくると、本気でそう思ってましたから(笑)(笑) 幸いいまは、たとえば素敵な彼女がいてアマチュア詩人なのと、世界的に大詩人(小説家)でしかし彼女はいない―この2つで憧れるのは寸分の迷いもなく前者と、そう言い切れる程度には"治癒"してきています(笑) じゃあ大詩人で彼女もいるのはどうなのかと言われると、苦笑いすることになってしまうのですが、徐々にとはいえ大詩人(有名人)という部分を、あくまで「オマケ」だと捉える感覚を身に着けつつある気がしています(あるいはむしろ荷物になるかもとも)。 本当に、幸せの軸を見失わないことって大切だなあと。 空気を読まない自分語りをしてしまい、申し訳ありません(汗)
0知識 教養/感性 知性 品性/見解 知見/常識 良識/節度 なにをもって自分とするのか。なにを勉強とし、なにを得るのか活かせるのか、でしかないでしょうね まあ私のポンコツ頭ではどうしようもないのですが
0はちみつさん、コメントありがとうございます。 背中に羽根が生えていたように、自由自在に詩を書けていた時期があります。 10代ですね。 作品は全部捨ててしまったけど。おしいことをしたな、と思う。 あのころは暇もあったし、友達もいたし。 そういうのが無性に恋しくなります。 いったん治癒することは大事ですね。 そのうえで、 再燃することもあるかもしれませんし。 一皮むけるということもある。 30代ー50代で、なにをしたいのか?というのも、 特に男にとっては大事なアポリアです。 これっぽっちも、文学で世に出る必要なんてない。 これは断言できる。不幸になるの確定してるから。 田中恭平さんは聡明な御方だなあと思いますね。
1A・O・Iさん、コメントありがとうございます。 おもうのは、縁というのは、とてつもなく大事ではないでしょうか。 たとえばですが、本人が平凡な詩人だとして、奥さんが(詩をかくことはないが) ふと、ことあるごとに、ほんとうにみずみずしい詩をポツリと呟くような人だったら、 その旦那だって大詩人ということになる。...かもしれない。 いや、こういう話は、冗談ではなく、ほんとうにあるように思います。 結局よいものは、ひとりではかけない。 なにを活かすか、もっというと、気づけるか、発見できるかですね。 眼力みたいなものかな。 そこが本質っぽい気がしてます。
1私も似たような矛盾した感情を抱えることがあって、言動に行動が伴わないことなどはしょっちゅうある様な気がします…。 こういう曖昧なことが死ぬまで続いていくだろうな、はっきりした人間にはなれないのだと私は最近諦めた所です…。
0真保さん、コメントありがとうございます。 みんなそうではないですか。最近、脳科学の本で学んだのですが、「自分の気持ちがわかる」って、言うほど簡単じゃないらしいです。 何が言いたいのかはっきりしてるって作品は希有ですよ。めったに見ないですよね。
1「勉強が嫌い」と「勉強がしたい」。二律背反に見えるこのふたつがおまるさんの中では並立している。これはいかなる事態であろうか、というおまるさんからのお題。 つまり、「勉強が嫌い」ならば「勉強がしたい」という命題が真である状況は存在するか。 たしかに直観的には成立しなさそうな命題です。ゼッケンです、おまるさん、こんにちは。 この命題が真となる状況はあるかどうか、ある命題が真ならばその対偶も真。では、やってみましょう。 命題(A→B):「勉強が嫌い」ならば「勉強がしたい」 逆(B→A):「勉強がしたい」ならば「勉強が嫌い」 裏(not A→not B):「勉強が好き」ならば「勉強をしない」 対偶(not B →not A):「勉強をしない」ならば「勉強が好き」 この対偶が真ならばおまるさんの命題も真。。。ぐはぁ。突然喀血するゼッケン。