ある男が良心の逆サマを蹴り倒す
足枷だった好奇を辱める、
下々の矛も払いのけながら非常口へ
もう逃げるのか! 地べたに這いつくばれ!
その戦場も
接待を隠すこと
に
錆びつき
陰る
またそぞろに歩く者たち
拮抗する会場内は、
折れ溢れの無い足摺りが纏わりついていて、
煙たい薄膜の向こうで、笑い、
消化液を飲み交わす紳士たちがいた
静寂だけの天井には、
カラスミのようなものが群れながら蠢いていて、
会場を、閉鎖的な廃界へ向けて弾き放たれる
ピアノソナタ
離れては再度、椅子の背に手をしなやかに。
マドモワゼル シルブプレ?
たまに馬鹿みたいに速く走ったりする
隣にももう一つ会場があるようで、
膜の外から、黒覆面の男らが数人、
ドル札を強くめくり数えるのが見える
ワン、トゥ、ワン、トゥ、
進まないのさ、不敵なトークに、
たんまり種を埋め合わせながら、
彼らは独りで踊っている
参加者は絶えず入って来て、
椅子の周りを延々と歩くも、
茶番以外の何物でもない
欺瞞者が謙虚に入って来て、
椅子の脚を我がもの顔に褒めるが、
いつの間にか舞台袖にはけて、
進まない永円性に加担していく
残響している音符に、さらに施された、声
「この会場は公平に公平!」
「希望と期待と千載一遇に生命を賭けられるあなたたちは素敵!」
「成功も失敗も道につながるから行っといで!」
僕は
古びた手帳しか持たずに家を出て来てしまった
帰路か岐路に立たされた一輪の花のように、
自責の念に流されている僕の背中で、
果たせなかった肌の悲しみの夢、すべり、
僕の尻の溝に綺麗に隠れていく
醒めない狂気の底ではあなたが頬に、
点けてくれた証命も腐臭に
弱い僕の影がやっと地面に映し出された
僕の手帳の中で痒みを訴える文字奴隷たち
それにしても、虫たちは健やかに見える
静かに羽音を、望む風に載せている
彼のステップなんかは今まさに
天井を突き抜けそうで
突き抜けて星空に座ったりする
誰も彼を見上げたりしない
椅子に這いつくばれ!
走れ! 走れ!
は し れ!
見上げると、
当然そこにはもう何も居なかったり
不器用な蜂が
僕の脚の間を通り過ぎる
愚鈍な蚊たちと
カラフルに罪を落とし濾す
ほどけた青の眼が、愛撫を送り続ける
甘い教訓が香るため、
その排液を殊に飲み干して、腐心の燃料に換える
またぞろぞろと そぞろにあるく
そぞろにあるいて そぞろにはしる
昨日も今日も明日も明後日も
椅子取りゲーム会場
では
垢守りの饗宴が開かれ
衝動と醜悪の昇華へ
泡沫が少しずつ厚くなっていく、
放蕩の更けに僕らはいる
雨を知らない囚人の怠慢
求刑蔑視の過ぎたHOPEの果て
辺りに響くのは僕という音叉が吐き出したゲロ、恥の声
仮定条件に立つ踝のかわいさ
ずっと悟らない革靴も
不意のシャバダバに熟れているだけ
白濁色に描かれた傷が
不甲斐なく休符記号を愛したよう
絶え間ない蒙昧が死から既知の狭間に
僕は人形ではない
表情を持っている
手帳も一冊持っている
今は開けないが
いつかは匙になる
造作もなくここを壊せる
どう走っても、歩いても、
不明形の領域はどこまでも倒れていて
高尚のように見えていても、
牢のすぐ外も〈標榜の海音〉に囲われていて、
「僕たちは一体何者か」
と、椅子が喋り始める
会場の隅に一人の子供がうずくまっていた
歩き近づくと、
ピアノが止んで
足音が止んだ
笑いが止んで
星が止んだ
椅子が
咳した
子供は顔を上げて、パパ、と若い声を震わせている
手帳が
せきした
これ以上欺いていても仕方がない
手帳を地に捨て
会場を去っていった、 。
作品データ
コメント数 : 10
P V 数 : 718.6
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-04-10
コメント日時 2024-04-11
