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カフカ
AKIRA は80年代の金字塔ともいうべき傑作アニメーションだ その登場人物の一人に 鉄雄というのがいる もともとは気の弱い根暗の暴走族のモブでしかなかったのが 偶然の事件をきっかけに 超能力を開花させる 最初の頃は本人もビビりまくっていたが 己の力の威力を目の当たりにして 次第に「おれは無敵だ!!」と 力に溺れていく これは心理学でいうところの「解離」に他ならないが 現代において 解離=鉄雄化の兆しはいたるところで散見されるようになった 政治家や運動家 チューバーやインフルエンサーのふるまいの中にも 現代人は最新テクノロジーの前に 無力になるか 強度のストレスへの解離として 鉄雄になるかの二択を迫られている 個々人がAKIRAフリーク化しているような現状にあって 逆に 触れられないものへの希求も強まっている 触れられないものというのは あくまで触れられない対象なのであり つまりそれはアイドルであり 手をつないだり デートとかキッスとか できないのよ 残念! これはつまり AKIRAでいうところの「アキラ」ということになるだろう かくして現代人はますます症状をこじらせるのだ 他方 いぜんとして 現実的な我々の選択肢は「社会・経済」一択しかない ほとんどの人が ローカルな社会での 人間関係ベッタリな暮らしをしている わたしだって 毎日が殴り合いですよ そこらへんの現実ベッタリな感じと 尖端でのAKIRAフリーク化の世界観とのギャップの橋渡しみたいな存在が ここ10年ほど 重宝されていた たとえば生活感を敢えて全面的に見せる というインフルエンサーのふるまい あれが我々の症状を緩和させるのだ 露悪的に「昭和」感を出すとか 朝倉やシバターってそうじゃないですか? しかし2020年以降 なんだか異質な者が登場してきた 朝倉とも絡んでいる「こめお」とか「青汁王子」とか あのへんのやからには新しさを感じる こめおは 冤罪で4年半川越刑務所に入っていた 暴力や盗難に直接関与せず キャバクラの厨房でグラスを洗っていただけなのに逮捕された 他の従業員は 罪を認めてすぐに出所したのに 刑務所でもずっと自白を求められても尚 それにこらえて しかし最終的に自分だけ裁判所で 最後被害者(農林水産省の役人!?)から 「死刑を望む」 と言われた そのとき情けないが 本当に自分は怖いと思った と …なんじゃそりゃ!?な経歴の持ち主 20歳そこそこで何もわからず普通に体験しないことを体験している 本人の見た目もそのまま俳優として起用できる存在感 ただ何が新しいのかというと… 一言でいうのは難しいが なんというか「被害者」っぽくない 自己を被害者っぽく見る社会に対して 彼はただ黙っている 朝倉未来は こめおを「かわいそうだ」と言ってて そう言ってる彼はなんだか 薄っぺらい もちろん 全部マーケティングだと思いますよ 朝倉のオーデションでの振る舞いは 「煽り」なのか「素」なのか?と ひろゆきが聞いたところ「全部煽りだ」と開き直っていた 全部 醒めてる 徹底的に そこいらにいる鉄雄みたいじゃない そこが新しい 頭を下げたくない奴には頭を下げたくないが 頭を下げなければいけない場面があることは 自分は分かっている と言っていて 朝倉が「じゃあ俺にだけは本心じゃなく頭を下げたんだね」 というと こめお ダンマリ 朝倉が自分にだけには演技で頭を上げたが 他の不良達への「俺以外全員芋野郎」という態度は こめおの地金だと受け取った と言う その朝倉の浅さを こめおは否定せずにじっと黙っている センス いいですよねー こめおに比べると 朝倉は良きにつけ悪きにつけ昭和な漢である つねに無理と根性で押し切る!みたいなスタンス 「俺はどうなっても良い」って言って 無理押しして案の定しばらくしてどこかからだを悪くしている まさに「鉄雄」そのもの 「俺をキレさせたら大したもんだよ」とは 長州力の言葉だが これも一種の精神病というか「鉄雄」的な症状ですよね 「俺は何にも怖くない」と ただのやけくそ ダサい
カフカ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 780.5
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2024-05-04
コメント日時 2024-05-11
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
おまるたろうさんの、こめおへの共感にシビレました。
0黒髪さん、コメントありがとうございます。 あ! いやはや。 バレましたか。 黒髪さんには敵いませんね。 ┏○ペコッ
1テレビタレントも、ユーチューバーも存じ上げませんので。 何か「時代的な」「令和的な」ゲンロンを展開していらっしゃることだけは理解を致しました。 百年。 可読可能な作品を提示なさってから。 モノ申して下さいませ。 チャップリンやカフカ(ベタですが)を引き合いに出されになられる位でございますから、 その程度は簡単でございましょう。 期待を致して居ります。 なんとなく、クリスタル。
0あー、 ムカつく若手をとにかくディスりたい感じですね。 例の「極北、またの名を老害」 がよほど気に障ったようですが、 どうかなさいましたか?