どした? なぜなら、「勉強をしない」人間に限って、知ったかぶりの知識を振り回したがる=つまり「勉強が好き」だとアピールする=すなわち、わしやないかい! 完備さんに数学をミリも理解していないと言われたゼッケンが、なにが命題は真、じゃい! 聞きかじった対偶とか言いたいだけの私。というわけで、たしかに対偶「勉強をしない」ならば「勉強が好き」が成立する(少なくともゼッケンにおいては)。なので、おまるさんの命題「勉強が嫌い」ならば「勉強をしたい」も成立する(少なくともおまるさんにおいては)。だから、本質に至ることの大変さが分かっている人は簡単に好きだから、とは言わないってことです。好きなことだから苦になりません、というのは突き詰めてやってないだけ。嫌いになるまでやってからこそがようやく勉強のお時間ですよ、これがおまるの命題である。
1勉強は大事だけど、したくない。さらなる知識は欲しいけど、勉強は面倒くさい。誰もが感じる理性と本能のせめぎ合いに苛まれる悩ましさが伝わってきます。 対して勉強しなくても何でもものに出来ればいいのになぁって私もたまに思うことがあります(笑)
0ゼッケンさん、コメントありがとうございます。 B最強のインテリ、ゼッケンさんから含蓄のある激(喝?)を頂きました。しかもC言語の繰り返し文みたいな完全無欠のロジックで逃げ場が...。 勉強は「つれぇ」が、そこからが本当。これ座右の銘にしたい。いや、します。 若い頃は、みんな夢を見れる能力があると思ってて、でも歳をとると、その能力がどんどん低下していって、最後は夢なんかクソどうでもいい、となっていきがちで。勉強?いらんわ、みたいな。 パチンコにいくくらいしか、やることない状態のおっさんおばはんって、世の中にいっぱいいると思うんですけど、わたしも確実に片足つっこんでます。 ネットを見てると、才気ある人たちがあつまっているんで、「俺は原始人みたいだなあ」と思う事があるんですよ。 ながめていると、気おくれする。わたしももうぜんぜん若くないので。 ジャルジャルの「夢なし大学生」じゃないですけど、みんな酒飲んでるのに、自分ひとり、しらふ、みたいな......... ...だから、恐怖ですよね... わたしを駆り立てているものとは。そのじつ、恐怖なのかもしれません...
0思慮が浅いよ。考察不足だよ、おまるさんよ。少しくらい推論しろよ。
0勉強が嫌いでも勉強をしていなくても、勉強がしたいと、自分には勉強が必要だと感じているかいないかがポイントになるんでしょうか。 本物の屑は勉強の必要性すら感じていない奴、自分がバカだという自覚の欠乏した奴かもしれません。いくら勉強ができようと屑でしょう。勉強ができないよりはまだ救いがあるかもといった程度の屑。 慢心はクズのはじまり。こんなことわざありそうでない
0そんなの当たり前の事だろーよ、ぺえ太くん。大した問題でもないのに、こんなくだらん問題提起崇め奉るなよ、子供じゃないんだから。
0おまるたろうさんは類さんの作品『一言』のコメント欄で、執筆活動において自分が今迷走中であるということを仰ってました。そこから察するに、これは詩の着想を外部から得たいがための意図した「問題提起」でしょう。作者は交流掲示板という特色を利用して投稿されただけの話です。「くだらん問題」にしたのも取っつきやすして広く意見を募るためなのではないでしょうか。 なぜにそんな牙むいてかかるんですか。読み物としてのクオリティに疑問があるとしたら、野良◯弧さんが大絶賛されていた類さんによる『一言』のほうじゃないですかね。