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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閲覧指数:718.6
2024/11/21 22時13分28秒現在
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いみがあってオチがあってスッキリ、ミハイさんらしい言葉の操り方で、おもしろく書かれているけれども。これ、話の流れが時の流れとして重要だけど、詩としての読ませるなら連ごとに逆走したほうが、なんだろうという好奇心はかき立てられるとおもう。話を読ませ感情を沸き立たせたいのか、詩として幅や余白を大事にするのか。どちらもできれば理想ですけどね。まあ意味合って書かれているものを切り崩しては同じ詩とは言えなくなってしまうのでおすすめはしませんけど。
1まさに挑戦的な岡本太郎の芸術論を地で行くようなコンセプトが垣間見れてほとんどわからない。駄作です。駄作ですが、一言付け加えさせていただけばお見事な駄作です。 よくわからない。難解だ。という作品には何通りかのパターンがあって、一つは作者には理解できてるが君たちにわかるかな?という主旨と、もう一つは作者には理解できてるがそれが何なのかよくわからないというパターンで、前者などは読んでいくと必ずその趣向の手垢がいやらしくみえてくるものです。どちらかといえばこの作品は後者に当て嵌まるのではないかと。イメージされるのは会場ゲームに椅子取りゲームという、二種類の何やらにぎやかな音が飛び交うの宴会場ですね。読んでいけば皮肉に満ちた宴会のゲームです。この椅子取りゲームと会場ゲームをどのように受けとめるかで読み手の印象はずいぶんと変化します。野望を孕んだ権力闘争のゲームでしょうか?~文字奴隷~虫たち~。交錯するような虫たちとは語彙のことでしょうか。これは明らかに文芸を意図されて言い回されているようにみえてきます。終わりには無垢で純粋な子供が出てくる。そのことでこの主人公はやっと気づくわけですね。AOIさんがいいことをおっしゃっている。逆走に~と。つまり語り手である主人公(主体)は、わたしが取り上げたこの作品の主旨(意図)に最初に戻るわけです。「上手くあってはならない。きれいであってはならない。心地よくあってはならない。理解されたり、喜ばそうと思うな。認められない事を前提に自分をつき出せ~」イマジネーションによって宇宙と遊ぶのだ。 そう理解されたなら何度読むのにも耐えうる。 熊倉ミハイさんはたぶんまだお若い方でしょうが、より上を目指して覚悟を決めておられる様子で先が楽しみですね。 挑戦的でお見事な駄作です。
1素晴らしいですね。今日、mummy-Dのニューアルバムを聞いたんですが、ミハイさんのこの詩も、 楽しい歌になっている。作品ごとに、格段の進化を遂げておられると思います。平和の続く限り、 詩も終わらない。
1おもしろいと思いました。 他の方も指摘してるっぽいですが、 詩的空間の前後関係であること自体が、意識的に曖昧になっている、 そういう作品を目指されているということだと肯定的に解釈することにしました。 ようするに、構造的秩序が壊れているように、 読み手は、少なくとも第一印象では感じやすいということです。 前作のレスで熊倉ミハイさんは「おぞましさ」を仰っていましたが、 なるほど、たしかに、独特のおぞましさを目指されているような、 独特の推進力があります。
1A・O・Iさん、コメントありがとうございます。 好奇心を持たせる工夫、確かにと思いました。確かにある意味を持って今回この詩を書きましたが、自分としては結構ノイズを入れて何が真意かを分からなくさせたつもりでした。もっといじっても良いってことですね。ちなみに私はこのオチ、すっきりしてないです……意図的ですが。 まあ、A・O・Iさんが言うのは、「オチがあること」自体、すっきりするというご指摘ですよね? 今後の詩作に活かせそうです。ありがとうございます。
