別枠表示
夏至
夏至 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1194.2
お気に入り数: 1
投票数 : 4
ポイント数 : 0
作成日時 2024-06-21
コメント日時 2024-07-16
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
逃避というのも、能力の一つですので、力がついたということになるでしょう。 水が一番おいしいですよね。便利だし。僕は、入院中に実感しました。
1盛大すぎず、ちっぽけすぎない、ほどよい規模の逃避が表現されているのが、ささいな共感をよぶ。反復があったりして一見荒い文章ですが、流れの中では押し付けがましい感じがない。言葉選びが、水そのもの。
1ああ、今日6月21日は夏至の日でした。あまりの心地よさに生涯を終えてもいいとまで言う。現実からの逃避行動は種種あると思うのですが、身体の浄化もその一つなのかもしれません。
1黒髪さん、コメントありがとうございます。 水もおいしいですし、白米もおいしいです。
1さか たけおさん、コメントありがとうございます。 この詩は文字通り布団の上でタオルケットにくるまって書いたので、逃避も夢で見るようなふわふわした感覚の表現になりました。
1エイクピアさん、コメントありがとうございます。 ただの水を飲むと身体をうすく透明化させてくれるような気がしていて、それが心地よいです。
0「水」を巡ってイメージが凝集していくところに瑞々しい迫力みたいなものを感じました。 コップ一杯の冷たい水が、細胞の一つ一つまでをも潤してゆくのが見えるようです。
1逃避ってなんでしょう。私は、「逃避」が詩作の軸の一つにあるのでより考えていきたい。 現代は手軽に逃避ができる。しかし、逃避と現実を簡単に行き来できるようにもなってしまっている。昔は夏の暑さから逃げ出すためには極寒の地を求めたのかな? 遠くまで逃げれば、環境、社会からもある程度逃げられる。 現代では、夏の暑苦しさから逃げるにはただ部屋に入ればいい。しかしそこは社会とは壁一枚の場所で、逃避できたとは言えない。だから、妄想の世界に入る。「現実からの逃避」という言葉を三回唱えて、さらなる心の壁を作っていく。 そして、この詩が辿り着いたのは「細胞」ですね。面白いと思います。私は「逃避」という行為を自分の中で神格化させようとしてきましたが、やはり現代、完全な逃避ができるかと問われると苦しいです。しかしその「逃避」の神話は、身体機能という一番身近なものにも見られるのだ。 「最期には細胞ひとつひとつに私は想いを巡らせる」 「朝いちばんのコップ一杯の冷たい水が唇に触れて舌を這いずって喉を流れて身体に染みわたる浄化」 普段は意識しない「細胞」という未知なものを意識する。ここは妄想による逃避。そして「水」という具体物が「細胞」に染み渡っていく。おそらく「細胞」の果ての果てまで。この「水」が、一番身近で逃避の実現を見せてくれている。 「水」と「細胞」というシンプルな二要素だけで、「逃避」の神話は再確認できる。原初を見せられました(拗らせているかもしれませんが)。良いものを見れました。
1真夏への現実逃避。 水を飲み干すシーンが身に沁みて伝わります。 何気ない日常の切り取り方が素敵です。
1これさ、一連目と二連目逆のほうがいいよ。そのほうが逃避行動として頷けるかな?
1現実からの逃避と言いながら、語り手はおそらく他のほとんどの人よりも現実を眼差している―その事実がなんだか物哀しい気がしました。というのはそこから逆に、現実で大きな顔をしている人たちというのは現実というものを見ていない(目を逸らしている)鈍感な人たちなのでは?という疑念が立ち上がってきたからです。
1