0勉強の何が嫌いなのかを観察してみたらどうですか?勉強してて頭痛くなるとか、内容が頭に入らないとか、実践できないとか、じれったいって感じるとか、、いろんな嫌いの種類があると思いますけど、そこをまず意識して、その乗り越え方を色々考えてみるとかどうかなって思いました。ついでに勉強の何が好き(ちょっといいかもって思ったり、ちょっと楽しいなっなるようなことなんでもいいですけど)なのかも観察してみるといいかもしれないですね。 あと、個人的な経験としては、「これさえ勉強できたらなんでもできるぞ」みたいな、大きな期待を勉強に対して抱かない方がいい気がします。目標を確認しながら勉強するの大事だし、モチベーションの上昇にも繋がりますけど、目標ばかりに目を奪われるととても辛くなります。山登りみたいなもので、頂上だけ目指して行くのと、周りを観察したり楽しんだりしながら頂点を目指すのとで大きな差がありますね。人それぞれ好みが違いますけど、私は後者ですね、そうじゃないと山に行きたくないですね笑 ちなみにすごく頭よくてめちゃ勉強できててかっこよくてわたしが尊敬してる人はみんな勉強が辛いって言ってます。たぶんみんなそんなものでしょうね笑
0ぺえ太くんの言う通り、おまるの意図しているであろう事も、分かるが、逆に舐めてんのかって話し。つまり、利用と協力は違うからねー。書き方の問題。 何で、牙をむいてかかるのかって? それは、おまるが俺の問題提起を中島らもの模倣呼ばわりしたからだよー。笑
1因みに類氏の一言については、読み物として、問題が有るかと言えば無い。簡素な言葉の中にも、生活に置ける徳を予感させられるし、濁りのない己の魂の無垢への回帰に、他人事だからと言って、不快感を催す人達の方が、頭どうかしてると思う。これが、躍動感の無い絵画や美術工芸なら、どうだろうと想像した。俺は芸術として一言を捉えたまでだよ。 ついでに、ぺえ太くんに対する悪意はない。いきなりてきとーに絡んだ俺が悪い。ごめん。
1なるほどです。様々な意見が飛び交うのも投稿作品の宿命でしょうか。便器や消火器はアートなのかじゃないけど、何をもって芸術とするかのはっきりとした定義がないために、私達の対立もやはり避けられないものなのかもしれません。 何があったのかはわからないけど、もしかしたらその中島らもの模倣呼ばわりは、おまるさんの言葉が足りなかっただけで実のところめいっぱい褒めていたのかもしれません。 ただ、詩人って言い当てが得意だからすぐ「◯◯みたい」って言いたがりますよね。特に悪気はないにしても。その昔、「安っぽいランボーみたい」って言われたことがあります私。言った本人のしたり顔がありありと目に浮かぶ!こんなんはもう、書いてる奴がうまいこと言った感に勝手に酔いしれてるだけだから話半分ぐらいに聞いとくのが無難ですかね。多くの場合、本人が悦に入ってるだけで第三者から見ると大してうまく言えてないものです。そして、そのうまいこと言えてないの集大成がポエムでしょうか。我々のポエム自体がもうまるまる公開自殺みたいなアレなんですけどね。あれ、こんな話してるんだっけか…。長々とごめんなさい
1そうだね。おまる大先生の件は、そういう事にして置いてやろう。笑 俺は、あまりコメントしないで、何年もびーれびに居るんだけど、ぺえ太くんが、まともな奴で良かったわ。ここって、変人ばっかりだし。笑
1田代ひなのさん、コメントありがとうございます。 わたしだけではなく。 「勉強」の不安に苛まれる淵源に、 生きる事のストレスから逃避しようとして 「勉強」に活路を求めている。 そのような心理の働きというか原理があると思います。 勉強ブーム? 独学ブーム?って、何年か前にありましたよね。 メンタリストダ●ゴやら、石●伸二やらと、 勉強がめっさ得意で、いつも正論ばかりを振りかざす人というのも、 見てて痛いですけどねえ。 やっぱり、知識以前に、イマジネーションがないといけないですね。