0サディズムを。 年老いた御方に向け、歯を剥くことが。 甚だ赦し難いことであると、申しているのです。 エゴを寧ろ、開き直り称讃する、風潮が。 人間として。 存在として。 一個の揺るがし難い尊厳者として。 許し得ない、 と申しているのです。 人間の美点、最も崇高なる意志、を述べる、告白するのが。 「詩」の本分なのではないでしょうか。 さもなくば、 われわれは、アウシュビッツ以前、世界大戦以前と同じ轍を踏むこととなるでしょう。
2先日のチャップリンのペラペラな解釈も、 その水戸黄門(見て!肛門!)な印籠の見せつけ方のような アドルノの出し方も、接しててうんざりします。 あなたのものの観方は、まるで漫画のように平板ですよね。 チャップリンは、いったんハロルドロイドやバスターキートンに追い落とされて、 「過去の人」になったが、 そのあとリバイブした理由はわかりますか? わからないでしょ、どうせチャップリンを真剣に観たことなんてないのだから。 あなたのいう「人道主義」だなんて陳腐な理由じゃないですよ。 チャップリンについて語りたいなら、 チャップリンをちゃんと追いかけてものを言ってください。 アドルノのなにを読みましたか? 「啓蒙の弁証法」くらいは読んでますよね? わたしは最初の一行から最後のページの最後の行まで、 一字一句読んでますよ。 あなたはどうですか? アドルノについて一晩、語り合いましょうか? 知性的であることはサディズムじゃありませんよ。
2今、私に見えている動画。 https://www.youtube.com/watch?v=JTdxq7MdGyA https://www.youtube.com/watch?v=Lfl2Nj_QRXU そして、 かつて見ていた動画。 https://www.youtube.com/watch?v=GY9rtZo_Wa0 貴兄は、 今、どこへいらっしゃるのか。
1「投了」 ということで。
1「詩人」 として、 素晴らしい答えです。
1え? ご自分で 「投了」したのに? ありがたいことです。
0アニメ(AKIRA)その通には有名だ。昭和生まれなので聞いたことはあるが見たこともなくてよく知らない。恥ずかしい。たまにユーチューブ見てたので格闘家朝倉未来は知っているが、割烹格闘家こめを。これも知らなかった。どうでもいい。 なんで「カフカ」なんだよ。と思った。裁判の件が書かれてあるからだろう。つまり概ね対象は「審判」なのだ。審判といえばカフカ亡きあとに編纂され出版された不条理文学の傑作とも言われている。多くの論者が批評し論じてもいるが、その中でもj.デリダが提唱した「脱構築」という概念からも多くの論者が読み解いている。 この作品も大方そんな認識で書かれたのだろう。根底にはウクライナロシア対応パレスチナイスラエル問題だ。対照的にみた二項対立の概念から生じる「存在と欠如」という捉え方。この思考は結局存在がなければ欠如もしないという矛盾につきあたる。この考えから相互に依存しあう。つまりは結論なき意味の証明というクラッシュ&ビルドへの矛盾。これが脱構築化の考え方に向かわせることになるのである。一方の考え方が優れているとは限らない。 こめをはそのことを刑務所という閉ざされた世界から裁判という開かれた世界に一歩進み出ることによって社会の不条理という矛盾を確信したのかも知れない。 ウクライナは国の誇りという面子に固執して無駄な犬死は止めてしまえ。同様にパレスチナもイスラエルも手枷となっている宗教の教えや戒律など無視すればいいのだ。こっそり路の脇に唾を吐きかけて、素直にあたまを下げておけばいいのだと…。
0メルモsアラガイsさん、コメントありがとうございます。 デリダの話は、面白いなと思いました。デリダは死ぬまで「他者への応答」とか「音声」の問題を考えていた。それは、ハイデガー経由のプラトン批判として。デリダは「マイノリティのなかのマイノリティ」という立場です。ゆえに、すすんでマイノリティの立場に立つ者を厳しく批判していた。(マイノリティの権力、という文脈) なにかを弾劾すること、誰かを断ずるという態度は、「父殺し」(トラウマ)でしかない。だからこそ、判断留保という頑固なスタンスを一貫してとっていた。でも、不思議なことに東裕紀は、そういうデリダの態度を継承していない。むしろ、かれは判断の人だから。 個人的に、カフカにひかれるのは、それこそデリダ的に、グーッと圧に耐え続けているストイックさですね。 カフカやベケットなんかは「禁欲者」みたいな人で、こめおもそういうところも似ている。しかし今やカフカにならずに済む、ということがいかに尊いことか。
1正直言って詩というよりこめおさん評を読んだ気分になりましたが あまりYouTuberの世界にあかるくない私ですが こめおさんのような面白い人もいるということを知れたのはよかったです。 なぜか、ふと映画「愛を読む人」でケイトてんウィンスレットが演じたハンナ・シュミッツというキャラクターを思い出しました。
0Molloyさん、コメントありがとうございます。 「愛を読む人」。主演はケイト・ウィンスレットですね。 教えてくださいましてありがとうございます。 ある意味、アウシュヴィッツともつながりがあるかもしれない。 カフカの親族も、カフカの死後、ホロコーストで虐殺されましたし。 現代性でいうと、字義通りの「弱者男性」というところでしょうか。 Molloyさんがそこまで読めていたら、凄い、とか思いました。 「愛を読む人」、見てみたいと思います。
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