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6㎜×35行
いつまで中2やってるのっていつまでも馬鹿なふりしてる君が言って、データの重さに押し潰されて死んだ君が信じていたことは間違っていたと昼間画面の向こうのコメンテーターは言って、卒業したらどうする?と馬鹿な私が言った。 誰かがお弁当の前に手を洗わなかったことに絶望していたその間に、世界は終わっていた。あの子のすり傷よりも綺麗なすり傷が、見えない間だけきみと僕は友達でいられる。 僕がきみのことを特別だと思っているのって差別。だから、みんなを嫌うきみだけは世界平和を祈ってもいいよ。 だけど、そんなことは本当はどうでもよくて、元から世界平和なんて僕祈ってないし、君にも祈っていてほしくないし、ただ君が僕のことを特別だと思ってくれればいいなと祈るし、この感情を好きという言葉にしたら9割り零れ落ちていくし、もうそれはいっそ君じゃなくても誰でもいい。君はいつまでも架空でその言葉にした途端本当のこと10割り零れて消滅。まとわりついて嘘。馬鹿。 だいたい愛が地球を救わないことみんな見てるじゃないか8月。
6㎜×35行 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 994.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-03-12
コメント日時 2017-03-21
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
花緒さんと、同感でした。冒頭4行、もしくは5行・・・ここがとてもまとまっていて、同時に「最果タヒ」的で・・・後半が作者の「真意」であるならば・・・世界平和なんて、どうでもいい、君が僕のことを特別だ、と思ってくれさえすれば・・・そんなふうに、僕のことを想ってくれる人がいればいいな、という、恋愛待望論、というのかな・・・その先に、もっとツッコメ!その裏を突け!と、喝を入れたいなあ、と感じます。
0>6㎜×35行 っていうのはノートの行間の長さと行数ですね。という事が分かるとこの詩の距離感っていうのはグッと縮まってくる。と思います。ノートに走り書きした言葉の断章。というふうに捉えると、結構愛嬌のある詩なんじゃないかなと思います。つまり、この詩は即興的であるという事です。授業を受けている時になんとなくいいフレーズとか思いついた時にノートに走り書きする事が僕は結構あるのですが、正にそんな感じです。 >だいたい愛が地球を救わないことみんな見てるじゃないか8月。 こういう言い切り方は割と好みで、8月を最後にぶっ込んでくるのが、一方的にシンパシーを感じるというか、僕が勝手に自分のスタイルをこの詩に見ているからかもしれませんが、面白いというよりは共感する感じでこの詩を読みました。だから、評価を受ける作品という所で考えていくと難しいのかなとも思います。中身よりスタイルの方に目が行ってしまうからです。
06㎜×35行と具体的なサイズを書いているところみると、作者が愛用しているノートなのかなと思いました。筋肉少女帯の「香菜、頭をよくしてあげよう」に登場する香菜ちゃんは本当におバカなのですが、この詩の「私」は自分で言うほど馬鹿じゃない気がします。 この詩において私がいちばん気に入ったのは、真ん中の「僕がきみのことを特別だと思っているのって差別。だから、みんなを嫌うきみだけは世界平和を祈ってもいいよ。」の部分。1人だけを愛することが差別で、すべての人間を嫌うことが平等という発想は実に面白い。こういうのは、若い人ならではの発想ではないでしょうか。 ところで複数の方々が「最果タヒ的」という言葉を使っていますが、「○○的」という印象を読み手が受けたことを喜ぶのか、それとも悔しく思うのか。それによって、この先の作風も決まってくるような気がします。最後の一行も良いですね。その昔、ビートたけしの「貧乏人はまず自分を救え」という言葉に大笑いした記憶がありますが、この詩のラストもそれに通じるシビアな視点があると思います。
0本作『6㎜×35行 』は、新種のループ詩である。ループ詩の大家である花緒氏がこのことを見抜けぬぐらい、『6㎜×35行 』は優れた構築性がある。ループさせる、それは、文法で実行することは簡単かもしれない(いや実際は難しいのでしょうが)けれども、読者の脳内でイメージをループさせるなんて離れ業は、奇跡かもしれない。それこそ、サイキックテロルである。 およそ紺にてさん、投稿有難う御座います。
0およそ紺にてさま はじめまして。お二つあるうち、こちらの作品のほうが何となく好きなので、こちらにコメントさせていただきますね。 実は私、ひところ最果タヒみたいな詩が書きたくて書きたくて、どうにかしてあの文体で書けないものか、書写したりしてみたりした時期があります。 その結果、わかったことは「自分の中にないものは身に付かない」ということでした。 ということは、およそ紺にてさんの中には「最果タヒ」と共有した精神を持っているということになると思います。それは、取りも直さず、今という時代をしっかりとつかんでいるということではないでしょうか。ですので、今お持ちのものを伸ばしていけば、時代が求める詩を書くことができるのではないかと思います。 詩の内容とは直接関わらないコメントですみません。
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