1野良 ○弧さん、コメントありがとうございます。 詩については、自分を消すような感じで出していきたいのですね。 まえに類さんは、わたしの作品について、 「作者がどこにも存在していないという控え目な所だけ。 作品だけが存在していて、作者は分厚い仮面を被ったまま逃亡している」 と評していたのですが、もちろん否定的な評価として、 いただいたわけですけど、 わたしとしては、我が意を得たりという気持ちです。 推論というのは、やっぱりどこまでいっても模倣に通じているのですよ。 「お前は普通だよ」って言われたら、 一番嫌なのが限らずアーティストを名乗る人ですね。 それより「異常だよ」と言われた方が、よほどしっくりきて良いと。 わたしはそういう在り方には一貫して懐疑的なのですよ。
0ぺえ太さん、コメントありがとうございます。 問題提起ではないですよ。 野良 ○弧さんの返信とちょっとダブるかもしれませんが、 ぺえ太さんに限らず、 みなさん「表現」に固執しすぎているのではないでしょうか。 表現者症候群?みたいな、 プロのマネが巧いプロ笑、みたいな? わたしがここにきている目的は純粋に知的交流だけですし、 わたしは自分のすることを表現と思ってないので、 そこらへんで齟齬が生じている。気がしてます。 いつも。
0ほりさん、コメントありがとうございます。 ある程度、歳とっていくと、記憶力が崩壊しますね。 覚えても覚えても、砂山が崩れるが如しで、 まあ、嫌いですね。 >すごく頭よくてめちゃ勉強できててかっこよくてわたしが尊敬してる人 そうそう。 そうなりたいでしょ。みんな。 だから、分の実存の切実な問題もあるのですけど、 生きていくだけで、 精神の没自我といいますか、平準化が進んでいくので、 そういう加齢にともなう悲しみに対抗しようとしている。 でも無駄なあがきでしょうね。わたしはふつうの人ですからね。
0こういう、問題提起、お悩み相談ものは、だいたい触らないのですが、おまるたろうさんだから違うだろうとわかっていて、純粋にどうかえしてくるのか見たかったのでああいったコメントをしましたけどねー。ついでに私、縁って言葉嫌いなんですよね。ええ、切っても切れない的な血縁の意味ですけど。なので抉ってきたなーと思って、わらえました( ᷇࿀ ᷆ ) まあ縁=物事の関わり合いだろうけど。今の自分は当然、過去があって今があるので、すべて大事だとは思ってます。人間に限らずね、いい思い出もクソ出来事も自分を形成しているわけだから。んで日々更新されていくけれど。同じこと繰り返してもツマラナイので、今もこうして、面白い物や事を探しては、ガン見、勉強?しているわけですw まあ、前を向く余裕?それとも逃避行動であっても、今いるところから抜け出そうとする気持ちが、まず必要なわけですね。ぬるま湯につかって出来ることだけしていたら、たのしくないので。疑問だったり驚きだったり納得だったり、その程度の些細な感情の積み重ねが勉強に当てはまるかどうかは、知りませんが。 脱線したかな、まあいいや。
0A・O・Iさん >問題提起、お悩み相談ものは、だいたい触らないのですが まあ、そういう言い方はもちろんできるんですけどね、 問題提起というのは、煎じ詰めると、 代表者意識みたいなものなんですけど、 わたしはそういう立派な表現者としては 不適格ですし、 むしろ全然なりたくない。 この作品は何かというと、 やっぱり詩ではないかなあ、 と思うんですけどね。 みなさんの琴線的にはアウトオブなんちゃらだとしても。 >ついでに私、縁って言葉嫌いなんですよね そうでしょうねえ。そう思いますよ。 糸井重里の「家族解散」って知ってますか? AOIさんはド嵌りするかもですね。 ガチで文学やりたいなら、まあそれしか未来はないだろうとは思うよ。 まあ、わたしはわたしなりのガチの道を歩んでるんですよ(意味不) >面白い物や事を探しては、ガン見、勉強?しているわけです その追求心が、大統領ですけど、 おじさんがやるには、かなりキツくなってくるというのもあります。 冷房ぜんぜん効いてない職場でビシャビシャになって働いて、 夜7時に風呂はいって、もう一日が終了です。 このまま人生が終わってしまう。 でもだからたまに詩が書けてるのかも...とか思ってもいたり。 モットモット遊びがしたい!のですよねえ。
