通勤途中にある神社で
毎朝一礼する
願掛けはしない
前の職場で
ときおり朝一緒になる先輩がいた
神社の前を通ると
必ず足を止め
きりり
姿勢よく一礼していた
ラジオから
こんな話も流れてきた
コロナ禍に
毎朝神社へ通うようになった
足を運ぶたびに
願いは消えていき
一礼の所作だけが残った
粋である
マネすべし
春夏秋冬ひとめぐり
はじめてから
二回目の春を迎えた
はじめたころに
何を願っていたのか
もうとっくに忘れ
近頃では
狛犬と
挨拶を交わすようになった
阿吽の狛犬
向かって右がアと口を開け
左がウンと口を閉じる
ああと嘆き
うんとうなずく
そんな日もあれば
うんと納得したつもりが
ああと落胆する
そんな日もある
どんな日でも
一日は一日
ああとうんの繰り返し
今日も行く人見送って
受け止め
励ます
阿吽の狛犬
一礼
きりり
空っぽの頭で
身を新調する
作品データ
コメント数 : 4
P V 数 : 535.3
お気に入り数: 1
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-06-16
コメント日時 2024-06-19
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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音韻 | 0 | 0 |
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閲覧指数:535.3
2024/11/21 19時49分48秒現在
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通勤時の日常の情景を描いた詩として、なかなかに良い詩だと思いました。 ただ、細かいところが気になったのですが、「ああ」という言葉が一回目では「嘆き」、二回目では「落胆」とどっちでもネガティブな感じに使われているのは、ゴリュウジさん自身「ああ」という言葉にあまり良い印象を抱いていないのかなって。 作品の本筋とは関係ないとはいえ、ちょっと気になったのです。
0なんかすごい読めた…… 神社って良いですよね。最後にお願いしたのは高2か高3のときで、友達が蜂に刺されたので、治りますようにとお願いしたら、きれいに治って、よかったです。それから先は、たしかに無心でお参りしています
0関わり方は様々。形式ばった所作に限らず、遊び心もあったほうがいい。目的はいずれ忘れられる。目的を失ったモノに、目的を与えるのは神ではなく個人の心である。心から飛び出して他人に押し付けると、傲慢となるが、心に溜めておけば、生きる喜びとなる。目的を見出せる処において、神は少々休んでいても構わない。 と、詩を読んで思いました。
0祈りがシンプルに心を洗う、その日常の所作が清々しい。
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