0メルモさん、コメントありがとうございます。 見事な駄作。とても求めていた言葉ですが、実際に言われると変な感覚です。自分の作風が、「失敗実験」という詩が体現しておりまして、「作品は作中、何かに失敗していないといけない」、というのがモットーにあります。 挙げていただいたうちの後者だと、私も思います。私には理解できるイメージを、原型を留めないほどにごちゃごちゃさせる。まあ、それだけじゃ面白くないので耽美(自分が思う)な詩もちょこちょこ書きますが。 「上手くあってはならない。きれいであってはならない。心地よくあってはならない。理解されたり、喜ばそうと思うな。認められない事を前提に自分をつき出せ~」 という精神に立ち返る詩中主体に気づいてくれて大変嬉しく思います。 椅子取りゲームと会場ゲーム、という二つのゲームがある、と分けた考えも、私にはない視点でした。 文芸云々~という話のところは、閉口したいと思います。ああ、こんなにも解釈が広がるのだなと、天沢退二郎のあの詩のように「ふっふっふ」と笑っております。 ありがとうございます。
0黒髪さん、コメントありがとうございます。 そう言っていただけると嬉しいです。まだまだこれから研鑽の日々です。 mummy-Dというアーティスト、チェックしてみます。響きが似ていたので、Dannie Mayというアーティストも私からオススメしたいと思います。面白い曲ばかりです。 ありがとうございます。
1おまるたろうさん、コメントありがとうございます。 構造的秩序が壊れている、というのはおっしゃる通りだと思います。 一つ手法を明かすとするなら、詩の書き方にも「椅子取りゲーム」を採用したという作品で、自分が気に入った詩人の詩の文体や作風を連ごとに座らせ、どこかに自分の作風も座らせています。 そのせいで、カオスな作品になったのかもしれません。おぞましさ、伝わってもらえて嬉しいです。 ありがとうございます。
0>「オチがあること」自体、すっきりするというご指摘 そうですそうです、手帖自体が謎ですし、賽じゃなくて匙だし、初っ端からわからんし。ことごとくずらして巧いこと誘導してるなと思って感心したんです。すごく凝っていたのでお話を読ませるつもりじゃないと思ったんで、ミハイさんなら汲み取ってくれるとそう書きました。 >自分としては結構ノイズを入れて何が真意かを分からなくさせたつもりでした。もっといじっても良いってことですね。 いじってもいいと思うけど、そうすると連ねる必要はなくなるかな。これがなにか?と立ち止まらせるための言葉の見せ方、だとおもう。でもそうすると失敗実験と同じ手法になってしまうから、ミハイさんが求めているものとは違うよね。 〝この詩では手法としても「椅子取りゲーム」を採用した〟 とあるけど。この手法、気づきではなくて。チグハグ、ぐらいだった。 >自分が気に入った詩人の詩の文体や作風を連ごとに座らせ、どこかに自分の作風も座らせています。 いっそ名前もモジって堂々と座らせてみたらおもしろいかもね。目に止まると思います、うまくできていれば、ですけどね。ただ新しくはない気がしますけどね、うん。多分他にも使った手法があるのだろうけど、隠すのではなくあえて手法の意図が見えるぐらいの露骨さと、それが活かせる内容を合わせられたら、おもしろいものができそうな、陳腐なものになりそうな……わからないです とかく他の方たちのコメント見てて、なにかしら面白いと思わせる惹きつけることばの強さは、とてもあるのだと思います。まあいつもいつも面白いことするなと思ってわたしは楽しんでいますけど
1「隠すのではなくあえて手法の意図が見えるぐらいの露骨さ」 この加減をどうするかは課題のうちの一つですね……。 まあ、今の段階だと手法は隠す派ですが、露骨さに振り切って振り切る作品はまだ作ったことないかもです。 ありがとうございます。
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