1アルチュールランボー、酔いどれ船とか、若い頃に憧れました。筆を折ったことに痛み入りました。勉強が足りないのは私もで恥だし人と付き合うのに不便で困っています。
1湖湖さん、コメントありがとうございます。 ランボーは青春ですね。マザコンの大詩人。 >勉強が足りないのは私もで恥だし それはわたしもそうです。ネットはすごい人たちとの距離感がバグってるので、 自分が余計に卑小に感じてしまうというのもある気がします。 ネットって毒ですよ。 でも世の中の大半の人が勉強してないんじゃないかな?とも思ってます。
1最近、数学を改めて勉強し直そうと思い、小学生の算数の参考書を買ったりしたので、個人的にタイムリーでした。 学生時代、数学が本当に苦手で。 ただ、数学が苦手なまま終わるのも嫌だなと思って。 小学生のしている勉強を改めて見てみると、小学生ってこんなに難しい勉強をしているんだなとちょっと驚きました。 それで整数のかけ算というのをしてみたんですよね。 正確な数字は忘れたのですが、383652✕211146=みたいなのを紙に書いて計算をしたんですけど、何度計算をしても、ちゃんと正解が出ない。 電卓で計算をすれば正確な答えは出るので、正解の数字はわかるのですが、自分で計算をすると、そこにたどり着かない。 理由は書き間違えや、簡単な計算ミス。 そのどれか1つでもあると、正解にたどり着けない。 学生時代、数学が苦手だった理由がよくわかりました。 数学で高得点を出すには、絶対的に正確性が必要で、自分にはそういうのは苦手でした。 数学は理解できるけど、数学のテストで高得点を出すのは、無理に近い。 ただ、もう数学のテストを受ける機会はないので、正確性の低さは、時間をかけることで克服できる。 なので、今なら数学とちゃんとやり直せそうです。 自分も学生時代は勉強が嫌いでほとんどしていなかったです。 それで今、数学を勉強しているのは、数学ができないまま終わるのは嫌だからですね。 自分が勉強をする動機は大体ムカつくからかもしれない。 できないまま終わるのは、ムカつくから。 そんな感じです。
1トビラさん、コメントありがとうございます。 数学を勉強しなおすだなんて。 本当に尊敬します。 ちな、すごい詩人=理系説って、かなり強い根拠がある気がする。 「正確性」が本質というのは、詩にもいえることです。 >自分が勉強をする動機は大体ムカつくからかもしれない。 それを言えるということは。トビラさんは勉強の才能ありますよね。 わたしも、もっとその怒りのパワーがあれば... とほほ
1わたしは義務教育とその延長の高等学校で求められる勉強が嫌いでした。 100点をとらなければ費やした努力は無駄だったとされるような、全ては大学受験で合格することを終着点とみなす紋切り型の勉強。 そして数学が嫌いでした。 いつも平気で赤点とってました。本気で取り組んでそうだったので自分がいかにバカなのか思い知らされました。 でも、数学で問題を解く方法を考える過程は好きだった。授業で「こんな方法もありますよ」と発表して他の生徒たちが思いつかない別の方法論を提案して1人いい気になってました。 でも本番のテストではそういうふうに悠長に考えてる暇はない。 勉強が全てタイムリミットとの勝負に変換されてしまうんです。 そういった周りと「速度」を合わせることを強要される勉強は嫌い、というか単純にのろまなわたしには合っていませんでした。 人口植林のように同じ場所に植えられて同じ背丈まで伸びることを強いられる形の教育ではなく、ただただ、自分のペースで根を伸ばしたかった、それだけだったのかなと思います。 ただの自分語りになってしまいましたね。失敬です。
2Molloyさん、コメントありがとうございます。 わたしもMolloyさんと同じですよ。 義務教育、その実質は受験戦争ですが、IQや読解力といったほんの一部の知能に特化したテストに過ぎず、大半の人にとってはクソゲーですよクソゲー。 学歴すごろくって、数学できるかできないかのガチャで、数学できないやつはよほど例外でない限り完ストできない。逆に、数学だけバリバリのやつは、わりといい思いができる。その非相対性に苛立つ人も多いでしょう。システムに欠陥がある。 社会で生き抜く力のことを考えると、コミュ力や営業力、交渉のイロハ等の方がはるかに重要だが、学校ではけっして教えてくれない、これ、なんでなんだろう?って思っています。 おしえたくても、おしえられない?のかもしれないですけどね。大人の世界で、いっぺん●んでこい的な。 勉強苦手なら高校大学といわずに、さっさと社会に出た方がいいかもしれないですよね。
1上はMolloyさん宛てです。しつれいしました。
1勉強は、信仰のようなものですね。 私は、正しい知識を学ぶ理由は、正しい知識を壊すためだという信仰のもと、専門書を手に取ります。「これは誤り」と常識化されている事柄に反抗していく。 その行いに真理があると思う自信と、そんな常識にまみれてきた自分を戒める(←ランボー的ですかね)、本当に頭の痛くなるものだと思います、勉強。おまるたろうさんの感情は、当然なように思いました……。
1熊倉ミハイさん、コメントありがとうございます。 >「これは誤り」と常識化されている事柄に反抗していく。 ランボーっぽいですね。 ランボーというか、フランスというか、 あのドぎつい開会式とかも、つきつめるとそういうものですよね。 変態文化というか、Mフーコーとかもそうですし。 やりすぎるとオタクみたいになっちゃんで、いろいろ反省しないとですけどね。 言葉に重きを置き過ぎないように。 「体得」するほうの勉強も大事ですね。
0勉強については、決められた答えに行き着くことが出来ない場合、焦りになって滑っていきますよね。 でも、答えを探すことは、自分なりの答えを作ることですから、そのために学ぶことで、 より向上し、有機的に知識が繋がって来るでしょう。そのとき、自分と人の考えが境を失い、 真なる知識に目覚めるのだと思います。それは、全ての人にとって、安楽な心を作るためになります。
0黒髪さん、コメントありがとうございます。 このまえ、ひさびさに図書館に涼みにいったら、学生たちが勉強をしてて、その姿を見たら、自分も昔勉強していたことを思い出して、かなしくなった。あの、救いを求めている子羊たちといった様子。図書館というところは、どこかそのような、おかしみがある。すくなくとも、わたしにとってはですが。 黒髪さんは若々しいですね。わたしはたぶん、黒髪さんよりだいぶ年下ですが、老けてきている...
1ランボヲはちょっと、面白いと思えなかった。凄いのかもしれないけど。 勉強は、しなきゃしなきゃとは思うのですが、ちょっと道草くったらなかなか戻ってこれない。ほら今だってこうして。。。
0妻咲邦香さん、コメントありがとうございます。 ランボー、個人的に一貫してもっている印象は「かわいい」です。 今風にいえば、発達障害かな。 「いなくなる」というのもフランス文学の伝統ですね。 「あれ、ランボー、パリにもういないよ?」というのが、 最も存在感を掻き立てる。フランスの精髄。 ちなみにジャン・ジュネもランボーと同じ系譜で、 ジュネが姿を消すとついでにものもなくなっていたりする。 皆がそれを喜ぶ。「またジュネがやった」と。 演劇の国ですね。 おめでたくない方の人はランボー、あんまり刺さらないかもですね。
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